41.猫と天使の小さな冒険1
「ハルトラ、コナツを追ってくれ。何かあれば巨大化してもいい」
現在の主人たるナルミシュウの指示に、ハルトラはこくりと頷いた。
窓の隙間から器用にするりと抜け出し、宿屋の屋根に駆け上る。
眼下に広がる活気づいたハルバンの街を見回すが、目当ての人物は見当たらない。もうだいぶ離れてしまったのか。
あれほど目立つ金髪の持ち主は他に居ないので、すぐ見つかると思うのだけど。
「!」
居た。
路地裏に閃く金糸が視界の端を掠めたのだ。ハルトラはすぐさま屋根を飛び降りた。
ぴょん、ぴょん、と地面まで軽く降り、人の足下を縫ってコナツらしき人物を追跡する。
そして両耳に飛び込んできたのは、
「――なぁ、キミってさぁ、もしかしてエルフ?」
「ちがうっ! はなしてっ!」
……想像していた中でもサイアクに近い会話だった。
ワルっぽい外見の男に腕を引っ張られたコナツが、甲高い声で叫んでいる。
男の手を必死に振りほどこうとするものの、非力な少女の手では好き放題に引きずられるだけだ。
さっそく捕まったのだ、とハルトラは少し呆れる思いがした。目立つ外見の少女を一人で外に出してしまった主人にも。そして自覚の足りない少女本人にも、である。
「えー、だってその金髪さぁ。それってエルフの証だろ? 有名だぜ、エルフの女は高く売れるって……」
「やだぁ……やめてぇ……っ」
長い金髪を力任せに引っ張られたコナツが、がたがたと全身を震わせる。
ハルトラは俊敏に距離を詰めつつ考える。
普段、街中では巨大化しないようにと命ぜられているハルトラだが、今回は「何かあれば」巨大化してもいい、と主より許可をもらっている。
この事態は、明らかにその「何か」に該当するだろう――と、結論に至るまでおよそ三秒。
踏み出した前足が地を踏みしめる。
鋭く尖った爪が閃き――巨大な獣の姿に変貌したハルトラは、威嚇するように「ギシャアッ!」と鋭く鳴いた。
「な、何だコイツッ! こんな魔物見たことねぇぞ……!?」
振り返った男は明らかに動揺していた。
一瞬の隙をつき、コナツがその拘束から抜け出す。そしてハルトラの胴体に夢中で抱きついてきた。
「はるとら! むかえにきてくれたの?」
「ニャア」
そうだよ、と返事をする。
天使のように可憐な子どもはうれしそうに頬ずりしてきた。少しくすぐったい。
「こ、この魔物、おまえのテイムモンスターか……?」
「ちがうよ。はるとらはおにーちゃんのていむもんすたーで、こなつのともだち」
男に話しかけられたコナツはすっかり安心した様子で応じる。いや、そこは肯定してくれればいいのだけど。
コナツを守るように一歩前に出たハルトラは、グルル……と低く喉を唸らせた。それだけでヒギッ、と男の表情が不細工に引き攣る。
「……お、覚えてろよ!」
キサマみたいな小物は覚える価値もない。
という意味合いで、再びハルトラはニャア、と鳴いてみた。
暗くてじめっとした路地裏から男の姿がなくなったのを確認し、再び身体を縮ませる。何にせよ、変に目立つのは主の本意でもないだろう。
「はるとらぁ、ありがとう。きてくれてうれしい」
太陽の光の射さない暗い空間でさえ、コナツの髪も笑顔も光り輝くように眩しい。
舌っ足らずにお礼を述べる子どもに、ハルトラはしばらくされるがままに撫でられた。
けれどコナツは数秒が経つと、次にこう問い掛けてきた。
「おにーちゃんとおねーちゃんは?」
「…………」
残念ながら、そのふたりは来ていない。
外せない用事があったからこそ、こうしてハルトラが出動の役目を仰せつかったのである。
ハルトラは人間の言葉を使うことができないので、それを伝えることができない。
細めた目の先、呆然と固まっていたコナツの表情が――やがて泣き出す寸前のようにくしゃくしゃになってしまった。
「!」
「うっ、うう、ふう……」
寸前、どころではない。コナツの桜色の瞳から、ぽろぽろと真珠のような涙が零れ落ちる。
怖かったのと、心細かったのと、シュウたちが迎えに来なかった悲しさが溢れ出てしまったのかもしれない。
服が汚れるのも構わずその場に体育座りをして、コナツは顔を伏せてしまった。
時折、ぐす、ぐす、と鼻を啜る音が聞こえるので、間違いなく、泣いている。ハルトラは困った。
「ニャーオ……」
為す術なく、とりあえず傍らに寄り添ってみるもののコナツの反応はない。
泣き止むのを待ってから、宿屋に戻るしかないだろうか。それとも無理やりにでも引っ張って連れていくべきなのか。
こんなときばかりは、人間の言語を使用できないのが若干、口惜しく感じられる。
「大丈夫?」
ピクッと耳を動かし、ハルトラは声のした方向を向いた。
少し遅れて、コナツも顔を上げる。目は潤み、鼻は赤くなっていた。
「……だあれ?」
路地裏の入口に立ってこちらを見ているのは、買い物袋を持った緑髪の少年だった。
無表情で、まるで興味がなさそうにコナツを見ている。昨日見たばかりの顔だ。
「ダグだよ。覚えてる? 装飾屋をやってる」
「あ……うん、わかるよ。あんなのむすこさん、でしょ?」
そう、とダグはゆっくりと頷く。
それから少年は辺りを不思議そうに見回した。
「あの人たちは? 一緒じゃないの?」
「……ぱーてぃ、いれてくれないっていうから、とびだしてきた」
「パーティ? 冒険者の?」
「そう。こなつ、おにーちゃんたちといっしょにいたかったのに」
会話で気を逸らせていたかと思いきや、またコナツの涙腺が緩み始めてしまった。
「そんなに小さいのに、冒険に行くの?」
「だってこなつ、おうちないから」
「両親は?」
ダグはシュウたちのように変に気を回さず、単刀直入な物言いをした。子どもだからこそできることかもしれない。
ハルトラは少しどきりとしたが、コナツは特に躊躇う様子もなく答える。
「しんじゃったよ。おかーさんはこなつをうんだときに。おとーさんはもっとまえかな、たぶんだけど」
「……そっか。寂しいね」
「こなつ、さびしいの?」
「僕は、お父さんとお母さんが居ないと、きっと寂しいって思うよ」
「……ならこなつもさびしいのかも。いっつもぽっかり、してるから」
コナツは困ったように眉を寄せて、自身の胸のあたりに手を当てた。
そんな仕草になにか感じるものがあったのだろうか。
ダグは座り込むコナツの、一メートル先ほどまでやって来て、同じように地べたにしゃがみ込んだ。
人見知りする少年のように思っていたが、存外そうでもないのか。
それとも、コナツが自分より年下の少女だからか、彼なりに慰めようとしているのかもしれない。
何はともあれ、ダグの心遣いはハルトラにとっては有り難いことである。
二人の間に四肢を畳んで座ってみると、ダグはおっかなびっくりハルトラの背中に触れてきた。大人しく撫でさせてみる。
「この猫、名前は?」
「はるとらだよ。おにーちゃんがていむ? したんだって」
「テイムモンスターなんだ。あんまり見たことない魔物だな」
ハルトラはぷらぷら長い尻尾の先をくゆらせながら、のんびりと思考を流す。
自分は暴風大猫と呼ばれる生き物である、らしい。
しかしハルトラ自身、自分のことをよく知らない。そう種族名をつけたのは人間なのだろうが、ハルトラは他に暴風大猫を見たことがないのだ。
生まれた頃から一匹だった。一匹、いろんなところを渡り歩いて必死に生き延びてきた。
本来、暴風大猫であるハルトラは非常に珍しく、そこらの人間の使用する《魔物捕獲》では捕まりようがなかったので、他の魔物はともかく人間などは敵ではなかった。
それなのに――あの、カワムラタカヒロという人間に遭遇し、ハルトラの運命は大きく変わってしまったのだ。




