173.小さなユキノ
「…………えっとぉ、大体こんな感じかなぁ? シュウちゃんたちに伝えておくべきことは」
振り返ったネムノキの周囲では、今も、彼とアルファ世界のユキノ――アルが辿った旅路が再現されている。
それはエクストラスキル"至高視界"によって再生された、ネムノキの過去そのものだ。
俺とナガレ、アサクラは近くに固まって、全方位に展開されるその光景をしばし見つめていた。
いろいろと――俺からもツッコんでおくべきことはある気がしたが、しかし軽い気持ちで触れない方がいいような気もする。
うん、触れないでおこう。と決めるものの、そんな俺の心境を察するわけもないアサクラが二の腕を組み、でかい声で言い放つ。
「なんか…………………………スゴかったな!」
身も蓋もない感想をアサクラが洩らすと、「えへへぇ」とネムノキが頬を緩める。いや、褒めてないぞ。
するとアサクラに向けて、ネムノキの両手の上にちょこんと座った女の子がてきぱきと話しかけた。
「お気持ち、よくわかります。私もネムノキくんと共に旅をして、圧倒されっぱなしでしたから」
「いや、おれはネムノキだけじゃなくて君にも圧倒されたんだけど……」
彼女が「え?」とばかりに笑顔のまま首の角度を傾けると、「ナンデモナイデス」とアサクラがぎこちなく首を振る。
俺はその女の子を――厳密には俺の顔見知りではない別世界の妹を、ぼんやりと見遣った。
――小さな、本当に小さな、手の平サイズのユキノ。
ネムノキの過去再現に登場した5歳児くらいのユキノよりも、ずっと小さい。そもそも親指姫くらいのサイズなのだ。
童話に登場するこびとか妖精のように可憐で、あどけない姿だった。でも長い黒髪にくるまるようにして微笑むその子が、ユキノであることには疑いはなかった。
ネムノキの過去に登場したユキノ――もといアルと明らかに異なるのは、目の前の少女には、しっかりと実体があるということだ。
それもスキル"至高視界"の力でどうにか認識できる程度で、背景も透けて見えるくらいだったが。
今はアル自身がそのスキルを行使しているために、俺だけではなく、ネムノキ・ナガレ・アサクラにも、彼女の姿はぼんやりとだが視えているようだ。
ユキノと同じ顔の彼女。
神々の末席に加えられてしまった――前回のゲームの勝利者。
その存在への、言葉にできない多くの困惑もあって見つめていると、アルは頬をほんのり赤くしてもじもじした。
「……えっと。そんなに兄さんに見つめられると、私、照れちゃいます」
「あ、ごめ――」
「なにカマトトぶってんのアル。実体でシュウちゃんに会いたいがためにもうひとりの自分を吸収したのに」
「えっ」
……吸収?
それっていったいどういう?
唖然とする俺だったが、アルはネムノキを横顔で振り返って、その頬をぷぅと風船のように膨らませる。
「人聞きの悪いことを言わないでくださいネムノキくん。吸収ではないです、合意の上での合体です」
「だいたい同じようなもんでしょ。吸収合体でしょ」
「雑な扱いはやめてもらえますか!?」
「アルがかわいこぶるのが悪いんじゃん!」
「あなたこそ、兄さんを前にしたらなんか急に私に冷たい! 裏切り者! ひとりだけ得点を上げようたってそうはいきませんから!」
「あーあーもう嫌だなぁ小姑じみてて。足の引っ張り合いはごめんなんだけどー?」
「何だと白髪頭!」
「うっさいチビッ子~!」
ふたりはお互い矢継ぎ早に言葉を繰り出しては、ギャーギャー激しく言い合っている。
俺たちはその様を、ぽかんと眺めるしかできなかった。ナガレは呆気にとられて、ふたりの間で視線を彷徨わせてばかりだ。
アサクラはといえば何と、こんな状況にもかかわらずうたた寝していた。相変わらずチャンスがあればすぐ眠りに行くなコイツ。
「どうしよう……止めたほうが……?」
ナガレが困った顔を向けてくる。俺は控えめに首を振った。ゼッタイにムリ。というか、やめといたほうがいい。
しかしふたりとも、それぞれあまりに整った容姿をしているせいか、目の前で展開する口喧嘩にはまったく迫力がない。
それどころか、明らかに口論に慣れていないからだろう、お互い『ぜえぜえ』とか言い出しちゃってる様子は、いっそ一枚の絵になりそうな微笑ましさだ。
でも――待てよ。
俺の勘が……普段はほぼ冴え渡ることのない勘が、訴えている。
もしかすると、このふたり――ネムノキとアルって――まさか――
「もしかして二人って付き合っ「「同志でライバルなだけ(です)!」」
同時に振り返ったふたりが、それも同時に言い放つ。
俺は思わず、ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返してしまった。
「……そう、か。そうなのか?」
「そうです」
「そうだよぉ」
「そ……っか」
見事に息がぴったりだ。
否定されたものの、でもやっぱり仲はめちゃくちゃ良いんだなぁ、となんだか感慨深い気持ちになってくる。
ユキノ(アルファ)に、こんな風に親しい異性ができるとは……。安心したような、少し寂しいような。
だけど間違いなく良いことだ。然るべきときが来たら、俺はただ、ふたりのことを祝福しなければ……。
「……今なにか、現在進行形でとんでもない誤解を受けてしまっている気がするのですが、それはそれとして」
こほん、とアルが咳払いする。
「吸収合体、の件については私からご説明いたします。シュトルから、ネムノキくんとずっと一緒に行動していた私には、本来実体化するほどの力はありませんでした。
他の神々に悟られないようあまりに小さく分裂しているので、一体一体が持つ力もごく僅かなものなのです」
それは彼女自身が何度かネムノキに伝えていたことだった。俺は頷く。
「でもこの私は、もうひとり、別の私と合流して彼女を取り込んだのです。その結果こうして、だいぶちっちゃいですけど……兄さんが頑張ってくれれば認識してもらえる程度には、微少な存在感を拡張できました」
えへん、と自慢げに胸を張る。俺の知るユキノとは、やはり言動や仕草は所々違っていて、なんとも不思議な心持ちになる。
俺はアルの話を聞き入れつつ、先ほどから朧げに考えていたことを問うた。
「じゃあ、ウエーシア霊山で俺にエクストラスキルを貸してくれた、声の主は――やっぱり、君の……?」
「そうです、兄さん。正しくは、私が吸収した私、ですね。……紛らわしいかと思いますのでそっちは個体名アルA、とでもお呼びください」
「え? ああ、うん。わかった」
急な申し出だったがとりあえず頷いておく。
何というかこのユキノ……アルは、さっぱりしている。ここに至るまで苦労も多かったはずなのに、あっけからんとしているのだ。
少し調子が狂うが、そんな妹の姿はなんだか新鮮でもあった。
――改めて、アルの話を整理してみる。
エクストラスキル"至高視界"を持っていた、あの謎の声の主。その正体は、あのとき名乗っていたように「アル」――アルAだった。
あのときはその正体も目的も、分からずじまいだったが……俺を気遣うような発言をしていたのは、そのためだったんだろう。
それに何故かわけもなく、俺もその声が唱える言葉を信じてしまっていたのは、そこに宿るユキノの気配を僅かでも感じ取っていたからなのかもしれない。
「アルAと合流したのはつい最近です。兄さんたちがドラゴンと戦う中、ベータ世界のユキノにくっついたままだったので、そこで回収しました」
「それは、霊山にいた頃からずっとくっついてたってこと?」
「はい。アルAは2年前、フィアトム城でユキノに張りついて、一緒に扉を渡ったのです。その結果2年間、ユキノと共にいた」
そうだ。
既に吸収されたというアルAがやったことは、俺にスキルの一部を貸し与えたことだけじゃない。
声だけの本人が言っていたことだった。
《私の記憶のごく一部を、流し込みました。でも心配しないで、しばらくすれば目覚めるはず》
《この2年をかけて私が記憶を流し込む間、ハルトラがずっと、傍について彼女を守っていましたから》
自分自身の記憶を眠るユキノに流し込んだ、とアルAは言っていた。
その記憶というのは――何を指すんだ?
「……アルAがユキノに流し込んだ記憶は、俺たちが見たものと同じものか?」
俺がそう訊いたのは、ネムノキと過ごした時間を、単純にアルの視点から見た記憶だったのではないかと考えたからだ。
しかし首は左右に振られる。それからアルは俺ではなく、自分を両手に抱えたままのネムノキを振り仰いだ。
「そのあたり、もう1度ちゃんと説明したほうが良いでしょうか?」
「……だねぇ」
ネムノキが間延びした口調で肯定する。
その途端、周りの景色が一瞬で切り替わった。




