63.逃げるが勝ち
『クエエエエエッ』
赤い巨鳥が耳障りな鳴き声を轟かせる。
応じるように周りの鳥たちも鳴き始めた。魔物たちのあまりの迫力に、乗客のパニックが増す。
このままではまずい。この海域から早急に逃れないと良い的になるだけだ。
それなのに、気づけば船自体もほとんど同じ位置から動いていないようだ。船長室にも何かあったのだろうか。
それにユキノたちのことも心配だった。鳥たちが騒ぎ立てるせいで、デッキまで船内の様子は伝わってこない。
俺が行くまで無事でいてほしいが……正直、こっちもそう簡単に抜け出せそうにない。
「デッカい鳥、一羽じゃないね」
「え?」
ネムノキの呟きに、再び視線を頭上へやる。
するとその言葉の通り、最も図体のでかい一羽の隣に、若干サイズは及ばないがもう一羽、他の鳥より大きな鳥型の魔物が控えている。
あの巨鳥たちが、旋回する鳥たちのボスのような存在なんだろうか。
「ん……?」
見上げつつ片手で庇を作ると、次第に強い日光にも目が慣れてきて、その光景が捉えられる。
真ん中に滑空する巨鳥の背に、人間が――乗っている。
しかも一人じゃない。横のもう一羽の方に、さらに二人の姿がある。
三人ともが黒フードを被っているせいで、うまく顔が見えない。
しかしそのとき、都合良く強風が吹いて、フードが大きくはためいて外れた。
「…………!」
現れたその素顔に、思わず息を呑む。
その三人ともが、俺の知っている顔だったのだ。
「だあれアレ?」
同じく人影に気づいたネムノキが小首を傾げている。
いや、お前も顔見知りだろ。
ツッコみたいのは山々だったが、今はとりあえず簡潔に説明しておくことにする。
「土屋佳南に、高山瑶太。それに巨鳥に乗ってるのが子日愛だよ」
俺が遥か下方から睨みつけると、ツチヤとタカヤマは気丈にもにらみ返してきたが、ネノヒは「ひっ」とわかりやすくビクついていた。
まさかここに来て、三人もの元クラスメイトが姿を現すとは。
それに――タカヤマは、あのザウハク洞窟で、マエノの横に堂々と立っていた男だ。
首元に赤い痣もある。まず間違いなく、血蝶病発症者だと判断して良いだろう。
他の二人は不明だが、タカヤマは俺にとって問答無用で倒すべき相手の一人だ。
だがその顔ぶれに関しては少々疑問だった。
いつもタカヤマはマエノのグループのサブリーダーのような立ち位置に居たはずだ。なのにマエノはこの場に居ない。
また、マエノのことを好いているホガミが一番仲良くしているのがツチヤだ。そのツチヤが、ホガミではなくタカヤマと一緒に居るのも疑問だった。
何より……ネノヒという少女は、ある理由によりホガミたちからは冷たく当たられていた人物である。
そのネノヒが、ホガミに近い位置にあるタカヤマやツチヤたちと共に行動している?
ますます混乱してくる。
姿を現したのが三人というだけで、マエノたちもこの急襲には一枚噛んでいるのか。
それとも、彼らにとっても相当にイレギュラーな出来事が起こっていると見るべきなのか。あるいは――
「ふぅん。手間が省けたねぇ、シュウちゃん」
「え?」
出し抜けの発言に強制的に思考を中断され、思わずそちらを顔ごと見遣る。
「あいつらの中でも最低一人以上はリミテッドスキル持ってるんじゃない? 今まさに、動物操ってるしぃ?」
キャンバスを両手に抱えたまま、邪気のない笑顔でのんびりとネムノキが言う。
俺はその言葉にハッとした。
……そうだ、今は敵の内情なんか気にしている場合じゃない。
とにかく目の前の脅威を分析し、排除する方法を探し出さなければ。
こんなところで俺は死ぬわけにはいかないのだ。そのためなら、知恵を振り絞って活路を見出す必要がある。
残念なことにと言うべきか、今ここに俺の味方となり得る人物はネムノキただひとりしか居ない。
俺一人では難しい。彼の力を借りなければ、おそらくこの状況は突破できないだろう。
とりあえずはと、確信に近い思いつきを口にしてみることにした。
「動物を操るスキル、では……ないと思う」
「どうして?」
「似たようなスキルを俺が持ってる」
そう、ネムノキの言う通りのに能力だと、カワムラのリミテッドスキル――"魔物玩具"とかなり近しい能力になる。
でも、今までのリミテッドスキルの傾向からしても、恐らく特性自体は個人個人によって大幅に異なっているはずだ。
もはや何者かの意図を感じるレベルで、各人の有するリミテッドスキルは得意とするものが違う。
三人の内の誰かがスキルを使用しているとして、それは「魔物を操る」ものではないはずだ。
《分析眼》が使えば話は早かったのだが、あいにくこの距離では魔法も届かない。どうしたものか……。
「――生きてたんだな、ナルミ。それにネムノキも」
手をこまねいていると、頭上から低い声が俺たちの名を呼んだ。
タカヤマだ。
もちろんというべきか、その声には何の感情も込められていないようだった。
ただ淡々と、挨拶代わりに事実を述べている。それだけだ。
「俺たちに何か用か、タカヤマ」
俺が応じると、タカヤマは苦虫を噛み潰したような顔をする。
クラスでマエノに続いてイケメン、と名高かった彼にしては珍しい表情である。その腰に抱きついた格好のツチヤが、少々不安げにしている。
「用も何も……前にも伝えただろ。お前に死んでもらわなきゃ困るんだ」
「俺が、おまえらの投票とやらで一位になったからか?」
思わず自嘲的な声音が洩れる。
多数決でお前を殺すってみんなで決めたんだ、だったか。以前マエノはそんなことを言っていた。
未だその多数決とやらが有効だとしても、決しておかしくはない。
「違う」
だが、タカヤマは首を振った。今さら良識ぶるのか、と呆れそうになる。
しかしタカヤマの言葉は俺の予想の範疇にないものだった。
「お前が死なないと困るんだ。本当にそれだけなんだ。オレたちには――もう――……時間が残されてない」
「…………どういう意味だ?」
再度、タカヤマは力なく首を振る。そこまで話す気はないらしい。
それに何を言われたところで、ハイそうですかと素直に死んでやるつもりもない。
それならこれ以上話す意味も、結局はあまりないのかもしれない。
「この鳥たちを使って俺を殺すつもりか?」
「それが理想だが……お前はそう易々と殺されてはくれないだろうな」
タカヤマは僅かに口の端を歪ませる。
巨鳥はその場で羽を広げたまま近づいてこないが、周りの旋回する鳥たちはジリジリと、またこちらに近づいてきているようだ。
たぶん一斉に降りてきて、俺とネムノキを攻撃するつもりなんだろう。
それが分かっていながらも、俺たちは動けない。包囲を狭められて、ほとんど自由に身動きが取れないのだ。
知らずネムノキと背中合わせの格好を取る。後ろのネムノキが囁いた。
「どうしようか、シュウちゃん」
「……うん……」
思わず生返事を返してしまう。
海のど真ん中、この絶体絶命の危機を乗り越えるだけの策はまだ思い浮かばない。
こちらを舐めてかかってくれればまだ勝機はあっただろうが、タカヤマは用心深く事態を見つめるだけで、自分からは一向に仕掛けようとはしない。
それなら――あ、そうだ。
一か八かの賭けになるが、こういうのはどうだろう。
「……俺が合図したら、出入り口に向かって走り出せるか」
「…………おっけー」
聞き取れるかどうかも微妙な音量で言い放った言葉に、ネムノキが吐息のような声で了承を返してくる。
俺は大きく息を吸い、肺に酸素を取り込んだ。
そして、
「……――――ネノヒマナっっ!!!」
「わひゃッ」
まさかこの場面で自分の名前が呼ばれるなど、夢にも思わなかったのだろう。
巨鳥の背中でネノヒがバランスを崩しかける。
「ネノヒ!」
「!」
タカヤマが焦って名前を呼び、ツチヤも目を見開いている。
ネノヒはさすがにそこから墜落はしなかったものの、慌てふためき、何とか巨鳥の背にしがみついて難を逃れた。
「し、しし、死ぬかと思ったぁ……! だからマナ、タカヤマくんと二人乗りしたいって言ったのに~! もう、ひどいよ~!」
鳥たちに負けない勢いでぐわんぐわんと叫ぶ。
ツチヤはうるさそうに顔を顰め、タカヤマはぎこちなく表情筋を動かした。宥めるような口調で彼はネノヒに言い聞かせる。
「……ほら、それはジャンケンで決まったんだし。仕方ないよ」
「仕方なくないのっ! 大体ね、マナのおかげでこうやって鳥さんたちの力を借りて――」
「ちょっと待って!」
遮ったのはツチヤだ。ようやく、自分たちがミスをしたのに気づいて。
「……あれ、居ない」
最後には、誰かがそう呟いただろう。
途中からは、単なる予想に過ぎないが。
何故ならそのときには、俺とネムノキは全力でその場から走り去っていたのだから。




