176.運命共同体
その後アルは、俺たちにいくつかの有益な知識を披露した。
まず、ハルバニア城は攻略困難なダンジョンに成り果てているだろう、ということ。
これはアルファ世界の決戦場であったフィアトム城も、魔物の溢れる危険な場所になっていたから間違いないだろう、とのことだった。
つまりあの女神さまは、既に8人に減った《来訪者》を、ここでふるいにかけるつもりなのだ。
数多くの魔物による妨害に、別の《来訪者》による攻撃。これを耐え抜いて最奥に辿り着かなければ、女神と対面することはできないのだという。
「私はまず、そこに辿り着くのが目的となります」
とアルは言った。神々を殺すことを目標とする彼女にとっては、まず突破すべき関門といったところか。
「あなたはどうしますか、ナルミ・シュウ」
「……俺は」
ナガレとアサクラが俺を見る。
注目されながらも、俺はずっと考えていた言葉をそのまま素直に口元から吐き出した。
「できる限り、協力するよ。君の目的に」
「……本当ですか」
アルは大きく目を見開いていた。演技ではなく、実際に驚いている様子だ。
先ほど、俺は彼女を挑発するような物言いをしたので、その反応も当然なのかもしれない。
「でも、どうして?」と眉を寄せるアルに、俺は答える。
「どちらにせよ、ハルバニア城には向かわないと。このゲームを終わらせないと、俺たちの安全は無いんだから」
「…………」
「それに――血蝶病者は、まだ1人居る」
「え?」
ネムノキが目を瞠る。俺は小さく頷いた。
「ホガミは血蝶病のフリをしてただけだった。居るはずなんだ、もう1人。女神は狼役を15人だと明言したんだから」
「……そうだったんだぁ。でも……もう死んでる可能性のほうが、高いんじゃない?」
それは俺も考えた。
しかし予感が告げている。そんな気楽な事態は有り得ない。
「そうかもしれない。でも、まだ生きてる気がするんだ。……ただの勘だけどさ」
首の後ろに手を回して適当に言いながらも、警戒心は怠らない。
そいつはまだ、残った8人の中に潜んでいるはずだ。
魔物化の時に怯えながらも、俺たちを――俺を殺す機会を、虎視眈々と窺っているはずなのだ。
「イシジマ、はないと思うけど……ハラか、カンロジか。それに」
……ユキノ。
イシジマに手酷くやられた俺を回復させたあと、ユキノは何処かに姿を消してしまった。何も理由を告げず、ひとりで。
その理由はなるべく、考えたくはなかった。たったひとつしかそれらしい可能性が思いつかなかったからだ。
でも、口を開く。
「もしかしたらユキノが、血蝶病者かもしれない」
「そんな……」
愕然と、ナガレが呟く。
しかしアルは冷静な面持ちで、「そうですね」と首肯する。
「実際に、以前、神々による定例会議の際に――主催者が言っていました。ナルミ・ユキノを血蝶病にするか、と」
「……!」
その言葉を聞いた途端、背筋に悪寒が走る。
きっとその場に居た全員の感情を代弁したのは、アサクラの呻くような叫び声だった。
「簡単に、そんなの……病気にさせるとかさせないとか、できるのかよ……!?」
ガッ! ときつく、アサクラの足元が音を鳴らす。床に踵を激しくぶつけたのだ。
たぶん地団駄を踏もうとしたのだろう。思う合間にも、アルが応じる。
「……残念ながらできます。あの病は、ゲームを盛り上げるためのスパイスとして神々が用意したものですから」
スパイス。
その単語に、つい、口端から乾いた笑みが零れた。
ナガレが心配そうに視界の端で俺を見つめているが、止まらない。
――トザカは。
あの丸眼鏡をかけた、小柄な女の子は、ずっとその病気に怯えていた。
怯えた末に、自分が死ぬしかない、という最悪の解決方法しか選べなかった。いや、選ばせてもらえなかったのだ。
それが、ただのスパイスだという。視聴者を楽しませて、盛り上げるためだけの。
――『優しさは、今のうちにできるだけ捨てるべきだね。少なくとももう元クラスメイトには向けない方がいい。大切なものを失ってからじゃ……遅すぎる』
……そう言ったよな、トザカ。
君の言う通り、俺は必死に剣を振って、戦ってきたつもりだ。
そして――彼女のことを考える俺の隣には、いま、別の女の子の姿がある。
ナガレ。
親友を殺してしまった罪悪感から、誰も殺せなくなった女の子。
それでも追い詰められた俺を救うために駆けつけて、身を挺して庇ってくれた。
それからもずっと、寄り添ってくれた。この子を泣かせたくなくて、俺はここまで来られた。
大切なものを失ってからじゃ、遅い。
そう最期のとき、トザカは血反吐を吐きながら呟いた。
だから、と俺は思う。
だったら、大切なものを失わないために、俺にはまだやるべきことが残されている。
「協力するよ、アル」
先ほどよりもずっと強い言葉で。
そう宣言すると、次は弾かれたようにアルは顔を上げた。
俺の妹をより幼く象ったほんの小さな少女は、僅かに瞳を潤ませ、囁くような声音で言った。
「…………心強い、です。兄さんの助力は、本当に」
「大したことはできないよ。俺には、攻撃系のスキルがないから」
「でも、私のエクストラスキルがあります」
百万力ですよ、とにこりとアルが微笑む。
その顔はユキノを彷彿とさせるものだった。こうして得意げに笑う彼女の顔は、いつも揺るぎない輝きを放つのだ。
「"至高視界"のことか。そういえば……その一部を俺に貸し与えたのは、どうして?」
答えをはぐらかされるかもと思ったが、存外素直にアルが答える。
「一言で言うなら保険、です。私が心半ばで消滅したときのための」
しかしその言葉は、軽く受け止められるような代物ではなかった。
沈黙する俺に構わず、アルは何気なく続ける。
「どんな事態になっても、誰かがこの力を受け継いでくれればきっと、未来は切り開けるはずです。そうでしょう?」
「……俺が協力を申し出るって、予想してたってこと?」
「さあ。すべては神のみぞ知る、ですから」
そうしてアルが、仄かに微笑む。
満足げではある。それでいて、寂しそうでもあるその表情に、俺はひとつの可能性に思い当たった。
アルはその役目をもともと、俺じゃなくて――ネムノキに任せる気だったんじゃないか?
信頼できる相手――すなわち運命共同体とも呼ぶべき相手にこそ、この特別なスキルは、共有すべきものだったはずだ。
でも、彼はリミテッドスキルを失い最後の舞台であるハルバニア城に入れなくなってしまった。
つまりその時点で、ネムノキには頼みようのないこととなってしまう。そこで俺の出番だったというわけだ。
ウエーシア霊山にやって来た俺にスキルを預けたのは、そのためで。
俺は彼女の作戦を、既に邪魔してしまっているのかもしれない。そう思うと少し気が引けた。
俺の思考にはまったく気づく様子もなく、アルを両手に抱えたままのネムノキは、目が合うとにこにこと機嫌良さそうに笑っている。
肩を竦めて、それに応じる。ようやく何か話しかけてみようと思ったが、その前にアルが言葉の続きを口にした。
「――というのももちろん、理由のひとつではありますが。でもあなたにスキルを与えたのには、別の理由があります」
「別の……理由?」
絵本を読み聞かせるような柔らかな口調で、アルが語り出した。
「夢の中でずっと、きれいな金髪の女の子とお話をしていたのです」




