188.提案
季節は初冬。
気温はだいぶ下がってはきたものの、まだ、雪も降らない時期だ。
それなのに――塔の壁を突き破って現れた、氷の華が。
まるでそれを見遣る俺たちを嘲笑うかのように燦然と咲き誇り、雪の結晶を散らしている。
途端に、自分の体温までもが大きく下がったように感じたのは気のせいだろうか?
俺は思わず、その名前を呟いた。
「…………アサクラ」
ハルバニア城の礼拝堂。そこは俺たち《来訪者》にとって因縁深い場所だ。
修学旅行に向かう大型バスが谷底に転落し……命を落とした俺たちは、異世界【キ・ルメラ】へと召喚された。
そうして一番始めに目を覚ました場所が、あの礼拝堂なのだ。だだっ広くて飾り気のない、シンと冷たい空間だったのはよく覚えている。
その壁に、見覚えのある氷の華が生えている。
ネムノキが俺の顔を振り返る。その肩のあたりでふよふよ浮いていたアルも、厳しい顔つきだった。
「どうやらあの礼拝堂に、アサクラもカンロジさんも居るみたいだねぇ」
「それに私の肉体も、ですね。あの氷魔法の出力からして間違いないでしょう」
やはりそうか。俺も知らず眉を寄せてしまう。
フィアトム城で俺たちを一方的に蹂躙した黒髪のバケモノ。
その正体は、アルファ世界にて神として祭り上げられたユキノの――残された肉体だった。
前回、ハラのリミテッドスキル"塵芥黒箱"によって造られた黒い小箱から、そいつは姿を現した。そして今回もやはり、カンロジはそれを連れてきたのだろう。
「あのユキノの身体を、回収、というか……制御することはアルにはできないのか?」
ダメ元で聞いてみるものの、やはりアルは首を振る。
「無理ですね。いえ、もしかしたら何らかの方法はあるのかもしれませんが……」
どうやらその方法自体に心当たりがない、ということらしい。
俺はただただ困り果てる。
黒く茂った髪の毛の中から4本の細く白い手足を生やしたあの生き物は……元はユキノの身体だったとしても、正直、会話が通じるような相手とは思えない。
そして実力で排除するのはもっと困難だとも思う。今のところ弱点らしい弱点も見当たらないのだ。
だがあの魔物が今、アサクラを攻撃している可能性がある。そう考えると、避けて通るわけにはいかなかった。
「シュウ、どうする?」
レツさんが槍を手に、目線のみを俺に投げてくる。
ここから見る限りではあるが礼拝堂には、最初の爆音以外には特に変化は見当たらない。今あの場所がどういう状況なのかは、接近しなければ把握できないだろう。
そして大きな物音がしたにも関わらず、道の上に溢れかえる魔物たちは目をちらりと向けただけでその場を動こうとはしなかった。
この一本道のみを死守せよ、とでも誰かに命じられているのか……しかしそれならば、やりようはある。
「二手に分かれましょう」
と、俺はレツさんと、周囲を見回して言った。
「あの礼拝堂に、アサクラと敵が居る可能性は高いです。礼拝堂を合流地点にするのが分かりやすいと思います」
「待ってくださいシュウ様。ハルバニア城に入城するには一本道を通るしかないんですよ? どうやって二手に分かれるのですか?」
エンビさんが当然の疑問を口にする。
その傍らでレツさんが「あ」と僅かに口を開いた。俺は頷く。
「片方のパーティは、その一本道から正面突破します。もう片方は……ハルバニア城を囲む湖を泳いで、回り込むんです」
俺の提案に。
驚いたのだろう、ほんの小さなどよめきが広がり……しかしそれをまず最初にレツさんが、笑みの形へと持っていった。
「――面白ェな。いいぜ、オレは乗った」
「あっさり乗るんじゃありません、全く」
エンビさんが嘆息する。しかし彼も反対、というわけではなさそうだ。
「……泳ぐ、と一言で言ってもあの湖、半径1キロは優にありますが、大丈夫ですかシュウ様」
「戦争中なら兵士に狙い撃ちされただろうけど、今はさすがにそれはないだろうし……俺は泳ぐの、そんなに苦手じゃないですよ」
まぁ、別に得意ってわけでもないけど。
「前にレツさんが連れていってくれた地下室が、ハルバニア城にはありますよね」
「ああ」
俺の問いかけにレツさんが確かに頷く。
そう、ハルバニア城には隠された地下牢がある。俺はそこで、自らのリミテッドスキルを暴走させたエノモトと再会し、彼女の命ごとそのスキルを奪ったのだ。
「泳いで湖を横断したら、その地下室からどうにかして侵入してみます。地下室があるのはハルバニア城の正面の塔だから、すぐに出られれば礼拝堂にも直行できるし」
「そうなると――そっちの部隊は、シュウと」
「わたしも、行きます」
ナガレがきれいに挙手をする。もともと声を掛ける予定だったので、立候補してくれたのはありがたい。
「ありがとう。それとオトくんも、頼めるかな?」
「僕、ですか?」
オトくんが自分の顎のあたりを指さし、目を丸くする。名前を呼ばれるとは思っていなかった様子だ。
「いざというときはオトくんの使う雷魔法に頼りたいんだ。俺とナガレは攻撃魔法は不得手だから」
エンビさんの毒魔法は狭い場所では扱いが難しいし、レツさんの炎魔法は火力が圧倒的すぎて俺たちごと焼け死ぬ可能性もあるし。
となると繊細な威力で魔法を用いるオトくんが、俺たち隠密部隊には必要な人材だった。先ほどからの戦闘の様子を見る限り、実力は申し分ない。
「そういうことなら、もちろん僕もお供します」
「助かるよ」
俺たちが遣り取りする内に、レツさんたちも会話を続けている。
「自動的にこっちの部隊は、オレとエンビに、ネムノキの坊ちゃんか」
坊ちゃん、とか呼ばれたネムノキは若干嫌そうな顔をしていたが特に噛みつくことなく、
「そうなるねぇ。ボクは回復魔法が使えるから、悪目立ちする部隊の回復支援をしたほうがいいだろうし。アルはどうする?」
「……ネムノキくんについていきますよ、もちろん」
ちら、と一瞬だけ俺を見てから、アルがネムノキに言葉を返す。
「……でも、そちらの部隊のほうがよっぽど危険だと思います。もしも難しければ――」
俺がそう切り出しかけると、大きな手が頭を雑に撫でた。
「わっ」と驚いて、身を竦ませる。レツさんの手が、ぽんぽんと軽く俺の頭を叩く。
「乗りかかった船だろ。オレらに任せとけって」
「そうですよシュウ様。レツはいつでも体力だけは無駄に有り余ってますから、コキ使ってなんぼです」
「無駄には余計だッ。まぁとにかく、安心しろ。有象無象が何匹いようとオレはくたばらねぇから」
「……はい」
やっぱりレツさんは――格好良い。
俺ははにかみ笑いしつつ、その頼もしい言葉に何度も頷く。
レツさんたちはこんなところで倒れない。大丈夫だ。何の根拠もないはずなのに、そう心から信じられる。
と思っていたら、レツさんからべりっと引き剥がされた。
目を向けると、ネムノキだった。いつもほよよんと緩い表情をしているのに、珍しく怒り心頭といった顔つきだ。
「ボクの前でシュウちゃんに過度なスキンシップはやめてよ、騎士のオジサン」
「おじさっ……」
エンビさんが言葉に詰まった。
よく見ると口元がにやにやしていた。オトくんは呆れて溜息をついている。
突っ掛かられたレツさんはといえば、尚もきょとんとして、
「過度なスキンシップて。別に接吻してるわけじゃあるまいし」
「接吻ぅ!? なに、シュウちゃん。それいつドコ、イツどこで奪われ」
どうどう、と騒ぐネムノキをあしらい、改めて頭の中で今後の作戦を組み立てていく。
正面突破の陽動部隊を担当するのは、レツさん・エンビさん・ネムノキ・それにアル。
湖を泳ぎハルバニア城に侵入する部隊を担当するのは、俺・ナガレ・オトくん。
礼拝堂に向かうための作戦が決行される。




