26.つかの間の休息?
今回からシュウ視点に戻ります!
イメージは、冷たい炎。
まず、肩から力を抜き、全身を弛緩させる。
それが成功したら、次は両目にすべての力を集約させる。
ただ見開くとか、力めばいいわけじゃないのが難しい。
全神経を両目の奥に集めるように研ぎ澄まし、ひたすら静かな集中を練っていく。
それはやがて、青く灯った炎のようになって、本来見えないはずのものを覗きこんでいく……。
「――《分析眼》」
呟くと、まるで、リブカードの中身が実体化したように。
俺の視界の中、眼前に立つ少年の頭上に、意味のある言葉が次々と浮かび上がっていく。
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トーマ・ロジ
クラス:剣士
ランク:F
アクティブスキル:"片手剣初級"
習得魔法:《風刃》、《略奪》
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「うん、見えた」
「――はい、今日の記録は八秒!」
指折りで数えていたトーマが両手で「はち!」と作って向けてくる。俺はそれに溜息を返した。
ここは牧歌的な田舎村【スプー】。その村の外れである。
俺たちはあの後、ハルトラの背に乗りひたすら東を目指した。すぐに【ハルバン】に帰るのは危険だと思ったからだ。
レツさんたちが【ザウハク洞窟】に迫っていたので、おそらくあの後、騎士たちと血蝶病のクラスメイトたちは激突したはずだが――マエノたちが、それで討伐されたとは思えなかった。
そうして辿り着いたのがスプー。ここは、ハルバンのように発展した都会とは大違いだった。
その日の食事は畑で採れた野菜で作り、隣近所と分け合うような小さな村なのだ。
でも、俺はここを気に入っていた。住んでいる人はみんな穏やかで、豊かではなくても笑顔が絶えない。
この小さな町には旅人を泊める宿屋もないのだが、家に住み込みさせる形で俺とユキノを世話してくれたのが、このトーマの母ことメリア・ロジさんである。
女手一つでトーマを育ててきたメリアさんは、傷を負ったユキノに気がつくと疑いもせず家に招いてくれた。
彼女が「タダで泊めるかわりに村に侵入してくる魔物を退治して」と提案してくれたおかげで、俺たちはゆっくりと傷を癒しながら過ごすことができたのだ。
「まーまー落ち込むな。最初よりずっとマシだ、特訓始めた頃なんて二十秒くらい掛かってたじゃん」
励ましのつもりか、にやけながらそんなことを言っているのはトーマ・ロジ。元気な十歳の男の子だ。
この国【ハルバニア】では、十歳になった子には旅させよ、なんて教えがあるらしい。
ちょうど一か月前、誕生日を迎えたトーマは、「自分も冒険したい」とメリアさんに言い張った。村に久々にやってきた冒険者の姿を見てチャンスだと睨んだのだろう。
最終的には彼女が根負けする形で、それからはトーマも俺たちと共にたまにダンジョンに入っている。
ちなみにスプーにはギルドがないので、冒険者登録は近くの街で行った。
そこにあのエンビ副執事長がいたことは、まぁ、大した話ではないので割愛しよう。
――そう、もうあれから一か月もの月日が経っている。
しかしその間、俺も何もせずのんびり暮らしていたわけではない。
そのひとつが先ほどの、手に入れたリミテッドスキルの特訓である。
トザカは俺の"略奪虚王"をかなり買ってくれていたようだが、意外と手こずっているのが、手に入れたリミテッドスキルはそう簡単に操れないということだった。
果たして、"矮小賢者"の元の持ち主だったトザカはどれくらいの秒数で相手のステータスを覗いていたのか。今となってはもうわからないことだ。
リミテッドスキルは、その人物の願望そのもの。
そんな風に分析していたのは、一か月前に死んだトザカ本人だった。
だとしたら、と俺は思う。
カワムラの、トザカの願望を反映したスキルを使いこなすには、俺にはまだ足りないものがある。
「……あれ? そういえばトーマ、いつの間に《略奪》覚えたの?」
「気づくのおせー!」
妙にそわそわしていたので訊いてみたら逆に怒られた。ごめん。
しかし俺も年下の少年に言っておきたいことがある。コホンと咳払い。
「あのな、トーマ。《略奪》といえば盗賊や山賊とか、悪い人が使ってくる技だ。メリアさんが悲しむから、そういう変なのは覚えないほうがいい」
「いやいやおまえ! シュウも! 覚えてんだろ! アホか!?」
「俺はいいんだ。実質、盗賊みたいなモノだし」
「急に悲しいこと言ってくる!?」
しかし続くトーマの言葉は予期していないものだった。
「もー……頑張って覚えてやったのはシュウのためなんだぜ? シュウが使ってもいっつも、何も盗れてないし。あんまりカワイソーだから、おれが代わりにやってやろうかってね」
「あ、あはは……それはありがたい」
トーマの指摘した通りだ。
俺の《略奪》は通常のそれとは違い、相手の持つアイテムや金品をまったく奪うことができなかった。
すなわち、リミテッドスキルしか奪えないという、制約だらけの技だったのだ。
それを理解しながら、この一か月間、何故そこらの魔物相手に何度も使ってきたか。
――決まっている。練習だった。
出会った敵から、一撃でリミテッドスキルを奪うための。
「シュウって変わってるよね。戦うと結構強いのに、魔法とか全然使えない」
「うん。攻撃魔法はひとつも覚えてないしね……」
「ユキノもめちゃくちゃスゲー回復魔法使えるのに、おれのことはいつも回復してくれねーし……応援はしてくれるけど……」
トーマは涙目になってしまった。生まれてずっとこの村で暮らしているトーマは、《来訪者》がどうリミテッドスキルがどうと説明してもちんぷんかんぷんだったようだ。
「シュウもユキノも明日、帰っちゃうんだろ?」
「うん。前から決めてたからね」
濡れた目元を袖で乱雑に拭ったトーマが、そう問いかけてくる。一週間くらい前から、ほとんど同じ形の問いを何度も投げてくるのだ。
トーマは乾いた地面に転がった石ころを軽く蹴った。唇はわかりやすく尖っている。
「あーあ。おれも早くいろんな場所を冒険したい。ハルバンにも行きたい」
「もうちょっと大きくなったらだな。そのときは案内するよ」
「……シュウってさー、ユキノと付き合ってんだろ?」
俺は目を瞬いた。突然、何を言い出すかと思えば。
「俺とユキノは兄妹だ。付き合ってない」
「フーン……」
疑わしそうな目つきで睨んでくる。
もしかして、と俺はその可能性に至った。というかユキノと他の男が絡むときは、だいたいの理由はそれである。
「わかった。さてはトーマ、ユキノのことが好きなんだろ?」
軽く指摘してみると、ズザザザッ! と土煙を上げてトーマが遠ざかった。
しかも「ゴン!」と畑を囲む柵に頭をぶつけている。痛そう。
「ちちちちち違いますが!?! 何言ってんだこのお義兄さん。バカですね? アホですね? 違いますよね? 痛いですよね?」
それにすごく分かりやすい……。
俺は口元に笑みを浮かべた。真っ赤になってしまったトーマの頭――腫れ上がったたんこぶの上にそっと手のひらを載せる。
「トーマは勇敢な子だ。でもユキノと付き合いたいなら俺を倒せるくらい強くならなきゃだぞ」
「ゲーッ、無理難題……ていうか痛い……イタタ怖い……」
それからも他愛ないことを話しては笑って、空が赤みを帯びてきた頃。
夕食の手伝いをするから、とトーマは家に戻っていった。
「疲れたらいつでも帰ってこいよ。母ちゃんも喜ぶし。おれだって楽しいんだから」
「うん。ありがとう」
遊びにこい、ではなく。
帰ってこい、とトーマが照れくさげに言ったのが、俺にとっては無性にうれしく感じられた。
+ + +
トーマと別れ、さてどうしたものだろうと考える。
暇なので、本来であれば俺も夕食の準備を手伝うべきだ。
しかし今日は俺たちが出立する前の最後の晩だから、腕によりをかけて料理を振る舞うとのメリアさんの言葉がある。
ならそのときを楽しみに待つのが礼儀でもある。というか台所に侵入したらたぶん怒られる。
暇をつぶすといっても、スプーに遊ぶ場所はない。
強いて言うなら釣りをするとか。あとは村から出て魔物を倒すとか、そのくらいだろうか。
でも経験からして、呼び出しはあと一時間以内にはかかるだろう。それなら村から離れないほうがよさそうだ。
俺はさびしい村の外れから少し移動して、家と家とが密集したエリアまでやってきた。
お目当ては農場で飼われているニワトリ。それに牛。
人間だけでなく、魔物や動物を見るのももちろん《分析眼》の特訓になるのだ。
しばらく柵越しに《分析眼》を連発していた俺だったが、十分としない内に大分キツくなってきた。
「イテテ……」
目頭が痛い。それと頭痛も少し。
草の上にしゃがみ込み、気分転換に上半身を反らせて頭上を見上げる。
遠い空を眺めていると、何となく痛みは和らいでくる。
よし、もう一回やろう、と意気込みを新しくしていると。
ひょこっ、と艶のある黒髪が一房、視界の上のほうで揺れた。
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鳴海 雪姫乃 “ナルミ ユキノ”
クラス:女神官
ランク:C
ベーススキル:"言語理解"、"言語抽出"
アクティブスキル:"魔力探知"、"詠唱短縮"、"魔力自動回復"、"魔力増幅"
リミテッドスキル:"兄超偏愛"
習得魔法:《小回復》、《中回復》、《大回復》、《半蘇生》、《状態異常無効》、《攻撃特化》、《防御特化》、《速度特化》、《自動回復》
パーティ:鳴海 周 “ナルミ シュウ”
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「おお……」
輝かしい文字の羅列が、すらすらと夕焼け空に浮かんでいる。覚えきれないくらいの文字の群れだ。
彼女のステータスは誰よりも見慣れているはずなのに、たぶんいつまでも見慣れない。
「兄さま、何をされてらっしゃるのですか?」
逆さまに覗き込んでくる可憐な顔立ちにも、きっと。
俺は素直に答えた。
「いや、ちょっと見惚れてて」
「ミトッッ」
変な声を上げたユキノが弾かれたように離れる。俺も頭の位置を戻してみた。
ユキノは長い黒髪を頭の横で二つに結わえていた。空色のワンピースもよく似合っている。
今はその二つの髪束に顔を隠すようにして何やらもじもじしていた。覗く顔はびっくりするくらい赤い。
「み、みなさんと、今日はクッキーを焼いたんです」
ユキノの言う「みなさん」というのは、村の逞しいおばちゃんたちのことだろう。
愛想も礼儀も良いユキノは村中ひっぱりだこになり、ウチのせがれの嫁さんにいやウチのいやあたしのと散々せがまれていた。最後には年の離れた友人、という関係に落ち着いたようで何よりだ。
「私のは、その、あまり形が良くないのですが」
ユキノは彼女らしくなくごにょごにょ口を動かしつつ、手に持っていたバスケットを差し出してきた。
取っ手に赤いリボンがつけられたバスケットの中には、ハンカチに包まれたクッキーがいくつも入っている。
形はすべてハートだった。型が他になかったのだろうか。
「俺に?」
「はい。想いを込めましたので、よ、よろしければ。その……イートミー、です」
そこに嵐、もとい荒らしが颯爽と乱入した。
「ニャア」
「あ、ハルトラ」
「えっ」
小さな猫が思いきりジャンプ。
ユキノの手にあったバスケットごと掻っ攫うと、その中身をばりぼりと激しく食べ始めた。
「ハルトラ! めっ! これは人間のお菓子ですよ。というか兄さまのものです」
「いいんじゃないかな。ハルトラは何でも食べ……るから」
「確かにそうですね。いえ、でもこれは兄さまのクッキーなのにっ」
完全に失言だったが、特にユキノは気にしていない様子だ。
「オギャア!」
クッキーを食べ終わったハルトラは変な声を上げた。なんか苦しそう。
ばしゅう、と小さな身体から湯気のようなものが立ち昇る。
それが晴れていくと中心に立っていたのは、
「ギニャア」
「おお、大きくなった」
さすがイートミー。
巨大化したハルトラがすり寄ってくる。
俺はその横腹を撫でてやりながら、空になったバスケットを拾う妹に声をかけた。
「ユキノ、本当にいいのか?」
再確認だった。
続く言葉を知っているユキノは、顔だけを上げて俺のことを見つめている。
「スプーは良い村だ。ここに住む人たちはみんな親切だし……ここに居れば、何もかも忘れて平和に過ごすことができるかもしれない」
「……もう、兄さま。何度きかれてもユキノの答えは変わりません」
かわいらしく頬を膨らませたユキノが立ち上がる。
スカートの裾がはためく。
夕風に、長い黒髪が遊ばれる。
その合間に覗く双眸は、揺るがない凛とした輝きを放っていた。
「ユキノはどこまでも兄さまとご一緒します。それがユキノの幸せだから」
「……分かった」
さすがにそれ以上、説得を重ねるのはユキノにも失礼だろう。
俺はその代わり、強い声で言い放った。
ユキノにだけではない。自分自身に言い聞かせるように。
「ハルバンに戻ろう」
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鳴海 周 “ナルミ シュウ”
クラス:剣士
ランク:D
ベーススキル:"言語理解"、"言語抽出"
アクティブスキル:"片手剣中級"、"小剣中級"
リミテッドスキル:"略奪虚王"、"魔物玩具"、"矮小賢者"
習得魔法:《略奪》、《魔物捕獲》、《分析眼》
パーティ:鳴海 雪姫乃 “ナルミ ユキノ”
テイムモンスター:暴風大猫 “ハルトラ”
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