183.見破る
フィアトム城に着いて間もない頃、アサクラはリミテッドスキルを手に入れた。
ある日、夢の中で、きれいな外見の女の子に出会ったのだ。それがきっかけだった。
というのも、
「なんか、あなたっていつまでもまともなお願い事を抱いてくれないから、そろそろ待ちくたびれちゃった。だからスキルだけあげるね。じゃあね。それなりに頑張って」
口元の泣きぼくろが色っぽい女の子はこんなことをテキパキと話して去った。
アサクラは一言も口を挟む余裕はなかった。そうして朝目覚めて、変に予感がしてリブカードを眺めたらスキルの表記が増えていたのだ。
いわゆる「目覚まし時計」的な機能を果たす"目覚時計"というスキルを(名前もそのまんまだし)覚えたアサクラは、当然その力を目覚まし時計として多用しまくった。おかげで朝もそれなりに起きられるようになった。
アカイからは、「目覚まし時計はないでしょ」とジト目で見られてしまったものの……個人的にはわりと便利で良かった。
でも戦闘面ではまるきり役に立たないので、アカイとコウスケに戦ってもらってばっかりで申し訳なかった。
そんな折、大量の魔物に追いかけられる中、コウスケが囮となって死んでしまった。
その数週間後、次はアカイが、見たこともないような魔物からアサクラたちを庇い、殿を務めて命を落とした。
そしてアサクラは独りになった。
+ + +
「…………お前だったんだな、アサクラ」
あくまで淡々と。
感情の一切を殺すように静かに、シュウが言う。
「お前が、最後の血蝶病者だ」
その腕に持った短剣の先は、今や深々と――アサクラの下腹部に背中から突き刺さっている。
そこから勢いよく、赤い染みが広がりつつあった。しかし薄暗さ故に、その赤黒い色を両者ともにはっきりと視認することはなかった。
「…………ナルミ」
力なく、アサクラはその名を呼ぶ。
地面に突き立った巨大な扉が光っていて。
完全なものではないといっても、充分暗闇と呼ぶべき空間の中だからか、痛みもあまりうまく感じられなかった。
が、そんな風に生温く感じていたのもそこまでだ。
「残念だよ」
シュウがそんなことを呟きながら。
手にした短剣を、引いて――その途中になんとグリグリグリグリ、肉を抉るみたいに右に左に小気味良く振ってきたからである。
――人の腹にブッ刺した短剣、捩るみたいに回すかフツー!?
文句言ってやりたい! 一言だけでいいから!
しかしもちろんそんな余裕はなかった。
「ヒギィ!」とか「ウギャア!」みたいなモブっぽい悲鳴を上げてアサクラは後ろに吹っ飛んだ。
その拍子にようやく短剣が抜ける。が、そんなのお構いなしに床をめちゃくちゃにのたうち回った。何と言っても痛すぎたからだ。
リセイナとの特訓によってそれなりに、痛みへの耐性はついているといっても限度がある。内部からグリグリされるのに真顔で耐えられるわけもなかった。
「いッ……いッッッてェ――よ、アホ! そんなひどいことすることなくない!?!」
状況も忘れて思わず文句を叫ぶと、血と脂と肉でべっとりと彩られた短剣を手に、シュウが眉を寄せる。
「……何でだ? お前が血蝶病者なら当然だろう?」
アサクラの言っていることが、まるで理解できないというような顔で。
「お前がここでひとりでやって来たのは、他の《来訪者》を出し抜こうとしたからだ。最後の舞台に続く扉を発見した直後の、油断した《来訪者》を狙い撃ちにするためにな」
「……それ、おまえがまさにおれにやったことだと思うんだけど?」
だらだらと脂汗をかきつつ、傷を抑えてどうにかアサクラはそれだけ返す。
しかしシュウはにやりと笑った。苦しむアサクラの姿を面白がっている風でもあった。
「そうだよ。まだ血蝶病者が残ってるなら、動くのはこのタイミングだと思ったからな。
大したリミテッドスキルを持ってなくても、この位置なら、さぞ簡単に他の《来訪者》を仕留められるだろう?」
その右手で、くるくる、と器用に汚れた短剣を回転させてみせる。
「でも残念だったな、お前には無理だ。今まで、それなりに役に立ってくれたことには感謝してるけど。……それもここまでだ」
しかしもう片方の手には、手首に至るまで白い包帯が巻かれていた。
身体を起こしたアサクラは、その様子をじっと観察しながら、どうにか立ち上がる。
ばたたっ、とまた大量の血液が散った感覚がある。顔は完全に血の気が失せて青白くなっているだろう。鏡を見ずとも分かる。
それでも、言ってやりたいことがあったから。
アサクラは溜息のような声を振り絞って言い放った。
「いい加減、ナルミのフリするのやめないか? カンロジ」
笑っていた口元が。
途端に引き攣る。シュウがぎこちなく、笑いの名残だけが中途半端に残ってしまった笑顔で、首を傾ける。
「――――――――は?」
アサクラは無言のまま、そんなシュウと対峙する。
しかし我に返ったように、シュウはすぐに作り笑いを浮かべた。
「アサクラ、何を言ってるんだ?」
そんな風に。
まだ小芝居を続けようとする姿が、ふいに、可哀想に思う。
アサクラの知るシュウは、影の多い少年ではあった。ひとりで考え込んで、敢えて苦しい道を通ってしまうような不器用さがあった。
でも目の前の同じ顔は、そんなシュウとも違う。
シュウを模倣しようとして、失敗し続けている。
それなのに自分はうまくやれていると、思い込もうとしている。……ような。
……何だろな。言葉にするのって難しいなー。
それならどうにか、固まっている思考の部分だけでも取りだそうと奮起して、アサクラは口を開く。
「ナルミ――、シュウってさ。役職は暗殺者なんだけど、不意打ちとかできないんだよ」
「……?」
「だってもしも君がおれの知ってるシュウだったら、のんきに扉を眺めるおれに、これまたのんきに話しかけてくるよ。「そうだったんだな、アサクラ」とか言ってさ。ちょっと悲しそうにさ。……そういうヤツなんだ。もう知ってるから、騙されたりしない」
「…………」
怪訝そうな顔に向かって、お返しだ、とばかりににやっと笑ってみせる。
その拍子にまた、腹部の傷が痛んだが、そんなのに構ってはいられない。
「あと、人のスキルを馬鹿にしたりもしない。あいつはおれよりも、おれの願いを大事にしてくれてた」
しかしそれを聞いたシュウは――カンロジは、忌々しげに舌打ちをした。
「……お前の言ってる意味が理解できない。ナルミ・シュウはそういう人間じゃない」
暗がりの中にあっても。
その瞳が鈍く、邪悪に光っているように見える。カンロジは吐き捨てるように続ける。
「同じ人間だ。あいつは僕自身だ、だから誰よりもよく分かってる。
誰にも好かれないし愛されない。必要とされない。だから僕だって、誰のことも好きじゃないし愛さないし必要としない。僕はそうやってずっと生きてきたんだ」
「……まぁ、おれ、難しいことはぜんぜんよくわかってないよ。でも分かることもある」
アサクラは片方の手で、血を流し続ける傷口を抑えながら、もう片方の手で頬を掻いた。
そうしつつも……背後を確認する。背後で未だ静かにオーラを放ち続ける、門の位置を。
「おまえとシュウって、元は同一人物なのかもしれないけど……おれからすると、全然違うよ」
「ハァ?」
薄気味悪そうにカンロジがアサクラを眺める。
その手に握った短剣は、再び胸の前に構えられていた。それでも目を逸らすことなくアサクラは言う。
「シュウはさ、話してみると結構面白いんだ。バカ真面目かと思うとふざけたり、からかってきたり、顔くしゃくしゃにして笑ってたりとかさ。フツーなんだよ、本当は。……それなのに無理して、ずっと頑張ってたんだよな、きっと」
「……随分と肩を持つな」
「持つさ、そりゃ。おれアイツの友だちだもん」
ここに来てハッキリと。
カンロジの側に、動揺が広がった。それをアサクラははっきりと感じ取った。
「!」
その瞬間だった。
アサクラは背後の扉に向かって全力でダッシュした。
「な――」
カンロジが目を剥く。反射的に、アサクラを追おうと足が前に出る。
しかし一歩目が床を踏み出すまさにそのタイミングで、カンロジの額に何かが激突した。
「痛ッ――?」
思わず額を抑えかける。
何かと確認してみれば、小石だった。ポケットにでも潜ませていたのか? だとすれば随分と用意周到で、健気なことだ。
などと嗤っていられたのはそこまでだった。
ようやくカンロジは気がついた。
先ほどまで、目の前で弱っていたはずのアサクラの姿がない。
慌てて探すも、暗く冷たい礼拝堂の中では先がちっとも見通せない。
床の血の跡をたどろうとしても、駄目だった。床に鼻先五センチほど近づかないと見て取れないのだ。しかし犬みたいに這いつくばって探索していたら、それこそ良い的である。
……門の先に逃げられた?
だとしたら、追う――必要はないか。あの傷ならそう長くは保たないはずだ。
カンロジはそう考える。が、胃の中身がどうにもムカムカして治まりそうにない。
「……友だち……?」
アサクラの言葉の意味が、少しも呑み込めない。
ナルミ・シュウにとってそんな関係性の人間が存在するだなんて、認められない。
やはりアサクラを追って仕留めるか、とカンロジは考え始める。この門付近のことはハラに任せておけば、まぁそれなりには働くだろうし。
そう算段していると、思いがけず、
「シュウのフリをしておれを刺したのは、わざとだよね」
そんな声が響いた。
カンロジは声のした方向に向かって力任せに短剣を投げた。
その切っ先が大理石の壁に激突し、キーン、と耳に来る不快な音を立てて落下する。
カンロジは次の短剣を腰の鞘から引き抜きつつ、周囲を警戒する。
扉の先に消えたかと思われたアサクラだが、実際はまだこの場に残っているらしい。
そして死角から、今もカンロジのことを狙っているのだ。
それなら大して動かず同じ場所に留まるのは危険だった。
カンロジは音を立てず走る。やがて壁際に辿り着くと、そこで落ち着きなく周囲を見回した。
暗闇の中では、まず相手の姿を認識した方が有利だ。つまりなるべく、物音は立てないほうがいい。
そんなことも理解していないのか、アサクラはずっと喋り続けている。
「でもその理由って何だろう。だってカンロジさんのままでも良かっただろ? シュウの姿で油断させて、ぶすーっと刺すなら分かるよ。でも君、背後から突然ブッ刺してきたじゃん。それならシュウに変身する必要、ないよな」
うるさい。
すぐにでもカンロジはその口を塞いでやりたかった。
そんな激情でまた、短剣を投げる。声が反響していて相手の居場所も特定できていないのに、感情のままに行動していた。
そんな考えなしの攻撃が当たるはずもない。分かっているのに。ちくしょう……。
どうしても――その先をアサクラに、言わせたくない。
焦り、怒るカンロジに――さらに遠慮なく、アサクラの声が言う。
「もしかして――おれに、シュウを嫌ってほしかった?」
「…………ッ知ったようなことを抜かすな!」
叫び終えるより先に。
肩に、爆発的な熱が宿った。思わずカンロジはその場に蹲る。
「……え……」
ゾッとする。
右肩に突き立っていたのは一本の矢だった。
アサクラの攻撃だ。間違いない。
でも……どうやって?
確かにカンロジは先ほど、つい我慢できずに短剣を無造作に投げて、言葉まで返してしまったが。
もしかして――あの瞬間に居場所を特定して、瞬時に攻撃を繰り出した、のか?
「舐めるな、おれは弓手だ。どんな環境だろうと必ず相手は射止める」
「……うっ……」
意味がないと頭では理解しつつも、うろうろと後ろに引き下がる。
すぐに背中が壁に当たり、その感触にもぎょっとして飛び上がる。
駄目だ。動揺しすぎだ。
大した怪我でもない、気をしっかり持て――そう胸中で言い聞かせるのに、緊張と恐怖がおさまってくれない。
アサクラのことが怖かった。
もはや両親より、クラスメイトより、誰よりも、怖かった。
心の奥底を見透かされるようで。
自分が知らんぷりしたモノを言い当てられるようで、怖ろしかったのだ。
「その上で言おう、カンロジさん。君の推理は半分当たってる。おれはここで、《来訪者》を待ち構えて戦うつもりだった」
「……何……を」
「狙ってたのは君と、ハラに、イシジマ」
それでも容赦なく、暗闇から。
顔を見せない弓手は、はっきりと言い放つ。
「シュウやウッチャン、ユキノちゃんの障害になる君らを、おれがここで倒す。おれが死ぬまでにやり遂げたいことは、それだけだよ」




