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兄妹転生 ~チートだからって調子に乗らず、クラスメイトは1人ずつ私刑に処します~  作者: 榛名丼
第六章.兄妹の決別編

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156.戦う2人と、待つ2人

 

 兎にも角にも、脅威は去ったと言える。


 スプーに暮らす人たちにとってはそうだ。今は一時的に避難しているという彼らも、きっと喜んでくれるだろう。

 ひとまずはその結果に、どうにか、満足しなくてはならなかった。


 ドラゴンやガイコツたちとの戦いによって命を落としたのは、3人だった。

 3人ともが、最前線でレツさんやイシジマたちと共に戦っていた兵士だった。

 その3人。それにカンロジにやられたホガミの遺体と、それに残されたマエノ――赤いドラゴンの首は密かにホガミの隣で、埋葬されることとなった。

 仲間を殺されたというのに、兵士たちの中にはマエノに同情の目を向けてくれる人が少なくなかった。その数奇な運命を、悲しんでくれたのかもしれない。


 そして俺は。


 黙祷を終え、陣営でのささやかな宴が終わった頃……イシジマから呼び出しを受けた。

 スプーの裏手にある岩山の前まで来い、と言う。俺は大人しく、それに従うことにした。


 本当は、イシジマなんかに割く時間が惜しかった。

 何故なら、今までずっと力を貸してくれた仲間に話すべきことも……話したいことも、いくらでもあったからだ。

 ユキノにも、ナガレにも、アサクラにも。それに、久々に再会したネムノキにもだ。


 でもそんな長い時間を、イシジマがのんびりと腰を据えて待っているだろうとは、夢にも思うはずはない。

 むしろ今の今まで大人しく、隙だらけの黙祷の時間さえ待っていたのが不思議なくらいなのだ。譲歩というよりはたぶん、彼自身もそれなりに混乱していたのかもしれない。


 ――夜を迎える直前、夕暮れも色を落とし始めた頃。

 俺が岩山の前まで辿り着くと、既にイシジマはそこで一人、背を向けて待っていた。


 気配に気づいてイシジマが振り返る。この距離では、表情まではよく見えない。

 普段の、何かに苛立ったような口調と異なり、妙に静かな言葉だった。


「カンロジがお前だってのは、どういう意味だ?」


 俺はしばし迷う。その推理に至るまでを、丁寧に話していくことはできる。

 しかしイシジマにそれをする意味も理由もなかった。俺がそうすべき相手は他に居るのだ。


「そのままの意味だ。けど、お前に説明する必要はないと思う」


 本音を無駄に飾らずそう返す。

 イシジマはすぐにでも殴りかかってくるだろうと予想していたが……違った。舌打ちはしたものの、そのまま話しかけてきたのだ。


「まぁ――別にいい、そんなことは。オレには関係ないからな」


 ぼりぼりと坊主頭を掻き、吐き捨てる。全く持って、友好的とは言い難い口調だ。

 それでも、不思議な気分だった。こんな風にイシジマと2人で向かい合い、言葉を交わすなんてことは、今まで――日本で居た頃には、有り得ないことだった。

 イシジマはカワムラやハラと徒党を組み、俺に暴力を振るうことに夢中だったし、俺は俺で、それが終わるのを身を丸めて待っていた。俺たちの間のコミュニケーションは、それだけだったから。


 だからこそというべきか。

 俺とカンロジのことを関係ないと言い切るなら、導き出されるイシジマの目的もたった一つしかない。 


「…………俺と殺し合いたいのか?」


 そう、俺は言った。

 イシジマは俺を一瞥し……ハッ、と短く笑ったようだ。俺が表情を変えないままでいると、イシジマがギラついた眼で言う。その眼の暗い光だけは、暗闇の中で浮かび上がるように見える。


「おいおい、勘違いするなよシュウ。オレがやるのは一方的な虐殺だ。お前はいつもの通り、殴られてりゃそれでいい」

「そういうわけにはいかない。俺にはまだやるべきことが残されてる」


 大股で歩み寄ってきたイシジマが、俺の胸倉を掴み上げた。

 もともと身長差があったが、それが2年の間にさらに開いている。どうにか爪先だけを地面につけて、苦しい呼吸の間に口を動かした。


「だからルールを決めよう」

「……何だと?」


 イシジマの表情が不快そうに歪む。

 ごく僅かに、首の拘束が緩くなった。その隙に残りの言葉を告げる。


「お互い、リミテッドスキルは使用しない。もしまたスプーに被害が出たら、目も当てられないからな」

「…………随分とお前に有利なルールだな」

「スキルを封じられたら、勝つ自信がないってことか?」


 我ながら安い挑発だ。

 そしてあの、ユキノを襲いかけたカワムラほどは、イシジマは馬鹿な男ではない。

 見上げた先、イシジマが淡々と言う。


「分かってるぜ、お前の目論見は。お前、戦闘系のスキルを持ってないのか……持ってたとしても、クソ弱いんだろ?」


 それは一応、問いかけの形を取ってはいたが、イシジマには半ば確信があるように見えた。


「だから、あのドラゴンへの最後の一撃にオレを使った。自分じゃ仕留められる自信がなかったからだ」


 大体、当たっている。

 "略奪虚王(リゲイン)"を使い、実に6人もの《来訪者》からリミテッドスキルを奪ってきたが、その中に直接的な戦闘系スキルは1つもない。

 いや、正しくは1つ、そういう風に応用できるスキルも持ってはいるが――その切り札をイシジマ相手に口にする意味はない。


「――だが、いいぜ。その条件呑んでやる」


 そのイシジマの言葉は、少なくとも俺にとっては驚きだった。

 同時に服を掴んでいたイシジマの腕が離れる。

 意志を問うためにじっと見れば、イシジマは1本の指を立て、


「しかしそういうことなら、こっちからも一つ決めさせてもらう」

「……何だ」

「どっちかが死ぬまで、終わらせない」

「…………」

「寸止めはナシだ。お前か――」


 俺の喉仏のあたりに指を突きつけ、それから自分のそれをも指さし、


「――オレが死ぬか。それだけだ。どうだ、乗るか?」


 自分が死ぬとは、微塵も考えていないのだろう。

 イシジマの口調にも、表情にも、自信が充ち満ちていた。


 それは奪う側の人間の顔だ。

 いつもその顔で、嘲り、嗤い、イシジマは俺を殴ってきたのだ。


「………………わかった」


 頷くと同時、未だダメージを負ったままの左の頬が僅かに痛む。


 俺が顔を顰めると同時、また、イシジマが喉の奥で低く笑った。

 猛禽類のような眼だった。そしてその猛禽が狙うのはたった一人、眼前の俺だけだった。


 辺りには夜の帳が下り始めていた。



 +     +     +



 星の一つ一つまでがよく見える。

 もちろん、その数を一つずつ正確に辿っていけるというわけではないけれど、満天と呼んでいいだろうそれをぼんやりと眺めていた。


 水谷内流(ミズヤウチナガレ)は、志願兵に割り当てられた天幕の入口で、体育座りをして空を見上げていた。

 しかし彼女は、藍色に広がる空の中で輝く星々をそれほど真剣に見つめていたというわけではない。

 意識は完全に別のところにある。思考の邪魔にならないから、遮蔽物のない開けた空を眺めていたというだけだ。

 それでも、今の彼女が物事を順序立てて考えられていたかといえば、やはりそんなことはなく、ただ呆然としていた、というのがより正しいかもしれない。


 天幕の入口には虫除けの目の細かい網が駆けられているだけだから、意外に明るい星の光はその内部にまで差している。

 中は一応、男女で仕切りは設けられているのだが粗末なものだ。隣のユキノを起こさないか、それだけに気をつけたが、膨らんだ寝袋は身動ぎ一つしなかったのでほっとした。


 ナガレはそっと外に出て、小一時間ほどはそうしてぼんやりしていたのであった。


「眠れないのぉ?」


 突然、声を掛けられ、びくりとする。

 恐る恐ると声のした方を振り向くと、そこに立っていたのは見知った顔だった。


「……ネムノキくん」


 雪のように真っ白い髪の毛に、ウサギみたいに真っ赤な瞳。

 女の子のような顔立ちをほんの少し右に傾けて、ネムノキが歩いてくる。

 今日合流したばかりの彼も同じ天幕に割り当てられていたはずだが、どうやら外を出歩いていたらしかった。明かりを消すとき、そんなことにも気づいていなかった自分にナガレは非常に驚いた。


 彼とは、ハルバニア城からザウハク洞窟を経て、シュトルまで逃れた後……そこからフィアトム城まで、共に行動していた。

 回復能力に特化していて、戦闘力のない彼は、基本的に城で居残っていたのでナガレ個人としてそこまで関わりがあったわけでもない。

 どこかミステリアスな雰囲気をまとった彼は近寄りがたく、日本に居た頃からほとんど会話した覚えもなかった。


「隣、いい?」


 だが、その申し出を断ろうとは思わなかった。

 どうぞ、という意味でナガレは少し腰を浮かして位置を移動する。

 ちょうど人1人分ほど空けて、右側にネムノキが座った。


 すると、横からずいっと、ネムノキが何やら差し出してきた。

 ナガレは目を見開き、それを受け取る。鉄製のマグだった。中からは今も湯気が出ている。良い匂いが漂ってきた。


「いいの?」


 答えはなかった。既に自分の分をネムノキがごくごく飲んでいる。

 ナガレもそれに倣ってそっとマグに口をつけると、ゆっくりと中身を傾けた。


 熱い、しかし火傷するほどではない丁度良い温度の液体が、冷えた喉に流れ込んでくる。

 これは何だろう。よく母が風邪の時に作ってくれた、蜂蜜を溶かしたしょうがスープの味によく似ている。

 異世界に来てからは、食事は基本的に薄味のものが多くて、もともと食の細いナガレはさらに食べる量が少なくなっていたが……でも、八分ほど入っていたスープは、ほんの十数秒ですっかりなくなってしまった。


「……おいしい」

「そうでしょー」


 思わず呟くと、ちょっと得意げにネムノキが言う。

 そのとき、冗談みたいにポロ、と右目から涙が零れた。


「!」


 ナガレは大慌てでそれを拭う。

 そっと視線を向けると、ネムノキはそれには気づかなかったようだった。大欠伸をしている。

 ナガレは安堵の溜息を吐いて、訊いた。


「これ、ネムノキくんが作ったの?」

「そうだよぉ。ボク、あっちの岩山に2年くらい住んでたんだけどさぁ」

「…………え?」


 あまりにアッサリと言ったので、反応を返すのにも時間がかかった。

 しかしネムノキの見ている方向には、あの、三つ首のドラゴンが身体を休めていた岩山がある。

 あんなところに2年も? どうして?

 そう思ったが、ネムノキはその理由は口にしなかった。


「とにかく食事に困ったから、細々とちっちゃい魔物捕まえて捌いてみたりとかしてたけどぉ……家庭菜園っていうのかな? そういうの作って、野菜を育てたりしててねぇ。そこで品種改良の真似事とか、いろいろ試してみたり。時間だけはあったしぃ」

「すごい……」


 ナガレは圧倒されてしまった。

 何でもないように言うが、そんなの、誰にでもできることではないだろう。

 少なくともナガレには難しい、と思う。生活を続けていくのもそうだし……それに1人で2年間も過ごすのは、恐ろしく孤独だ。


「寂しくはなかった……の?」

「ううん、ちっとも」


 しかしネムノキは首を横に振る。それから、少しだけ微笑した。


「実際、1人じゃなかったんだ。話し相手がいるからねぇ」

「話し相手……?」


 だが、それ以上は語ろうとしない。

 ナガレも無理に訊こうとは思わなかった。ただ、ネムノキに感じていた近寄りがたさのようなものは、その頃になるとだいぶ消え失せたようだった。


 夜風に、二人分の髪と服がはためく。

 ネムノキは眠そうに目を擦ってはいるものの、整った横顔は随分と落ち着いているように見えた。

 自分とは大違いだ、とナガレは思う。そしてその落ち着きの理由に、もしかして、と思い当たった。


 教室で過ごしていた頃、シュウとネムノキは特別仲良いようには見えなかったが、苦々しげなシュウから話を聞くと、異世界に来てからはよく関わっていたらしい。

 彼をフィアトム城まで招いたのだってネムノキだ。つまり2人には、自分の知らないところで深い繋がりがあるのかもしれない。


「ネムノキくんは、知ってたの?」


 これでは伝わらないか。

 慌てて言い直そうとしたナガレだったが、その前にネムノキが欠伸混じりに喋り出した。


「うん? ……ああ、カンロジさんの正体のこと? 知ってたよぉ」

「……そう、なんだ」


 一度、会話が止まる。

 しかしネムノキはまた、何かに気がついたように「ああ」と呟き、ナガレの方に顔を向けた。


「違うよ、シュウちゃんに聞いたわけじゃない。ボクは別の人から、それを聞いてただけだから」


 どうやらナガレがショックを受けた、と思ってつけ加えてくれたらしい。

 そしてその推測は、半分当たってもいる。ナガレは了解の意味で頷いて、それからまた、星空を見上げた。


「さっき……シュウが、イシジマくんに呼び出しを受けたからって、出て行っちゃった」

「ああ、そうなんだぁ。ここに居ないもんねぇ」


 ここ、というのは天幕内のことを言っているのだろう。のんびりとネムノキが言う。


「わたしもついていくって言ったけど、大丈夫だって。帰ってきたらいろいろ、ちゃんと説明、するから……待っててって」

「それでここで座って待ってるのぉ?」


 ナガレは首を振る。眠れない直接の原因は、そうじゃなかった。


「……シュウのこと何も、分かってないんだなって」

「うん?」

「知ってたけど。でも、それで……目が冴えちゃって」


 喋り下手な自分にしては珍しく、言葉は次々と、喉の奥から飛び出てきた。

 どうしてか、不思議に思う。隣のネムノキが穏やかだからだろうか?

 それともやっぱり、自分は誰かに話を聞いてほしかったんだろうか。


「わたし、たくさん助けてもらったの。し、死んじゃいたいときも。行き場のないときも。シュウが、わたしを助けてくれた」


 ――忘れることなんか無いだろう。この先、ずっと。

 ウエーシア霊山から飛び降りようとしたナガレの手を、シュウが引っ張って、「離せないよ」と言ったこと。

 エルフの国に残るべきか悩むナガレに、シュウが「一緒に来てほしい」と真っ赤な顔で叫んだこと。

 名前で呼んでと言ったら、なんだか心配そうにぎこちなく、彼の唇が「ナガレ」と、大切そうに紡いだこと。

 ナガレを守ると言ってくれた彼に、私もあなたを守るのだと伝えたら、柔らかく微笑んでくれたこと……。


 全部、全部、忘れない。

 宝物みたいに大事な記憶だ。だけど、と思う。


「でも、このままじゃ」


 きっとこれを抱きしめているだけじゃ、駄目なのだ。


「シュウが、どこか遠い場所に行っちゃいそうで…………怖い」


 胸の内にある不安は、言葉にしてみると、実にシンプルだった。


 ――そうか、わたしは怖いんだ、とナガレは思う。

 シュウを失うのが怖い。やさしい彼が、いつも笑って手を伸ばしてくれる彼が、消えてしまったらと思うと……心臓が張り裂けそうに痛くなって、涙さえ零れそうになる。


 一緒に来てほしいとシュウは言ってくれたけれど――彼と一緒に、わたしはどこまで行けるんだろう?


 本当はどこまででも、ついていきたい。

 でもその願いが、叶わないのだとしたら?

 走って行く彼を、ただ、見送ることしかできないとしたら?


 ナガレは顔を歪めて、でもそれをネムノキに見られるのが嫌で、立てた膝に顔を埋めた。

 結局は弱音ばかりだ。守りたいと言ったのに、彼のために何も出来ていない。

 カンロジのことや、血蝶病の件で、きっとずっとシュウは悩んで、苦しんでいたのに。

 近くに居たのに、それにも気づけなかった。そんな自分が情けなかった。


 身を縮ませるナガレに、ネムノキはしばらく黙っていたが……やがて、変わり映えのしない口調で言った。


「「待って」って、言えばいいんじゃない?」

「え……?」


 思わず顔を上げる。言葉の意味がよく分からなかったのだ。

 ネムノキは膝に頬杖をついて、何度か瞬きしていた。その物怖じしない視線は荒野を眺めているようだった。


「とりあえず追いつけなさそうだったら、待ってよってシュウちゃんに言ってみなよ。それで立ち止まってくれるかは、別にしてさ」

「…………」

「立ち止まったらラッキーだし、止まってくれなかったら石投げて進路を妨害しちゃえば? それくらいがちょうどいいんじゃないかなぁ」

「い、石!」


 もちろん、あくまでたとえ話なのだろうが、ナガレはびっくりしていた。

 肩を竦ませていると、ネムノキがおどけた笑いを浮かべる。


「だってシュウちゃん、無鉄砲人間なんだもん。むしろナイスアシストになるかもよ?」


 底抜けに明るい響きだった。

 何の確信もないだろう。それにある種では、無責任な発言でもある。


 それなのに、その言葉は胸に染みてきて、不思議と目の前の深い霧が晴れてくるような感じがした。


「うん。……うん。そうしてみる」


 気がつけばナガレも、僅かに口元を綻ばせていた。


「うんうん。そうしよぉ」

「待ってって言う。石も、投げる」

「投げよ、ジャンジャン投げよ。どっちが先に当てるか、競争ってことで」

「うん。競争、する」


 無邪気に言い合って、お互いににやっと笑う。

 それでようやくナガレにも分かったことがある。ネムノキもきっと、同じくらい不安だったのだ。

 でも、シュウのことを信頼している。信頼しようと決めているから、揺るがないのだろう。


 ああ、素敵だな、と思った。

 同時に、自分とリンもそうだった、と思う。親友だった。殺してしまった親友。

 深い絆で結ばれていた。何ならナガレよりナガレのことを、リンはよく知っていて、大事にしてくれた。

 彼女の形見であるマフラーに指をかけ、ぎゅっと目を閉じる。

 そして祈った。夜空か、その先に浮かぶ星か、あるいは親友の魂に向けて。


 シュウの傍にいられますように。

 たとえそれが叶わなかったとしても――わたしを生かしてくれた彼のために、どうか最後まで戦い抜けますように。リンに恥じない自分であれますように……。


 およそ数分間にわたる祈りを終えると、ぽつりとネムノキが言った。

 まるっきり、明日の天気は曇りだね、みたいな口調で。


「今頃シュウちゃん、イシジマのヤツと殴り合いしてるんだろうねぇ」

「えっ……」


 ナガレの顔が一気に大きく青ざめた。

 そうかもしれないと危惧してはいたが、イシジマは今もシュウに暴力を振るっているのか? ナガレは慌てて立ち上がった。


「と、止めに行かなきゃ」

「今さら行ってももう意味ないと思うけどぉ」

「でも」

「大丈夫だよ、ミズヤウチさん」


 しかしネムノキは立ち上がったナガレをその輝く瞳で見上げ、堂々と言い放った。


「シュウちゃん、負けないよ。だからここで待ってよう」


 ……それを聞いて、なお走り出すほど、ナガレは愚かな少女ではなかった。

 再び腰を下ろした彼女は、すっかり感心して思わず言った。


「ネムノキくんは、シュウのことをよく分かってるんだね」

「まぁ、友だちだからねぇ」


 ごくごく真面目な顔でネムノキが頷く。

 それが何だかおかしくて、ナガレはくすっと笑った。


 天幕の中から「まだ朝じゃない!」と誰かが鋭く叫んだ。どうやらアサクラが寝惚けたらしかった。

 実際、朝日はまだ遠かった。



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