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兄妹転生 ~チートだからって調子に乗らず、クラスメイトは1人ずつ私刑に処します~  作者: 榛名丼
最終章.兄妹の反逆編

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210.鳴海周4

 

 ……おかしいな。アルコールは飲んでいないはずなのに。


 目を開けて、まず第一の感想はそれだった。


 頭がガンガンと、内側から休みなくトンカチで叩かれているみたいに痛むのだ。

 これが噂に聞く「酔い」の症状だろうということは、すぐに理解できた。何故なら開いた唇から、僅かにアルコールのにおいがしたからだ。


 酒は――嫌いだった。父親のことを思い出すからだ。

 いまいち覚えていないが、もし僕が自ら酒を呷ったとするなら、少しばかり気分が昂揚していたからかもしれない。あるいは、緊張していたのか。


 最後の1人――最も手こずった相手でもある――戸坂直(トザカナオ)を殺害して、僕はようやく、握っていた剣を下ろすことができた。

 ……ここまで長い道のりだった。何と、33人もの人間を殺してのけたのだ。

 マエノも、イシジマも、僕がこの手で殺した。家族連れも殺した。小さな子どもも、この手にかけた。

 だけど不思議と罪悪感はなかった。それはすべて、義妹を守るためだったからだ。

 ただ、やり遂げたという実感と、肩に重くのし掛かる疲労感だけが満ちていた。


 その日の夜、イマイの発案で、僕らは宴を開くことになった。

 場所はザウハク洞窟から歩いて数時間の、植物が生い茂った名もない森にある山小屋の前だ。

 そこは冒険者用の休憩施設として開放された場らしく、トザカが潜んでいた所でもある。他の冒険者に聞き回り、その内のひとりがトザカのことを洩らさなければ、僕はまだ彼女のことを血眼で探していたことだろう。


 それは宴といっても、馬鹿騒ぎするような代物ではなく、最低限の食事と飲み物を用意して開かれた粛々としたものだったが……4人の会話は思いがけず盛り上がった。

 といっても話題に上がったのはほとんどが、何も考えず魔物を倒し、お腹いっぱいに夕ご飯を食べ、眠りについていた――旅の前半の頃の話ばかりだった。……当たり前かもしれないが。

 確か、トウジョウとはこんな話もした。


「そういえばシュウ。あの奴隷の女の子、早々に返しちゃって良かったのか?」

「またその話ですか」

「だってよ、本当にエルフっぽかったし、もうちょっと粘れば、あるいは……」


 街の人々がよく口にしていた噂話。

 遠い遠い、清廉なる森に、金色の髪と尖った耳を持つ、美しい不老の一族――森人(エルフ)が暮らしているという。

 そんな、眉唾モノのおとぎ話を当初、信じたわけもなかった。

 でも《来訪者》の追跡中に立ち寄った街で出会った奴隷商の元に、ちょうど、薄汚れた金髪の子どもが居たのだ。トウジョウはその子どものことをしょっちゅう話題に出していた。


「あの子、お前が命令したらドアみたいなのを召喚しただろ」

「でも結局、開かなかったじゃないですか」


 僕は肩を竦める。

 おそらくは5~6歳くらいの外見のみすぼらしい少女は、僕が隷属印で縛りつけて「エルフの森に連れていけ」と命じると、泣きながら不思議な祝詞を唱えたのだ。

 すると空から鉄製の扉が降ってきた。さすがに僕もそのときばかりは浮き足立ったが、その扉は開かなかったのだ。少女に何度命令しても、首を振るばかりだった。


 藁にも縋るような思いだったが、諦めるしかなかった。

 同時に自分の行動が、ひどく馬鹿らしくもあった。……この僕がまさか、ユキノの身を案じて行動するなんて日が来ようとは。


 ユキノの血蝶病の痣は、既に全身に広がっていた。

 しょっちゅう高熱を出したり、幻覚に苛まれたりで、ほとんど夢現の状態でもあった。

 手足の震えがひどいため、もう自力で歩くこともままならず、移動するときはいつも僕かトウジョウが背負っていた。

 人ならざる不老の民・エルフの力を以てすれば、そんなユキノを救う方法があるんじゃないか――なんて。やっぱり自分でも、馬鹿だったなと思う。


 こうなったら魔王を倒して、王様が言う、「願いをひとつ叶える」特典でどうにかしてもらえないのか。

 と今さら、考えたりもしたが、1年近く旅をしてきた現在も、魔王の足取りなんて一向に掴めていなかった。そんなものが実在するのか怪しいくらいだ。


 ……そうだ。トウジョウとイマイと、そんな話をしていて……。

 ……それから今は、どれくらい経ったんだ?


 僕は痛む頭を抑えながら、のろのろと身体を起こす。

 見回してみるとすぐ近くに、大きないびきを掻くトウジョウが寝転がっていた。


「……はぁ」


 焚き火を囲んでいたはずが、その火種がすっかり小さくなっている。肌寒いから、目が覚めたのはそのせいだろうか。

 もともと、炎魔法も扱えるイマイが火の管理をしていたので、冬でも問題なく屋外に出ていたわけだが、何故かそのイマイの姿が見当たらない。

 僕は二の腕を擦りつつ、そこでようやく――ある重大すぎる事実に気がついた。


「…………ユキノ?」


 自力では動けないはずなのに。

 ユキノが横たわっていた寝袋が空になっていた。


 ――何で?


 しばらく、呆気にとられる。

 慌ててその寝袋に触れれば、ひんやりとしていて冷たかった。

 ……離れてからかなり経っている? いや、冬場ならすぐ冷えるものなのか?

 分からない。周囲を見回しても痕跡らしいものはない。

 ユキノはどこに消えたんだ? それに、イマイは?


「トウジョウ! トウジョウ起きろ、おい!!」


 敬称をつけるのも忘れて、僕は寝こけるトウジョウの肩を揺さぶる。

 しかし彼は「ムニャ……」と洩らすだけで起きる様子がない。僕はええい、と勢いのままその頬を往復で叩いた。

 バチンバチンッ! と頬に連撃を喰らったトウジョウが「うぎゃッ?!」と飛び起きた。僕は何か文句を言われる前に鋭く言う。


「ユキノが居ないんだ! それにイマイも。トウジョウは何か知らないか?」


 トウジョウはまだ寝ぼけた顔をしていたが、次第にその瞳が大きく見開かれていく。


「……ユキノちゃんが? いや、オレは何も……」

「そ、うか。なら探す。手伝ってくれ」

「それは勿論、だが……待て、シュウ。お前、酒飲んだのか?」


 今、そんな話をする必要あるか?

 説教なら後にしてくれ、と言おうとした僕だったが、続くトウジョウの言葉に愕然とした。


「――今日、酒は持ち込んでないんだ」

「……え?」

「買い出しするイマイセンセーに、オレが言った。とても飲むような気分じゃねぇからって……」

「……じゃあ、どうして……」

「決まってるだろ」


 吐き捨てるようにトウジョウが続ける。


「アイツが――イマイが、料理か飲み物に仕込んだんだ。それでオレとお前を、眠らせた」


 その意味を、そう簡単に僕は呑み込めなかった。


「何の……ために?」

「知るかよ」

「……あの人は最後まで僕の味方だって」

「いいから立て」


 しかし無理やり、トウジョウに腕を引っ張られる。

 僕はふらふらと立ち上がった。かなりアルコール指数の高いものを飲まされたのか、それだけでクラクラと足元が覚束なかった。

 トウジョウは眉間に皺を寄せつつも、森の方角を指差す。


「手分けをして周辺を探すぞ、お前はあっちの――」


 ガタンッ――と。

 そのとき、冗談みたいなタイミングで、重いものが動かされたみたいな音が響いた。

 僕とトウジョウは同時に、その方角に目をやる。

 山小屋の中から、その音は響いたようだった。



 +     +     +



 冬の空気に溶け、弾む呼吸と。 

 顎先から滴り落ちる汗が気持ち悪くて。

 でもそれを拭うこともできずに、ただ、呆然と、見つめていた。


 目線の先。

 窓から仄かな月明かりが射し込むだけの、暗闇の中、その小さな寝台は浮かび上がるように僕の目には見えた。


 ――そして、もぞり、と動く白い足の。

 その細く、骨張った膝から足首にかけてを、真っ赤な血が伝い落ちていた。


「…………ユキノ?」


 ゾッと背筋が粟立つ。

 でも……怪我をしていたのは、ユキノでは、なかった。


「……うっ」


 呻いて、ゆっくりと、その上に倒れ込む。

 胸に穴の空いたその人物は――イマイだった。

 ひっ、とユキノが短く鳴いた。手足をめちゃくちゃに動かして、必死にイマイをどかそうとする。


「いっ、いや、いや、いや、いやぁ――ッッッ!!」

「ユキノちゃん!」


 立ち竦む僕を突き飛ばし、トウジョウが息せき切って駆け寄る。

 しかしユキノは錯乱したように暴れていて、その恐ろしいほど長く黒い髪先は、そんなトウジョウに向かってさえ攻撃するように真っ直ぐ伸ばされた。

 どうにか紙一重で、トウジョウはそれを避けた。しかし攻撃の手は止まない。


「っ……これは、魔物化の……!?」


 生き物のようにうねうねと伸びる髪の毛を前にして、トウジョウが息を呑む。

 そんな、どうしようもない、手のつけられない絶望そのものみたいな光景を目にして……僕は今さらみたいに、唇を動かした。


「……何があったんだ?」


 口にしてから。

 ああ、なんて馬鹿なことを言ったのだろう、と僕は思った。


 動いていた髪の毛が一斉に動きを止めて。

 寝台の上に横たわったまま、男に押し倒されたまま、ユキノが僕の目を見る。

 僕もユキノを見ていた。

 腫れ上がった双眸は、また、いくつもの水滴を零して、そのほとんどは彼女の髪の中に吸い込まれていった。


「見ないで、ください……」


 月明かりに照らされたその痩せっぽちな姿を、僕は見つめた。


 掠れた声を洩らす唇の端は切れていた。

 瞳どころか、顔も真っ赤に腫れ上がっていた。

 両方の手の平は、ナイフで床に縫い止められていて、そこから染みだした血が、シーツの色を真っ赤に変えていた。


 それだけじゃなかった。ユキノの服は所々が破かれている。

 その、蝶が舞う肌は無遠慮に暴かれ、鬱血の跡や、生々しい、痕跡がくっきりと、残っていて、僕はそれを、為す術なく、どうしようもなく眺めて、狼狽えているはずなのに、何故だか目が逸らせなくて、

 血を流すユキノの――痛々しい有り様を、それなのに艶めかしいとすら……感じていたのかもしれない。白と赤のコントラストがくっきりとしていたから。ユキノの手はほっそりとしていて、白魚みたいにきれいなのだ。それなのにその手がこんなにも赤く……赤く……


 呼吸の音がうるさい。

 鼓動がせわしない。胸が痛い。緊張する。昂奮する。吐き気がする。絶望……している。

 とにかくずっと頭が痛い。ずっとずっとだ。

 口元からぞわりぞわりとアルコールの湯気が逆立っていく。頭が痛い! 頭が……割れそうだ。

 今日も雨が降っている――


「兄さん……見ないで……ごめんなさい……、ごめんなさい……」

「おい、シュウ……」


 伸びてきたトウジョウの手は、僕の視界を塞ごうとする。

 だがそれでも、僕は瞬きせず、それを見ていた。

 ユキノが見ないでほしいのは、魔物になりかけている自分の肉体じゃない。

 それどころじゃないことが、彼女の身に起きてしまった。……責任の一端は間違いなく、僕にあった。

 そう理解していて尚、目を離せなかった。頭がおかしくなりそうだった。


 ――いや、たぶんとっくに、僕の頭はおかしかったのだ。もっとずっと前から。

 ユキノと兄妹になったとき? それとも母さんを突き落としたとき?

 一時ばかりの親友を得たとき? ソイツを庇って頭を打ったとき? それから頭痛が、鳴り止まなくなったときに?


 それとも……この世に生まれた、瞬間から?


「ごめんなさい……許して……兄さん……兄さん…………」


 泣き続けるユキノに、僕は近づいていった。


「シュウ!」


 トウジョウの声がする。でも、止まりはしない。

 ユキノは、裁きのときを待つ罪人のような顔をして、呆然と、僕のことを見上げていた。


 寝台の傍らまで歩み寄った僕は、そうしてユキノを見下ろして。

 下半身を丸出しにした気持ちの悪い死体に手をかけ、それを力任せに押し出すと、上着を脱いでユキノの身体に掛けた。

 そうして、伝える。


「…………お前、悪くないよ」

「…………?」


 ユキノは怯えきった目をしていたが、僕の言葉が浸透したからか、次第にそれが、元の彼女らしい聡明な光を帯びていった。


「いつも、いつだって、ユキノは悪くなかった。全部、僕が悪かったよ」

「……兄さん……でも、私……」

「いいんだ。もう泣くな。……怖かったな」


 とうとうユキノが堪えきれず、嗚咽を上げた。

 今や見る影もない、痣だらけの顔でも、やっぱりユキノはきれいだった。なんだか奇跡みたいに美しくて哀しい、泣き顔だった。


「兄さ――」


 左胸に熱が広がった。


 急に視界が、ぐるりと回って、気がつけば僕は天井を見上げていた。

 ……あれ? と思ったときには、もう手遅れだったのだろう。

 急速に、身体の感覚がなくなりつつあった。


「ッテメェ……イマイ!」


 トウジョウが激昂し、掴みかかる。

 僕はどうにか首を動かして、その光景をぼぅっと見つめた。

 ユキノの髪の毛に胸を貫かれたイマイだったが、どうやらまだ息があったらしい。

 彼は甲高い声で嗤っていた。トウジョウに取り押さえられながら、それでも、僕を見下ろして泡混じりの唾を吐きかけてくる。


「テメェみたいな気持ち悪いガキの相手してやったんだ、これくらいの褒美があったって良いだろうがよォッ!! あァっ?!」

「ッお前、ふざけんなよ、シュウがどれだけ……!」

「はは、ははは、テメェの妹、なかなか良い具合だったぜ! 兄さん兄さんってピーピー泣き叫ぶもんだからよ、口を塞ぐのに苦労して」


 それきりイマイの汚らしい声はきこえなくなった。

 代わりに、血の雨が僕の上へと降り注いだ。トウジョウが留めを刺したのか? それともユキノが、最後の一撃を加えたのか。


 口から大量の血を吐く。

 その血で、また、喉が塞がる。

 咳き込む。噎せ返る。ますます辛くなった。

 ……駄目だ。もう僕は、駄目だろうな。


「いや、いやです兄さん、死なないで、私をひとりにしないでッ」

「ユキノちゃん……」

「何で、だって、ユキノのこと守るって……なのに兄さんが、なんでぇ……!」


 それこそ血を吐くように叫ぶユキノの声さえ、今は薄い膜を張ったように、どこか遠くから響いてくる。


 そういえば一度、手を握っただけで。

 頭を撫でてやったことも、抱きしめてやったことも、一度も――なかったなぁ。

 もっと宝物みたいに大切にすれば良かった、なんて……後悔するには、遅すぎるのに。


「ゆき、の……」


 僕はその名前を呼んで、手を伸ばした。

 誰かが手を掴んでくれた感触がしたのは、おそらく僕の勘違いだったのだろう。

 だってユキノは、両手を拘束されていたんだから。じゃあトウジョウだろうか? それこそ、面白くも何ともないけど……。


『――ほい、ここまでお疲れ様。そういうわけで現時点での生き残りは2人っと。うんにゃ、良い感じに減ったにゃあ』


 ……何だ? 何か声がきこえる。

 どこかで聞いた覚えのある声だ。どこだったっけ……頭が回らなくて、思い出せないや。


『では迷える子羊たちにご案内のアナウンスだ。明朝、フィアトム城の真の門を開く。この殺し合いゲームの勝者にならんとする――』


 よく分からないけど……勝者ってことは、つまり何だ。イマイが魔王だったとか?

 違うか。僕が魔王、のほうがしっくり来るな。じゃあ僕が死ねば、ユキノは願いを叶えられるのか?

 それなら……血蝶病を治して、平和な人生を送ること、とか。

 33人も殺しておいて、虫が良いかもしれないけど、そんな願いが叶ったなら言うことはない。


『……にゃはは』


 どこか穏やかであった心持ちを、その笑い声が不穏に掻き乱した。


『ここまで楽しませてもらったよ、ナルミ・シュウ。でも()()()()()()()()()()()()()だ、またな』


 ……お前は何を言ってるんだ?


「兄さん、私、兄さんのことがずっと……」


 最後に、よく知った誰かの声がして。

 そうして世界は反転する。



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