24.イシジマの回想2
……アホらしい。
つい先週のことを振り返りながらイシジマは思う。
彼は今、洞窟に居る。暗くてジメジメとした狭苦しい洞窟の中である。
やることはない。静かに蹲っているだけだ。
交代制で夜番をしていた。今は割り当てられた睡眠の時間だったが、こんな場所でグッスリ寝られるとしたらソイツはよほど鈍感な神経の持ち主なんだろうとイシジマは思う。
無駄に感覚も昂ぶっていた。たぶん周りの奴らもそうだろう。
イシジマはカワムラたちが失踪してからの日々を順々に思い返してみる。
何せあの城に戻ってからの記憶が、怖ろしいほど曖昧だったからだ。
――イシジマがクラスに合流した日――
姿を消したカワムラとユキノを探そうにも、まったくアテがなかったイシジマとハラはとりあえず城に戻った。
食堂で呑気に「パーティ分け会議」などというものを開催していたクラスメイトたちは、イシジマの顔を見ると一様に驚いた顔をした。
「カワムラとナルミユキノが消えた。もし匿ってんならすぐ出せ」
そうは言ってみたものの、イシジマは正直期待していなかった。
イシジマやカワムラは不良として通っている。ユキノもクラスの女子から虐めを受けていたらしいし、城に戻る確率はかなり低い。
「俺たちは何も知らない」
形だけは笑顔でイシジマとハラを迎えたマエノはそうはっきりと答えた。
すぐイシジマは引き下がろうとしたが、ふと食堂内に、ある人物の顔が見当たらないのに気がついた。
もう一度マエノに詰問する。
「シュウはどこだ?」
「……アイツは居ない」
「何?」
「ナルミさんがおまえらと出て行った後すぐ、追いかけていった」
イシジマはようやく、自分の中で引っ掛かっていた疑問が一つ解けた気がした。
正体不明の獣など取るに足らない。
むしろ、あの獣のような声を使ってイシジマたちをおびき寄せたのは、カワムラではなくシュウだったのではないか?
元々イシジマだって、ユキノが居なくなればシュウが追ってくるだろう、とカワムラの案に乗ってやったのだ。
イシジマとハラを小屋から遠ざけたシュウが、ユキノを救うために小屋に侵入した?
そこで妹を巡って大乱闘? 流血沙汰になった?
大量出血の誰かは現場から足跡もなく失踪した?
では残りの二人は?
……が、結局、思考は堂々巡りである。
しかしイシジマにとって、思いがけない方向に話が急展開を見せた。
まだ城の空気しか吸っていないクラスメイトたちにとっては、シュウ・ユキノ・カワムラの三人がたった一日で行方知れずになっているという事実がそれなりに衝撃的だったらしい。
やはりここは危険な場所なんだとか、パーティを分けないで全員で行動すべきだとか、めちゃくちゃな意見が飛び交い合う。
それを取り仕切ったのはやはりマエノだ。
「みんな、俺は王様ともう一度会えないか城の人に聞いてみるよ。やっぱり日本に帰してほしいって頼み込めばあの人だって無視できないと思う。……いいかな、松下?」
マエノが了解、もといただの確認の小芝居を行った相手はクラス委員長の松下小吉だ。
誰も、マツシタがクラスのリーダーなどとは思っていない。マエノもそうだ。
マエノは何か問題があったときだけ「委員長が許可しました」と責任をなすりつけるつもりなのだ。上手く行ったときはすべて自分の手柄にして。
爽やか好青年という顔をして、実は末恐ろしい男である。イシジマにとってはどうでも良いことだが。
「ああ、うん、いいんじゃないかな、それで」
食堂の隅に力なく座っていたマツシタがぼそぼそと応じる。誰もそれをまともに聞いてはいなかった。
イシジマとハラは、なし崩し的に城でマエノを待つ羽目になってしまった。
――クラスに合流してから二日目――
「えっと、じゃあ今日の議題は昨日と同じ、「三人はどこに消えたか?」を話し合いたいと思う」
翌日、再びの食堂である。
イシジマは思わず目を剥いた。何言ってんだコイツ、と思ったのだ。
昨日、夜になって帰ってきたマエノは「王様は忙しくて謁見できなかった。あの騎士の人にも相談したけど取り合ってもらえなかった」と顔を曇らせて説明していた。
騎士の人、というのはシュウで遊んでいたのを邪魔してきた赤毛の男だろう。あの飄々とした立ち居振る舞いを思い出すだけで腹が立つ。
だが今は、マエノの発言の方が問題だった。
「おいマエノ。昨日あんだけ話して、どうしようもねえわかんねえって話になっただろ」
「……いや、そんなことない。今日話せば、また別の可能性が生まれるかもしれない」
話にならない。
イシジマは食堂を出ようとしたが、出入り口はマエノの取り巻きの女子たちが塞いでいる。
力ずくで退けてやっても良かった。しかしそうする前にマエノが冷たく言い放った。
「昨日も言ったよなイシジマ。おまえにまで居なくなられちゃ困るって」
「……チッ」
席に戻る。再び曖昧模糊とした「話し合い」とやらが始まった。
イシジマは机の上に上半身を投げ出して、わざと居眠りの姿勢を取りながら考えていた。
昨日、クラスメイトたちに合流してからというものの、違和感があった。
確かに前野隼人という男は、自他共に認める三年二組の中心的存在である。
サッカー部のエースとして活躍しているし、成績も優秀。交友関係も幅広い。そういう男だからこそ、イシジマとしてもこの場では相手にはしにくい。
だがここまで高圧的ではなかった。
異世界に来て気が昂ぶっているのかと思いきや、そういう感じでもない。むしろ日本に居た頃より落ち着いているようにさえ見える。
マエノを補佐するように横に立つタカヤマとホガミの様子は、いつもと変わらないようだった。
マエノの態度に疑問を抱いているのは自分だけなんだろうか。
――クラスに合流してから三日目――
何度も不満を述べていたら、適当に出した案が採用された。
この日イシジマは、城の近くにある小屋の様子をマエノ・タカヤマ・ハラと共に見に行くことになった。
残った二十三人は、イシジマが城をさっさと出立した日に話していたという――「パーティ分け会議」をまたもや話し合うらしい。
いつまでも懲りない奴らだ、などと思っていたが、見送るホガミたちの顔にはくっきりと疲労と不満が見て取れた。
マエノの言いつけを守ることに、明らかにストレスが生じ始めている。それが良い形で爆発してくれたらイシジマにとってはありがたい。
城のちょうど裏手、五〇〇メートルほど離れた先にその廃屋がある。
久しぶりに味わう外の空気が随分と新鮮に感じる。食堂に箱詰め状態になっていれば当然だ。
朝から日が落ちるまでの時間をかけて、イシジマたちはその周辺を丁寧に捜索した。
雨も降っていないからか、血痕はイシジマたちが見たときとほぼ変わらない状態で残っていたが、収穫は何もなかった。
その後、ほとんど馴染みになってきた城の客室に戻ってからイシジマはようやく、気がついた。
「……あ」
今日、外に出た隙にどこへなりとも逃げれば良かったのだ。
何故そうしなかったんだろう。考えようとしたが、その前に意識は眠りにおちていた。
――クラスに合流してから四日目――
何が起きたかよく理解できなかった。
今思い出そうとしても、どうしても、記憶が定かではない。
その日イシジマに分かったのは一つだけだ。
クラスの半数に当たる十五人もの人間が、血蝶病という病に罹った。
――クラスに合流してから五日目――
幸運というべきか不幸というべきか。
病に罹らなかったイシジマには、昼間ほとんどの発言権がなくなってしまった。
発言すれば命がない。だから喋らない。
ジッと息を殺して、ただひたすら耐えている。
ナルミ……ナルミシュウ……ユキノ……カワムラ……
騎士……痣……街の……武器を……隠す……フード……証……。
知っているような、知らないようなワードが頭上をいくつも飛び交う。
まるで異国の呪文のようだ。そして飛び交う何らかの意見が、自分に飛び火しないことだけを祈っている。
どうしてそうなったのかイシジマには認識できない。自分はもっと偉大な人間だ。
クラスメイトを怖れるなどということは、自分にあってはならないはずなのに……。
その日の夜、ベッドに体育座りをして震えていたら扉をノックする音がした。
マエノたちだろうか。イシジマは何とかドアを開けて見せた。
扉の前に立っていたのは華奢な女生徒だった。
三年二組の生徒だ。だが名前が思い出せない。
イシジマは学校に出席するのも稀なので、ほとんどクラスメイトの名前を記憶していないのだ。
「……お……」
おまえ誰だっけ。
イシジマは聞こうとしたが、しばらく使っていなかった喉からはうまく言葉が出てこなかった。
「甘露寺ゆゆと申しますわ。お忘れでしょうから、一応名乗っておきます」
何もかもお見通しという顔でクスリと笑う。
鼻につく物言いにようやくイシジマは思い出した。
実家が茶道の家元だとかで、たまに着物で学校に来ていた女だ。
今は色素の薄い髪を腰のあたりまで無造作に伸ばして、薄いネグリジェを着ていたのですぐには思い出せなかった。
「こんな夜更けに殿方の部屋を訪れるのは破廉恥な振る舞いでしょうけど。緊急事態ですから、四の五の言ってはいられません」
「あっ、おい」
カンロジはさっさとイシジマの部屋の中に入ってしまった。
鼻腔を、甘い香りが駆け抜けていってイシジマは驚いて身を引いた。
そして同時、咄嗟にドアを閉める。誰かに見られたらマズい。
少なくとも――病気の奴らに見られてしまったら、談合を疑われる。
焦るイシジマとは裏腹に、カンロジは部屋の中央まで優雅に進み出ると、歌うような調子で言う。
「イシジマくん。あなたもおかしいとは思いませんか?」
「は? なにを……」
「おかしいのですよ。いくら何でも、三十人近い人間が一人の価値なき意見のみに左右されて、一箇所に留まり続けるなんて。どんなに統率力のある王様にだって難しいですよ?」
それにマエノくんなんて、ただのサッカー部員ですからね。
カンロジはそう続け、口角をふわりと上げる。
「それでわたくし考えました。彼、マエノくん。そういうスキルをお持ちなんじゃないでしょうか」
「? ……あ!」
リミテッドスキル。
何故それを思いつかなかったのか。イシジマは心の中で舌打ちした。
「朝、食堂に行ってから自室に戻るまでの間だけ、とにかく記憶が曖昧なのです。彼と顔を合わせると危険なのではないかと」
「……そうだ。俺もいつも、そうだった……」
靄がかっていた視界が多少、晴れたような気がした。
カンロジはイシジマの反応に満足そうに微笑む。
それから彼女はネグリジェの裾に隠していた手の平をイシジマに見せた。
ちょうど手の真ん中あたり、五つほど爪跡らしいひっかき傷がついている。
その内の一つは皮膚を破って血まで出ていた。その横はほとんど傷が塞がっている。
「三日前と今日、試してみました。こうすると多少マシです」
三日前といえば、イシジマが合流した翌日だ。
確かイシジマも「変だ」とは薄々思っていた。そのときからカンロジはマエノを疑って行動を起こしていたのだ。
「仕組みは解き明かせませんが、わたくしたちは全員、彼のスキルによって抵抗力や記憶力……いえ、思考力を奪われているのかもしれない。
本物の王様によれば、血蝶病の患者さんはいずれ本物の魔物になるんでしょう? いつまでもこんな所で震えていたら――」
カンロジは首を切るジェスチャーをした。
細く白い指先が、似合わない下品な仕草をやってのけて、それからおふざけっぽく口元に当てられる。
「――まとめて殺されちゃいます、きっと。ですのでコッソリとお仲間を集めています」
「仲間……?」
「今からわたくしの作戦の詳細をお話しますわ」
カンロジの話し方は実に滑らかで優雅だった。中途半端なマエノのそれとは正反対だ。
しかも口の挟みようがない。今まで喋ったこともない女だというのに、イシジマさえ彼女の話を真面目に聞いてしまっている。
カンロジの態度も話術も明らかに、自分の我を他人に通し慣れている人間のソレだ。
「決行は二日後の明け方です。わたくしの考えでは、最もマエノくんの支配が抜ける時間帯」
「遅いだろ」
時間帯に文句はなかった。
二日後という日程にイシジマは難色を示したのだ。しかし、
「それなら、ご参加いただかなくて結構です」
返事はにべもなかった。温度のない冷たい声だ。
「あ、今の、ダジャレではありませんわ」
かと思えば照れ笑いを浮かべてつけ加えてくる。つくづくおかしい女だった。
カンロジはイシジマの意見を聞く気などはなからなかったのである。
イシジマは何とか自我を抑えつけ、カンロジの話を相槌も挟まず聞いた。
最後にカンロジはあっけからんとこう言った。
「元々、あなたを引き入れる気はこれっぽっちもありませんでしたわ」
「ア?」
「そういう所ですよ。暴力的で好ましくありません」
真っ正面から、同い年の女――しかも儚げな少女にそんな指摘を受けたのは生まれて初めてだったのでイシジマは密かに仰天していた。
「でも、わたくしの計画に必要不可欠なハラくんが、あなたも逃がしてあげてほしい、でもイシさんにはこのことは内緒にして、などとお願いしてくるものですから……わたくし、ふたりの熱い友情に打たれてしまいましたの」
クスクスと笑って、カンロジは自分の部屋に戻っていった。
カンロジは親切心のつもりでその内緒話を打ち明けたのか。
それとも面白半分か。たぶんそっちだろうとイシジマは受け取った。
あの女も、ハラも、自分を心の中では見下している。欺いている。
なら、今に見ていろ、とイシジマは強い執念の炎を燃やしていた。
――クラスに合流してから六日目――
じっと息を潜めていた。
早く明日になれと願っていたが、それをおくびにも出さないよう必死だった。
――クラスに合流してから七日目――
そしてようやく。
作戦を決行する時が来た。
回想編は次回で終了予定です。




