213.自分を殺す
「……僕の記憶を読み取ったか」
俺とまったく同じ顔をした少年が、ぽつりと呟く。
片手にユキノの髪の毛を掴んだまま、にやりと笑って。
「どうだ? 何か感想はある?」
「…………」
「ああ、いや、お前だって――僕なんだから。似たような経験はいくらでもしてきたよな。
転生前も転生後も、実の父親に犯されたりとかね。……はは。本当に親には、どうやったって恵まれないみたいだな」
俺は何も言葉を返せなかった。
何を言っても、カンロジには響かないのが分かりきっていたのもある。
そして実際、何かを言おうとしても、まともな言葉が浮かばなかった。
その人生は俺のものとはやはり、違っている。
カンロジの言を借りるなら、転生前も、もちろん転生後も。
どちらが幸か不幸か、なんて話を、カンロジもしたいわけではないのだろうが……
――くらり、と目の前が霞む。
慌てて足を踏ん張り、どうにかその場に留まる。脇腹からの出血のせいか、意識が朧げになりつつあった。
俺の様子に気づいているのかいないのか、カンロジは歌うような口調で唱える。
「僕はね。二度目の転生を遂げたらすぐ、ユキノとトウジョウを探そうと決めていた。
といっても、マエノが余計なことをしたせいで、ハルバニア城に数日間監禁されるアクシデントもあったけど。
他の《来訪者》を焚きつけて、何とか城から脱出した後はフィアトム城に向かった。シュウが死ぬ間際、フィアトム城の真の門がどうこう、ってアナウンスがあったからだ。僕が死んでからこの世界では3年が経過していたけど、それでも行ってみる価値はあると思った」
それは先ほど、俺が彼の記憶を視た際にも流れていたアナウンスだ。
女神によるアナウンス。前回のゲームではフィアトム城が最後の舞台だったというから、その内容に間違いはないだろう。
「そこでトウジョウ――いや。ホレイ・アルスターに再会した。驚いたよ。アイツはこの世界での貴族の地位を手に入れて、近衛騎士団の団長にまで成り上がってたんだからな。
僕が名乗ってもホレイは胡乱げにしていたが、話をする内に僕の正体を認めざるを得なかったらしい。彼の広々とした家の、その離れに……変わり果てた姿のユキノが匿われていた。
ようやく僕は妹に再会できたんだ。僕にとっては15年ぶり、ユキノにとっては3年ぶりの再会だ。……でもそれで満足するはずもなかった」
「……血蝶病が進行したユキノとは、会話もできなかったから……か」
「その通り」
カンロジがゆっくりと目を細める。
「あんな不気味なバケモノ、ただの抜け殻さ。だが利用価値はあった。
バケモノはユキノのように、相手を狭い空間に固定する力こそ使えなかったけど……強力な氷魔法は問題なく使えたからだ」
フィアトム城で俺たちを追い詰めた際にも、その魔法効果は容赦なく発揮されていた。
直撃を喰らってワラシナは命を落としたのだ。……忘れられるはずもなかった。
「そして僕は気づいた。この国の人間たちは、5年前、この土地に《来訪者》が召喚されたことを忘れてる。
……いや。より正しく言うなら、《来訪者》が召喚されたにもかかわらず、よく憶えていない。その結末も、「勇者候補は魔王を倒し損ねた」というものに変更されている」
それは俺たちも確認していた。
例えばコナツは5年前、カンロジたちと一時期、旅をしていた。
しかし誰かと旅をしたという曖昧な認識しか、コナツには残っていなかったのだ。
世界からは不自然に、《来訪者》たちにまつわる思い出が抹消されている――
「その理由を僕はホレイに確認した。あいつはこう言った。「ユキノちゃんの神々への願いが反映された結果だ」――と。
つまり、神々は本当に、魔王を……他の《来訪者》たちを殺した人間を、勇者として認めて願いを叶えるらしい。そこで僕は決めた」
滑らかだったカンロジの語りが、そこで一度途切れる。
暗い、闇そのものを写し取ったような瞳が、舐めるように俺を見る。
「僕は決めたんだ。このデスゲームに勝利して、今度こそ願いを叶えると。
もちろん願うのは「妹の再生」だ。完全なる兄に戻るには、それしか方法はないんだから」
俺はようやくそこで、言葉を投げかけようとした。
しかし遅かった。カンロジは目を見開いたまま、笑って俺のことを見つめていたのだ。
「だから――死んでくれよ、シュウ」
「……!」
「この世界にシュウはふたりも要らない。分かるだろう?」
カンロジは服から取り出した短剣の鞘を、慣れた手つきで外す。
そして鈍く光るその切っ先を、迷うことなく――ユキノの喉笛へと突きつけた。
「……ッ」
ユキノがびくり、と小さく震える。
唾を呑み込んだのか、喉が僅かに動いた直後に、その柔らかそうな肌に短剣の切っ先が沈みかけた。それを目にした途端、俺は思わず叫んでいた。
「やめろ!」
制止する俺の声に構わず、カンロジは冷徹な声で言ってのけた。
「僕からの、お前への要求はひとつだ。自殺しろ。でなければ、ユキノは今すぐに殺す」
嘘でないことを証明するように、短剣の先端を、カンロジはゆっくりと動かし始める。
つぅー……と、一筋の赤い血が、切り裂かれた皮膚の間から流れていく。ユキノは気丈にも歯を食い縛っているが、距離があってもそれと分かるほど華奢な身体は震えていた。
もはや迷っている時間はなかった。
「……………………わかった」
頷くと同時、俺はアンナさんに鍛えてもらったアゾット剣の鞘を抜く。
ユキノが悲痛な声を上げた。
「兄さま、そんな――」
「黙ってろ」
激しくユキノが身動ぐと同時、喉元に当てられた刃が動きかける。
俺は鋭く言い放った。
「お前の要求には応えるよ。だからユキノには一切危害を加えるな。それ以上傷をつけたら、俺より先にお前から殺す」
「……さすが、兄さまはご立派だな」
カンロジがふざけた言葉と共に肩を竦める。
俺はその切っ先がごく僅かに逸れたことを確認してから、自分の首筋に短剣をぴたりと当てた。
これで頸動脈を切断する。即死にはそれが最も優れた方法だろう。どちらにせよこのまま腹から出血していれば、失血死しそうではあったけど。
「兄、さま……」
ユキノの顔が大きく歪んでいる。それでも目を背けずに見つめてくる瞳の強さに、申し訳なくなってくる。
ここで俺がカンロジの要求通りに死ぬのは――どう考えても、賢い選択ではないんだろう。
そもそもここまでの道のりはどうなる? 殺してきたクラスメイトは? 命を賭けて戦ってくれた仲間たちの思いは?
その責任を全部、俺は投げ捨てるのか?
……そんなの到底、褒められた行為じゃなかった。当たり前のことだ。
だけど、と思う。
それらの全てと天秤にかけたって、どうしたって、ユキノは俺にとっては大切だ。
両目を閉じる。
柄を握る左手が揺らがないよう、左手を覆い隠す右手ごと力を込める。
死ぬのが怖いなどと、一度だって思ったことはなかった。
それなのに今、ほんの少しだけ、手が震えている気がして――
ようやく人間らしくなりつつある自分に苦笑しながら、俺はその腕を――
振り下ろしたつもりだった。
でも、止まっている。……脈に到達する前に、剣が。
「だ、め」
すぐ近くで、声がした。
だがその声が、俺の耳元できこえるわけがない。……最初は幻聴か、とさえ思った。
「だめだよ、シュウ。……死んじゃだめ」
そこでようやく、閉じていた目を開く。
剣を止めていたのは――――ナガレの手、だった。
躊躇いなく刃物の元に差し出したのか、その右手の、親指と人差し指の間がぱっくりと開いている。
大量の血を流しながら、それでもナガレは痛がる素振りさえ見せず、まっすぐ俺のことを見つめていた。
「…………何で」
それを見止めた上で、俺は呆然と、呟くことしかできなかった。
腱を切られ、傷ついた足だ。
ここまで歩いてくるのだって困難だっただろう。何度も転んだのか、両膝からも血が出て、ナガレはぼろぼろの状態だった。
それなのに。いつも。
――どうして君は、誰かが助けてほしいって思うとき、手を差し伸べてくれるんだ?
声はうまく出なくて、ただ喉を震わせる俺に、ナガレは言う。
「だって、カンロジ、さんは――本当はそんなこと、望んで、ないの」
「え……」
「シュウが死んでしまったら……もうカンロジさんは、シュウにはなれない、から」
ナガレの言っている意味が、俺にはうまく理解できない。
しかしどうやら、カンロジにとっては違うようだった。
「……何を言ってる?」
俺は見た。
先ほどまでと打って変わり、カンロジの顔がすっかり青ざめている。
怯むことなくナガレが返す。
「ここに倒れてる間、ずっと、あなたの記憶を探ってた」
「……僕の記憶を?」
「それで視えた――の。あなたの本当の気持ちが」
気のせいで無ければ。
そっと哀しげに、ナガレは眉を下げてこう言った。
「妹の前で兄を殺したら、あなたは二度と、兄にはなれない」




