60.棚からスキル
驚愕する俺たちにお構いなしの様子でネムノキはさらに言う。
「あ、ボクのリミテッドスキルは攻撃系ではないけどぉ、それなりに役に立つのは保証するよ。入り用でしょ、スキル。ねぇねぇ、かなりそっちに有利な取引じゃない?」
俺の事情を――リミテッドスキルの特性を完全に把握している口調でべらべらと喋るネムノキに、俺はしばらく沈黙を返した。
この男の意図が読めないのだ。
どういうつもりで、そんな取引を持ちかけてきている?
どんなスキルかは置いておいて、この世界において《来訪者》と呼ばれる一般人同然の俺たちがこうして生き残っていられるのは、正直に言ってリミテッドスキルのおかげといって過言ではない。
攻撃系ではないと言っても、ネムノキにとってもきっとそうだ。彼はそのスキルがあったからこそ、今までこうして五体満足で生き延びてこられたはずだ。
それなのに――俺にスキルを寄越して、その代わりにコナツが欲しいなどという。
ふつうに考えてみるなら、ネムノキはコナツに関して何か特殊な情報を持っているのだろう。俺たちが知り得ない何かを。
だからこそ、自身の貴重なスキルと引き換えにしてでも、コナツを得ることを優先しようとしている……とか。
まぁ、ネムノキが重度のロリコンである、という仮説を抜きにすればだが。
「おにーちゃん……」
黙っていると、コナツが俺の名を呼んだ。
縋りつくでも、懇願するでもない。
俺がこの男の要求にどう応じるつもりなのか。
それを見極めるためだけに、コナツの目が開かれている――俺はそんな風に感じた。
「悪いけど、断る」
ただ、ネムノキの持ちかけてきた取引に対して何と返すかは、考えるまでもなく決まっていたことだ。
「コナツは俺たちのパーティの仲間だ。決して俺の所有物じゃない」
やっと加入した治癒魔法が使えるパーティメンバー。
それに、言語化するのは難しいけど、いつも明るく脳天気なコナツがいることで俺もユキノも、ハルトラだってきっと、元気をもらっている。
ユキノは口では認めないかもしれないが、きっと俺と同じように思っているはずだ。
「……!」
コナツの口元に確かに笑みの気配が浮かんだ。ユキノも、心なしか安堵したような面持ちだ。
「……そっかぁ、そりゃそうだよねぇ。うん、了解」
そしてネムノキ当人はといえば、アッサリ引き下がるだけだった。
俺はその反応に拍子抜けする。てっきり、さらなる取引条件なんかを持ちかけてくると思ったのに。
俺の顔にそんな気持ちが出ていたのだろう、ネムノキはくすりと笑った。
微笑だけなら少女のように愛らしいものだ。しかしその喉から放たれる声は外見に似合わず低く掠れていて、響きは甘い。
「いやいや、断られるだろうなって思ってたんだって。シュウちゃんは赤の他人でもそう簡単に切り捨てたりできないもんねぇ」
「…………?」
また、知ったような口を聞いて、「そうだよねえ」なんてウンウン一人で頷いている。
断られたのに、まるでそれを喜んでいるかのような口振りだ。変なヤツ……。
「まぁ、じゃあそっちはいいや。ちょっと残念だけど。
で、リミテッドスキルね。あげるから、ボクの腕でもテキトーに切っていいよ」
「……本気で言ってるのか?」
「そうだよぉ。プレゼントって言ったでしょ?」
俺はユキノにアイコンタクトを取った。
どうやら意見が一致したようだ。
「場所を変えよう」
+ + +
よりにもよってと言うべきか。
ネムノキが先頭になり歩き出し、辿り着いたのは、タケシタが息を引き取った場所だった。
今は憲兵やレツさんたちによる後処理も終了しているのだが、あの事件以降、この一画はほぼ無人と化している。
情報統制は行われているようだが、あれほど厳しく取り締まって捜査をしていては、ここで何かがありましたと自ら明かしているようなものだ。その事実を鋭敏に感じ取ったのだろう、住民は数日中にはここには極力近づかないようになっていた。
「ここならいいよねぇ。はい、どうぞ」
ネムノキは通路の前で立ち止まると、髪を揺らして振り返った。
それから消しゴムを渡すような軽い口調で言い、右腕の袖をめくって剥き出しにする。
作り物のように真っ白い肌には痣の一つもなかった。
肘の裏側、薄い皮膚の下で青白い血管が僅かに動いている。
「兄さま。罠の可能性はないでしょうか?」
隣に立つユキノが疑わしげに小声で呟く。それは俺も考えていたことだった。
例えば、油断してノコノコ近づいたところを隠れた仲間が攻撃してくるとか。
例えば、スキル自体が、奪った時点で宿主に牙を剥く類のものであったりだとか。
……可能性はいくらでもある。
しかしどちらにせよ、ネムノキには俺を確実に殺すタイミングが他にいくらでもあったように思う。
それこそ、ギルドで背後を取られた時点で俺の負けだ。
暗殺者のランクに乗り換えておきながら易々と接近を許してしまった。あのとき首を切られていたらそれで全部終わりだったのだ。
「一度、おまえのスキルの詳細を教えてもらえるか?」
苦し紛れ、ダメ元の問いかけだった。
《分析眼》で覗かなかったのは、エンビさんの使っていた《保護陣》のような魔法をネムノキが使っているのを考慮してだった。
しかし存外素直にネムノキは了承した。
「うん。えっとねぇ、スキル名は"開放解錠"。鍵のかけてある空間なら、どこからでも脱出できる能力だよ」
「"開放解錠"……」
「外から誰かに鍵をかけられたときとか、脱出するときに便利だよぉ。あとはねぇ、うーんと、……家の鍵をなくしちゃったときとか?」
「それは、家の中から鍵を開ければいいのでは?」
ユキノが冷静に指摘すると、ネムノキは一瞬、虚を突かれたような顔をした。
「……そうだねぇ、それもそうだ。アレ? それじゃあ、あんまり大した能力じゃないのかなぁ」
それなりに役に立つといった口で、次は大した能力じゃないなどと言い出す。
考え込んでしまうネムノキに、どう話しかけたものかユキノは困惑しているようだ。
――リミテッドスキルは、その人物の願望や本質そのものを反映している。
そう推論していたのはトザカだが、その仮説に当て嵌めるとしたら、ネムノキは過去に何者かに閉じ込められた経験でもあるのだろうか。
もしそこからの脱出がネムノキの願望であったなら、そんな使い道の限られた能力が宿ってもおかしくないのかもしれない。
「まぁ、大した能力じゃないかもだけど、とりあえずもらっといてよ。いつか重宝するかもだしぃ?」
またニヤニヤ笑ってネムノキが腕を俺の方に向けてくる。
何だか迷っているのも馬鹿らしくなってきた。俺は短剣――アゾット剣を鞘から抜き、ネムノキに真っ正面から近づく。
「兄さま」
後ろから呼ぶユキノの声は不安そうだ。
近づく間も注意は決して怠らない。少しでも怪しい動きをすれば、即座にネムノキの首を切る。
そう覚悟を固め注意深く観察していたが、触れられるほど近くまで来て尚、ネムノキは腕を掲げたまま身動き一つしなかった。
「……」
「シュウちゃん、はやく食べてよ」
それどころか、急かすように腕を突き出してくる。
こいつ、刃物が見えていないのか?
俺は戸惑いながらも、短剣の先端でその細っこい腕の皮膚一枚を切った。
「《略奪》」
――奪えた。
ネムノキの魔法耐性はそう高くないらしい。
一度後ろに距離を取ってから、リブカードの表記を確認してみる。
――――――――――――――――
鳴海 周 “ナルミ シュウ”
クラス:暗殺者
ランク:F
ベーススキル:"言語理解"、"言語抽出"
アクティブスキル:"片手剣中級"、"小剣上級"、"大剣初級"、"槍初級"、"弓中級"、"斧初級"
リミテッドスキル:"略奪虚王"、"魔物玩具"、"矮小賢者"、"泥屑人形"、"開放解錠"
習得魔法:《略奪》、《魔物捕獲》、《分析眼》、《土人形》、《解放》
パーティ:鳴海 雪姫乃 “ナルミ ユキノ”、コナツ
テイムモンスター:暴風大猫 “ハルトラ”
――――――――――――――――
そこには、ネムノキが言っていた通りのスキルが追加されていた。
《解放》という魔法は初めて聞くが、魔法名からしてそれ自体は鍵を開く魔法で、その力をより反則級に強化したのがネムノキのリミテッドスキルということだろう。
こうして、半ば強引な形で、俺は新たな能力を手に入れたわけだった。
……しかし今まで頼りにしてきたリミテッドスキルを、もとはと言えば自分が望んだとはいえこうして失ってしまったのだ。
今さら喪失感に打ちのめされて逆上したりとかしないよな、と少し心配したのだが、
「ああ、――これでボクの能力がシュウちゃんのものになった。つまりボクはシュウちゃんの一部になったってことだよねぇ。へへ、えへへ……」
ネムノキは、頬を紅潮させ、訳の判らない言葉を吐きながらその場でくるくる踊っていた。
うわあ………………。
「このひと、こわぁい……」
その奇行に、コナツが怯えてユキノの後ろに隠れる。
ハルトラは全身の毛を逆立てて威嚇していた。散々な反応だ。
俺としても一刻も早くこの場を立ち去りたい所存だったが、その前にネムノキには訊いておきたいことがある。
「訊きたいんだけど……クラスメイトの一部が血蝶病になったとき、ソラもその場に居たのか?」
「うん、居たよ」
「詳しくそのときの状況を教えてほしい」
もしかしたら、と思う。
不自然に友好的な態度を取ってくるネムノキならば、話してくれるかもしれない。
俺たちの知らない何かを。
まだ隠されている秘密を。
「……ごめんだけど、それは言えないなぁ」
だが、その期待はあえなく霧散した。
「別に話したっていいけどね。いいけど……それじゃあつまらないかなって」
「つまらない?」
眉を顰める。理由として、あまりに不適切なように感じたのだ。
俺の不信感を感じ取ったのか、僅かにネムノキは黙り込んだが、そのすぐ後にこう言い放った。
「――ボク、シュウちゃんのすごいところをいいっ……ぱい見たいんだぁ」
粘着質な。
肌が粟立つほどの声を放って、ネムノキが口元を歪める。
「シュウちゃんが戦って、苦しんで、喘いで、身悶えて、絶望して、狂って、地を這いずって、……そしてその先で、何が起こるのか。ボクはそれが見たい」
「…………」
「だから、このとびっきり楽しいゲームを、わざわざ自分の手で台無しになんてしないよぉ。シュウちゃんには悪いとは思ってるよ? でもね、ごめんねぇ」
「…………そうか」
もう、会話の意味はないように思われた。
俺にはネムノキの言っている意味の半分も理解できないし、理解したいとも思わなかった。
この男の言葉を、真正面から捉えても無意味だ。ほとんど搦め手で、引っ掛かるのを待ち望まれているような気さえしてくる。
するとネムノキは反応の悪さに気づいたのか、急に殊勝に小首を傾げて問うてきた。
「……で、しばらくボクも旅に同行していい?」
もちろん、素っ気なく断ったのは言うまでもなかった。




