178.信じられない
「……ひとまず話はここまでにしましょうか」
停止してしまった時間を動かしたのはアルだった。
おそらく黙り込んでしまったナガレを気遣って、アルは話を切り上げようとしたのだろう。
「ハルバニア城の門が開かれるのは約2日後です。明日中にはハルバンに入りたいところですが……本日はとにかく、身体を休めましょう。ドラゴンとの戦いで、みなさんお疲れでしょうしね」
アルが"至高視界"の発動を終える。
そうして俺たちは、過去の再現世界から、フィランノさんの家の一室へと戻ってきた。
先ほどまでは好き放題に深層世界を歩き回っていたのに。
今の俺は、おとなしく寝台に収まった状態だった。
すぐ傍には、ナガレが立っている。寝台の傍にはアサクラとネムノキがそれぞれ座っていた。
"至高視界"の使用中は、現実の時間はほぼ停止しているからだ。
「……ユキノちゃんの姿、もう視えないな」
アサクラが、ネムノキの近くを見てから、きょろきょろと周囲を見回している。
ネムノキは肩を竦める。その両手は何事もなかったように、体育座りする彼の膝裏に添えられていた。
――が、俺の目には捉えられた。ネムノキの真っ白い頭の上に、妖精じみた女の子が座っている。
目が合うと、にこりと笑う。俺は瞬きで応えた。
エクストラスキルの一部を貸し与えられた俺には、再現世界の中でなくとも、どうにかアルの姿は追えるようだ。
そこでコンコン、と軽くドアがノックされた。
目を向けると、開いた扉の先から現れたのはリセイナさんだった。
さすがに部屋に入るには手狭と思ったのか、リセイナさんは扉を開けたまま部屋の外で立ち止まる。
「あれ、姐さん。姐さんはスプーに残ってくれてたんじゃ?」
「そうだ。だがひめみ……ゴホン。リセリマ様がそちらのネムノキ・ソラと会いたがっていてな、呼びに来た」
「ボクっていうか、ボクと一緒にいるアルに、だろうけどねぇ」
リセイナさんが首を傾げる。ネムノキの言葉の意味がよく分からなかったのだろう。
よいしょ、と大人しく腰を上げかけるネムノキに、思わず声を掛けた。
「俺も行こうか?」
ネムノキはほんの一瞬、目を瞠る。
しかしふっと短く笑みを洩らすと、何事もなかったかのように立ち上がった。
「シュウちゃんはまだ、休んでた方がいいよぉ。身体、傷は治ってても本調子じゃないでしょ?」
「それは、まぁ……」
イシジマにやられた傷はそれなりのものだった。
といっても、傷自体はユキノが全て回復させてくれている。
宮殿までついていくくらい、平気だった。しかしそう気遣うようなことを言われては、無理にとは言えなかった。
「アルの言う通り、とにかく今日はみんな休んだほうがいいよぉ」
……でも何となく、俺と長く会話するのを避けているような。
今のネムノキにはどことなく、そんな感じがある。理由はよくわからないけど。
俺は頬を掻いて、ネムノキを連れて去ろうとするリセイナさんを呼び止めた。
「リセイナさん、ひとつ訊いてもいいですか?」
「何だ?」
「エルフの「扉」を使って、ハルバニア城に降り立つことはできるんでしょうか?」
答えは彼女らしく、即答だった。
「無理だ」
「……そうですか」
「そう落ち込むな。ハルバニア城は無理というだけだ」
「え? それって」
「人間側の大陸に細かく座標を固定するには、扉を使う本人がその場に一度赴く必要がある。私の場合は、ハルバニア城には入ったことはないが――城下街ハルバンへの道なら問題なく繋げるぞ」
「姐さんさすが!」
ひゅう、とアサクラが口笛を吹く。
俺としても拝みたいような気持ちだった。移動の時間を省略できるのは、2日後のことを考えるとかなり有利だ。
カンロジたちが飛竜に乗ってスプー上空から去ったのは、既に昨日のことである。もう既にハルバン入りしているとしたら、俺たちはかなり後れを取っていることになるし。
「うわぁ、よくわかんないけど「扉」って本当に便利なんだねぇ。道程が省けるのは助かるなぁ」
「まぁな。それで、ネムノキ・ソラ。私についてきてもらえるか?」
「それはもちろん。じゃあシュウちゃん、またねぇ」
ばいばいー、と軽く手を振ってネムノキが部屋を出て行く。
それを素直に見送りかけた俺だが、部屋を出る際、ちらっと――リセイナさんが振り向いて、目線を送ってきた。
そんな風に見えた。
「!」
慌てて起き上がる。
「ん? ナルミ、どうした?」
アサクラが首を傾げる。えっと、と俺は言い淀みかけたが、
「ちょっと手洗い!」
適当な言い訳をして、そのまま寝台から起き上がると部屋を出た。
扉を閉めて廊下に出てみれば、やはりというべきか、リセイナさんは部屋の前、壁際に背を預けて俺を待っていた。
鋭い目つきで眺められる。俺はその周囲に人の姿がないことに気がついた。
「リセイナさん。ネムノキは?」
「先に行かせた。フィンがついているから問題ない。……おまえたちに掛けた変化の術、既に解けているみたいだな」
「え? ああ……」
そういえば、ナガレの髪の色もいつも通りだった。
イシジマとの決闘で負った傷を治してくれたユキノも黒い長髪に戻っていたし。俺の謎赤メッシュも今は元の茶髪に戻っているんだろう。
何か話したいことがあるんですか。
そう俺は単刀直入に訊こうとしたのだが、リセイナさんのほうがずっと素早かった。
「……ホガミ・アスカは、死んだか」
息を呑む。
アサクラとナガレが俺を運んでくれて、スプーからエルフの国に戻ってくるとき。
俺たちと共にホガミの姿がなかった時点で、もう、リセイナさんはその事実に気づいていたのだろう。
窓の外から射し込む柔らかな日の光を受けてなお、その整った表情は暗く、固いものだった。
思えばリセイナさんは、ずっとホガミのことを気に掛けていた。案じていた、と言い換えたほうが正しいだろうか。
自他共に厳しいリセイナさんのその態度は、ホガミにとっては鬱陶しかったのかもしれない。表面上は、ただ反発し合っているようでもあったけど……。
だからこそ、誤魔化すわけにはいかなかった。
「――はい。マエノに駆け寄ろうとしたところを、カンロジに殺されました」
「……そうか」
責められても文句は言えなかった。
俺がドラゴンを倒す作戦を決行する隙を突いて、カンロジはホガミを殺したのだ。
しかしリセイナさんは静かに頷き、それから俯く俺の肩をぽん、と軽く叩いた。
顔を上げる。
「お前は――死ぬなよ、ナルミ」
肩に置かれた手に、強い力が篭もる。
低い声音でリセイナさんが囁くように言う。
「もうあの方を……リセリマ様を泣かせるな。私が許さない」
「…………」
力強く、頷きたかった。
胸を張って、前を向いて。
でも俺はそうすることができなかった。
震える拳を握って、唇を噛み締める。
自分が生き残る未来を、俺は約束することができなかった。
+ + +
部屋に引き返すとすぐ、アサクラが訊いてきた。
「ナルミ、どうする? 本当にあの子に協力するのか?」
あの子、というのはアルのことだろう。
再び寝台に戻るのもどうかと思って、それを背にして座り込む。
ナガレとは触れられるほどすぐ隣の位置だ。しかし彼女は身動ぎひとつもしなかった。
「……アルの目的には、協力したいと思ってる。方法はわからないけど彼女が神々を殺すなら、この下らないゲームだって終わるはずだ。
でも、何もかも信用してるわけじゃない。アルは結局、自分自身の過去はほとんど話さなかった」
「……確かにな。ネムノキの過去は視せてくれたけど」
俺たちが持っている情報は限られている。
この状況下で、無条件にアルのことを信用して力を貸すのはあまりに無謀だった。
ハルバニア城に向かうのは決定事項だとしても、アルや――そしてカンロジやホレイさんの動きから、目を離すわけにはいかなかった。
それに、ユキノだ。ユキノは今どこで何をしているのか?
アルは2年間、ユキノに自分の記憶を流し込んだ目的を、ユキノに「二つの決断」をさせるためだと言ったが……ユキノが姿を消したのは、そのことに関係しているんだろうか?
「しっかし、こことはまた違う、別の世界線があるなんてな。夢みたいな話だな」
うまく思考がまとまらず悶々としていると、驚くほど明るく爽やかな口調でアサクラが言った。
俺は一瞬、きょとんとして、同じく床にあぐらを掻いているアサクラを見遣る。
「……アサクラは、ショックじゃないのか?」
質問の意味がよくわからなかったのか、アサクラは「んん?」と首を傾げて――それから顔いっぱいで笑ってみせた。




