219.勝利者の願い
「違うな。「生き返る」は結果的にだ。5年前のナルミ・シュウの願望は、それじゃない」
「……反転すること、ですか?」
「それも違う。アイツの願望は「やり直したい」だ」
……やり直したい。
「『恥の多い生涯を送ってきました』――ってヤツだな。失敗を、後悔を、屈辱を、未練を、やり直したい。それがアイツの願望だ。
結果的に、別の人間に転生した。元の自分のままでは、やり直すチャンスも与えられなかったってわけだ」
おかしそうに顔を歪める彼女の言葉に、俺は落胆していた。
俺たちには手の届かないような全能を駆使する神。その口が、死者を生き返らせる術がないと断言したのだ。
それさえ叶えばあるいは、と思っていた。だけど、本当に遺憾ではあるが、主催者であるルメラが言った以上――死者を生き返らせる術は、無い。
俺が黙り込むと、次に口を開いたのはアルだった。
「――ルメラ。あなたは何故、覚えているのです?」
問いかけるゴスロリ姿のアルは訝しげだった。疑念に満ちた声も、低く険しいものだ。
「アルファ世界のユキノの……私の願いを、あなたは歪めた。前回の《来訪者》のことを、誰も彼もが、神々も例外なく忘れたはずです。それなのに……」
しかしルメラは不敵に笑い返してみせる。
「アタシは略奪の神だぜ、アル」
「……まさか」
「お前の願いを叶える瞬間、自分の記憶を略奪しておくくらい何でもない。アタシはアルファもベータもひとつ残らず記憶してるぜ」
「私を……私の正体も知っていて、泳がせていたのですね」
「そりゃあな。その方が面白い。兄が別の人間に転生して、女神なんてモノになった妹に再会する。うん、筋書きは面白いだろ?」
ふたりの周囲はざわめいている。話についていけない他の神々が騒いでいるのだ。
その中で、血が滲むほど唇を噛み締め、アルは暗い表情で呟いた。
「…………兄さんが再度転生することさえも、あなたの思惑通りですか」
「まさかあんなに可愛くて歪んだ女になるとは思ってなかったけどにゃあ」
茶化すように「にはは」と笑ってから、ルメラは金色の瞳を鋭く細めた。
「――だが因果は収束する。世界線において時間の流れは一定ではないが、辻褄は確実に合わさるのさ。
ナルミ・シュウが「やり直したい」と願った以上、また異世界に喚ばれるのは当然。それだけのことだ」
そうして、歌うように続ける。
――「自分が誰だかわからない」女には、変身の神の祝福
――「忠実な働きアリを守りたい」女には、愛と氷の女神の祝福
――「自分を殺し続けた自分を殺したい」男には、略奪の女神の祝福
沈黙する俺を、再び、ルメラが見遣る。
「ほい、じゃあ次が本番だ。アタシたちが勝利者に与えるのは、試練でも祝福でもなく、成果への順当な報酬だ。それを踏まえて次は頼むぜ」
俺の先ほどの問いかけを揶揄してか、そんなことを宣言してからルメラが欠伸をした。
「シュウ」
そのとき、黒髪の魔物に乗っかったナガレが、俺の服の袖をくいっと軽く引っ張った。
そのおかげで少しだけ、心臓の音が落ち着いてくる。俺は「なに?」と少ししゃがんで首を傾げた。
「シュウが願いたいこと、分かってると思う。だからわたしが代わりに言う」
俺は彼女の提案に驚かずにいられなかった。
いつも自信なげなナガレが「分かってる」と口にしたからではない。彼女がその権利を、俺に差し出そうとしたことにだ。
「でもそれじゃあ、ナガレの願いが――」
「ううん、いいの。わたしもこの願いは大切だと思うし、それに……わたしの願いは、ひとつだけだったから」
彼女が、俺の願いが分かると言ったように。
俺にもナガレの本当の願いが分かっていた。だから、何も言えなくなった。
――親友を、生き返らせること。
それが、ナガレの願いだった。
俺もソラを、トザカを、命を失ったクラスメイトたちをもしも――生き返らせることができれば、と思っていた。
そんなに都合の良いことが、叶うわけがないとわかっていて。それでも夢見ずにいられなかったのだ。
だからそれが叶わない以上、目の前の、まだ失わずに傍に居てくれる人を、守らなければいけないということも。
「アサクラくんの病気を……血蝶病を治してください」
ナガレはそうして頭を下げた。それが俺の、願いでもあった。
アサクラは今、生きてくれている。きっとハルバンのギルドに避難して、必要な処置を受けているはずだ。
だけど――どんなに進行が遅いとしても、いずれあの病はアサクラの全身を覆う。そうすれば彼は理性のない魔物に成り果ててしまう。
そんなのはもう、嫌だった。誰よりも努力家で、ムードメーカーで、孤独を抱えながら共に戦い続けてくれたアサクラが、居なくなるなんていうのは。
「――アサクラ・ユウの病を治す。それがお前の願いだな?」
「はい」
ルメラの確認に、ナガレは迷わず頷く。
するとルメラは肘掛けに置いた肘を持ち上げ、その白い指先を、ステッキ代わりにするように軽く振った。
それで終わりだった。
「ほい、治したぜ。これでアサクラ・ユウの痣は跡形もなく消えた」
「ありがとう……ございます」
今この場で確認できる術はないが、信じる他はない。
ナガレが深く頭を下げる。彼女が頭を持ち上げるのも待たず、ルメラは俺とアルを交互に見遣った。
「さて、次は? どちらが願いを叶える?」
俺は思わず閉口した。……というのも本当に、困っていたからだ。
命を落とした人々を生き返らせる。アサクラの病気を治す。……それ以外に願望は思いついていなかった。
そもそもアルは、「神々を殺す」ことを目的としていた。それは彼女にとって二の次の目的ではあったようだが、決して嘘ではないだろう。
だがその具体的な方法を、俺はまだアルから聞いていない。
この、「願いをひとつ叶えられる権利」は、その計画に必要なのか? あるいは、不要なのか?
「……どうする?」
小声で問うと、アルは小さく首を振った。……先に願いを言え、ということか?
俺はしばし悩んだ。どちらにせよ、アルの目的が達成できるかは分からない。本人も以前、そんな話をしていたはずだ。
それなら……権利を、保険として行使すべきかもしれない。
決めて、俺はルメラに向かって言った。
「神々は、今後一切、人の生き死にに関わるゲームを開催しない」
「神々は、今後一切、人の生き死にに関わるゲームを開催しない。それがお前の願いだな?」
あっさりとルメラが復唱する。
俺は勢いのまま頷きかけたが、
『はぁ――――ッ?』
一拍の間をあけて。
悲鳴か歓声か、判別のつかない神々の絶叫が響き渡った。
「何ですかソレ? さすがにナシですよねっ?」
「異議あり、です! ていうかそれ叶えちゃったら娯楽が! 唯一の娯楽が!」
「そうなると、私、やっぱり主催者には永遠になれないのねぇ……くすん」
「願いは何でも叶えるという触れ込みだろう。致し方ないのでは」
内容はともかく、無垢な子どもが泣いたり地団駄を踏んだりしているのを見ていると、些かこちらも気まずくなってくる。
しかしルメラは一刀両断だった。
「願いは願いだ。無論、叶えるぜ」
えぇー……と、まだ異論を唱える声はあったが、それもルメラが何気なく見遣るだけで萎んでいった。彼女に逆らえる立場の神は居ないらしい。
「ここにいるヤツらが破ろうとした場合、アタシが消し炭にすると確約しよう。ただし口約束にはなるが」
「……構いません。願いは必ず、叶えるんですよね?」
「まぁ、にゃ。アタシは嘘は吐かないぜ」
それで終わりだった。……あまりに呆気なかったので、拍子抜けするくらいだったが。
「シュウ、すごい。そんな願いを思いつくなんて……」
ナガレがきらきらとした瞳で見てくるが、俺は思わず頭を掻いてしまった。
「いや……これが意味あることなのかは、分からないよ」
「そうですね。意味のないことかもしれません」
しばらく黙っていたアルが、そこでようやく口を開いた。
「神々は、まだ居ますので。――「ここにいるヤツら」に当てはまらない存在が」
「あ……」
そうか。アルの指摘で気づかされる。
今回は合計30人だが、前回ゲームの参加者は42人。
原則としてひとりの《来訪者》にひとりの神が指名権を得るということは、つまり、少なくともあと12人は、ゲームに乗り気の神々が実在しているということだ。
だがルメラはアルの鋭い指摘に、呆れたような顔をしていた。
「アタシはそんな詰まらないことはしないぜ。今回留守番の神々にも、人の生き死にの関わるゲームの開催は禁ずる」
「……どうでしょうね。それこそ口では何とでも言えます」
「否定はしないにゃ。んで? お前は何を願うんだ、ナルミ・ユキノ」
名指しされたアルが、目を眇める。
それから彼女は、にこっと可憐に微笑むと。
あまりに唐突に――隣に立つ俺の腕を、思いきり引っ張ってきた。
……え?
「今から兄さんが、小さな箱を開封しますので。――その中にひとり残らず、お入りください」




