205.強襲
歩きながら、ユキノがさらに言う。
「ホレイおじさんとアルは、前回のゲームではパーティを組んだ間柄であり……ふたりとも、最終的なゲームの勝利者でもありました」
しかしその言葉には、いくつかの無視できない問題があった。
「俺の知る限りだけど――ホレイさんはふつうに、ハルバニアで騎士として生活してる。
でもアルは神の一席に祭り上げられてるんだよな。この違いには何か理由があるの?」
その問いに対して答えたのは、俺たちの先を行くアルだった。
振り返らないまま、彼女が静かに答える。
「その違いは、勝利者の特典として叶えてもらった願望の差ですね」
「願望の差?」
アルの願望。そして、ホレイさんの願望。
前回のゲームの内容がどんなものだったのか、俺は話に聞く限りしか知らないものの……それを果たして聞いて良いものなのか、しばし迷う。
それが叶った結果、アルが神になっていたとしても、今の彼女の目的は同胞であるはずの「神々を殺すこと」なのだ。
つまり、願いが叶ったからといって、アルは――別世界のユキノは、幸せにはなれなかったのだから。
「……兄さま?」
ユキノが心配そうに振り返ってくるが、俺は俯けた顔を上げられなかった。
だが、たとえアルを傷つけたとしても、俺はその先を聞いておかねばならなかった。
ユキノを、ナガレを守るために。そして命を落としていった仲間のためにも。
そう決断し、顔をゆっくりと上げる。
「アル、それって――」
だから目撃したのは、本当に、偶然だったと言っていいだろう。
アルの後ろを歩くナガレの手元が、やけに光って見えた。
意味を考える暇はなかった。
俺は目の前を歩くユキノを思いきり突き飛ばした。
「きゃっ」
ユキノが短い悲鳴を上げる。
それを耳にすると同時、脇腹のあたりに爆発的な熱が広がった。
「ぐ、う――」
――容赦なく肉を、貫く。
抉って、ごり、と削ぎ落とすような動きをするその凶器の柄を、どうにかその腕から奪う。
しかし震える手で引き抜いた直後に、その人物は背後に飛び退った。
ようやく状況に気づいたアルの首根っこを掴んで、だ。
「……あらら。大した反応速度ですね」
間違いない。ナガレの声だ。だけど。
言葉を絞り出す前に、体勢を立て直したユキノが動き出した。
俺の怪我の程度を見て取って、ユキノが口を開きかける。
「《大回――」
ナガレの姿をしたその少女は、そのまま予想もできない行動に出た。
手にしたアルを、ユキノの顔めがけて投げつけたのだ。
「――ッ!」
「ぅっ……!?」
バシン! と顔にアルを叩きつけられ、ユキノの顔が引き攣る。
それと同時に、回復魔法の詠唱は強制的にストップする。
ナガレはその隙に距離を詰めると、思いきりユキノの腹部を蹴り飛ばした。
「あっ――」
まともに受け身も取れずユキノの細い身体が弾き飛ばされ、壁に激突する。
そのすぐ近くにアルまでもが墜落した。
「ユキノ!!」
痛みも忘れ、目を剥いて駆け寄ろうとした俺の前で。
ナガレが、嗤う。彼女は嗤ってそのまま、呻くユキノの髪の毛を引っ張って無理やり身体を起こさせた。
「…………カンロジ」
俺が怒りをどうにか抑えてその名を呼ぶと、酷薄と、カンロジは口の端をさらにつり上げる。
「もしかして、わたくしの正体がナルミ・シュウだから妹を傷つけられないとでも思ってました?
だとしたらお生憎様ですわ。あなたと違って、そんな些細なことで良心が痛むような生き方はしておりませんので!」
「っう……」
ユキノは苦しげだったが、問題なく意識はあるようだ。
その口元が、何かを言おうとして、中途半端に固まる。
……回復魔法を、それも高度なものを使うには並々ならぬ集中力が必要だ。
だが痛みで、ユキノはそれどころではない様子だった。
俺は無理をするな、という意味で小さく首を振る。たとえユキノが魔法を使えたとしても、今の状況下では彼女の身が危険だった。カンロジに何をされるか分からない。
どくどくと脈打つ脇腹を抑えたまま、再びカンロジを睨みつける。
「……ナガレの顔で、汚い言葉を吐くな」
あら、とわざとらしくカンロジが零す。
「ナガレ、というのは――ここに呑気に転がっているミズヤウチさんのことでしょうか?」
その足元に咄嗟に視線を移す。
果たしていつからだったのか。
そこには力なく横たわる少女の姿が浮かび上がっていた。
「…………シュウ、ごめん」
のろのろと、目蓋を僅かに開いて。
消え入りそうな、弱々しい謝罪の言葉を口にしたのはナガレだった。
しかし彼女の様子は、明らかにおかしかった。
俺はその理由にすぐに気がついた。
ナガレの、その、異様にだらんと伸びた両足――
「カンロジ、お前――ッ!」
かっと頭に血が昇るような感覚があった。
同時に、ばたたっ、と勢いよく傷口から血が噴き出す。しかしそんなことには構っていられなかった。
ナガレは人を殺せない。
攻撃を防いでも、危害を加えることはできないのだ。
それは彼女自身の後悔とトラウマに起因している。親友を手にかけてしまった出来事を、それでもナガレは一生背負おうとしている。
でもそんなナガレを、カンロジは一方的に痛めつけたのだ。
彼女が大切にしている両足の腱を切ってまで!
「そんなに怒ることでもないですよ、回復魔法を使えばきれいに治りますから。たぶんですけどね」
残虐な真似を平然と行った張本人が、激昂する俺を不思議そうに見返す。
俺はあまりに勝手な言い分に言い返そうとして――おかしい、と気がつく。
……そうだ。
俺が、先ほど合流を果たしたナガレを疑わなかったのには理由がある。
ナガレは、身体にまったく傷を負っていなかった。
ここに来て受けた試練だけではない。先ほど礼拝堂で出会ったカンロジには、恐らくアサクラとの戦闘によって受けたのだろう傷があった。その程度はかなり深いものだと確認してもいた。
それに左手に巻かれていた包帯……あれはアサクラとの戦いではなく、レツさんに槍を突きつけられたカンロジが、その槍の先端を握って負った傷によるものだ。
それを目にした俺は、いま現在もカンロジは負傷しているのだと判断していた。
だが目の前のナガレの顔をした少女には、目立つ外傷は全く無い。その矛盾を解決する答えを、見出せない。
じっとりと嫌な汗を掻きながら沈黙する俺の思考を、嘲笑うかのようにカンロジが言う。
「アサクラくんも何やら勝手に解釈してくれていたみたいですが……わたくしのスキル、今回もそれなりにチートなんですよ?」
唇に人差し指を当てて、いたずらっぽく微笑む表情は、恐ろしいほど愛らしく、同時に背筋に鳥肌が立つ。
「誰かに変身している間は、カンロジの身体が負った傷はキレイさっぱりとリセットされるのです。
でも別の姿をしているときに包帯を巻いてみせると、皆さん勘違いしてくれるのですわ。もちろん逆も然り。単純な脳味噌で羨ましい限りですわね」
思い出し笑いなのか、片手でユキノの髪を掴んだままカンロジがくすくすと笑みを洩らす。
彼女自身が名前を出したように、つまりアサクラは、わざと包帯姿を見せつけられ、負傷を印象づけられた。
その逆に俺たちの場合は、負傷していない変身姿を見せられることで、カンロジのリミテッドスキルの効果を誤解させられた。……ということだ。
全て、あまりに衝撃的な、ほとんど自傷とも取れるカンロジのパフォーマンスを目の前で見せつけられたからこそ生じた油断であり、誤解だ。
レツさんの槍を躊躇いなく手にしてみせたのも、あるいはこの策略のためだったのか?
そう思うと、より、目の前のカンロジの存在が恐ろしいものに感じる。
元が同一人物だとしても、俺とカンロジの思考や挙動には、既に大きすぎるほどの溝が生じている。
俺には、目の前で笑うその人物のことが、頭の先から爪先までも、理解することができなかった。
「……兄さん」
そのときだった。
掠れた声音が、カンロジを呼んだ。
声質は同じだが、ユキノ――ではない。黒髪を引っ張られた彼女の唇は、動いてはいなかった。
カンロジと俺が目を向けた先に倒れているのは、ユキノよりもずっと小さい少女だった。
カンロジは表情の一切を消し――能面のような無表情で、答えた。
「やっぱりお前、ユキノか」




