164.親友・妹・コミュニケーション
周ちゃんは、ボクのことを、憶えていないかもしれない。
その報告を受けて、ショックじゃなかったといえば嘘になる。
自分勝手にも「これは自分への罰なのかも」なんて考えたこともあった。そんなのは本当に、単なる身の程知らずな思い込みなんだけどね。
再会しても、彼は他人を見る冷たい目で、ボクのことを見るかもしれない。
それはボクにとって――耐えがたいことで。だけどどこかで、納得している自分もいた。
「……そっかぁ。そうだよねぇ。キミが受けた印象通りなら、やっぱり周ちゃんには記憶はないんだ」
「……怒ってますか? こんな話をして」
「別にぃ。嘘吐かれた方がよっぽど嫌だよ。いま知ることができただけ、マシかもね」
だって、事実として受け入れるしかない。
地団駄踏んで泣きわめいたって、どうしようもないことなんだから。
……もちろん、本人に「おまえ誰?」なんて真っ向から問われたら、そうしない自信はないんだけど。
「安心してよ。周ちゃんに記憶があろうとなかろうと、ボクが周ちゃんのことを助けたいって事実は揺らがないんだから」
ボクはそう言い残し、今度こそ自室を出て行く。
後ろでぽつりと、「ありがとうございます」と声が聞こえた。
それからというもの、ボクは毎日雪姫乃ちゃんとの会話に励むこととなった。
今まで以上に引きこもって、学校に行かなかったのは言うまでもない。雪姫乃ちゃんはボクの部屋以外にも好きに移動できたが、彼女の声が認識できるのはボクだけのようだった。つまり、雪姫乃ちゃんと話すのに、やはり邪魔の入らない自室が最適だったのだ。
両親はやはりそれなりには心配していたようだが、ボクが絵を描いているのだと説明すればうるさくすることはなかった。
最初は、ただ説明を聞き、疑問に思ったことを質問する期間だった。
まず、異世界のことを知るところからだという雪姫乃ちゃんの方針で、地名や地形、そこでの人々の暮らし、生活様式、特産品についてのレクチャーを受けたのだ。この世界とは法則そのものが異なる別次元の話はとても興味深くて、ボクは楽しく話を聞いていた。
それらを諳んじられるレベルになってからは、魔法やスキルというものの存在や、種類についてのレクチャーを受けた。
特に雪姫乃ちゃんが時間を割いて何度も説明してくれたのは、デスゲームに関する知識だ。
デスゲームを始める際は、1人の神が主催し、他の神々がそのゲームに招待されるような形を取るらしい。いずれ――2年後、木渡中学校3年2組になる生徒たちは、その主催者に一方的に候補として選出され、意図的に修学旅行先で事故に遭わされるのだそうだ。
こちらとしてはたまったモノではない。しかしもう何百年もの期間、そういったゲームの開催が続いているらしい。
「ゲーム開始前に、彼ら神々は、実績に合わせて「選手の選択権」を得ることができます。誰を推しにするかそこで選び、彼らに能力を付与するのです」
「……選択権? 推しって?」
「例えば今回を例にすると、3年2組の生徒たちの顔写真を並べて、「誰を応援しますか?」と聞かれるようなものですね。選択する順番が早ければ早いほど、自分が気になる生徒を推しにできます。神たちは推しとした生徒が死んだ直後、彼らに会いに行き、その願いや本質に見合ったスキルをプレゼントするのです」
ああ、スキルに関しては前にちょこっと聞いたな。
「アクティブスキル……じゃなくて、リミテッドスキルだよね」
「その通りです。よくお勉強されてますね」
悪気はないんだろうけど、小さな子どもの頭を撫でるときみたいな声音で雪姫乃ちゃんが言う。
……なんかこの子、中学3年生の雪姫乃ちゃんがベースになってるからか、神様なんてものになっちゃったからなのか、やたら年上ぶるんだよなぁ。別にいいけど。
「えーっと……つまり、賭け事と一緒ってコト? 推しにした生徒が勝てるように支援する」
「まさにそういうことになります。神々は生徒たちの本音や願いを一方的に読み取って、それを肥大化したスキルを与えるのです。このあたりは、その神自身の能力と相性の良い代物でないと、強いスキルを付与できないので難しいところですが」
「……そして推しの生徒が勝つと?」
「次のゲームの主催を務める権利が得られます。あとは他の神々に対する特権など、そのあたりはいろいろとありますが……基本的には、主催の権利を欲しがってゲームに参加する神が多いです」
さしずめ神様たちは、生徒たちをプレイヤーに見立てたギャンブラーで、ディーラーってところだろうか。
うう、考えてるとちょっとムカついてきたぞ。だってそれってまさに抑圧だ。ボクがめちゃくちゃ、嫌いなヤツだ!
「そうなると、異世界に転生するとき、ボクも能力がもらえるんだよねぇ?」
「……ですね。それに関しては、私からも合歓木くんに質問があるのです」
おや。最近はボクばかりが質問攻めにしていたので、雪姫乃ちゃんからそんな申し出があるのは珍しい。
「いいよぉ。なになに?」
「合歓木くんの願望って何ですか?」
「人に言えるヤツ? それとも言えないヤツ?」
数秒間の沈黙。
「……い、言えるヤツで」
「言えるヤツかぁ。そうだねぇ。……世界混沌?」
「平和じゃなくてですかっ!?」
あははとボクは声を上げて笑った。雪姫乃ちゃんと話すのは結構おもしろい。
「それは冗談だけど。今まさに直面してる問題から言えば、周ちゃんが健康でいられますように、とか? ……あとは、周ちゃんの記憶が戻りますように、とかになるのかなぁ、やっぱり」
「…………それらの願いが適用されれば、かなりサポーター向きのスキルにはなりそうです」
「いやいや。言えないヤツが採用されるかもしれないよぉ?」
「そっちも兄関連だろうなぁとは思いつつ、どうしても詳細を聞く勇気の出ない妹です」
今度こそボクは腹を抱えて笑う。下の階にきこえちゃうかもだけど、まぁいいや。
笑いがようやく収まってから、ボクは涙さえにじんだ目元をぬぐいながら言った。
「早く来年になって、周ちゃんや……この世界のキミにも会ってみたいや。どんな人だろうね?」
しかしそれには雪姫乃ちゃんはしばらく答えなかった。……あれ? 笑いすぎた?
心配になった頃、ようやく返答があった。固くとがった氷の破片みたいな、声だった。
「…………この世界の鳴海雪姫乃は、私とは、まったくの別人ですよ」
「ふうん。やっぱりそういうものなの?」
また、沈黙だ。
ほとんど電話みたいな気分で、そう困ることもないのだが、こういうときはやっぱり戸惑う。
雪姫乃ちゃんはボクの顔や様子を、見ることができていても、ボクにはそれができない。
いま、たとえば雪姫乃ちゃんが微笑んでいるのか?
微笑んでいるにしたって、それは喜怒哀楽のどんな笑みなのか? それらには当てはまらない表情なのか?
もしくは、頬を涙で濡らしているのか? あるいは眠たくて欠伸をかみ殺しているのか? ……ボクにはそんなことさえ一つも分からないのだ。人とのやりとりがこんなにもどかしいのは、はじめてのことだった。
結局、ボクは自分から話題を変えることにした。
何だかこの子と話しているときは、ほんの少し、自分はまともになっているような気がする。血の通った、人間なのだと痛感するような気がする。
でもそれはボクにとって決して、心地よいことじゃない。むしろその逆だ。
だけど彼女の声を振り切るつもりだってないのだから、自分でも不思議だった。どういう気持ちか考えてみると、つまり、親友の妹への、それは気遣いだったんだろう。
「ちなみにさぁ。雪姫乃ちゃんみたいな神様たちって、普段は何をやってるのぉ?」
古来からの人間たちの勝手な妄想を主軸とするならば、天上界に住まう彼らは、下界の営みを見守り、手助けし、時に厄災を起こし、天罰を落とす……そんな、良くも悪くも勝手気ままな存在だ。
だけど実際のところ、どうなんだろう、と。前々から気になったことを問うてみれば、
「特に何も、していませんよ」
返事はかなり素っ気なかった。
えー? とボクは思わず声を上げてしまう。返事があったのにはほっとしたけど、その内容も意外だったのだ。
「でもさっき、神々の実績が、とか言ってなかった? なんかそういう、頑張ってるランキングみたいなのがあるってことでしょお?」
「ランキングは、ゲームのランキングなので」
「……はぇ?」
「いま流行ってるのは、神様ブラザーズ。その前は神様カートで、その前は神様クエスト。そろそろ、神様ファンタジーの出番が来るのではないかと私は睨んでいます」
「……もういいや」
呆れたボクがため息すると、少しだけ雪姫乃ちゃんは笑って言った。
「私たち、本当に何もしていないのです。それなのに超常的な力だけを持っているから、それを振りかざし、平気で残虐なことをするんですよ」
何となく、「神々を殺す」と告げた彼女の理由が、垣間見えたような気がした。
そしてそれから半年後、ボクは木渡中学校に転校した。




