64.混沌の船
「――で、一旦離脱したはいいけどどうする? シュウちゃん」
ふわぁ、と場違いな欠伸を洩らしながら隣のネムノキが言う。
タカヤマたちの注意を逸らし、デッキからの脱出は何とか果たせた。
しかし船内に戻ったところ、とにかく廊下を走り回る人や、慌て騒ぐ人でごった返している。
聞き耳を立ててみると、一部の人が鳥の魔物を見た、襲われた、と騒ぎ立て不安を煽っているような状況だ。
話を聞いた乗客はみんな、こぞってデッキから遠ざかろうと必死になっている。そもそも海の上なのだから、ここから直接陸に逃げる出口もないというのに。
これではタカヤマたちの思う壺だろう。
どうにかして混乱は食い止めたいが、俺にはそれ以外にもやらなければならないことがある。
「一度、操舵室の様子を見に行きたいのと……それとユキノたちを探さないと」
「ああ、そっかぁ。無事だといいねぇ」
極めてどうでも良さそうにネムノキが言う。
こっちはさっきから、わけのわからない頭痛も続いててキツいっていうのに……別にこいつが悪いわけではないのだが、ちょっと虫の居所が悪くなってイライラしてくる。
こんな風に感情が波立つのは、自分にしては珍しいことだとふと思う。
どうしてだろう。急に三人もの敵が現れたからか。それとも――やはりネムノキの存在によるものなのか。
俺は隣で眠そうに目をこする白髪の少年を横目で見遣る。
混乱と狂騒の最中にあって、彼は至って落ち着いていた。異様なまでに落ち着いていて、一種の貫禄さえ感じるほどだ。
こんな事態は何でもない、というような平然とした顔を見ていると、不思議と俺もだんだんと落ち着きを取り戻してきた。
逃げる直前に聞こえた、ネノヒマナの言葉を思い返してみる。
大声で喚いていたので、俺の耳にも問題なくその声は届いたのだ。
『大体ね、マナのおかげでこうやって鳥さんたちの力を借りて――』
彼女は確かに、自分のおかげだと公言していた。
つまり魔物たちによる強襲に噛んでいるのはネノヒのリミテッドスキルと考えていい。
そして俺の勘が正しければ、それならいくらでも、付け入る隙があるということだ。
「そもそも、この船にもそれなりに応戦できる人材は揃ってると思う」
「冒険者ってこと?」
「そう。その人たちの力を借りよう」
今はまだその勘を実証するときではない。
俺はひとまず、第一の作戦を実行するために大声を上げた。
「――あの、皆さんすみません! 聞いてください!」
シーン、と静まりかえるとまではいかないが、周辺の騒ぐ声はいくらか小さくなる。
その隙に俺は喉を嗄らすくらいの勢いで呼びかけた。
「空から、数十羽の鳥の群れが襲ってきてます! 誰かこの中に魔物と戦える人はいませんかっ?」
「お医者様はいませんかぁ、のヤツだ」
ネムノキが適当な相の手を入れているが、気にせず俺は周囲に視線を巡らせながら何度も伝える。
「遠距離攻撃を得意とする方が居れば有り難いです! それと攻撃魔法が使える方も! どなたか――」
「オレが行こう」
運が良いことに、すぐ近くの客室のドア付近に立っていた屈強な男が応じてくれた。
「さっきっから状況も掴めず困っていたんだ。オレたちのパーティなら、弓矢を使う者も居る」
「助かります! お願いします」
「そういうことなら私らも力を貸すよ」
「ありがとうございます。俺たちは操舵室の準備を見てからそちらに加勢します!」
男が名乗りを上げた影響だろう、その近くの女性も協力を申し出てくれた。
これで少なくとも乗客の内の十人はデッキで鳥型の魔物たちを迎撃してくれるようだ。だいぶ助かった。
しかし気味が悪いことに、俺たちの脱走に気づいただろうタカヤマたちはまだ何のリアクションも起こしてはこない。
それが何かの策なのか、あるいは余裕ぶっているのかは不明だが、先手を打たれた以上は早めに手を打つ必要があるのは事実だろう。
「すごーい。コミュ力発揮だぁ」
ネムノキは相好を崩して俺に向かって拍手をしている。そんなものそもそも持ち合わせてないのだが。
「ていうか、それならボクもデッキに戻ったほうがいいかもねぇ」
「え?」
「範囲回復魔法とか、一応使えるから」
攻撃より支援回復系が得意とは聞いていたが、まさか範囲回復とは。
俺の回復に特化したユキノには縁のないタイプの魔法だ。
たぶん、いやかなり珍しい部類に入る上級魔法だろう。
今までどうやって生き残ってきたのかと疑問に思っていたが、それならどんなパーティからも引っ張りだこだったんじゃないだろうか。
「どうする? ボクはどっちでもいいよ。シュウちゃんの言うことに従う」
「そうだな……」
ネムノキの申し出に、俺は迷う。
《分析眼》で密かに視たところ、デッキに向かった冒険者たちは、大体がC~Dランクで、あの屈強な戦士然とした男はBランクだった。ごく一般的な、中堅レベルのパーティだ。
簡単にやられるとは思わないが、今回は相手が相手だ。タケシタの件もある。タカヤマたちのことを侮るのは危険だった。
「……頼めるか?」
「いいよぉ。シュウちゃんの頼みなら」
二つ返事で頷き、ネムノキが来た道を戻る。
「ソラ!」
何となく、俺はその薄っぺらい背中を呼んでいた。
「うん?」
「ああ、えっと…………気をつけて」
「うん!」
子どもみたいに無邪気に頷き、再びネムノキが駆け出していく。
その背中を見送って、俺は再び混沌とする船内に視線を戻す。
この騒ぎの中じゃ、ユキノやコナツには聞こえないかもしれない。
それでもきっと、彼ならば……俺の声を聞き取ってくれるはずだ。
「――ハルトラッッ!」
数秒間は、何も変化はなかった。
しかし名前を呼んだ、六秒後くらいだろうか。
咥えた鳥をペッと床に吐き出しながら、のっそりと巨大な猫が廊下の角から姿を現した。
人々が慌てて道をあける。ハルトラは俺の姿を見止めると、廊下を一直線に駆けてきた。
巨大化しているのはユキノたちに危機があったからだろう。
焦燥が胸に湧き上がると同時、低姿勢を保つハルトラの背から一人の少女が飛び降りてきた。
「ユキノ!」
「兄さまっ」
その正体はユキノである。
長く艶やかな黒髪をなびかせ、床に降り立ったユキノはすぐさま俺に近寄ってくる。
瞳が、涙の気配を湛えるように揺れていた。少し様子がおかしい。
俺はその理由にすぐさま気がついた。
まさか、と思いながらも問う。
「ユキノ、コナツは?」
「それが……。……私がついていながら、申し訳ありません」
その形の良い唇から、苦渋に満ちた言葉が紡がれる。
「船が停止した後、おかしいと思って一度部屋に戻ったんです。そこに窓から怪鳥が侵入してきて、コナツはその魔物に攫われてしまって」
「え……!?」
「デッキの方に向かったように見えました。今、それを追っていたところなのです」
つまりユキノやハルトラも、その魔物を追ってデッキに出るつもりだったのか。
こういうことなら、代わりにネムノキに操舵室を見に行ってもらった方が良かったかもしれない。
――いや、今さら悔いたところで仕方ない。
「ハルトラ、デッキの方を見てきてコナツが居るか確認してくれ。必要なら冒険者側に助太刀も頼む」
「ギャウッ」
ハルトラがすぐさまデッキに向かってダッシュする。
俺はその場に佇んだままのユキノを見下ろした。乗客とすれ違いざまに肩をぶつけられても、ユキノはほとんど反応らしい反応もしない。
「ユキノは俺と一緒に、一度操舵室の様子を見に行こう。船長たちの状況を確認したいんだ」
「……わかりました」
コナツのことが心配なのだろう、ユキノの表情は暗かった。
生真面目な性格ゆえに、強く責任感も感じてしまっているのだ。
俺はどうしたものかと考えて――自分の胸にぶら下げた、灰色のリブカードの裏面をユキノの目の前に差し出した。
「……?」
眉を下げて見つめてくるユキノに、「見てみて」と促すと、素直にユキノは俺の言葉に従った。
「あ……」
彼女が小さな呟きを洩らす。俺は頷いた。
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パーティ:鳴海 雪姫乃 “ナルミ ユキノ”、コナツ
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俺が見せたのはカードのラスト一文にあるパーティメンバーの表記だ。
死んでしまうと、通常はその時点でリブカードに表示される文字はすべて消失してしまう。トザカのカードがまさにそうだ。
そのシステムに関してはパーティメンバーの表記も同様だと、以前オトくんが話していたことがある。
「俺のリブカードに。もちろんユキノのカードにだって、ちゃんと表記がある」
つまり、俺とユキノのカードに名前がある限り、コナツは間違いなく生きているということだ。
それを実感したのだろう、明らかにユキノの顔色が少し良くなった。
「コナツは大丈夫だよ。デッキにはハルトラも向かってる。……俺たちは俺たちにできることをしよう」
「……! はい、兄さま!」
もうユキノの表情に迷いはなかった。
俺たちは連れ立って操舵室へと向かう。




