25.イシジマの回想3
寝台の固いヘッドボードに寄り掛かってイシジマは制服のまま一夜を過ごした。
理由は物音を立てたくなかったからだ。寝台の軋む音などで誰かに感知されたら堪らない。
カンロジの告げた「作戦」というやつは至ってシンプルだ。
明け方になったら静かに部屋を出る。
一階の玄関前で集合し、十二人が揃ったら玄関から脱走。
割り当てられた部屋に時計はないし、街でも一度も見た覚えはない。
イシジマは決行の時を、神経を尖らせて待ち続ける。
窓から見える東の空が少しずつ白みはじめた頃――音も立てずに立ち上がった。
注意深く扉を開き、まず廊下の様子を窺う。
生唾を呑み込みながら、観察したのは五秒。
誰の気配もないのをじっくり確認し、扉の隙間から廊下に出た。
「…………」
シン、と怖ろしいほど静かな空間。
これ以上ないほどの集中力を発揮し、階段を下りていく。段数を飛ばさずに階段を下りるなどいつぶりだろうか?
ようやく下の階まで辿り着く。
果たして玄関の前には十一人の姿があった。イシジマが最後の一人だったのだ。
イシジマの顔を見ると、返ってきたのは何とも言えない微妙な表情がいくつか。その中でにこりと微笑んだのはただ一人だ。
甘露寺ゆゆはおはようございます、と無声音で囁いたが――その瞳が、僅かに見開かれた。
目線の先を追い、イシジマもギクリとする。
イシジマの後ろにショートボブの小さな女生徒が突っ立っていた。
その頬に刻まれているのは、見間違えようもなく……赤い痣と隷属印の跡だった。
十二人の間に声もなく緊張が走る。叫ばれでもしたら計画が台無しだ。
が、女生徒は眠たげな目をこすると……それから囁くような小声で言った。
「……早く行って。マエノくん早起きだから」
「感謝します、トザカさん」
イシジマにとっては少なからず衝撃的だった。
血蝶病などという病気に罹った時点で、彼らは血も涙もない魔物に堕ちたのだと認識していたのだ。
トザカと呼ばれた生徒はさっさと廊下の奥に引っ込んでしまった。
カンロジはそれで話が終わったとばかりにまた身を翻している。
「合歓木さん、お願いできますか?」
「もう終わったよ」
玄関の扉が開いていた。
カンロジの言葉から推察するなら、玄関の鍵の処理係だったのか?……線の細い美少年が腰を上げる。
合歓木空。目立つ外見なのでコイツの名前はイシジマも記憶している。
ブリーチしているのか、真っ白な髪の毛を肩のあたりまで伸ばしている。
赤い瞳も、まるでこの世のものではないように神秘的だ。イシジマからすれば、ただいけ好かないカマ野郎、という印象に留まるが。
「では、手筈通り【ザウハク洞窟】に向かいましょう。お伝えした通りに陣形を」
カンロジの言葉を合図として、玄関から飛び出した十二人が列を成しながら走り出す。
男子七人に女子五人が、若干モタつきながらも位置を入れ替えていく。
お? と最後尾を走るイシジマは目を瞠った。
陣形は最終的に男四人・女五人・男三人……という形に並んでいる。
一昔前のRPGのようだと思ったが、機能的ではある。足の速いメンバーが前方と後方を埋め、足の遅い女たちをフォローしているのだ。
しかしこの無駄に塔だらけの城から出るには、正門前の一本道を使うしかない。
花壇の間を抜けて並木道までさっさと走り抜けたかったが、意外と距離がある。それに女子共が遅くて列が僅かに詰まっている……。
「うおッ」
ギョッとした。足元を炎の塊が掠めていた。
さすがに気づかれたのだ。窓を開けて何人かがこちらを見下ろしている。
「この距離なら届きません! 走って!」
応戦するべきか迷うものの、即座にカンロジの指示が飛んでくる。
命令を、しかも気に食わない女のソレを聞くのは癪だったが、やむを得ずイシジマは従う。
「援助金はどうするの!」
前方で叫んだ女は誰だったか。こんな時までがめついのに感心する。
名前を思い出す前にカンロジが答えていた。
「心配ありません赤井さん、とにかく今は走って!」
城の守衛は勇者候補たちが出発だ、などとのんびり手を振ってイシジマたちを見送った。
その後も追っ手に追いつかれることなく、街の東門を越えようとしたあたりで、前方を走っていた男二人が手を挙げた。
「悪い、オレたちここで抜けるわ」
「スマン、カンロジさん!」
手島道之、それに佐野次郎。
仲が良く教室内でもよくつるんでいる二人だ。
えっ、と何人かが立ち止まる。しかしカンロジは仲間内で動揺が広がる前に素早く言い放った。
「気にする必要はありませんわ。最初から聞いておりましたから」
リーダー格のカンロジが当然の如く言えば、文句のつけようもない。
主に女子たちの「気をつけてね」の声に見送られ、二人は街中の方に駆けていった。
イシジマもそこでふと、思う。
カンロジは「騎士の方が教えてくれた洞窟に入りましょう。とっておきの策があります」などと宣っていたが……このままついていって良いのだろうか?
そもそもこのオレが誰かの言う事にホイホイ従うなど、日本では有り得なかった……。
「どうかしましたか? 行きますよ、イシジマくん」
しかし、列から離れてまでカンロジに呼びかけられては無視できない。
きっと本当にリーダーになるべき器というのは、マエノのような男ではない。
能ある鷹は爪を隠す。カンロジという女はこの世界にやって来てからというものの、急速にそのカリスマ性を惜しむことなく発揮している。
その天性の才能は、少なからずイシジマにとっても羨ましいものだった。
+ + +
「魔物を倒しながら進みましょう」
サノたちを抜いた十人で休むことなく走り続け、感覚でいうと十五分程度だろうか。
洞窟の前まで辿り着くと、さすがにイシジマも若干息が上がっていた。その場に座り込んでいるクラスメイトも居る。
しかし長い髪を揺らして走っていたカンロジはといえば、けろりとそんなことを言っていた。
「ここからは攻撃魔法が使えるメンバーに魔物の対処をお願いします。
朝倉くんと新くん、それにアカイさんと矢ヶ崎さん、水谷内さんは攻撃を。
撃ち洩らした魔物がいれば、イシジマくんとわたくしで倒しますわ。藁科さんとネムノキくんは回復と光魔法を、それとハラくんは防御魔法を使ってくださいね」
イシジマは驚いた。誰がどんな種類の魔法を使えるのか、それをこの女は把握している。
無理やり聞き出したのではないだろう。恐らくはリブカードを実際に受け取り、確かめたのだ。
彼女は呆けるイシジマの顔もニヤッと見遣り、
「イシジマくん、あなたもここらでちょっとは働いてくださいな。いくつか魔法使えるでしょう? ハラくんに聞いています」
何かコイツ、オレに対しては口調が荒い……。
この女いつか犯す、とイライラしながら、イシジマは首の後ろを掻いた。
――数時間後。
蝙蝠型やら、昆虫型の魔物やらに阿鼻叫喚の悲鳴を上げながら、とにかく出てくる魔物を狩りまくり、何とか洞窟の奥まで辿り着いた。
救いだったのは、ネムノキの持つ回復魔法がかなり強力だったことだろう。
《全体回復》。複数人の怪我を治癒する強力な光魔法だ。これのお陰で、戦闘慣れしていないメンバーでもどうにか戦い抜くことができた。
しかし疲労は色濃かった。制服が汚れるのにも構わず転がっている生徒もチラホラ居る。
ちなみにイシジマもその一人である。途中、カンロジに敵の真っ直中に放られ、「最高の囮になってください!」と声援を送られたときはこの女ブッ殺す、と親指を下に下げてやったが……今は怒る気にもなれない。疲れすぎた。
「みなさん、ここまでお疲れ様です。では明日までここで籠城です、各自休息を」
イシジマはがばりと跳ね起きた。
疲れていようと何だろうと、今のカンロジの発言はさすがに聞き捨てならない。
「本気か?」
「本気です。他の方々には説明済ですよ」
いや、オレにも説明しとけよ、この女いつかブッ(略)
「食料はハラくんのスキルで持ってきてますわ。あ、お手洗いの心配でしょうか? それなら用を足したあと、ミズヤウチさんに水魔法で流していただいては? クスクスッ、そんなに嫌がらないでくださいミズヤウチさんったら!」
この女(略)
――クラスに合流してから八日目(脱走してから二日目)――
そして今。
ようやく、カンロジがその言葉を告げた。
「この洞窟を脱出しましょう。わたくしとハラさんのリミテッドスキルで」
「ハ? お前のスキルって何だよ」
ハラのスキルはもちろん知っている。カンロジは口角をやんわりと上げた。
「スキル名は"人外鏡像"。わたくしの使う《顔変化》は、顔のみならず身体つきも足の長さも衣装も声も何もかも、誰かにすり替わってしまうのです。例えばホラ、こんな風に」
「おわっ」
ぼけっと聞いていたアサクラがひっくり返った。喋る最中にも、カンロジの姿が変化していたのだ。
いつの間に、そこに立っていたのは冴えない冒険者風の中年男だった。どこにでもいそう、という例えがよく似合う。
ここまで種明かしされれば、自ずとカンロジの作戦は知れた。
ハラのリミテッドスキルは"塵芥黒箱"。黒い小さな箱に、何でも収納することができる。イシジマやハラ、それにカワムラの貯金もそこに仕舞っているのだ。
だが気づいた以上、イシジマは余計にムカついた。
「おい、だったら城を抜ける前にお前らのスキル使ってりゃ良かっただろ」
「そういうわけにはまいりませんわ。彼らを油断させ、誘い込み、一網打尽にするためにわざわざ籠城したのです」
「一網打尽? どうやって?」
「それを今からお披露目いたしますわ」
どうでもいいが男の姿で「ですわですわ」言われるのは非常に気色悪い。
「ハラくん、準備はいいですか?」
呼ばれたハラは無駄に緊張しているようで顔に汗を掻いている。こっちもキモい。
「では一人ずつ、こちらの黒い箱に入りましょう。最後にハラくんが入った後、それを変化したわたくしが安全な場所まで持ち運びます。予定地は騎士の方が教えてくれた、【ライフィフ草原】を抜けた先の街――【シュトル】です」
小さな黒い箱を両手に持ったまま、ハラはそわそわしている。
が、あまりに非現実的な話だからか、誰も入ろうとはしない。遠巻きにハラを眺めている。スキル名を知るイシジマも正直、乗り気ではなかった。
「この箱をわたくしが開ければ、中のみなさんは問題なく出てこられる。二人で練習もしましたものね、ハラくん?」
「そ、そう……そうだよ。大丈夫」
ハラではなく、カンロジの笑顔に駄目押しされる形で九人はその指示に従うこととなった。
箱に、物理法則を無視して吸い込まれた後。
それからの体験はただただ不思議だった。
夢のようと言ったほうが正しいかもしれない。
「何これー」
「なんか不思議だね」
「強力なスキルで羨ましいな、ふたりとも」
「そ、そんなことないけど」
あちこちからクラスメイトの声が聞こえる。しかし姿は見えない。イシジマは目を閉じていた。
というより、目が開けないのだ。口は動くが、それ以外に自由がない。今、自分がどういう状況にいるのか、まったく把握できない。ここは広い場所なのか、狭いのか、どんな匂いなのか、寒いのか暑いのか……。
天井の方から声が聞こえてきた。
『こんにちは。珍しいね、ここらで大型のパーティを見かけるのは初めてだ。オレの子どもくらいの歳で、すごいなぁ。いや、オレ子どもいないんだけどね。ハハッ』
カンロジの声――否、カンロジが化けた男の声がエコーがかって響いてくる。
誰かと話しているらしい。しかし、その相手の声はここまではきこえてこない。
「これ……もしかして……」
誰かが怯えたように言った。イシジマも僅かに緊張する。恐らくカンロジが相対しているのは――血蝶病の奴らだ。
どういうことなのか。カンロジは奴らがここを嗅ぎつけると予想していたのだろうか? こんなに完璧なタイミングで?
しかしその後、何事もなく別れたらしく、カンロジはしばらくの間なにも喋らなかった。
その次はこんな感じだった。
『どうしたのキミたち。何か困り事? ……ああ、光魔法が使えなくて? ハハ、良かったらオレの炎分けようか。
困ったときはお互い様だって。今から三人で魔物狩り? かわいい女の子ふたり連れて、ソロプレイヤーとしては羨ましいな。あはは、頑張ってね!』
それから、どれくらい時間が経っただろうか。いつまでも、何の音も声もしない。
さっさとここから出せ、と堪え性のないイシジマは怒鳴った。しかしきこえているのかいないのか、カンロジは答えない。
「ねえ、もしかしてカンロジさん、あたしたちをこのままどこかに……」
喋ったのはアカイか。続きを躊躇うように語尾が萎む。
『あぁ、すみません……! ちょっといいですか?』
そこで天井から焦ったような声が響いてきた。イシジマは眉間に皺を寄せたが、
『さっき、ザウハク洞窟で見たんです。ええ、……け、血蝶病の、子どもたちを。はい。何人も居ました。フードで隠してましたが痣が見えた。洞窟の奥の方に、入っていって……!
はい、すぐにお願いします。騎士様たちが向かってくれるなら安心です』
一網打尽。
なるほどな、とイシジマは溜息を吐いた。これがカンロジの計画だったのだ。
洞窟に誘い込み、奴らが網を張ったところに騎士の群れを突っ込ませる。
策としてはあまりに容赦がないが、周到だ。
たぶんイシジマが把握している以上に、この行き当たりばったりに思えた作戦は緻密に練られていたのだろう。
「――はい、作戦終了です」
その後、最も長い沈黙を挟んで。
イシジマたちは無事、シュトルという街に到着していた。
まずハラが箱を出たあと、イシジマたちも順番に外に出された。
それからカンロジはハラに指示をし、黒い箱に仕舞っていた人間以外の物資も取り出させた。
「援助金……!?」
「なんで? どうやって?」
カンロジはクラスメイトたちの反応に、イタズラが成功した子どものように微笑む。
「昨日の深夜に、コッソリ拝借してきましたわ。あの騎士の方、そのあたり雑な方ですし……元々わたくしたちのものですから、窃盗には当たりません。ハラくんに感謝です」
一人五万コールの援助金。諦めたお金が手元に戻ってきたクラスメイトの喜びようはそれはもう凄まじいものだった。
カンロジは元の少女の姿に戻って、疲れ知らずにその様子を微笑んで眺めている。本当はその場の誰もが聞きたがっていたであろう、ここ数時間の活躍っぷりをひけらかすこともしなかった。
そしてカンロジは最後に、至極あっさりと柏手を打った。
「では、お疲れ様でした。これで解散しましょう。みなさんどうか達者で」
「「「えええ?」」」
そのまま言葉通りに背を向けて去って行ったのだから、イシジマもひたすら圧倒されてしまった。
毒をもった蝶は鮮やかに、魅了された観客たちを放って大空に飛び立っていく。
なんて身勝手で、自由で、気ままなのか。甘露寺ゆゆはとにかく食えない女だった。
しかし正直、もう二度と顔も見たくない。次会ったら一発殴りたいくらいだ。
遠ざかっていく小さな背中を、ハラは名残惜しそうな目で見つめていたが、イシジマが背を叩くと慌てて取り繕ったのだった。
読んでくださりありがとうございます。
イシジマ目線の回想は今回で終了です。




