32.レツさんの提案
「それで、どうしたんだいこんな時間に。装備の新調?」
改めてアンナさんが話しかけてくる。ようやく話が進められそうだ。
「実は、レツさんっていう騎士の方に言われて来たんです。あとでこの店で落ち合おうって地図を渡されて」
「レツに? ……ああ、なるほどね」
その説明だけでアンナさんは合点がいったようだった。
「それなら二階に案内するよ。汚いし狭いしで悪いんだが」
「いえ、とんでもないです。こちらこそ突然押しかけちゃって」
「気にしない気にしない。ほらアンタたちも、裏口から階段を上がっとくれ」
コナツを肩車したダルを先頭に、俺たちは「Ⅲ」の二階に案内される。
二階は一家の居住スペースとして使われているらしく、ダイニングキッチンになっていた。奥には旅館で言う広縁のようなスペースが設けられており、広々とした空間だ。
アンナさんは謙遜していたが、部屋全体が非常に片づいており清掃が行き届いている。
壁には家族の集合写真も飾られていて微笑ましかった。ハルバニア城の近くで撮ったものだろうか。
「三階は寝室だ。疲れたら自由に使ってくれて構わないよ」
「アンナさん。さっそくで申し訳ありません、お借りしても大丈夫でしょうか」
ユキノが挙手をした。アンナさんが鷹揚に頷く。
「もちろん。ダグ、シーツの準備をしてやっとくれ」
「…………わかった」
「ありがとう、ダグくん。……兄さま、すみません」
ユキノは俺に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
「ユキノ、大丈夫? 疲れてた?」
心なしか青い顔でユキノが首を振る。
「いえ、気分が悪いだけなので……少しだけお休みを頂ければ、大丈夫です。それでは」
ユキノはダグくんに続いて三階に上がっていってしまった。
思えば、スプーからハルバンまで強行軍で進んできてしまった。
俺は体力はある方だし、コナツもほとんどハルトラに乗っていたが、ユキノは実はかなり無理をしていたのかもしれない。
ああいう控えめな性格をしているから、俺こそ気づかなきゃいけなかったのに……次からはユキノが断っても休憩時間を多めに取ろうと反省する。
俺はアンナさんに勧められソファに座る。そのすぐ隣に彼女も座った。
ちなみにコナツはといえば、ダグに高い高いされながらきゃーきゃー騒いでいた。ハルトラは床でのんびり毛繕いをしている。めちゃくちゃ自由な空間だ。
「なあ、あの子訳ありかい?」
アンナさんの目線の先には笑顔のコナツが居る。俺は正直に答えた。
「いえ、実は俺たちも、今日モルモイで会ったばかりなんです」
「フゥン、そうだったの。しかし金色の髪に、桃色の瞳の子どもか……珍しい容姿だね」
コナツに気を遣っているのか、囁くような小さな声でアンナさんが言う。
「この世界じゃ、金色の地毛を持つのは定められた一族だけなんだが。あの子は耳も尖ってないし、まぁ……無関係なのかねぇ」
その独り言が耳に引っ掛かる。
俺はほとんど当てずっぽうに、その単語を口にした。
「それってもしかして、エルフとか?」
「お、知ってたのかい」
アンナさんは意外そうに目を見開いたが、俺は苦笑せざるを得ない。
数多くのファンタジー作品に登場するのがエルフと呼ばれる高貴な種族である。
金色の髪に長く尖った耳。それに弓が得意で、ドワーフと仲が悪くて……なんていうのが定番の設定だ。それを思いついて口にしただけだった。
しかしアンナさんは神妙な顔で聞かせてくれた。
「森人――ほとんどおとぎ話の中の住人さ。人の立ち入らない森深くに住み、永劫の時間を生き続ける美しい一族。彼らは今や失われた古代の強力な魔法を使うが、争いを忌み嫌い、他種族の前に姿を現すことはないという。アタシがガキの頃、よく親が語ってくれたもんさ」
「アンナさんは、エルフを見たことは?」
「アハハ、ないない。幻想世界の話だって。ただその中じゃあ、エルフといえば眩いほどの金色の髪をしているんだ、なんて語られるのがお約束だったもんで。あの子を見てつい思い出しちまったよ」
アンナさんは少し照れくさそうに頭を掻いている。
しかし、例えばだが――エルフという種族が実在していると仮定してみよう。
アンナさんの言う通り、彼らは極めて珍しい一族。
その子どもが、人間に捕らえられたとしたら……どうなるかなんて、想像力を働かせなくても明らかだ。
俺は無邪気に笑うコナツに目線を移した。
もしも、コナツがエルフだとしたら……奴隷として売り買いされていたのにも理由がつく。
込み入った事情がありそうであまり深くは聞かなかったが、もう少し彼女について調べてみるべきだろうか?
「それにあの猫もだ。しばらく見ないうちにかなり風変わりなパーティに育ってるみたいだね」
厳密にはコナツは俺たちのパーティのメンバーではなく、一時的に保護しているだけだ。
でも訂正すると話がややこしくなりそうだった。俺は苦笑して話題転換に応じた。
「あっちの猫はザウハク洞窟で出会ったんです。暴風大猫っていう魔物らしいんですけど」
ハルトラ相手に《分析眼》を使ったときにそんな表示が出ていた。
ギルドの討伐クエストでも見かけたことのない魔物名だ。たぶんそれなりに珍しい魔物なんだろう。
大きくなったり小さくなったりするし。何でも食べるし。
「バ……」
アンナさんは言いかけた途中で硬直した。何だろう。
「……エルフと並んで、伝説級と語り継がれる神話上の生き物だ。それが本当なら、歴史に残る発見だが……」
「あ、いや、か、勘違いだったかも……」
俺は目を泳がせて適当に言葉を濁した。
何故だろう、何を話しても伝説やら神話やらおとぎ話の話に繋がってしまう。
俺が「ああ」とか「えっと」とかゴニョゴニョ口にしていると、階下からドタドタと騒がしい足音がきこえてきた。階段を一目散に駆け上がってくる。
「ようやく来たか。相変わらず騒がしい」
呆れたように溜息を吐くアンナさんの言葉の意味を問い質す前に、その人物は姿を現した。
「おい姉ちゃん、シュウ来てるかっ?」
果たして颯爽と登場したのはレツさんだった。
いつもの鎧は脱いで比較的軽装をしているが、分厚くガッチリとした筋肉がさらに強調されたような印象を受ける。やはり極めて男前な人だ。
……ん? 姉ちゃん?
「おう、レツ。来てる来てる。アンタ飯は?」
「まだ。シュウの分も一緒に出してくれ、あとで食うから」
「姉ちゃん……」
俺は気安く遣り取りしている、レツさんとアンナさんを交互に見比べた。
二人とも燃えるような赤い髪。
それとは対照的に、温かな翡翠色をした瞳。
顔立ちも――凛々しくキリリと整っていて、あれ、見れば見るほど、なんか……。
「……え、姉弟……?」
「「おうとも」」
俺の呟きに、二人がまったく同時に頷いた。うわ、そっくり。
「おお、レツじゃねぇか。久しぶり」
「義兄さん、ご無沙汰してます。そちらはお変わりないですか?」
「お陰様でそこそこ繁盛してるよ。ダグの装飾品も売り物として出すようになってなぁ」
「本当ですか。是非オレの装備品も作ってもらいたい」
「さすがに近衛騎士サマに見合う品は、あいつにはまだ荷が重いぜ……」
ダグとレツさんが肩を組み親しげに会話している。
え、じゃあつまり、この二人は義理の兄弟……なのか。何か未だにビックリが続いている。
「こらレツ、シュウを放置するな。アンタがこの子をここに寄越したんだろ?」
「あ――そうだったそうだった」
アンナさんが注意すると、レツさんはダグとの会話を切り上げてこっちに戻ってくる。
「シュウ、待たせて悪かった。姉ちゃん隅のスペース借りるぜ。それと……」
「はいはい。アタシらは下に降りるから、何かあったら呼んどくれ」
慣れたものなのか、アンナさんは「ほら行くよ」とダグに声を掛けている。
コナツは少し不安げにこちらを見ていたが、ダグに連れられて大人しく階段下に降りていった。
残ったのは俺とレツさん――それに毛繕いしているハルトラだけである。
「ほれ、シュウ」
レツさんに手招きされ、俺は大人しくそれに従った。
ちょうどさっき広縁みたいだ、なんて考えていたスペースに招かれ、一人掛けのソファに座る。
俺とレツさんは膝をつき合わせて向かい合った。「さて……」と彼が呟く。
「再会を祝してパーッと酒でも……と行きたいところだが」
「俺、未成年なのでお酒は飲めません」
レツさんは目を丸くした。それから柔らかく噴き出す。
「《来訪者》は随分とお行儀が良いんだな。そうか、それなら単刀直入にいこう」
右手と左手、それぞれの人差し指のみを立て、
「情報交換といこうぜ、シュウ」
レツさんは俺を見ると、にやりと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「……というのは?」
提案の意味は大体理解していた。
齟齬を防ぐために問うと、レツさんは大きく頷く。
「そうだな。一問一答はどうだ。オレはたぶんお前の知りたいことを知ってるし、お前もオレの知りたいことを知っているだろう。
オレはここでお前から得た情報を王や国の重鎮にも明かすつもりはない。その点は安心してくれていい」
俺としても願ったり叶ったりだ。
だが、素直に「はい」と答えていいものか。
俺は戸惑った挙げ句、ほとんど無意味な質問をしてしまった。
「……レツさんは、本当のことを話してくれますか?」
「話すよ。だが……そうは言っても信用できないか」
しかし俺の問いを無意味に済まさなかったのはレツさん自身である。
彼はスラックスのポケットから適当な調子で何かを取り出した。
消しゴムを貸すような気軽さで差し出されたそれの正体に、だから俺は目にしていたにもかかわらず、しばらく思い至らなかったくらいなのだ。
「オレのリブカードだ」
「……え……」
「リブカードは【キ・ルメラ】に住む人間にとって生命線だ。何せその人間の名前も、使えるスキルも魔法も、余すことなく刻まれている。これに使われる魔術刻印は特別製だからな。
逆に言うなら――リブカードだけは、一切の捏造が効かない。そこに記されたのはそいつの真実だけだ」
レツさんは呆然とする俺ににこりともせず、静かに言い切った。
「オレはこの場でカードをお前に預けよう。これは信頼の証であり、お前に信頼してほしいという証明だ」
断れなかった。
何故なら、俺もこの人のことを信じたかったからだ。
僅かに震える手でカードを受け取る。
表面は、燃えるような赤に、黄金色のグラデーションが仄かに混じったカードだ。
「見ても大丈夫ですか?」
「もちろん」
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レツ・フォード
クラス:近衛騎士
アクティブスキル:"気配探知"、"魔力探知"、"起死回生"、"採掘上級"、"鍛治上級"、"小剣上級"、"片手剣上級"、"大剣上級"、"斧中級"、"槍最上級"、"弓中級"、"騎乗最上級"
習得魔法:《火炎球》、《火壁》、《火矢》、《火炎精霊》、《光源玉》、《光源流》、《小回復》、《攻撃特化》、《速度特化》
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見てもいいか確認したと同時。
俺は《分析眼》を密かに発動させていた。
結果は、全く同じだった。
リブカードに記載された内容も、レツさん自身のステータスもまったく同様。
この人の言うことに嘘はない。少なくとも、優れた手の内を晒してまで俺との対話を望んでくれているのは事実だ。
「……ランクは載ってないんですね」
「ああ、騎士団に入ると一旦冒険者登録は取り下げなきゃいけない決まりだからな」
世間話程度の問い掛けにも笑顔で応えてくれる。
その表情を見て――俺は改めて、この人を信じよう、と思った。
もしこのさき裏切られるとしても、今このときだけは信じられる。
大人に対して、そんな感情を抱いたのは生まれて初めてのことだったけれど。
俺は首に提げていたリブカードを外した。
俺のカードは隅に穴を開け、道具屋で買ったチェーンに通しているのだ。
差し出したそれを、レツさんが受け取る。彼はすぐに違和感に気がついたようだ。
「……二枚?」
「はい。俺のと、もう一枚は――トザカナオという少女の物です」
レツさんは目をぱちくりとさせた。俺の言葉が意外だったらしい。
「憶えてる。あの眼鏡の大人しい子だな」
手にした二枚のカードの表面をなぞる。まだ裏返しはしない。
レツさんは鋭い目で俺を見た。
「何でその子のカードをお前が持ってる?」
どうにかして取り繕うこともできたかもしれない。
拾った、は厳しいか。奪った、これならまだ通ずるかも。
預かったは嘘くさい。他にどんな言葉なら有り得るだろうか。
でもその一切合切を取り止めた。
俺は翡翠色の目を見てはっきりと言い放った。
「俺が殺したからです」




