33.王の真意
毎日のように彼女のことを思い出す。
自分のカードを握るたびに。夜眠るたびに。
脳裏に焼きついた光景が甦っては離れない。
トザカが、自ら俺の剣を握り、刺し貫かれたこと。
優しさを捨てるべきだと忠告した声が、誰より優しかったこと。
そしてぼろぼろに泣きながら、彼女が、俺に最後に願ったことは――。
「そのときに、一緒に行こうって約束したんです。だから」
声音は、どうしようもなく震えた。
「…………そうか」
とだけレツさんは言った。
低く、地を這うような声音だったが、表情は一切変わらなかった。
それから彼は重なり合う俺とトザカのカードをしばらく無言で見ていた。
軽蔑されただろうか、と思う。それでも構わなかった。
どんなに言葉を尽くしたところで、俺がクラスメイトを手にかけた事実は揺らがないのだ。
「辛かったな」
「――、」
うまく声が出なかった。
知らず俯けていた頭を持ち上げると、レツさんは細めた目で俺のことを見ていた。
その翡翠色の双眸に宿っている感情が、正しく何であったのか俺には分からない。
軽蔑ではない。恐怖も同情も、憐憫でもなかった。
レツさんはきっと、俺を慰めようとも思っていなかっただろう。
それなのに、その言葉を聞いた途端に、閉じ込めていた感情が決壊した。
「殺したく、……なかった、んです」
「ああ」
「でも――トザカは死にたがってた。俺に、殺してほしい、と……言ってた。血蝶病になった全員を、殺してほしいとも、言われました」
「お前は、トザカナオに言われたからそうするのか?」
俺は首を横に振った。喉の奥がひりつくように痛む。
「わからないんです。彼らが……俺を痛めつけるだけならいくらでも耐えられる。でも他の誰かを傷つけるなら、俺がその前に殺さないといけない。俺が殺すべきなんだって、そう、思うから」
両手で持った赤いカードが俄に震える。
俺はレツさんを見た。
彼の瞳の中で、思い詰めた顔をした自分が言葉を紡ぐ。
「レツさんは俺を止めますか?」
「――いや」
レツさんは少しゆっくりと息を吐いてから言った。
「血蝶病に罹った人間を討伐するのはそもそもオレたちの役目だ。それをお前も引き受けてくれるってんなら、オレに止める権利も、非難する権利もない」
その落ち着いた声音は、俺をいじめていたイシジマたちに言い放ったものとよく似ていた。
普段から人を助け、守ることを当たり前とする騎士のもの。俺はその声を聞くと安心する。
それと同時に……不安にもなった。
「シュウ、お前は間違ってない。でも辛いなら止めたっていい。そのときはオレたちが責任を持って役目を果たそう」
「レツさん……」
「優しすぎるんだ、お前は」
……違う。
本当はそうじゃない。トザカも、レツさんも、みんな誤解している。
俺はそうじゃないのだ。
でもそれを、それだけは、話せなかった。
そのとき俺は確かに恐れたのだ。この人に、真に軽蔑されることを。
「城で、彼らに――何があったんですか?」
じっとりと汗を掻きながら問う。
俺がその問いを口にしたのは、単純に、隠した本心を悟られないためだった。
「よし、じゃあここからはオレが話そう」
レツさんはその狙いには気づかなかったようだ。気軽に応じてくれる。
「オレがハルバニア城で《来訪者》たちの世話を担当してる……っていうのは説明したよな? 王都からはるばるオレが派遣されてきたのは、その大仕事を任じられたからだった。で……」
レツさんはそのまま話を続けようとしたが、思わず俺は片手でそれを制した。
「話の腰を折ってすみません。王都はハルバンじゃないんですか?」
「ン? ああ……ハルバンは王都じゃない。首都の一つだ」
え? そうなのか……。
いや――待てよ。納得しかけたけど、その説明では引っ掛かるものがある。
「でも国の名前がハルバニアで、あのお城の名前もハルバニア城でしたよね?」
「そうそう、紛らわしいけどな。ハルバニア城は元王城だ。ラングリュート王が即位してから、王都は移されてる」
「元……」
「現在のハルバニアの王都は【フィアトム】という街だ。フィアトム城は、ハルバニア城の五倍くらいの敷地を誇るぜ。オレは二ヶ月前まで、そこで王の親衛隊を務めてたんだ」
なるほど。
ハルバニア城の警備があまりにも緩いというか、平和ムードに溢れてるのは、つまりそういう理由だったのか。
「県名と県庁所在地名が違う、みたいな感じですね」
「ケンメイトケンチョウショザイチメイ……?」
レツさんがちんぷんかんぷんの顔をしていた。しまった、声に出てた。
「何でもないです。続きをお願いします」
「お、おう。それでだ。さっきの王都の説明にも関わってくるんだが、王は召喚の儀を、フィアトムではなくハルバンで行った。この理由は分かるか?」
試すような目つきで見られ、俺は黙考する。
ラングリュート王は魔王を倒すために《来訪者》を召喚した。
レツさんの話によれば、彼はわざわざ王都から移動してきて、ハルバニア城で俺たちを召喚したということになる。
本来なら、王都で執り行うことも可能だったということだ。それを敢えて避けたということは……。
「《来訪者》……俺たちを、王都に近づけたくなかった、とか?」
「ほとんど正解だ」
ならもっと直接的だ。
「俺たちを、王都に入れたくなかった」
「そう」
レツさんが指を鳴らした。いちいち仕草が決まっていて格好良い。
「そこには大きな矛盾がある。王は《来訪者》の力を頼りにしながらも、《来訪者》に怯えているんだ」
「それは……どうして?」
もはや全く持って一問一答ではない。
しかし質問ばかりする俺に不平も言わず、レツさんは姿勢を改めるとこう言った。
「シュウ、お前が腹を割って話してくれた以上は、オレも事情を明かしとく」
続く言葉は驚愕に足るものだった。
「オレは内密に《来訪者》の調査を命じられている」
「調査……ですか」
「誰からかは言えないけどな。だが重大な仕事だ。血蝶病が人為的に引き起こされている可能性を調査している。……お前も思い当たってるんだろ?」
息を呑む。
俺の表情を読んだ上で、レツさんはそれを明かしたらしい。
「ここらはほとんど被害もなくてマシだがな。フィアトムの方では毎年死人が出てるし、王族からも感染者が出た。
それに三年前……当時の王が魔王を打ち倒すために秘術を用い、数十人の《来訪者》が召喚されたらしいんだが」
真剣な表情で、囁くように呟く。
「これは噂だがそのときにも、数人の《来訪者》が血蝶病に罹ったらしい」
「え……」
レツさんの話には違和感があった。すぐその正体に思い当たって、口を開く。
「で、でも王さま……ラングリュート王は、《来訪者》が魔王を倒したと帰還した後の……三年前の冬から、血蝶病は流行りだしたって」
「確かに王はそう説明した。オレもそれは聞いてたさ。そしてそんな偽りを口にした理由も、予想はついてる」
俺は少し、考える。
「……《来訪者》を喚ぶと同時に、血蝶病が流行りだしてる。俺たちがそう認識したら、困るから……?」
俺がその結論に至ったのに、レツさんは満足げだ。
「だから、王はわざとお前らの誤解を招く言い方をしたんだろう。オレはそう睨んでる」
なるほど、理には適っている。でも……今さらながらラングリュート王に反発を覚える。
国家元首たる人間がそんなに堂々と嘘を吐くものなのか。俺は呆れる思いだったが、レツさんは真面目な声でつけ加えた。
「それに《来訪者》がやって来ると病が流行り出す、それに彼らは血蝶病に罹りやすいらしい、なんて噂が広がったらどうなると思う。まず民間人は《来訪者》の存在に怯えるだろうな。人を襲う前に探し出して始末せよ、なんて魔女狩りじみたパニックが起こりかねない。あっという間に国が破滅するぜ」
それからレツさんは低く抑えた声で言う。
「だから情報は統制される。《来訪者》の多くが血蝶病に罹った事実は伏せられている。今回もそうだった。一部の兵士だけに、感染した《来訪者》を秘密裏に討伐するよう王命が下っているだけだ」
俺はそのとき、ラングリュート王の言葉を思い出していた。
あまりに衝撃的だったので、一言一句に至るまで記憶している。
――『血蝶病を発症した者は魔物に成り果て、理性を失う。その者を倒すのは、魔物を殺すのと同じことだ。……つまり、発症者を殺したとして一切の罪には問わない。勇者候補たる冒険者諸君には、他者の犠牲の上に、名声を掴み取ってもらいたいと我々は思っている』
ああ、そうか。
俺はあの発言を、俺たち自身によるつぶし合いを勧めているようだ、と恐れたが……実際は違ったのだ。
王は、またもや《来訪者》たちが血蝶病を発症することを危惧していた。
だからこそ、あのときはああ言うしかなかったのかもしれない。
もし正気を失った仲間を斬ったとして、それを国が責め立てることはないのだと。
「さて、だいぶ飛躍しちまったがお前の質問に話を戻そう。
城で何が起こったのか――申し訳ないが、オレがお前に話せることは少ない。最初は、いつまで経っても出発しないのにやきもきしてな、面倒を見てやってたんだが……途中から記憶がないんだ」
「記憶がない……ですか?」
俺はレツさんの言葉の意味を判断しかねて首を傾げた。
彼はばつが悪そうに頷く。
「そう。記憶がない。というよりは……恐らく、記憶を消されたか、意志を封じられてたか、あるいは眠らされてたか」
「! リミテッドスキル……」
「多分な。似たような魔法はあるが、あそこまで強力なのを食らったのは初めてだ。参るぜ」
レツさんはほとんど溜息のような声を出した。
《来訪者》の世話を一任されていたというから、そんな彼にとってかなり苦い経験なのだろう。
「一週間ほどの記憶が朧げなんだ。城に居た誰も彼もがだぞ。気づいたときには城に《来訪者》たちの姿はなくなってて、情けなく慌てふためいたってわけさ」
俺はその言葉の続きを知らず待ち構えていたが、そこでお預けが入った。
「さて、次はオレが質問する番だ」
「う……わかりました」
仕方ない。順番である。
レツさんは手にしたままの俺とトザカのリブカードの角を、俺の胸に向けた。




