34.誘い
「シュウ、お前はどうしてあの洞窟に居た?」
その話か。
今さら特に隠し立てする意味もない。俺は正直に白状することにした。
「顔見知りに呼び出されて行きました。結局、それは罠だったんですが」
ふむふむ、とレツさんが頷く。
「そこで、知り合いが血蝶病になっているのを知った?」
「そうです。彼らは俺を殺したくておびき寄せたと言ってました」
「城の兵士に通報したのはお前の仲間か?」
「……? いえ、俺たちは通報してません」
レツさんは顎に手を当てて考え込む姿勢を取った。
次は俺の番、ってことででいいのかな。
「レツさんは、通報があったからザウハク洞窟に行ったんですか?」
「そうだ。市民からの連絡を受けて、洞窟に向かった。その頃には意識もしっかりしてたしな。そういやお前、でっかい猫に乗って飛んでったよな?」
あ、質問タイムが終わってしまった。
レツさんの視線の先には床でゴロゴロしているハルトラが居る。
ハルトラは視線に気づくと、瞳孔を大きくしてむくりと起き上がった。
「あれってコイツ?」
ちょいちょい手招きすると、ハルトラはにゃあにゃあ言いながらレツさんの足下に擦り寄っていた。
顎の下を撫でられて目を細めている。おまえの話題なのに、何でそう自由かな……。
「……えっと、まぁ。それで、俺たちが逃げた後はどうなったんですか?」
伝説級の魔物かも、なんてアンナさんも言ってたことだし、追求は避けたほうが無難か。
あからさまに話題を変えてみたものの、レツさんは不満そうな顔一つせず答えてくれた。
「知った顔ばっかの、黒フードを被った痣のある連中が洞窟内に待ち構えてた。そっからは酷かった。こっちにも死人が出たしな」
俺は絶句した。
レツさんは何でもないことのようにさらに言う。
「奴らも必死だった。必死に抵抗して、死にたくないと泣き叫んで散り散りに逃げてったよ。部下に追跡させたが……良い報告は入らなかった。逃げるのもうまいな、《来訪者》ってのは」
その手が、痙攣するかの如く僅かに震える。ハルトラが驚いたように飛び退き、部屋の隅に逃げていった。
「全員分確認できたわけじゃないが、痣だけじゃない……隷属印までついてた。恐らく何者かが手引きしたんだろう。
もし本当に、血蝶病が魔王もとい何者かにより人為的に引き起こされているなら、首領は城の中まで入り込んで《来訪者》を毒牙にかけた可能性が高い」
レツさんがまとっていたのは怒りだろうか。
そうだろう、と俺は思う。ただしそれは、自分の部下を殺した相手に向けられた感情ではない。
「……本来は、オレがこんな事態を防ぐべきだった。だが後手後手に回った結果、前回の二の舞だ。それでお前にも迷惑をかけちまった。……全部オレの責任だ」
この人はただ、自分を責めているのだ。
項垂れるかのように背中を丸めながらも、噛み締めた唇には憤怒の色が濃く宿っている。
声音は落ち着いているのに、それとは真逆の――自分自身を殺しかねないほどの、危うい激情が燃えている。
レツさんもこんな顔をするんだ、と俺は純粋に驚いた。
俺が出会ってからのレツさんは、騎士の肩書きに相応しく凛としていて、格好良い人だ。
そんな人に……俺みたいなちっぽけな人間が、一体何を言えるだろう?
「いえ、俺は」
躊躇したはずだった。
それなのに俺の口は勝手に動いていた。
「俺はそんな風には……迷惑なんて思ってません。今日もレツさんと話せて良かったと思ってます」
大した言葉は言えなかった。たぶん慰めにもなっていない。
でもレツさんは目尻を下げて、心持ち穏やかな表情で俺を見つめた。
「…………そうか」
「そうです」
あとは熱心に頷くくらいしかできない。
そうしている内に、レツさんの纏っていた手負いの獣のような雰囲気はいつの間にか霧散していた。
「シュウ、お前――敵が何人いるか分かるか?」
敵、とレツさんは言い切った。
血蝶病を発症したクラスメイト。その数は確かに数えたのではっきり覚えている。
「……俺が確認した限り、十五人。その内の一人はトザカです」
「俺たちの認識とも同じだ。あとの半数は血蝶病には罹ってないのか」
「分かりません。でも俺たちを騙した相手が、残りは洞窟の奥に逃げた、みたいなことを言ってました」
そう言ったのはエノモトだ。あの言葉は恐らく嘘じゃない。
「レツさんは見かけましたか?」
「いや。洞窟内の捜索も行ったが、人っ子一人見つからなかった」
「そうですか……」
少なくとも、イシジマはマエノたちから逃げ切ったということだろうか。
不透明な部分は多い。しかし少なからず情報は得ることができた。
あとはどうやってでも、マエノたちを探し出し、――殺す。
ユキノとの幸せな生活を手に入れるために、俺がやるべきことは明確だ。
「オレはこれからもハルバニア城で調査を続ける。血蝶病や、他の《来訪者》について何か手がかりを見つけたらお前にも伝えよう」
「助かります」
「で、今さらだが聞いておきたい」
「はい」
「お前、このリミテッドスキルの羅列なに?」
ビシリ! と唐突に、灰色のリブカードを突きつけられる。
俺は目を白黒させてしまった。
「……え? 今さらですか?」
思ったことを素直に言うと、レツさんは唇を尖らせた。
「タイミング逃して聞けなかったんだよ。ってことで今聞かせろすぐ聞かせろ」
「そう言われても」
「ていうか最初に会った頃は覚えてなかったよな? コレ。いつの間にめちゃくちゃ賑やかなカードに育ってるじゃねえか。リミテッドスキルの複数持ちなんざ初めて見たぞ」
レツさんは興味津々の様子だ。俺は戸惑いつつも彼の問いかけに応じた。
「ええっと、それが……洞窟で」
死後に話した女神さまに再会したら、スキルに目覚めました。
――なんて言っても信じてもらえないか。
「火事場の馬鹿力って感じで手に入れまして」
「このスキル、召喚時以外にも手に入れることがあるのか?」
レツさんは目を瞠った。彼にとっても初耳の情報だったらしい。
「そうみたいです。願いに応じて使えるようになるらしくて」
「よくわからねーが……そうすると、シュウの願いは三つあるのか?」
「いえ。俺のスキル"略奪虚王"は、相手が持つリミテッドスキルを奪える力で」
俺はカードに浮かび上がる文字を指差しながら説明する。
「この"矮小賢者"っていうのはトザカのスキルで、"魔物玩具"はカワムラっていうクラスメイトのものです」
「なんじゃそら。規格外だな羨ましい」
レツさんは感心か呆れか、大きな溜息を吐いた。
しかしその言葉には納得がいかない。俺は反論を試みた。
「羨ましいも何も、俺なんかよりレツさんのカードの方がとんでもなくないですか?」
「オレのカード? 何もとんでもなくないだろ」
「とんでもないですいろいろ。特にアクティブスキルが……それに魔法も……」
上級やら最上級だらけで目が滑るし。もはや目では追いきれないし。
それに魔法の種類もスゴい。炎魔法も光魔法も使いこなすとかズルい。
とはさすがに幼稚すぎて言葉にしなかったが、俺の言葉を聞いたレツさんはのんびりと欠伸をかました。ものすごくどうでも良さそうだ。
「これくらいフツーだっつの。もっとバケモノみたいなのたくさん居るぞ、ウチの隊長とかそりゃもうヤバい、お前が見たらたぶん腰抜かす」
「マジですか……」
「大マジだ」
この人のさらに上がいるのか。楽しみなような、げんなりするような……。
一通りの情報交換を終えた俺たちは、それぞれ預かっていたカードを相手に戻した。
俺が首にチェーンを通していると、レツさんがぼそぼそと呟く。
「しっかし、スキルを奪える、か……ふむ」
再び顎に手を当てて考える姿勢に入るレツさん。
しかし今回はすぐその構えを崩した。
「お前に会わせたいヤツがいる」
レツさんが立ち上がったので、俺はつられて立ち上がる。
彼は流し目で俺を見ると、抑揚のない声で言い放った。
「ザウハク洞窟で黒フード三人を生け捕りにした」
「――!」
「その内の二人は兵の隙をついて自殺しちまった。あとの一人は何とか一命を取り留めたが……もう長くはないだろう」
俺の知らない場所で、二人のクラスメイトが死んでいた。
何よりも、俺が衝撃を受けたのは……その事実に対し、それほどのショックを感じなかったことだ。
血蝶病を発症した人間は魔物と同義。
無抵抗で殺されたくない、とマエノは言っていた。その通りに彼らは抗い、その上で討たれたのだ。
「……死んだのは、誰ですか」
「オオイシツバサと、コダマテッペイ。男女だ」
大石翼。
女子バレー部のキャプテンを務めるボーイッシュな子だ。彼女も発症していたのか。
それに児玉徹平。クラスで一番身長が高い男子なので、彼があの場に居るのは俺も認識していたことだ。
名前を聞いても実感は湧かなかった。
目の前に二人の死体があったとしても、きっと俺は何の感情も動かされなかっただろう。
「生きているのは?」
「持っていたリブカードにはエノモトクルミと記されてた」
「エノモト……」
その名前には――オオイシたちに感じたものとは違う、一種の感慨のようなものを覚える。
快活なポニーテールの少女。
思えば、彼女とギルドの前で再会したときから全てが始まったのだ。
そんなエノモトが、今は捕らえられ城に居るという。
陳腐な言葉だが、何か運命のようなものを感じずにはいられなかった。
「彼女に会うことはできますか?」
「構わねえ。話ができるかは保証できないが。――じゃあ、シュウ」
「はい」
「お前、剣客として城に来い」
「………………はい!?」
突然。
その日一番のビックリが俺を襲った。
ケンカク? ケンカクって……剣客ってことか。
でも何で俺が? 唖然とする俺にレツさんは淡々と続ける。
「とにかく城に来い、しばらくオレが面倒見てやる」
「え? ええっ?」
「この条件に頷くなら、エノモトに会わせる」
「せ……セコい……」
「セコくねぇ。ただの取引だ」
俺の顔があまりに情けなかったからか。
ふは、とレツさんが息を吐いて笑った。
俺もつられて苦笑する。
そしてようやく、彼と再会したら伝えよう、と考えていたことを思い出した。
「そうだレツさん。すっかり伝え忘れてたんですが」
「何だよ藪から棒に」
深く頭を下げる。
「ありがとうございました、援助金のこと」
本来、一人の《来訪者》に渡されるべき援助金は五万コール。
でもレツさんは旅立つ俺にこっそりと十万コールもの大金を渡してくれた。
俺とユキノの関係を、レツさんがどこまで把握していたのかは分からない。
それでも彼が、俺の言葉を信用してくれたのは事実だったのだろう。
「何かお礼ができればいいんですけど」
「何だ、そのことか。……別に大したことじゃねーよ」
顔を上げると、レツさんは頭をがしがし乱暴に掻いていた。
あれ? もしかしてちょっと照れてる?
「ああでも、お礼の手段なら一つあるだろ」
「え? 何ですか」
飛びつくと、清々しいほどの笑顔でレツさんが言った。
「剣客」
「ええー……」
本気なのかこの人。
+ + +
そのすぐ後のことだ。
アンナさんが買ってきた軽食を分けてくれたので、俺はありがたく食事を摂らせてもらった。
それから俺はしばらくレツさんと雑談に興じた。
城を出た後、何があったのか。
ギルドで最初に受けたクエストの話。
スプーで出会った家族と過ごした日々。
モルモイで少女を助けるため、指相撲対決をしたこと。
別れてからそう長い時間は経っていなかったのに、話すことは山のようにあった。
レツさんは驚いたり笑ったりしながら、俺の冒険譚を熱心に聞いてくれていた。
ちなみに試したいと頼まれ臨んだ指相撲対決は完敗だった。うん、そりゃそうだ。
そして夢中で話している最中、俺はふと思い出した。
今日の昼間にあった出来事だ。
「そういえば、コナツもハルバンが王都だって言ってたなぁ」
「うん? コナツ?」
「さっき話した、モルモイで出会った女の子です」
「ああ、さっきダグ義兄さんが連れてた金髪の?」
さすがによく見ている。
「ハルバンが今も王都だって思い込んでる人も少なくないぜ。2年前、ラングリュート王の即位と同時にフィアトルに移ったんだからな。主に老人に多い勘違いだが」
レツさんは目を眇めた。
「あの子、訳ありだろ。行くアテはあるのか?」
「え……いや、どうしようかと思ってて」
「何なら孤児院で預かるぜ」
「孤児院ですか?」
この世界にも孤児院があるのか。
「ハルバンの西の方面には行ったか? あっちはかなり閑散とした地域だが、でっかい孤児院があるんだ。そこの院長と親しくしててな、良ければ話を通しとく」
レツさんの申し出は有り難いものだった。
しかしどう返事をしたものか、一瞬迷う。
俺が逡巡したのを鋭敏に察したのだろう。レツさんはすぐに軽い調子で言った。
「返事はすぐじゃなくていい。考えといてくれ」
「……はい。ありがとうございます」
レツさんにはお世話になってばかりだ。
「剣客の件もなー」
「……はい。それも考えます」
さて、どうしよう?




