170.そうだ、シュウちゃんに会おう
待ち合わせの時間少し前に、アルを連れて港に行って。
フィアトム行きの船に乗る直前のこと。ちょこっとだけ、衝撃的な出来事があった。
乗船料金を支払おうとしたとき、ミズヤウチさんが一文無しであることが発覚した。
「…………え? 何で?」
とアカイさんあたりがぽかんとした顔で言った。
港に集合した顔ぶれは先ほどと相違ないものの、服装はすっかり変わっている。それぞれ衣裳屋で取りそろえてきたのだろう。
腰に剣を挿している人も少なくない。ボクはといえば回復魔法に特化しているのもあり、全長40センチほどの小振りの杖を買っていた。
ひとりだけ、なぜか未だ制服姿のミズヤウチさんは涙目で、「あう……」と言葉にならない吐息を零している。あ、とアラタが気がついた。
「それ――指につけてるの、魔法武器?」
「!」
指摘を受けたミズヤウチさんは、右手の小指を抑えつつこくこく頷く。
ああ、とボクもそれで合点がいった。武器屋で売っていたそれは、普段はアクセサリーの形状をしているんだけど、いざ戦闘時には一瞬で武器の形に切り替わって戦える優れものだ。
ただ、かなり値段は張っていてとても手は出せなかった。どうやらそれをミズヤウチさんは購入したらしい。
「……確かその武器、100000コールだったよな?」
腕を組んでアサクラが問うと、「うん」とミズヤウチさんは小声で答える。
「王様にもらった援助金も、100000コールだったよな?」
同様に、返事は「うん」だった。……なるほどな。
ボクは少々呆れていたが、泣き出しそうに俯いているミズヤウチさんを責め立てることはできなかった。
「……彼女、ミズヤウチさん。決断が苦手で、ご友人のフカタニさんがよく助けていました。武器屋でもたぶん、素直に財布の中身を口にして店主に言われるがままにお買い物しちゃったんでしょうね」
アルもそんなことを呟いている。
大切な友人が血蝶病なんていう病気に罹って、離ればなれになってしまった。それだけでも彼女は気が滅入っているのだろう。
だから武器以外の、装備やアイテムや食料とか、そういうものにも気が回らなかったのだ。友人というものの重要さを痛感しているボクだから、その気持ちは痛いほど分かる。
気の強いアカイさんはそれでも何か言いたげにしていたし、ワラシナさんも若干不満そうではあったのだが。
結局その場は、イシジマ以外の7人でお金を出し合い、ミズヤウチさん分の船のチケットを買ったのだった。まあ、大した出費じゃないしねぇ。
+ + +
それからも、ボクのシュウちゃんに会いたい欲は日に日に勢いを増していた。もはや留まるところを知らなかった。
転校してきてからの2年間、ほぼシュウちゃんと話すことはできなかったものの、美術室に登校するたびに窓の外のシュウちゃんの様子を眺めていた。
そう、ボクが学校に行くのは、うちのクラスに体育の授業があるときだけだった。制服姿もいいが、シュウちゃんの体操服姿はまた格別なのである。
しかし今やそういうわけにはいかない。異世界には体育の時間が存在しないのだ。
彼の顔を再び見るためには、この広々とした世界で、ボクの力で彼を見つけ出さなければならない。
たくさん枝分かれできるアルだが、他の神による監視の目があるらしく、今はそう分裂できるチャンスもないそうだ。ボクの目には見えないその姿も、同じ立場につく存在たちには感知されてしまうから。
そんな静かな不安と共に、フィアトム城にやって来てから、ボクらの行動はある程度制限されるようになってしまった。
姿を見せなかったものの、ハルバニア城で見かけたあのラングリュート王は王都に戻ってきているらしく指示があったのだ。
血蝶病者から自分を守るように。そして、必要であれば血蝶病者は殺害するように。
その代わり、王の意向を持って貴殿らをこの城に迎え入れ保護する。……みたいな書面を、代理だという偉そうなおじさんが読んでいた。要するに、ボディガードというわけだ。
城に到着した時点で入念に検査を受けたし、あの王様はよっぽど血蝶病者が怖いのだろう。
結局、他に行き場もないしという話になって、ヤガサキさん・ワラシナさん・アラタ・アサクラ・アカイさん・ミズヤウチさん・ハラ――それにボクは、フィアトム城に客人兼護衛として留まることとなった。
その場を去ったのはイシジマだけだった。どうにも彼は人の言うことを素直に聞くのが気に食わないらしい。そもそもフィアトムまでついてきた時点で少し驚きだった。カンロジさんの存在が、少しイシジマにも影響してたんだろうか?
そして予想通りというべきなのか、血蝶病者の多くはボクらを追ってフィアトムまでやって来た。
そこからは毎日、大小様々な戦闘がフィアトム周辺で勃発した。
ネノヒさんは、魔物と何らかのコンタクトが取れるスキルを覚えているらしい。
アルの話でも間違いなかったし、こちらの世界でも同じような効果のスキルを持っているようだ。そのせいでフィアトムの街は壊され、住民は混乱し逃げ惑う結果となった。サイアクの光景だった。
しかもお互い、人数が拮抗しているせいで致命傷を与えられない。消耗戦になればこっちが有利だから、ボクらは無理に逃げる彼らを追う必要もなかった。王様の命令を聞くボクらは、どんなに戦が長引いても武器を延々と補充することができるのだ。
でも、日に日に会話が少なくなって、誰の顔からも笑顔が失われたのも――また、事実だった。
誰にも、余裕がないのだ。いつ城を攻められるのか。自分は、仲間は殺されるのか?
そんなことばかり思考していれば沈鬱になるのも無理はない。しかしアルにそう言ってみても、
「大丈夫です、ネムノキくん。この城に集まったメンバー、とても良質ですし……ネムノキくんの判断は正しいです」
と、以前にも言っていたようなことを繰り返すばかりだった。
ボクに比べると、アルの考え方はだいぶ脳天気なのだ。いや、ボクももともと、他に類を見ないくらいの脳天気だったと思うんだけど……異世界に召喚されてからは焦燥は増していくばかりだった。
また、ボクはその後発生した出来事に、壮絶なショックを受けた。
「私も、覚えました! リミテッドスキル!」
フィアトム城での生活が3週間を過ぎた頃、ワラシナさんが今まで見たこともないような笑顔でそう宣言した。
おお、と歓声が上がる。ボクらの中で、スキルに目覚めていないのはワラシナさんとアラタだけだった。本人たちもかなり不安そうにしていたので、そういう意味でも良いニュースには違いない。
「スキル名は"天命転回"。どうやら、血蝶病者に関連する事象を予知する魔法のようです」
でもスキルの内容を聞いて、ボクの頭からはすっかり喜びは抜け落ちた。
「すごく、すごくうれしいです! これで私も、チサの役に立てる……!」
普段は大人しめのワラシナさんが、今は飛び上がらんばかりに喜んでいる。
その隣でヤガサキさんはにこにこ笑っていた。先日の戦いで彼女は数日間戻ってこないままで、やられてしまったかと思っていた頃、ボロボロの身体で生還したのだ。
それからというものの、ワラシナさんはヤガサキさんに対して以前にも増して献身的になった。崇拝していると言い換えてもいいかもしれない。弱ったワラシナさんの目には、ヤガサキさんは奇跡の生還を遂げた人物として映ったのだろう。
周りのみんなも、喜んでいる。なにせワラシナさんの能力は敵の情報の予知だ。
どの程度の精度かはまだ分からないが、防衛一方のボクらだったが、これなら相手より優位に勝てる。そういう期待や希望が、周囲の瞳にはありありと反映されていた。
が、ボク個人としてワラシナさんのスキルへの感想は、
――ひどいな。
だった。それ以外には、何も浮かんでこない。
だってこんなのは、あんまりだ。そうじゃないか?
「ひどいですね」
そう思っていたら、アルも同じことを呟いた。ボクは小さく頷く。
前に、アルは、ボクのスキルのことを手放しに褒めてくれたけれど……。
でも、リミテッドスキルが芽生える仕組みを知った今なら、ワラシナさんのスキルがどれほど残酷なものかがよく分かる。
今までワラシナさんがスキルを習得していなかったのは、彼女を推しとして選択した神と、彼女自身の相性が悪かったからだろう。
その神はつまり、自分と相性の良い願望をワラシナさんが抱くのを今か今かと手ぐすね引いて待ち構えていたのだ。
ではワラシナさんの願いとは何なのか? ――そんなのは、彼女のスキルの内容から推察すれば可能性は絞られる。
直接的な攻撃系スキルではない。未来を予知し、危機を回避することに特化したスキルと言えよう。
そこから考えられる願いは、「血蝶病者を倒したい」あるいは「血蝶病者から身を守りたい」。
もしくは、より、ワラシナさんの性格や言動に照らし合わせるなら――「親友のヤガサキさんの、役に立ちたい」。もっとシンプルに言うなら……「誰かの役に立ちたい」、だ。
こんなの、虫酸が走らないわけがない。
ワラシナさんの願いは純粋だ。ただ友だちを思って、それを力に変えた。そのはずなのに。
ワラシナさんを推している神は、クラスの半数が陥った血蝶病を脅威に感じている。それに対抗する術を見出そうとしていたに違いない。
そこに、都合良く利用できそうな願いを――それに近いものを、ワラシナさんが抱いた。それをほくそ笑んで好き勝手に、スキルとして昇華させたのだ。
気に食わなかった。同時に、歪んでいるとも思う。
よくあつのけもの、どころの話じゃない。クラスメイトのみんな、ただ抑圧されて食い潰されるだけだ。それなのにその仕組みにすら気づく術がない……。みんなにとって夢のような世界で出逢う神々の存在は、救世主みたいなものなんだから……。
「おめでとうワラシナさん。今後はぜひその力をみんなのために役立ててね」
起伏のない声で喋りながらヤガサキさんが微笑む。ワラシナさんは眼鏡越しの瞳を細め、「はいっ!」と元気に頷いた。
……どこか、奇跡の生還を果たしてから、ヤガサキさんの様子には違和感があった。しかし具体的にどこなのかは分からない。ボクの、気のせいだろうか?
そんなことを考えていたら、急にくるりとヤガサキさんが振り返ってきた。
「そういえば下の街できいたの。かわいい猫と天使を連れた見目麗しい兄妹の冒険者がいるんだって」
唐突とも取れる話題に何人かが首を傾げる。しかしボクはその言葉にぴんと来ていた。
「兄妹っていうからもしかしたらと思ってね」
「ああ……」
ヤガサキさんがそう続けると、アサクラが柏手を打つ。兄妹といえば、そうか、みたいな感じに。
にっこりと、温度のない機械的な微笑と共にヤガサキさんが提案する。
「私たちもがんばって仲間を増やしたいよね。それがナルミくんたちなら力になってくれると思うから誰か探しに行ってみない?」
まさに渡りに舟だった。
「ボクが行ってくる!」
気のない演技もウッカリ忘れ。
意気込んで挙手したのは言うまでもないことだった。




