168.ずれていく現実
あれー……?
と、事態を知ったボクは、しばし困惑してしまった。
何だろう……ユキノちゃんから聞いていたのとは、かなり経緯がズレてるな。
彼女たちが異世界召喚されたときは、血蝶病に罹ったのはユキノちゃんただひとりだったはず。
それも異世界での生活が始まって数ヶ月が経った頃だというから、もう既にクラスの半数が血蝶病を発症した現在の状況とは、大きな差異が生まれている。
でも、それも当然といえば当然なのかな。
主催……運営を担当するのが同じ神々で、その記憶がなくなっていたとしても。
アルファとベータとで育ってきたボクたちも、少しずつ、性格や思考が変わっている。決して何もかもが同一なわけじゃない。
それにそもそも、この世界の住人の人たちだって3年分、年月を経ているのだ。3年前とは個人の考え方や、無論、国の情勢なども変わってきているのだろう。
だとしたら、ボクにとっては不運でもある。
これでは今後、読み切れない場面は増えてくる。
でも失敗は許されないのだ。サイアクの結果として、シュウちゃんが命を落としてしまう可能性があるんだから。
それからは、血蝶病者によってコロシアイのための会議が続く。
病を発症していないボクらは、以前と同じように食堂に集められながらも……ただ俯いて、その会議が終わるのを震えて待つだけの立場へと成り下がった。
誰も騒ぎ立てたり、逃げようとしたりする人はいなかった。そんなことになれば、話し合いを続けるマエノたちの標的になるのは明らかだからだ。
ボクも抵抗はしなかった。目立つ真似は控えるべきだ、という考えもあったし、そもそも勝機がなかった。ボクはスキル関連の魔法も含めて、攻撃魔法を一切覚えていなかったのである。
そして腕っ節もご覧の通り、弱い。体力にもあまり自信はない。早くアルと合流したいのは山々だったが……大人しく、マエノの言うことに従う他なかった。
でもそんな中、ひとりの女の子が立ち上がった。――カンロジ・ユユだ。
彼女は怯える生徒たち一人一人を説得し、ハルバニア城を脱出しようと持ちかけてきたのだ。
ボクもその提案に乗った。こと脱出に関してなら、自分のスキルも役立つだろうと思ったのだ。
カンロジさんは優雅で、おしとやかで。
少し毒のある物言いをすることもあったが、基本的には誰にでも穏やかに接する。そんな女の子だった。
我が強いわけではなく、教室の隅でのんびり微笑んでいるような彼女が、反抗勢力のリーダーへと成り上がったわけだ。
それだけならきっとボクは、「ほへー、すごいなぁ」と雑に感心するくらい、だっただろうけど。
――『カンロジさんは……あのひとは、ただの女の子では、ありません』
脱出作戦を決行する間、ずっと、保健室できいたユキノちゃんの声が脳内に木霊した。
――『だってアルファ世界に、カンロジ・ユユなんて女の子は、いなかった』
その血を吐くような声音を、きつく歪んだ眉の形を、ボクはきっといつまでも忘れないだろう。
――『あの子は……兄さん。アルファ世界で死んだ、私の……兄さんです』
+ + +
それから紆余曲折を経て。
――なーんて表現で済ますのは、どうかとも思うんだけど、まぁその後のことはサラッと紹介しよう。
ボクはカンロジさんや他のクラスメイトに助けられ、無事にハルバニア城を脱出した。
が、立役者であるカンロジさんはシュトルという港町でさっさとどこかに行ってしまった。
取り残されたボクらは揃って顔を見合わせた。しかし、非常に気まずかった。
アサクラやアラタ、それにアカイさんの3人は普段から仲良くしているし、ヤガサキさんとワラシナさんも友人同士。イシジマとハラも、仲が良いのかは微妙だが、いつもつるんでいる関係だ。
その中で、ボクとミズヤウチさんはかなり浮いていた。ボクはほとんど教室に顔を見せなかったし、ミズヤウチさんは――血蝶病者であるフカタニさんと仲が良い。
彼女の表情はそのせいか、いつにも増して暗く沈鬱だ。何となく、輪とも歪な五角形ともいえない形で向かい合うボクらの中で、身を縮ませて居心地悪そうにしている。
「えっとぉ、顔色悪いけど……大丈夫?」
「あ、ううん……」
慣れない声かけを行ったところ、この返事だった。逆に無理をさせてしまった感じで申し訳ない。
「――おい、どうすんだよ?」
乱暴者のイシジマが舌打ちをする。誰に言ったというわけでもないだろうが、ワラシナさんの細い肩がびくっと過剰なまでに震えた。もともとイシジマはクラスの女子にはひどく嫌われているのだ。
ヤガサキさんが庇うようにして前に出る。しかし口を小さく開いては、何も言えずぎこちなく閉じるだけだった。もともとイシジマに対して真っ向から言い返せるような生徒は、この中には残っていない。
――正直、いまのボクらは烏合の衆に過ぎなかった。カンロジさんが居ない以上は。
彼女が、今まで教室内では見せたこともない強烈なリーダーシップを発揮し、ボクらをここまで導いてきた。
そうでなければ、フィアトム城からの脱出も、ザウハク洞窟での籠城も、そしてシュトルへの逃亡も、一つとして成功しなかっただろう。
しかし「どうすんだよ」などと、間違ってもイシジマに説教される立場でもない。
実際ボク的には特にイシジマのことは怖くも何ともなかったので、さらりと言ってみることにした。
「現状に文句があるなら自分で決めて、動き出せばいいんじゃない?」
「ア……?」
このカマ野郎、とでも思ってるんだろうなぁ。若いね、顔に出てるよアホジマクン。
「だってもう、晴れて自由の身なわけだしぃ。カンロジさんのおかげでさ」
「……そうだよな。もう、血蝶病のやつらに怯えなくて済む」
ぼそり、とボクの正面に立つアラタが呟く。
しかしその楽観的な言葉に、アラタの左隣に立つアカイが厳しい顔で首を振った。
「そうじゃないわよ、アラタ。これからアイツらきっと、ナルミを殺しても満足しないであたしたちを見境なしに追ってくる。魔物化ってそういうことなんでしょ?」
……考え方としては間違ってるわけじゃないんだけど、シュウちゃんが殺される前提で話してるのはムカッとくるなぁ。
という感情で見遣っていると、何か勘違いされたのか「そうよね?」とアカイが確認してきた。
ちょっと慌てて頷く。この子、教室に来るたびよくボクのことを意味もなく睨みつけてたけど、異世界に来て弱気になってるのかな。
「……だと思うよぉ。騎士さんたちが洞窟に押し寄せたとしたって、捕縛しきれないだろうしね」
「でしょ? だから、この街にいるのも危ないわよ。そんなにハルガ……ハルガニア? と離れてないじゃない」
まだ国名を覚えきれていない様子でアカイが小首を傾げる。
アラタを挟んで、反対側のアサクラがうんうん頷いた。
「確かになー。ここ港町っぽいし、船に乗るとか良くない? あとハルガニアじゃなくてハルバニアだぞアカイ」
「うっさいアサクラ死ね」
「死ねはひどい! 親切心で言ったのに!」
「船……」
アサクラの発言は何気ないものだったようだが、ボクはその提案に興味を引かれた。
このシュトルは港町として栄えている土地らしく、先ほどから汽笛の音も何度もきこえてきている。街の中心まで行けば、次々と船が出港していく港の様子も楽しめることだろう。
――船、かぁ。良いかも。
波の動きに身を任せてフラフラ揺れてるの、けっこう好きなんだよね。
波って一言でいっても、その一瞬、一瞬で千差万別だ。風や天候、海面の高さによっても、揺れは異なってくる。同じ波などただの一度も発生しない。
海は大自然のエネルギーの一種だ。最近は夜の出歩きも禁止されていて、致し方なく客室に篭もって絵を描いていたが、どうにもインスピレーションが湧かなかったし。雄大な景色を見ながらスケッチ、いいなぁ……。
「船、いいね」
とかいろいろ考えながら、思わず呟く。
すると誰かが「いいかも」と言った。
それをきっかけにして、矢継ぎ早に思いがけない賛同が返ってくる。
「うん、アリだよね。そう簡単には追ってこられなさそうだし」
「幸い王様にもらった資金も手元にあるしな」
「それなら1番遠くの港に行くほうがいいよね?」
「わ、私、船乗るの初めてです……」
……どうやら船、乗るらしい。




