39.レベルアップの機会 ~妹ver.1~
レツさんという赤髪の騎士様に引きずられる兄さまを、御姿が見えなくなるまで見送った後。
私はお城を後にし、一度ギルドに立ち寄ってから――ハルバンの南門を抜けてライフィフ草原へとやって来ました。
あの調子では、兄さまは恐らく夜になるまで帰ってこないものと思われます。
それなら私がやるべきこととは何か? 血蝶病の情報を集めることも勿論その一つです。
しかし兄さまには内緒ですが、ユキノにはそれ以上の急務があったのです。
「今日中に、スライムを、一人で倒す」
晴れ渡る空の下、意気込みを口にします。
長い髪は邪魔になるので、一纏めにポニーテールに。
装備品に不備がないのを確かめ、白杖の調子も確認。
こうすれば準備は万端です。
そう、私は――兄さまに守られるばかりでなく、自分でも戦えるということをどうしても証明したい。
理由は大きく二つ。
まず、戦闘のたびに兄さま一人に負担を強いるのが非常に心苦しいからです。
最近はハルトラも居るので、以前より兄さまは余裕がある様子ですが……それでも私が足手まといの事実は変わりません。
そしてもう一つ。
決まっています。コナツの存在です。
このまま私が弱いままでは、兄さまはあの金髪娘のパーティ加入を許してしまうでしょう。
それだけは断じて許せません。というか嫌なのです。めちゃくちゃ嫌。想像するだけで辛くなります。
コナツは別に悪い子ではありませんが、それはそれとして、兄さまに私以外の女の子が近づくのは私はとっても嫌なのです。
私は兄さまの妹なのですから、そう思うのは当然の成り行きというものです。
私は手にした杖を構え、ずんずんと平坦な草原を進んでゆきます。
私の存在に気がついた青スライムたちが、木陰や岩陰からひょこひょこ顔を出し始めました。
良い度胸です。一網打尽に蜂の巣にしてやりましょう。
ここで腕を上げて、兄さまに「ユキノ以外何もいらないよ」と甘く微笑んでもらうためにも。
「とやあッ」
私は杖を振り上げ、スライムに襲いかかります!
『!』
ぽよぽよ跳ねるスライム。こら、逃げるのではありません。魔物なら正々堂々と私に頭をかち割られてください。
「やっ! たぁっ! とやっ!」
『『『…………』』』
何でしょう。何故か哀れみを込めた目で見られているような気がする。
必死に杖を上下にブン回しますが、スカスカと空ぶるばかりで全くスライムに当たりません。
特殊な回避スキルでも持っているのでしょうか。ええいっ、青スライムのくせに……!
「ひゃっ」
しまった、足を取られました。迂闊に近づきすぎました。
ぽよぽよした液状の身体に弾かれ、その場に尻餅をついてしまいます。い、痛い……。
で、でもこれは考えようによってはチャンスやも。
私は杖を引き寄せ、足下の青スライムに向かって先端の鈴を思いきりぶつけてみました!
『…………?』
「んなッ」
フツーにぽよっと跳ね返されました。何で?
兄さまが彼らを退治していたときは、剣の一振りで面白いくらいに弾け飛んでいたのに。
「おいおい、そんな調子じゃ日が落ちても倒しようがないぜ?」
突然、どこかから渋い声が聞こえてきました。
きょろきょろと周囲を見回してみます。
声の主は、先ほどスライムが出てきた右の岩場あたりに、ポーズを取って佇んでいます。
「よう、お嬢さん。迷子か? 保護者はどうした?」
だらしなく肩先まで伸びた黒い髪の毛。
それに無精髭。目つきの悪い年嵩の男性でした。
格好もボロ雑巾みたいでかなり胡散臭い。ついでにいうと顔がかなり赤い。
真っ昼間から飲んでいるようです。最低です。
一応、義理の父親と呼ぶべき人間のことを久方ぶりに思い出して、少し腹が立ちました。
しかしこの手のナンパには慣れています。
私は素っ気なく言い放ちました。
「寄らないでください。加齢臭がしますから」
「カレ……!?!」
男性は愕然とその場に膝をついてしまいました。
「オレまだ36なんだけどっ! 加齢臭――しないんだけどっ!」
「そう思っているのは本人だけです。あなたの周りの女性はみんな密かに苦しんでいますよ」
「ヤメテヤメテ本当のことっぽく言わないで!」
ききたくない! とばかりに両耳を抑えて悶える男性。
ああ、麗しの兄さまがそんな仕草を取ったならきっと、その初々しさに思わず呼吸も止めて魅入ってしまうのに……。
……いけません。気を抜くとすぐ兄さまのことを考えてしまう。
私は首を左右に振って、再び杖を強く握り直します。
せっかくギルドでクエストも受注してきたのに、このままでは本当に、一匹も倒せず日が暮れてしまいます。
「やれやれ、虫も殺さないってくらい綺麗な顔して、口が悪いお嬢さんだな」
「残念でしたね。私はこう見えて虫も平気で殺します」
もちろん、兄さまがいらっしゃるときはそんなお転婆な真似はいたしません。
私が良い子なのは兄さまが居る前でだけです。どーでもいいおじさんに振る舞う愛想など、そもそも持ち合わせがありません。
今頃兄さまはどうされているのでしょう……。
お城の兵士の方々の前で華麗に演武を演じていられるのでしょうか。それとも流麗に訓練に明け暮れてらっしゃるのでしょうか。
叶うならばユキノも見たかった。見たかった見たかった見たかったのにー!
「やっ!」
八つ当たりパワーを込め、寄ってきたスライムの頭に杖を振り下ろします。
ぽよん、とまた弾かれました。まったく貫通できません。
それでも何度もシャンシャン鈴を鳴らしてぶっていると、さすがにスライムも怒りを覚えてきたようです。
狼狽える私に向かって、真っ赤になって飛びかかってきました……!
私は思わずぎゅうと両目を瞑ります。
しかしいつまで経っても、衝撃は訪れません。
恐る恐ると目を開けてみると、目の前のスライムは液状になって草原に飛び散っていました。
原因は明らか。ナイフが地面に突き立っています。
私が振り返ると、わざとらしく寝そべってそっぽを向いていますが……近くに他の冒険者は居ません。十中八九、彼の横槍です。
「余計な手出しはしないでいただけますか、おじさん」
「おじさんって言った? 今おじさんって言った?」
「おじさんとしか呼びようがないのでおじさんと言いました」
ああもう、何なんでしょうこの人。
イライラが募ります。もう放っておいてくれればいいのに。
「見たところ神官職だろ? 自分にバフでも盛って突撃すりゃちったぁマシだろうに」
「……それができれば苦労は」
あっ、知らないおじさんに余計な情報を与えるところでした。慌てて口を閉じます。
見たところ悪意は感じませんが、不審者は親しげに話しかけて相手の個人情報を探りますからね。片時も気は抜けません。
「で、保護者はどうしたんだよ。まさかそんな調子で毎日スライムと戯れてるわけじゃあるまい?」
「…………」
無視しようかと思いましたが、このおじさんはかなりあきらめの悪い人のようです。
私は大人しく答えることにしました。飽きてくれればどこへなりとも消えてくれるでしょう。
「お城で……剣客のお務めをされています。私はその間に、特訓でもしようかと」
「剣客? 保護者は芸人か?」
「違います。でも知り合いに騎士の方がいて、その方のお誘いがあって」
「フゥーン……知り合いに騎士、ね……」
急にまじまじと見つめられました。何でしょう、気が散ります。
「いっつも保護者が戦って、お嬢さんは後ろで守ってもらってんの?」
「……そうですけど」
「それで上手くいってんなら、別にそのままでいんじゃない?」
私は思わず動きを止めました。
おじさんは食えない笑顔を浮かべて私を見ています。
「変わる必要ないじゃん。守られるプリンセスのまま」
「それが嫌だから……私は」
「まぁ、そうなんだろうけどさ? でもおじさん、人を見る目は肥えてるから分かっちゃうんだよね」
にやにやと笑っていた目を細め、おじさんは言いました。
「お嬢さん、敵を殺す覚悟がないでしょ?」
「…………!」
「だから殺せない。殺そうとも思ってない。弱っちいスライムも倒せないのは、アンタに覚悟がないからさ」
図星――なのでしょうか。
分かりません。でも、少なくとも、納得しそうにはなりました。
私はこの異世界にやって来てから、一度も自分の手で敵を倒したことがありません。
それは私に、覚悟が足りなかったから……?
「指導してやろうか」
「……え?」
「オレが見てやってもいいってコト。もちろん報酬はいただくけど」
おじさんは近づいてくるなりウィンクをしてきました。気味が悪いです。
でもその申し出は……受けるべきかもしれません。
距離が離れていたのにも関わらず、この人はナイフを投擲してスライムを倒していました。
腕は確かです。すごく胡散臭いですが、相当の実力者に指導してもらえるなら、私も目標が達成できるかも。
ただうまい話というのには必ず裏があるものです。
安直に頷く前にまず確認しておかなくては。
「ちなみに報酬というのは、何を?」
「ン? そうさなぁ。お嬢さんの笑顔……かな」
「寝言は寝ているときにでも言ってもらえますか?」
「ご、ごめんなさい。えっと……何か金目のものとかあります? おじさん、ここに来るまでの間にお金使い果たしちゃって」
テヘッとか言って舌を出しています。全然かわいくない。
そして見た目通り、ものすごく駄目な大人でした。大方、お酒の買いすぎとかそんな理由でしょう。
私はジト目で見遣りつつ答えました。
「指南料として、3000コールお支払いするのはどうでしょう」
「あと一声!」
「では2000コールで」
「減っちゃったよ。まぁそれでいいや」
冗談のつもりでしたが、おじさんはそれで納得したようです。変なおじさんです。
「ところでお嬢さん、名前は?」
「私はユキノと申します。おじさんは何おじさんですか?」
「何おじさんかと言えばミステリアスおじさんだけど……そうだな、ホレイショーとでも呼んでくれ」
「ホレイショー?」
確か『ハムレット』に登場する、ハムレットの親友の男の名です。
まぁ、異世界にはシェイクスピアはさすがに居ないでしょうし、ただの偶然でしょう。
私はぺこりと頭を下げました。
「よろしくお願いします、ホレイおじさん」
「よろしくユキノちゃ……って結局おじさんじゃん」
それから私とおじさんの特訓が始まりました。




