180.夢うつつ
冬の空気に溶け、弾む呼吸と。
顎先から滴り落ちる汗が気持ち悪くて。
でもそれを拭うこともできずに、ただ、呆然と、見つめていた。
目線の先。
窓から仄かな月明かりが射し込むだけの、暗闇の中に。
もぞり、と動く白いなにか。白い足だろうと思う。誰の足かなんていうのは……考えるまでもない……結局、分かりきっていて。
その細く、骨張った膝から足首にかけてを、真っ赤な血が伝い落ちていた。
目にした瞬間は、ひどく恐ろしい光景のように思ったはずだったのに。
それなのにそのコントラストは、ようく観察してみれば、目眩を覚えるほど美しかったのだ。まるでこの世のものでは有り得ないみたいに。
だから目が、離せなかった。
「見ないで、ください……」
懇願するように、言う。
乞われずとも、本当は、目を背けたかった。
しかしそれが、そんな簡単なことができなかった。
何故か魅入られたように――否、その逆だったのかもしれないが――瞬きすら忘れて、見つめていた。
呼吸の音がうるさい。
鼓動がせわしない。胸が痛い。緊張する。昂奮する。吐き気がする。絶望……している。
とにかくずっと頭が痛い。ずっとずっとだ。
口元からぞわりぞわりとアルコールの湯気が逆立っていく。頭が痛い! 頭が……割れそうだ。
「兄さん……見ないで……ごめんなさい……、ごめんなさい……」
「おい、シュウ……」
とても見ていられないと思ったのか。
誰か別の人間の手が、無理やり、視界を塞ごうと伸びてくる。
その大きな手の平の、やはり隙間から、目を見開いてそれを見ていた。
「ごめんなさい……許して……兄さん……兄さん…………」
哀れな少女の呼び声。
呪詛のように延々と響く、声。
そうして世界は反転する。
………………
…………
……
……嫌な夢を視た。
いや、ただの夢と呼ぶべきではないのか。
それは過去、実際に、起こった出来事の再現に過ぎないんだから。つまり現実と呼ぶべき類だ。
しかし今の自分にとっては、幻影には違いなかった。
何せ体験したのは遠い昔のことで――その体験の記憶さえ、実際のところ定かではない。
別の人間に生まれ変わった自分にとって、自分自身の過去と果たして言い切れるものか。
……そうだ。
短い悲鳴を上げて、飛び起きる。
しまった。確認が遅れた!
焦燥と不安に身を焼かれる思いを味わいながら、確かめる。
頭の形。髪の長さ。肌触り。鼻の高さ。
眼球の表面の感触。唇の、頬の柔らかさ。顎の骨の角度。
耳たぶの感覚。もみあげの長さ。次はもちろん首から下だ。
すべて、思いつく限りのすべてを確認するまではとてもじゃないが安心しきれない。
足の爪の強度までを確かめてようやく、一度呼吸を挟んで、再び頭の先から確認をやり直す。
徹底しなければ駄目だ。そうでなければ意味がない。現実を確定するのは困難なんだから。しっかりやらなくては、手を抜かずにやらなくては……
――どっちだ?
――〇〇は今、どっちだ? どっちの身体でどっちの脳だ? どっちの……
「…………カンロジ」
そして。
二十数分にも渡る全身の確認を終え、ようやく、結論が口元から飛び出した。
「わたくしは、そう。カンロジ……ユユ……」
目蓋を閉じて、頬の感触をゆっくりとなぞっていく。
ラインは丸みを帯びている。それに小顔だ。吹き出物のひとつもない肌は赤ん坊のそれのよう。
大丈夫。間違いなかった。
だってこの唇から漏れ出る声音だって、女のそれなんだから。
「わたくしは……今はカンロジ。カンロジ、ユユ。わたくしは……」
言い聞かせるように何度も呟きながら、震える身体を抱きしめる。
浅い眠りからの覚醒を繰り返すたびに行っている儀式。
それは、年数にすると約8年にも及ぶ行為である。
――でもそんな日々も、あと数日で終わる。
ようやくだ。ようやく、ここまで来た。
そう思えば、暗い笑みが浮かんで、今度は腹部が痙攣してくるまでずっとひとりで笑い続けるのだった。
+ + +
えー、お集まりいただき、ドウモ。
ここに来て初めて視聴率も100%達成とは、誰も彼も素直だねェ。褒め言葉だ、嘘だけどな。
この前参加者たちにもアナウンスしたことだが、無駄に長かったこのゲームもいよいよ最終局面だ。
つッてもまだ、生き残りがどうも多いんだけどな。そこはどうにも盛り上がりに欠けるよな。
まぁ最終戦で少しは減ることに期待して、発破かけちまった。にはは。
できれば1人……いやいや2人……3人ってのも面白いもんか? まぁそればっかりはアタシには何とも言えん。
ゲームのルール上、複数人が生き残っても文句が言えないってのは辛いもんだ。
もし次があるならサバイバルゲームのがいいかもな。今も似たようなモン? そうか?
自分の推しがとっくに死んだってヤツも多いだろうが。
アタシの与り知らぬところで賭け事も開かれてたらしいし、全体的には盛況だったみたいだな。
……うん、そんなことはどうでもいい。心底どうでもいい。
つーかそもそも、何でこんな生温い挨拶なんかしなくちゃなんねェんだよ。誰得だよ。え? これもいちおう伝統だから? 下らねー……。
考えたヤツ、自分に酔ってんのかな。
それともただイカれてたのか? どうでもいいが一度ムカついたせいで考えちまう。
そういう自分勝手なヤツが他人に迷惑かけんだよなぁ。自覚がないのが怖いんだよ、いつだってな。
校長センセーの話を真面目な顔して聞く学生なんざ1人も居ないだろ?
でも教頭センセーの話だとちょっと真剣に聞いたりするよな。生徒と触れ合う機会もちょっと多かったりするからな。ったく、これだから学生は……ア? 何の話だ、これは。
なんだ、カンペが出てきたな。
『えっと? だいぶグダグダしてきたので巻きでお願いします~?』――奇遇だな、アタシもそうしようと思ってたんだ。
とにかく全員、集合時間と集合場所は忘れないようにしろよ。
遅刻はちょっとなら許すぜ。そう言ったのをアタシが忘れないうちはな。
――おっと、大事なことを忘れてた。
あの、何だっけ。出席……そう、出席番号順の図表。
今さら分かりきってることだとは思うが、一応コイツを改めて出しとこう。
生き残りは数も少なくなってきたことだし、「〇」を頭につけてる。
「△」やら「?」やらもなくなって、だいぶ分かりやすくシンプルな表記になったからな。
視聴サボりまくってさっぱり事態に頭が追いつかないヤツは、ラストチャンスってことでちゃんと目通しておけよ。
ここテストに出るからなー。にっはっは。
――――――――――――――――
×赤井夢子
〇朝倉悠
×新幸助
×石島淳彦
×榎本くるみ
×大石翼
×河村隆弘
〇甘露寺ゆゆ
×児玉徹平
×佐野次郎
×高山瑶太
×竹下瑠架
×土屋佳南
×手島道之
×戸坂直
〇鳴海周
〇鳴海雪姫乃
×丹生田大志
×子日愛
〇合歓木空
〇原健吾
×深谷凛
×穂上明日香
×前野隼人
×松下小吉
〇水谷内流
×米良頂
×望月雄大
×矢ヶ崎千紗
×藁科伊呂波
――――――――――――――――
【残り 7人】
※図表だけだとよく分からないよ? という方は、本放送の15分後から配信予定の「5分でわかる!? 第〇〇〇回デスゲーム」をご覧ください? チャンネルはそのままで?
※名場面集をご希望の方は、DHチャンネルにて30分後より配信の「第〇〇〇回デスゲーム ダイジェスト ~そして、涙と感動の最終章へ~」をご覧ください? オススメは断然こちらですがっ?
第7章「アルファからの来訪者編」完結です。
いつも読んでくださる方、本当にありがとうございます。執筆の励みです。
また、明日更新分から最終章「兄妹の反逆編」に入ります。
引き続きよろしくお願いいたします!




