20.話せぬ奴隷
普段から誰かしら使っているのか、小屋の中は思っていたより清潔に保たれていた。
トザカが小屋の奥まで歩いて行ってから振り向く。どうやら寝台までユキノを運べ、という意味らしい。
指示されるまでもない。俺は軽い身体を寝台の近くまで運んだ。
しかしそこで立ち止まる。ユキノの背には矢が刺さったままだ。
仰向けに寝かせるのは論外だし、俯せというのも呼吸がしにくそうだけど……。
「まずは矢を抜いて。すぐに止血と解毒をするから」
俺が躊躇っている間にも淡々とトザカは指示してくる。
決して強い口調ではない。それなのに不思議と説得力があった。
「それと魔法を安定させるためにナルミさんの杖を借りる。自分のは洞窟で落としてしまったから」
トザカの手には、先端に大きな鈴がついたおなじみの白杖があった。
俺にそれを拒絶する理由はない。ハルトラの背にユキノと、その杖まで乗せてくれたのはトザカ本人なのだ。
百四十五センチ程度だろう小柄なトザカとその杖はほとんど身長に差がない。
まるで杖が本体のようで可愛らしかったが、そんなことを口にする余裕が今あるはずもない。
「……わかった」
結局、俺は頷いた。治療に関して門外漢である以上、今は大人しく従った方がいい。
ユキノを寝台に俯せに寝かせる。弓道で使うような長い弓矢でなくクロスボウだったからか、タケシタの撃った矢は思っていたより小振りで貫通はしていない。
右の肩口近くに矢は刺さり、そこから今も少しずつ流れる赤い血が純白の衣装を濡らしている。
俺は一度、矢の羽を両手で握った。
それから思い直し、皮膚からほど近い下部分を片手で握る。左手は肩口を抑えるのに使った。
矢の正しい抜き方なんて知るはずもない。
矢で射抜かれた経験がないのを悔やんだのは初めてだった。
「…………ッ!」
息を止めて、渾身の力で矢を一気に引き抜く。
鋭い矢尻はすぐに見えた。
そして抜いた瞬間に、傷口から勢いよく血が噴き出した。
「――ッッ」
激痛のあまりか、意識のなかったユキノが喘ぐような悲鳴を上げた。
苦悶に満ちた声に、どっと冷や汗が噴き出る。血塗れの矢を握る腕がぶるぶる震える。
硬直する俺を尻目に、トザカが鈴を鳴らして唱えた。
「光よ、癒せ。《小回復》!」
さらに続けて、
「浄化せよ、《異常回復》!」
二重に重なった仄かな光がユキノの傷口へと降りかかる。
ひどい出血が徐々に止まっていく。ユキノの乱れていた呼吸も少し安定したようだ。
しかし傷口まで完全に塞がったわけではなかった。トザカの魔法は応急処置以上の力は発揮していないようだった。
「……これでとりあえずは大丈夫。でもあたしの《小回復》の効果はたかが知れてる、すぐに包帯を巻いて止血する」
「俺も手伝う」
「いい。だって脱がせないとだから」
小さなクラスメイトはドアを指し示すときっぱり言い放った。
「男は出てって」
+ + +
俺は大人しく外に出た。
ドアを開けると同時、転がってひなたぼっこしていたハルトラが黒目だけをのんびり向けてくる。
一度にいろんなことが起こりすぎて半ば放心状態だった。手つかずの問題が多すぎるが、散らかった思考をどこから片づけていいかもわからない。
カサブタになりかけた右目の目蓋を抑えて、小屋の前に座り込む。
ユキノとトザカを二人きりにすることにも、抵抗がなかったわけじゃない。
でも俺たちを殺すつもりなら、トザカには他に機会がいくらでもあったはずだ。
全幅の信頼を置くのは危険だが、ひとまずは任せてもいいと思えた。
だが――そもそもトザカの目的は何なのだろう。
何の得があってマエノを裏切り、俺たちを助けてくれたんだ?
「あ……」
そういえば抜いた矢を持ったままだった。
力みすぎて、右の拳に食い込むようになっている。
危ないし今すぐ棄てるべきだとは思う。でも毒が塗られた矢の適切な処理の仕方って一体……うーん……。
「ん?」
良い方法が思いつかずに悶々としていると、ハルトラがのそのそと巨体を揺らして近づいてくる。
そして触れるほど傍までやって来たかと思えば、何と。
ぱくりと矢を食べた。
「え……ええっ!?」
食べるの? 毒矢だよ?
目を剥く俺の前、大きな口の中から「バキリ」と音がした。恐らく奥歯で矢を折ったのだ。
俺は慌てて立ち上がるとハルトラの背を何度か叩く。吐き出させないとマズい。
「ハルトラ、ペッてしなさいペッて! それ毒塗ってあったんだからな、お腹壊すぞ!!」
必死に言い募るがどこ吹く風という顔でハルトラはもぐもぐ咀嚼を続け、やがて「ニャア」と言った。
いや「ニャア」ではなくて!
「もう入っていいけど。なに騒いでるの?」
トザカがひょっこり小屋から顔を出した。パニックのまま呆けた顔で見遣ると、
「ああ。……その魔物、毒くらいは自分で浄化できると思う」
何もかも察したようにそう言い、さっさと小屋に戻ってしまった。
「ええ……?」
本当に?
俺は思わずハルトラを振り向いたが、地面に転がってまたごろごろしている。
確かに毒に苦しんでいる様子はないが……一応気にしておこう、と心に留めつつ、再び小屋の中に入る。
寝台にはユキノが仰向けに寝かされていた。頭の横には服が畳んで置かれている。
トザカの物だろう黒マントを毛布代わりに身体に掛けられ、ユキノは静かに眠っていた。
「ユキノ……」
俺は音を立てず歩み寄ると、そっと前髪を梳いてユキノの額に触れた。
平熱より少し熱い。しかし血色は先ほどよりずっと良く、呼吸も穏やかだ。
よく見てみると、寝台の脇には散らかった救急箱があった。
小屋に置いてあった設備を使ってトザカが手当てしてくれたのだろう。
礼を言うべきか、それとも沈黙を選ぶべきか。
迷っているうちにトザカがすたすたと近づいてきた。手にはユキノの杖を持っている。
「光よ、癒せ。《小回復》」
何か言う暇もない。
しゃんと鈴の音が響き渡り、黄金色の光が俺に向かって降り注いだ。
触れると、マエノに切られた傷口が塞がっている。
やはり傷跡自体は残っており、完全治癒というわけにはいかないようだが、有り難いのに違いはない。
「ありがとう……」
ようやくまともにお礼が言えた。
トザカはぱちぱち瞬きする。
「キミの妹さんと違って、通常の魔術師が使う回復魔法はこの程度ってこと。杖も違うからかいつも以上に安定してないし」
分かりにくいが少し照れていたんだろうか。
どこか言い訳っぽいセリフを吐いて、トザカはこほんと咳払いした。
「数時間もすれば目を覚ますと思う。そうしたらゆっくり回復薬を飲ませてあげて」
彼女は手前の木製の椅子に座った。
俺は机を挟んで、真向かいの椅子を選んで座る。
眠そうにとろんとした瞳を、実際に眠かったのか両目ともこすりながらトザカは首を傾げる。
「さて、何から話したものか」
トザカは思案する素振りを見せたが、俺が聞きたいのはまず一つだけだった。
「……なあ。一体、君たちに何があったんだ?」
「ごめん、話せない」
間髪入れず返ってきたのは予想通りの答えだった。
思わず溜息を吐く。トザカは自身の頬をむぎゅうと抓んだ。
「別に意地悪で言ってるわけじゃない。……あたしの右ほっぺ。痣のほうが目立つけど、それと重なって印があるのは見える?」
「え――」
言われ、直視するのを避けていたトザカの頬に目線を向ける。
かなり大きく、肌の上に広がる赤い蝶の紋様。
注視すると確かに、その痣に重なって小さな魔方陣のようなものが浮かんでいる。
「隷属印……!」
唸るようにその単語を口にすれば、トザカはそう、と声もなく頷く。
どういうことだ。魔物でなくても捕獲することができるのか?
それとも血蝶病に罹ったトザカたちはすでに人間より魔物に近い存在なのか。
「今のあたしは血蝶病でもあるし、奴隷でもあるんだよ。だから話せないことが多い。あたしの意志じゃこの制限は破れない」
「誰がそんなことを……」
トザカは口を噤んだ。
その内容が彼女の言う「話せないこと」に含まれているからだろう。
「あたしが君やナルミさん、イシジマくんたちに言えるのは……召喚された翌日、すぐに城を発ったのは正解だったってこと。あたしたちは……あそこに残るべきじゃなかった」
最後の一言はかなりきこえにくい小さな声で、トザカが呟く。
その声音に滲んでいたのは後悔か、それとも――憎悪だろうか。
俺に向けられたものではない。もしかしたら、彼女は自分自身を恨んでいるのかもしれない。
「あたしはあのまま理性のない魔物に成り果てるのだけは御免だった。それでキミに味方することにした」
「……何のために?」
「あたしはキミにお願い事がある。それを叶えてもらうために仲間を裏切り、命がけでナルミさんを助けた」
その願いって何だ。
俺の問いに、トザカは一拍を置いて最初の質問への答えを口にする。
「キミたちが去った後、城で何があったのかは言えない。何も言えない。でも――これから何が起こるかは断言できる。
彼らはキミを狙う。キミを是が非でも殺そうとする。キミはもっと強くなって、彼らを全員殺すべきだ」
俺は何も言えなかった。
言えるわけがない。トザカナオが、ただの女子中学生だったはずの少女が、何故それを躊躇なく無表情で言い切れるのかも理解できない。
「……あたしもキミがひどい虐めを受けていたのを知ってる。それなのに、ずっと見て見ぬ振りをしてきた。クラスメイトはそんな奴ばっかりだ。キミには、みんなを手にかける権利がある。いや……他の誰でもない、キミたち兄妹にだけは、そうするだけの資格があると思ってる」
「そんなのは……誰にだってない。俺にもユキノにも」
固い声で反論すると、何故かトザカは苦笑した。頬の筋肉が引き攣っただけのぎこちない笑みだった。
「そうだね。その通りだ。……でも彼らはお構いなしに、キミを地の果てまで追いかけて殺そうとするよ。自衛のためなら、何をしたって許されると思わない?」
時間が止まった空間で、あの女神さまが発した言葉。
計らずもそれとよく似たことを言ってトザカは俺のことを丸眼鏡のフレーム越しに見つめた。
「それに、キミの能力が物語っているように……キミ自身も心の奥底ではそれを、望んでるんじゃないの?」
「……!」
そうだった。
重要なことを失念していた。
【ザウハク洞窟】でトザカは――「その魔物はあなたの言うことを聞く」と叫んだ。
まるで、迷い込んできたハルトラが俺の命令に従うのを、彼女だけは最初から知っていたように。
「何でそんなことが分かる? ……君には何が見えてるんだ?」
「あたしはそういう能力だから」
トザカはそう嘯き、机に頬杖をついてみせた。
「手始めに、キミのリミテッドスキルを言い当ててみせよっか」




