220.幕引き
「小さな箱って……」
もしかして。
「"塵芥黒箱"――のこと?」
「はい。"塵芥黒箱"です」
にこやかに頷くアルが、再び俺の腕を離す。
俺たちの遣り取りに、しばらくその場に居る全員が沈黙した。
――俺はアルの願望が、神々にとって、決定的な打撃になるのだと思った。
それは俺には思いつかないことだったのだ。中から自由に開くことのできない箱に、神々を全員、まとめて閉じ込めるなんてことは。
だが、違った。
もしくは、その事実を正しく認識した上で、ルメラは噴き出したのだ。
「ッぷく……あ、あはは、あはははは!!」
ルメラはおかしそうに腹を抱えて笑っていた。
俺は唖然として、彼女を見遣る。しかしルメラは周囲から突き刺さる視線などまるでお構いなしに、身体をねじるようにして、目に涙さえ浮かべて爆笑している。
「お、面白ェ……! ナルミ・ユキノ、いやアル、お前、ほんッと……ふぐっ……」
「……そんなに面白かったなら光栄です」
冷え冷えとアルが言うが、その露骨な態度さえルメラにとっては笑いの種になるらしい。
「もっと直情的に――くふ。願うこともできただろうにな。全員自殺しろ、とでも」
「…………」
「だがお前は選ばない。いや、今さら選べない。そうするには少しばかり、お前は我々に感化されすぎた。甘い選択を、取らざるを得ないほどに」
俺は驚き、アルを見下ろした。
彼女は黙っていた。何も言い返さず、ルメラのことを見つめているだけだ。
――『神々を殺すことです』
そう、ソラに向かって温度の無い声で言い放ったアルは……たぶんもう、居ないのだ。
もしかしたらカンロジの死によって、アルの心理は変わったのかもしれない。神々を皆殺しにする選択を、もうアルは取ろうとは思っていないのだろう。
ようやく笑いが収まってきたらしいルメラが、椅子の上でぞんざいに足を組み替えた。
そうして、口を開く。
「さて、それじゃ――"塵芥黒箱"の中に、ひとり残らず入ること。……それがお前の願いか」
「ええ、そうです。ただ、もちろんというか、私自身は入りませんのであしからず。残りの神々の皆さんにお願いします」
「お前も知ってると思うが、他の神々をこの場にポンと喚び出す術はないからな。それでいいんだよな?」
「……構いません」
少し間を空けて、アルが首肯する。
「よし、分かった。ならひとりずつ入ってけ」
俺は慌てて懐から"塵芥黒箱"を取り出した。
今は中身は空っぽのその黒い箱の蓋を、とんとんと叩いて開く。
まず5人が躊躇わずに席を立った。
小さな子どもたちはバラバラにこちらに向かって歩いてくる。
目が合って、俺は少しばかり迷った。しかし今さら、アルの唱えた願いは覆されない。
覚悟を決めて、魔法を行使する。
「えっと、《吸収》……《吸収》……」
5回連続の《吸収》はあっという間に終わる。神々は箱の中に消えていった。
その光景を見たルメラが、さらに急かすように言い放った。
「ほら後ろが詰まるだろ。さっさと入れ」
ブツブツ文句を言っていた神々だったが、それでようやく動き出す。
「確かに今回は俺の負けだ! だが油断するなよ、いずれ第二第三の俺たちが」
「やだー! ゴミ箱なんて名前の箱に入るなんてぇー!」
「うーん? でも皆さんと一緒ならちょっとは楽しいかもですね?」
「あらやだ、ラグウェルちゃんったら。向こうでも一緒に遊びましょうねぇ」
次々に吸い込まれていく彼らを見下ろしながら、
「……逆らわないんですね、誰も」
俺は《吸収》を休まず唱えつつも、その合間にぼそりと呟く。
ひとりずつ、確認する時間はなかったが……彼らもおそらく、元々は俺たちと同じ立場だったのだ。
異世界に喚ばれ、殺し合いのゲームに興じ、そうして生き残り――神になった。
未だ自分の席に残ったままのルメラが、ふわぁと欠伸しつつ言う。
「そりゃなあ。もう神としての生活に飽きてるヤツも多いしな」
「…………?」
「退屈は人どころか神をも殺す毒だ。だが退屈に慣れきった以上、消滅のリスクを負うよりはダストシュートされるほうがマシって意味だ」
本当に何となく、言葉の意味は分かったような気がしたが、やはり俺は首を振るに留めた。
そうして数分が経てば、最後までゴネていた神も吸収され、あんなにも広々としていた空間はすっかり寒々しくなった。
そこでルメラが大きく伸びをする。椅子にふんぞり返るような格好なので、何も履いていない下半身がほとんど露わになっている。
「さーて、じゃあアタシも行くかにゃあ。随分暴れたし、まぁこのあたりが潮時だろ」
俺は目のやり場に困りつつ、そんな彼女に声を掛けた。
「最後に……確認したいことがあります、女神さま」
「あぁ? 何だよ」
むくりと身体を起こしてくれたので、ほっとする。
「あなたの生まれは……森人、なんですよね?」
俺のその言葉をきいて。
彼女の薄い眉が、ぴくりと吊り上がった。
「ほう。――不愉快だが退屈しのぎに聞かせろ」
俺は頷いた。確認する機会はこれを逃せばもう、無いのだ。であれば、どうしても聞いておきたかった。
「……あるエルフの女性が、俺に話してくれたんです」
――『我々エルフは、異星からやって来たのだと言われている』
――『美しき神が、立場の弱い異星からの漂流者である我々のため、扉の先に新たな世界を創造した。そしてそこに我々を住まわせた、という物語だ。元々この地に住む人間と、我々はあらゆる要素が噛み合わないからな。……住まわせたというより、閉じ込めたというのが正しいのかもしれんが』
だけど真実はたぶん、そうじゃない。
重要な部分は伏せられ、当事者であるエルフたちにも隠されている。俺はそう確信していた。
「エルフは全員、俺たちと同じ――異星からの《来訪者》なんですよね。
だから人数が異様に少ない。それにハルバニアの冒険者たちとは違う、古代の魔法を使うんです。
そんな彼らが扉の先に送られ、そこを新天地として穏やかに暮らしているのは、ゲームに勝ったあなたがきっと――彼らを守ろうとしたからだ」
「…………」
「略奪の女神であるあなたは、大陸の一部を奪って彼らに与えた。あるいはそれこそが、あなたが神々に向けた願望だったのかもしれない。……大陸側から彼らにコンタクトする術はないけど、彼らには一方的に『扉』を使う権利があるのはそのためだ」
アルもナガレも、俺の話に聞き入っている様子だった。
俺自身、この考えを誰かに話したことは今までなかった。
何か確たる証拠があるわけではなかったし、それに、もしこれを言ってしまえば――神々を倒すという統一されていた意志が崩れるような気が、していたからだ。
「それにハルバニアの存在する大陸の名前は【キ・ルメラ】。あなたの名前だ。……これはたぶん、フェイクですよね。
あなたが最初から、ずっとずっと昔から、この大陸を操る女神で、デスゲームを開催し、参加していた側の存在。そう、誤認させるための」
誰相手に。もちろん、他の神々にだろう。
自分がエルフだとバレないため。
あるいは、生き残った数少ない同胞たちの存在を、隠匿するために。
ルメラは俺が話す間、黙って聞いていたが、語り終わるとパチパチ、と乾いた拍手をした。
「…………興味深い仮説だったよ、ナルミ・シュウ」
やはり心底どうでも良さそうな、退屈な猫のような顔つきで、金髪の女神が口にする。
「これ以上の褒め言葉は必要か?」
「……いえ」
「やせ我慢にゃ。顔に出てるぜ」
鼻で笑われる。本当は、イエスかノーでも、何だっていい、彼女自身の言葉がききたかった。
しかしせがんだところで無意味だろう。ルメラは答えない。それが《来訪者》が向けた願望でもない限り、答えをはぐらかすのだろう。
それにまだ疑問はあった。
俺の仮説が正しかったとして、だけど。そんな、種族思いの少女だったはずの彼女が神の席に祭り上げられて――それからいったい、彼女の身に何が起こったのか。
自分たちを苦しめ続けたのだろうデスゲームを、主催する側に回ってしまった理由。あるいはそれは、彼女自身がアルに言ったように……神々に感化された、結果だったのだろうか。
その答えは、たぶん一生かかっても、もう分からない。
だから俺はルメラに近づいていった。箱を手にしたまま、ゆっくりと。
「兄さん! 危ない……!」
ルメラの近くに立っていたアルが慌てるが、俺は首を振る。
最強の女神であれば、俺をいま、跡形も無く殺してみせるなんて造作もないだろう。先ほどトウジョウさんを八つ裂きにしたように。
でも、きっと、ルメラはそんなことはしない。彼女は願いは守ると断言したのだから。
「……俺は、あなたのことが嫌いじゃない」
接近しつつ俺が話しかけると、ルメラは僅かに口端を歪めた。
「今までのことは全部、あなたが仕組んだことだったけど。だけど、どうしても――初めて会ったときから、あなたが嫌いになれなかった」
自分でも破綻している、とは思う。
目の前のその人は、デスゲームを仕掛けた主催者で、血蝶病なんていうひどい病にクラスメイトを陥れた人物で。
悪人、といって差し支えないのだと思う。彼女が居なければ、誰もこんな風に傷つかずに済んだのかもしれないとも。
でもそれでも、俺は、この横暴で好き勝手な、小さな女神さまを――
「理由は何だ?」
――それなりに気に入っていた。
理由はたぶん、
「……誰かに何かをもらったのは、生まれて初めてだったから」
「そうか。どうでもいいけどな」
「はい。どうでもいいことです」
俺はそっと唱えた。
「《吸収》」
――――気後れするほど、呆気ない終わり方だった。
そうして28人もの神々が、"塵芥黒箱"の中に収まる。
何の変化もない黒い箱をぼんやりと眺め、それから俺は静かに顔を上げた。
たったひとり、取り残されたようにぽつんと、そこに女の子が立っているからだ。
「……アル」
長い黒髪の、美しい少女。
青い静謐な瞳が俺を見返す。しばし黙って俺たちふたりは見つめ合っていた。
「シュウ、アルさんが――」
「……うん。分かってる」
焦ったナガレの言葉に、俺は頷く。
眼前のアルは、先ほどまでの幼少期の姿とは違った。それはよく知っている、15歳のユキノの外見をしていたのだ。
その理由は、後ろに控えていたはずのユキノと融合したアルがさらに、残ったアルとの融合を行ったからだろう。これで分裂していたアルは、ユキノをも取り込み、ひとつの身体に繋がったことになる。
俺はそんなアルと向かい合い、問いかけた。
「……あのさ。アルじゃなくて、ユキノだよね?」
「うひゃっ!?」
思いがけず飛び上がったユキノが、大慌てで言う。
「ど、どうして分かったんですか兄さま……!? 私、これでも気をつけていたつもりだったのにっ」
「……さっき、腕を組んだときかな。ちょっと手が震えてたから、あ、ユキノだなって」
「あああ……」
……ユキノは顔を覆って蹲ってしまった。わ、悪いことを言っちゃったんだろうか。
俺は戸惑いつつ、問うた。
「……アルは?」
顔をほんの少しだけ覗かせたユキノが、小さな声で答える。
「……廃人同然の状態です。もう、私の底で眠っていて、呼びかけても応えません」
「…………そう、か」
予想はしていた。だがどうしても、やるせなかった。
やはり――というべきなのか。アルは、自らの兄が……カンロジが命を落とした瞬間に、もう、何もかも捨ててしまったのだ。
「私の意識を覆っていた、私の大きな意志のようなものが拡散してしまって……。私は困りましたが、アルのフリをして神々を騙すことにしました。自分の身体を2体も、動かすのは大変でしたが」
「じゃあさっきの願いは、ユキノの?」
「はい、そうです。私がどうするつもりだったのか、うまく確認できませんでしたので……ユキノのオリジナルです。あれは、正しかったのでしょうか……?」
おずおずとユキノが言う。答えたのはナガレだった。
「わたし、一度、ハラくんに入れてもらったことがあったけど……箱の中は、不思議な空間だったよ。
目を開くことができなくて、身体も動かないというか、どこにあるのか分からなかった。口は開けるし、内部や外部の音は聞こえるんだけど……他の感覚は沈んでた、というか」
「それは……あまり、快適な空間ではなさそうですね。お灸を据えるにはちょうどいいんでしょうか?」
「うーん……」
ナガレは首を捻って考え出してしまった。
それから「あ、そういえば」と顔を角度を持ち上げる。
「あの箱……ハラくんじゃなくても、開けられるんだって」
「え?」
「前にスキルを使ってもらったとき、ハラくんも中に入ってたから。開いてみんなを出してくれたのは、カンロジさんだったの」
それは――待てよ、結構とんでもないことじゃないか?
つまり、今はこうして箱の蓋は閉めているが、スキルの使用者である俺以外の人間でも、これを問題なく開けられるということになる。
故意でも、故意じゃ無くとも。俺が保管したコレを誰かが誤って開封したら、あっという間に神々は飛び出してくるだろう。そうすればまた、ゲームは繰り返されてしまうかもしれない。
「ああ、それならご心配なく」
しかしナガレの言葉に、ユキノはピースサインを向けた。
「今から私が、その箱を食べますので」
「「………………ええ?」」
思わず俺とナガレは、一緒に呆けてしまった。




