187.行ってきます
「おにーちゃん! あのね」
大通りを抜けたところで。
後尾をハルトラに跨がって走っていたコナツの話しかけてくる声が聞こえた。
靴の踵部分で襲いかかってくるスライムを蹴飛ばしていた俺は、「え?」と振り返る。
すぐ後ろに迫っていたハルトラと――その背のコナツは、長髪を風に靡かせつつ、
「あたし、おにーちゃんやおねーちゃんや、みんなのこと心配だけど……でも、ダグの様子を見に行きたいの」
と言った。
次々と向かってくる魔物を倒した後。
俺たちは南西の方向――即ちハルバニア城の方向に向かって、隊列を組んで走り続けていた。
先頭は俺・レツさん・ナガレ。
中央はエンビさん・オトくん・ネムノキ。
そして最後尾はリセイナさん・コナツ・ハルトラというポジションだ。
基本的には近距離・中距離・遠距離型に分かりやすく分かれたわけだが、これがうまく機能して、順調に道を進みつつあった。
コナツが話しかけてきたのはその最中である。
「ダグだけじゃない。アンナや、ダル。ハルバンに住むみんなが無事かちゃんと確認したい」
彼女がそう問いかけてきたのは、ちょうど、武器&防具&装飾屋『Ⅲ』の前を通りかかったからだろう。
ダグくんは、アンナさんとダルの一人息子で、俺に対しては無口で無愛想な子だったが、コナツとはよく仲良くしてくれていたとユキノからもよく聞いていた。
近衛騎士団やギルドが素早く対応したおかげで、既に住民の避難誘導は完了している。やはり店の前まで来ても、人の気配は一切しなかった。
しかしそれでも、大切な友人を心配してしまうコナツの気持ちはよく理解できる。空まで赤く染まり、街に魔物が溢れかえる異常事態なのだから。
コナツの発言に気がついたのか、指パッチンで次々と魔物たちを毒の炎で炙っていたエンビさんが寄ってくる。
「ハルバンの住民たちの一部はギルドで保護しております。アンナさんとダルさんは一般住民ではないので、恐らく外で暴れ回っていますが……ダルくんなら、今もギルドに居るでしょう」
「おう、姉ちゃんと義兄さんならシュウと合流する前に見かけたぜ。返り血浴びて爆笑してたから、そっとしといたけど」
何それ怖い。
エンビさんとレツさんによってもたらされた衝撃の事実に震えつつ、俺は不安そうなコナツに言った。
「分かった。俺の分も確認して――必要ならダグくんやみんなを守ってくれるか、コナツ」
もともと、俺はコナツが再び扉の先に来てくれるとは思っていなかった。
ここまで光魔法や風魔法を駆使して戦ってくれただけで大助かりだったのだ。
せめてこの先は、コナツのしたいようにさせてやりたかった。
微笑みながらそう伝えると、コナツはぱぁっと表情を輝かせる。
「……うんっ!」
『ニャアー、ニャア』(ご主人ごめんね、それなら自分もこの子と一緒に行く。危なっかしくて目が離せないしねぇ)
「うん、頼んだよハルトラ。コナツを守ってくれ」
一所懸命な猫の鳴き声と被せるように、頭の中にハルトラの言葉の意味が直接響いてくる。
それに対しても頷いていると、俺たちの横合いから3匹もの小型ゴブリンが突如として襲ってきたが――それを一瞬にして、強力な風魔法が薙ぎ払った。
リセイナさんだ。
マナの加護を受けた風を生み出す細剣を一度鞘に仕舞うと、彼女は俺に向かっていつものクールな面持ちを向ける。
「門とやらは私では通れないだろうしな。私もリセリマ様を護衛しよう。構わないか?」
「はい、よろしくお願いしますリセイナさん」
「アサクラのことは頼む。それと――約束は覚えているか?」
俺はその言葉に、思わず足を止めて立ち止まった。
――『お前は――死ぬなよ、ナルミ。
もうあの方を……リセリマ様を泣かせるな。私が許さない』
……忘れるはずもない。つい昨日のことだ。
俺はあのとき、リセイナさんに言葉を返すことができなかった。それを彼女は見逃さなかったのだろう。
その話を知らないコナツが、不思議そうな顔で俺とリセイナさんとを見比べる。
「……守れるか、自信はないです」
そう言うと、リセイナさんは無表情のまま僅かに目を眇める。
「でも、守りたいって思ってます。俺も、もう死にたくはないから」
「……そうか」
その目がやがて、ふっと和むように細められた。
「では、行きましょうリセリマ様、ハルトラ」
「うん。……しゅーおにーちゃん」
「ん?」
一度、ハルトラの背中からコナツが降りてくる。
ぴょん、と軽く飛び降りる彼女を、昔のクセで空中で受け止めると、蕩けるようにコナツが笑った。
「必ず、おねーちゃんやみんなと一緒に帰ってきてね」
金色の、糸のような髪の毛が、さらさらと俺の頬や首筋にこぼれてくる。
まるで金色のカーテンが引かれたようだった。俺の視界には、もうコナツの端整な顔立ちばかりがあるだけだ。
そしてコナツ自身の桜色の瞳の中にも、ただ呆然とする俺の姿だけがあった。
かつてエルフの姫巫女と呼ばれ奉られた美しい少女は、内緒話をするように囁く。
「それでね、ぜんぶ終わったら……おにーちゃん。そのときは、コナツと一緒にエルフの国で暮らそう?」
思いがけない言葉に、俺は大きく目を見開く。
「……終わったときのことは、全然考えてなかったけど……」
本当に、何も考えてはいなかった。その余裕がなかったからだ。
血蝶病者を殺すこと。
ユキノと再会すること。アルに協力すること。……アサクラを見つけること。
やるべきことは数多くあり、それらの目的を達成するための道筋は、未だ描けていない。
でもコナツのその申し出をきいた瞬間、頭の中に――ほんの朧げであっても、そんな未来が視えたような気がした。
「――それはすごく、楽しそうだ」
「……えへへ。でしょ?」
うれしげに笑うコナツを再び、ハルトラへと預ける。
くる、とその場で一回転したハルトラにぎゅっと抱きつくように跨がって、コナツが片手を振った。
「じゃあ――行ってらっしゃい、おにーちゃん」
俺はそれに、笑顔で応じる。
「行ってきます」
+ + +
ハルバニア城に続く一本道の前に辿り着いたのは、それから30分後のことだった。
ここに来るまでに、何人かの近衛騎士やギルドの面々とも出会った。
特にアダンさんはハルバニア城に一直線に向かうアサクラを見かけたらしい。やはりアサクラは、門を探してひとりここまでやって来ていたらしかった。
そしてその一本道――広々とした道幅の隅々まで、埋め尽くすほどに様々な魔物が溢れかえっていた。
致し方なく、俺たちは足踏みすることとなった。物陰に隠れて、その様子を密かに観察する。
「先ほどまでのゴブリンやスライムたちとは異なり、オークや小妖精。それに……ドラゴンまで居ますね、興味深い」
蠢く魔物たちの様子を確認し、眼鏡のフレームを煌めかせてエンビさんが言う。
それを聞いたオトくんが肩を竦めた。
「この魔物らが集まってる時点でどういう生態系だ、って感じですけど……どうします、コレ? 突っ込んだらまず何人か死にますよ」
「俺の炎魔法で1匹残らず燃やし尽くしたいところだが……そうすると間違いなく道も燃え尽きるもんなぁ」
隣のレツさんが悩ましげに唸っている。
確かに、以前シュトルで目にしたレツさんの最上級魔法《火炎精霊》――あの大威力なら、目の前の有象無象は悉く灰燼と化すだろう、けど。
やはり彼の言う通り、その場合はハルバニア城に続く唯一の道も消え失せることを考慮しなければならないだろう。そうなると取れる手段は限られてくる。
ハイ、とナガレが挙手する。
ここまで数多くの戦闘を危なげなくこなしてきた彼女だが、さすがに横顔には若干の疲れを滲ませていた。
「わたしが、大鎌をブン回して突撃するので、皆さんはその隙に」
「はい次」
「えぇ……」
そう「せっかくの名案なのに!」みたいなしょぼくれた顔をされても困る。何でこう自己犠牲的なんだこの子は。
ナガレの次に挙手したのはエンビさんだ。
「私が、毒魔法で魔物と皆さんごと弱らせるので、その隙に」
「はい次!」
「えー」
「えー」じゃない。何で通ると思ったんだ。
「はいはーい。みんながぁ、突撃して手足はもげるけど、その度にボクが回復魔法使ってぇ」
ネムノキの提案は恐ろしすぎたので俺はとりあえずスルーすることにした。
「そうですね、僕は……うーん、特に思いつかない」
常識人枠のオトくんが「うーんうーん」と頭を悩ませている。
俺も思わず苦笑いして、「俺もだよ」と頷いた。俺の《反射》は単体にしか効かない魔法だしなぁ。囲まれたらそれで終わりだ。
なんて話し合っていたら、不意に。
ドガアァアッ! と、とんでもない爆発音のようなものが巻き起こった。
「え…………っ?!」
目線の先のフィアトム城が。
より正確に言うならば……俺たちが召喚されたあの礼拝堂の壁が、崩れて。
その壁からは――見覚えのある透明な氷の華が、生え揃っていた。




