152.邪鬼
ユキノがこっちを見ている。
もしかしたら、スプーを眺めていたのだろうか。
だとしても、反応してはいけないという道理はないから、立ち上がった俺は手を振ってみた。
「!」
ユキノはすぐ気づいたようだった。
ボロボロの服を適当に払いつつ、肩を回して怪我がないことを伝えてみる。
声はないが、それはどうやら伝わったらしい。
ユキノはほんの少し、はにかむようにしながら――手を振り返してくれる。
しばらく、出来るならばずっとでも、そうしていたいくらいだった。
しかしそのとき、ふと、
「おーい、ナルミー」
「うん……?」
どこかから、くぐもった声がきこえてきた。
きょろきょろ周囲を見回すものの、誰の姿も見当たらない。
気のせいか? と思い視線を戻そうとしたら、「おい!」と足元から大きな声がした。驚いて視線を下げる。
瓦礫の中に見知った顔が埋まっていた。
「……アサクラ、そんなところでなに遊んでるんだ?」
「遊んでおりませんが!?」
そしてキレられた。
「それは大丈夫なのか?」とツッコみたくなるほど、頭以外をほぼ瓦礫に包まれたアサクラである。
先ほどのイシジマの一撃に巻き込まれた結果だろう。ユキノは魔法の庇護対象に「俺」と「スプー」を思い描いていたはずで、そこにアサクラが含まれていたとは考えにくいので、当然といえば当然なのかもしれない。
思っていた以上に余裕があるのか、吹っ飛んできた家屋の屋根部分から片手をすぽっと抜いたアサクラは、のんびりと頬杖をついた。
「つか、見ろよ。ドラゴン倒したらガイコツの群れも消えたんだな」
「ああ。能力によって生み出されたから、ってことなんだと思うけど」
気づいていた。
つい先ほどまでガイコツたちを前線で食い止めてくれていた騎士たちが、今は勝利の雄叫びを上げている。
というのも、動き回っていたガイコツは、その全てが動きを停止し、灰となって宙に掻き消えていったのだ。
などと、感慨に浸る暇もない。
「おい、シュウ」
呼ばれ、俺は振り向いた。
そこに立っているのはイシジマだ。
拳一つで巨大なドラゴンを打ち砕いてみせたイシジマは、それを誇るでもなく……ただその場に立ち、俺のことを睨みつけている。
「お前――オレを利用しやがったな?」
「ああ、そうだよ」
まさか今さら、否定するわけにもいかない。
と思って素直に肯定したものの、イシジマはこめかみに青筋を浮かべた。
「おい、覚悟はできてんだろうな? 逃げんなら、そこで潰れてるヤツをまず先にブッ殺すぜ」
「やめて! おれを巻き込まないで!」
わりとガチにアサクラが怯えている。
しかし俺に逃げるつもりなど毛頭なかった。
イシジマが戦いたいなら、応じる。最初からそのつもりで、彼を勝手に作戦に引き込んだのだから。
そう答えるつもりだった。
しかし、開きかけた口が言葉を紡ぐより先に、俺の背後を見たイシジマが急に――顔を大きく強張らせた。
「え?」
古典的な罠か、と思う。目を逸らした隙に、一撃入れてくるつもりなのかと。
しかし俺の知る限り、イシジマがそんな風な表情をするのはかなり珍しい。そんな演技を取り入れられるほど、イシジマが役者だという覚えもない。
結局、疑いつつも俺は振り向いた。
そしてそれを目にした。
200メートル先。
ホガミの額に、銀色に光るナイフが突き刺さっていた。
「は…………」
思考が固まる。
目にした景色の意味を、うまく認識できない。
「あれ、ホガミ……え?」
同じものを目にしたアサクラもまた、唖然としていた。
俺たちが呆気にとられる間に。
遠目にも――ホガミの身体が急速に、硬直したように見えて――受け身も取らずにゆっくりと、仰向けに倒れていった。
血は大して出ていないようだ。だが、ぴくりとも動かない。
――致命傷だ。
呆然と、ショックで痺れた頭で必死に考えながら、のろのろと視線を動かす。
倒れたホガミの目の前に、1人の兵士が立っている。彼がホガミをやったのか?
そしてホガミを前に、口元を抑えて立ち尽くしているのは……ユキノ、だった。
「ごめん、シュウちゃん」
その声は、やはり足元からきこえた。
俺は思わず、足元に目をやる。
瓦礫に埋まったアサクラのすぐ隣に、ひょっこりと、白い頭が現れていた。
驚いたアサクラが身を竦ませる。
「うっわメッチャびっくりした! 何……あの……お前、ネムノキじゃん! 久しぶりだな!」
「うるさいなぁ、もう」
この世のものとは思えないほど真っ白く、あらゆる色素の抜け落ちた髪の毛。
それに縁取られた小さく端整な顔に居座った、血潮のように赤い双眸が、俺を見上げていた。
「シュウちゃん久しぶりぃ。相変わらずかわいいね」
「……お前」
……ネムノキ・ソラ。
フィアトムで別れてからずっと、行方知れずだった。
2年分成長したはずの彼はしかし、頭以外がほぼ埋まってしまっているので、顔立ちが少し大人びた程度で大きな変化はわからない。
いろいろと、訊きたいことがあった。それに話さなくてはならないことだって。
でも今は、それどころではなかった。それを理解しているのか、ネムノキの言葉はすらすらと早口で綴られる。
「いやぁ、このタイミングでカンロジさんは仕掛けてくるだろうとは思っててさ。ここで張ってたんだけど予想外しちゃった。《来訪者》が手薄な方を選んだかぁ……」
「え? お前、ずっとこんなところに隠れてたワケ?」
「アサクラと一緒にしないで。数時間前から埋まってただけだしぃ」
「いや、おれよりひどいだろ! おれは数分前……って、そんなことよりホガミが!」
焦って身体を動かそうとするアサクラだったが、その身体の上に被さる瓦礫はびくともしない。
顔を真っ赤にして動こうとするアサクラを尻目に、ネムノキは落ち着き払った声音で言う。
「シュウちゃん、ホガミさんは手遅れだろうけど、とりあえず妹のところに行った方がいいよ。恐らく手出しはしないだろうけど――」
その言葉を最後まで聞く余裕はなかった。
俺は走り出す。ユキノはまだ立ち竦んだままだ。
「おい、シュウ! テメェ――」
イシジマもまだ何か喚いている。でもそんなのもやはり、無視でよかった。
……全速力で走れば、そう遠い距離ではない。
それでも、その全貌が、近づくにつれ鮮明に見えるようになり……次第に、四肢の先から力が失われていくような錯覚に陥っていく。
倒れた彼女は、動かない。
分かっている。最初から分かっていたけど――ホガミはもう、本当に、助からないのだ。
――ホガミ。
ホガミ・アスカ。
木渡中学校三年二組のクラスメイトで、女王なんて呼ばれていて、いつも誰かを見下すような喋り方をする。
俺は決して、彼女のことが好きだったわけでも何でもない。
それでも、少なからず協力してくれた。自分の行いを顧みてのことかは分からないが、マエノたちの情報を提供してくれて、ここまで一緒に来てくれた。
そんな女の子が、額をナイフに貫かれ絶命している。
そんなことを、信じたくはなかった。だけどそれは間違いなく、現実だったのだ。
「ハァ……ハァ……」
全力で走ってきたせいで、息が上がる。
近づく俺の姿に、ユキノがまず気がついた。突っ立った兵士の方は無反応だ。
ネムノキが言っていた通り、俺がここに辿り着くまでの数十秒の間、兵士はユキノに対して危害を加えようとはしていなかった。
だが、それで警戒心を0にできるほど俺もお気楽な性格ではない。
俺はまず、ユキノの前に片手を広げてその兵士を睨みつける。
しかし顔を兜で隠したソイツは、何も言わず、動こうともしなかった。
しばらく、緊張した膠着状態が続く。
結局、先に動いたのは俺だった。死体をこのままにはしておけないと思ったのだ。
俺はホガミに近寄って、呆然と見開かれたままの両目の目蓋をそっと下ろしてやる。
きっと、痛みはほとんど無かっただろう。自分が刺されたことにさえ気づかず、ホガミは命を落としたのだ――
「わぁ、びっくり」
目蓋を下ろしてやると同時、そんな呟きが聞こえた。
成人した男の声だ。
歓声を上げる子どもみたいに無邪気で、それ故に、邪気だけが溢れている。
目にする前で、その一般的な兵士の姿が――木の葉が裏返しになるように、変化する。
瞬きの後には、そこに居たのは着物姿の美少女だった。
若紫色の着物に、淡い黄色の帯を合わせた穏やかな佇まい。
長く伸ばされた色素の薄い髪は、風に遊ばれて舞い上がっている。その一房ごとが、上質な練糸のように艶めき、見る者の目を惹きつける。
甘い蜂蜜を垂れ流したように濡れた瞳が、細められ……少女は、華やかに笑う。
そのときには、細い喉から流れる声も、愛らしく可憐な響きへと転じていた。
「まさかこんなに上手く当たるなんて思いませんでしたわ! しかも一発必中です。わたくしったらもしかして、ダーツの才能があるんでしょうか?」
ねぇ? と。
朱を引いた唇が艶やかに微笑み、
「――ごきげんよう、ナルミくん?」
甘露寺ゆゆが、優雅に一礼する。




