157.vsイシジマ
リミテッドスキルは、スキル効果と関連する魔法を使う際に自動的に発動する。
俺の場合は、スキルを奪うと結果的に関連魔法を習得することができるので、つまり覚えている魔法は全て使えないということだ。
だがイシジマの場合、《破砕》と《衝撃》はともかくとして、《攻撃特化》は最初に使うのではないか、と思っていた。
リミテッドスキル"爆絶破壊"とは、身体強化魔法の《攻撃特化》は関係がないものだからだ。それなら俺の提案したルールに反してはいない。
しかしイシジマはそうはしなかった。
そんなものを使わずとも勝てる。そういう自信があったのかもしれない。
「………………わかった」
俺が頷いた直後、口の端を持ち上げて笑うと。
まず最初に動いたのはイシジマだった。
「オラァッ!」
「……っ!」
至近距離から繰り出された右の拳を、どうにか左に身を捻って躱す。
しかしその動きを予測していたのだろう。ナックルをつけた左の拳が、避けた俺の顔面に向かって息つく暇もなく伸びてきた。
「!」
それが髪の毛の中を掠めるだけで済んだのは、ほとんど奇跡だった。
というより、ほぼ偶然だ。というのも、岩山近くの地面はかなり荒れていて、それなりに大きなサイズの石ころも転がっている。俺はその内のひとつに足を滑らせて、転倒する直前にまで身体を傾かせてしまったのだ。それで拳に当たらず済んだのだった。
当然、そのまま転倒すれば大きな隙に繋がる。
倒れ込む寸前、俺は右手だけを地面につき、身体を宙に浮かせる最中――振り上げた左足で思いきり、イシジマを蹴り飛ばした。
そのつもりだったが、ヒットの寸前でその足をイシジマが片手で受け止めている。
目を瞠ると同時、僅かに口角を吊り上げたイシジマが、俺の足を掴みがてら思いきりブン投げた。
「ぐッ……!」
どうにか受け身を取って着地する。土煙が上がり、靴の踵がこすれた。
しかし体勢を立て直す時間もない。
ダッシュで走り寄ってきたイシジマが、勢いのまま太くがっちりとした足を伸ばしてきたのだ!
咄嗟に胸の前で腕をクロスさせて、防御の姿勢を取る。
ナックルをまとった拳の、その破壊力は昼間の戦いでよく知っている。
でも足技ならばまだ、受け止められるかと思ったのだ。無理に避けて追撃を食らうよりはマシかも知れない。
しかし俺の認識は甘かった。
「ッッラァッ!」
憤激の篭もった絶叫と共に、イシジマが蹴りを放つ。
それを正面から食らった腕が、ジン、と痺れた。
瞬間、悟る。……前の世界にいた頃、何度もイシジマの蹴りを浴びたが……そのときとは比べものにならない威力だ。
こんなのをまともに受けたら、数回で身体のどこかがイカれる。
「アアアアッ!」
悟ると同時、次いで上空から力強く繰り出された拳を後ろに跳ね上がって避ける。
攻められてばかりでは攻撃に転じられない。イシジマの大振りな一撃には隙があるように思えたが、しかし痺れたばかりの両腕が痛み出し、俺はそのまま身を引いた。
3メートルほど距離を空けて、しばし睨み合う。
――どうする?
単純な攻撃力や筋力といった面では、俺はイシジマには劣る。
たとえスキルを使っていなくとも、あの拳一つ、それに蹴りの一つだってまともに食らえば危うい。それくらい、イシジマの力は強い。
でも速度と、小回りが利くという点なら小柄な俺に分がある。
基本的には攻撃を避け、躱しつつ、反撃の隙を見つけていくしかイシジマに勝つ方法はないか。
しかし俺がそんな風に考えていることも、イシジマにはどうやらお見通しらしかった。
「おい、逃げてばっかでいいのか? いつまで体力は保つ予定だ?」
挑発だ。
無論、そう長く保ちはしないだろうな、と俺は息を弾ませながら思う。
そもそも、攻撃を避け続けるのだって並大抵ではない。イシジマ相手では一度のミスが死に直結する。
さっきは足を滑らせたのが幸運に転じたが、次もそうとは限らないのだ。
俺は答えないまま、腰の短剣に未だ痺れる左手を添えた。
しばし迷い、やはり手を離す。短剣を使って相手を翻弄する戦術は、この世界で俺が得意とするものではあるが、イシジマ相手にどこまで通用するかは微妙だ。
それに肉弾戦でイシジマが向かってくる以上、今はまだ、なるべく両手とも自由が効いたほうが便利かもしれない。結局はそういう結論に達した。
余裕の表れか、イシジマは舌なめずりしながら肩をぐるぐると回している。
俺はその全身を、呼吸を落ち着けてじっと見遣る。
上空の大きな雲の影が、ほぼ同時に、俺とイシジマの肩にかかった。
それが合図となった。
「ふっ!」
俺が飛び出すと同時。
イシジマもまた動いていた。
上半身を低く沈めた姿勢の俺とは対照的に、イシジマは大柄な身体で一気に距離を詰めてくる。
なんだか自分が猫のような、人間ではない、しなやかな動物に生まれ変わったように俺は感じた。それくらいに身体が軽く、思い通りに動いたからだ。
対するイシジマは熊か何かだろうか? あるいは猪? 下らないことを考える頭とは裏腹に、肉体は面白いくらいにイメージに呼応する。
俺は跳躍し、拳を振り上げた。
月明かりの下、その構えを目にしたイシジマが爛々と眼を光らせる。望むところだというように、イシジマもまた拳を掲げていた。
しかし俺のそれはブラフだった。
そもそも俺は、人を殴るのなんて全くの素人なのである。ナックルなんてつけた相手に、素手で殴りかかれるわけもない。
というわけで狙いは別にあった。
踵を強く蹴って、疾走した俺は――思いッきり全力で、頭からイシジマに突っ込んだ!
「っウぐ……?!」
まぁ、人に頭突きをした経験ももちろん皆無だが……イシジマにとってもその攻撃はかなり想定外らしかった。
ガフ、とすぐ上で、肺から空気が漏れる音がした。
それも当然だろう。何せ上顎に直接刺さるような渾身の頭突きだ。
体格差のためか吹っ飛ばす、とまでは残念ながらいかなかったものの、軽い脳震盪が起こったのか、イシジマはその場で蹈鞴を踏むような動作をした。
明らかなチャンスだった。しかも二度目はない。
好機と捉えた俺は続けて、がら空きの腹部に直接拳を突き入れようとした。人を殴った経験がなくとも、今はそうするより他にない。
自分ではかなり全力、しかも、狙い通りの位置に拳をめり込ませる。
よし、と心の中の自分が叫ぶ。いける。
このまま攻め続けて、イシジマを倒す――
「……んだよそのぬるいパンチは」
え?
その次の瞬間だった。
信じられないような衝撃が、下顎を貫いた。
ガツン! と、何かが壊れるような音がする。
それから殴られた顎から、脳天までもを、ひとつの光線が貫いたような……とてつもなく苛烈な感触が、全身を駆け抜けた。
「ぐ、がッ……っ?」
何だコレ?
そしてまた、信じられないことに、そのたった一撃で、俺は地面に仰向けに転がっていた。
ぐわんぐわんと、遠くで星の光が揺れる。がくがく揺さぶられるみたいに夜空は縦にしきりに動いている。気持ち悪い。
吐きそうだった。口元が何かで濡れていたので、もしかしたら胃の中身を少し戻していたのかもしれない。
ほとんど自覚もできなかったが、たぶん平衡感覚が完全におかしくなっていたのだろう。目の焦点が合わないのだ。両目ともどうにか合わせようと必死に試してみても、眼球が言うことを聞かない……
でも、それで終わりではなかった。
震える俺の身体の上に、イシジマが覆い被さってきた。




