50.こんにちは、おじさん
走るユキノとコナツ(それにハルトラ)を追っていくと――辿り着いた先は船着き場だった。
多くの人が行き交い、声を飛ばし合っては荷を下ろしたり、運んだりといった光景が繰り広げられている。
それに――鼻をつく潮風。
その先に待っていたのは、見渡す限り、恐ろしいほど広大に広がる海だった。
ハルバニアで目にした城周りの湖も見事なものだったが、やはり異世界で見る大海も信じられないほど美しかった。
堤防では白い飛沫を散らしている海水は、より遠く視線を飛ばすと青く透明に、遥か水平線までを満たしている。
しかし残念なことに、今はあまり見惚れている時間もない。
まさしく漁師、といった肌の焦げた男性たちの合間をエリィと共にどうにか抜けてみると、ユキノたちは港の最も奥まった先に停まっている立派な船の下に並んで立っていた。
追いかけてきた俺たちを振り向くと、普段走るのが苦手気味なユキノは額に真珠のような汗を浮かべながらも、真剣な声音で言う。
「兄さま、この船です。この船から魔物の気配を感じます」
断定口調で言い切るユキノの隣、不安げな表情のコナツが俺の服の袖を引っ張る。
「うん……あのね、なんだかすごくこわいよ」
「こわい?」
「いままであってきたまものと、ぜんぜんちがうの。せすじがぞわーっとして、これいじょうちかづきたくないくらい……」
その言葉の通り、強い恐怖感を感じているのか。
コナツは足元に擦り寄ってきたハルトラをぎゅうと抱きしめると、それきりその場から動かなくなってしまった。ユキノの様子はそれほどではないが、やはりかなりの緊張を感じているのか表情は固い。
俺はといえば、武器に関連するもの以外のアクティブスキルをまったく習得できていないからか、今この場にいても二人が感じるほどの脅威というのはさっぱり分からない。
しかし、澄み渡るような青空の下、活気ある掛け声がかかる中、波にさらされる船の――そこに居るだろうナニカを二人が恐れているというならば、信じないわけにはいかなかった。
「具体的に、どのあたりから気配を感じるか分かる?」
「えっとね……おふねの、みぎのほー?」
コナツは自信無さげだったが、ユキノも同意見の様子だ。
「シュウくん……」
さっそく踏みだそうとした俺の手を、エリィが掴む。
彼女の手も震えていた。その理由は、先ほどからエリィを睨んでくる港の面々によるのか。それともまた、彼女も何か良からぬものを感じ取っているのか。
俺はエリィを安心させるためにそっと微笑む。
「この船に居る魔物が、エリィのお父さんの事件と関係があるのかは分からないけど――とにかく、このまま出港されるわけにもいかないよ」
「……うん……」
「何かあったら、エリィも魔法で助けてくれると助かる」
「! わ、わかった」
ようやくエリィの手が離れる。俺はもう一度ゆっくりと頷きかけてから、船の前で指示を叫んでいるバンダナの男に近づいていった。
接近すると、船に休みなく運び込まれる樽の中身もよく見えた。
この荷は――魚だ。それも、カチカチに凍りついた魚である。
新鮮な魚介類を氷の魔法で固め、それを海上から輸送するのか。
なるほど、鮮度を保つためには画期的な運搬方法と言えるだろう。
ならこの荷の中に紛れているのは、例えば魚型の魔物とか、タコとかイカとか?
わざと気の抜けたことを考えつつ、俺は片手を挙げてバンダナの男に話しかけた。
「すみません。積荷を見せてもらえませんか?」
「ハア?」
よく聞こえなかったらしい。訝しげに片目を細められてしまった。
俺は大きく息を吸い、再度同じ言葉を腹の底から叫ぶ。
「積荷! 見せて! もらえませんか!?」
「聞こえてるって! 何言ってんだってことだよ!」
逆ギレされてしまった。何だ、聞こえてたのか。
「あのな、どこの誰だか知らないが――そんなのオレの判断でできるわけないだろ。これからこの荷は王都フィアトルに特急で運ぶんだ。時間もないし、そんな暇もないし、理由もねーよ」
「そこを何とか」
「だから無理だと――……なんだ、何かと思えばまたハヴァス家の厄介事か」
男が呆れたように嘆息する。
その視線に先に立っているのは他の誰でもないエリィだった。
エリィはびくりと身を竦ませたが、それでも毅然と胸を張ると、俺と男の元に歩み寄ってきた。
「……この人たち、ハルバン城の騎士様に頼まれて……お父さんを捜索して、くれてるんです。協力……してもらえませんか?」
「ハッ、そういうことならなおさら願い下げだ。あのエセ司祭が神隠しに遭ったのは天罰さ。オレたちゃ関係ないね」
また天罰……か。
いい加減、そのワードにもうんざりしてきた。とにかく状況を説明して何とか説得してみよう。
「あなた方が今必死に荷物を運んでるこの船なんですけど、どうやら魔物が隠れてるみたいなんです」
「魔物……?」
男の顔色が少し変わる。
しかし多少俺の話に関心を抱いた程度でろう。まだ説得には程遠い。
「俺のパーティには、魔物の気配探知に優れたメンバーが揃ってます。彼女たちが言うなら間違いありません」
「……それをオレに信じさせる根拠はあんのか?」
「……それは――」
「あるぜ、根拠なら」
ガシャッ、と全身鎧の鳴る音がする。
よく聞き慣れた音だ。俺は安堵の溜息と共に背後を振り返った。
「その冒険者はオレが――近衛騎士団副団長レツ・フォードが信頼を置く者だ。少なくともアンタが疑ってるような積荷泥棒、なんてチンケな輩じゃないぜ」
「レツさん……!」
「悪い、組合の方で捕まって遅くなった。でもどうやら本番には間に合ったみたいだな」
あまりにタイミング良く。
むしろ狙っていたのか、と
その赤髪の騎士が不敵に微笑むと、何故か急激に「何とかなる」という気力が湧き上がってくるから不思議だ。
それにレツさんの後ろからは四名の騎士たちも集まってくる。全員顔なじみのマッチョたちだ。
「危険だと思ってな、ライラさんには組合の方で待機してもらってる。一人護衛もつけてるから安心してくれ」
俺、というよりはエリィに向けてそう説明し、レツさんは改めてバンダナの男と向き直った。
長身の美丈夫の迫力に押されてか、男の態度は先ほどより露骨に弱々しい。
「き、騎士様……! アナタまでその少年が真実を言ってると……?」
「だろうな。というかオレも嬢ちゃんたちほどじゃないが"魔力探知"はできるんだが……ここまで来ればヤバい気配は感じてるしな」
「そんな……」
騒ぎを聞きつけてきたのか、気がつけば荷を運ぶ男たちの動きは止まり、俺たちは困惑の目線の最中に立たされている。
さっそく船内の調査をしたいところだったが、
「というか、何だろうなコレ。何か懐かしい気配も同時に感じてるんだが」
「懐かしい……ですか?」
ふと、そんなことをレツさんが呟いたので思わず俺も気を取られてしまった。
「シュウ、おまえも試してみろ。ほれほれ探知」
適当な口調で言いつつ、レツさんは俺の両脇に手を入れるとひょいっと軽く持ち上げた。
――いや待ってほしい、地味にショック。
そんなに軽々と……一応は俺、十五歳の男なんだけど……。
「ほれほれ、どーよ。分かるか?」
「……さっぱりですね……」
「そりゃ残念」
特に残念そうな素振りもなく地面に下ろされた。
「こなつもそれやってー」と少しだけ元気になったコナツがレツさんにおねだりしている。何だろう、湧いたはずの気力がすっかり萎えてきたぞ。
「さて、冗談はこれくらいにして、と。おまえら、船内の樽を一つずつ確認しろ。怪しければ樽を壊して確認だ。魔物が潜んでいる可能性がある、充分注意しろよ」
「ヒイッ。しょ、商品の破損だけはどうかご勘弁を……」
レツさんの容赦のない発言に男がガタガタ震えている。
騎士たちは「イエッサ!」と力強く応じ、ガシャガシャ鎧を鳴らしながら浮き橋から次々と船に入っていく。
「これならきっと魔物もすぐに見つかりますね、兄さま」
「うん。それなら良いんだけど……」
騎士たちは手当たり次第に樽の中身を確認し、所狭しと歩き回っている。
軽く数えても三十ほどの積荷がありそうだが、あと数分もあれば全ての荷物の確認ができるだろう。
俺たちは地面から船を見上げ、沈黙を噛み締めながら報告を待った。
――――そして、それから四十秒ほど経ってだろうか。
「!? この樽、中身が魚じゃありませんッ!」
騎士の一人が叫ぶ。周囲が騒然となった。
厳しい目をしたレツさんが鋭く問う。
「中身は何だ!?」
「ハイ! えー……恐れながらその、」
「――魔物だぞさっさと樽からブチ落とせゴリャーッ!」
「ちょっバッアホッおま――――!!!」
横合いから飛びかかる勢いで筋肉隆々の騎士が樽を奪う。何やってんだあの人たち。
そして筋肉は「フンッッ」と鼻息を飛ばしながら、微塵の躊躇いもなく樽を上下逆さまにひっくり返す。
「…………!?」
見守る俺たちの合間にも大きな緊張が走る。
しかし次の瞬間、俺たちの目の前に飛び込んできたのは、想像の範囲外の存在だった。
「――ああ、嫌だねえ」
何か文句のようなものをぶつくさと呟きながら。
「これでおじさんの計画大失敗よ、もう」
樽の中から落ちてきたのは――見たことのない、おじさんだったのである。




