149.作戦開始
「……それって、あたしに謝るようなこと?」
ホガミが鋭く俺を睨みつける。
結論は決まっているが、どう言葉にしたものか分からない。
なるべく思っていることがそのまま伝わるよう気をつけて、答える。
「……違うのかもしれない。でも、俺は今までも散々、ホガミの気持ちを無視してきたから」
「――そうね。あたしはずっと、ハヤトを助けたいって言ってきたわ」
ホガミの声は僅かに震えていた。
本当は。
フィアトム城をひとりで脱走した時点で、マエノに裏切られたことを――ホガミ自身だって本当は、分かっているのだろう。
でなければ、俺に何を言われたところで仲間の情報を売るような真似をしなかったはずだ。本人がきっと一番、理解している。だからこそ苦しんでいる。
それでもホガミは、マエノを悪く言うこともなかった。ただ時折悲しそうに、ぐっと唇を噛み締めるようにして黙り込んでいただけだ。
マエノに対して、彼女がどれほどの気持ちを抱いていたのか。それを俺は知らない。
より正確に言うなら、知りたいとも思わなかった。だから口を突いて出た謝罪は、たぶんひどく独りよがりなものだった。
「もしあたしが「やめて」って言ったら、アンタはどうするの?」
だからホガミの問いへの答えは、考えずとも決まっている。
「やめない。血蝶病者は全員殺すと決めた」
「…………」
「ザウハク洞窟で、俺とユキノは君たちに襲われた。ユキノは毒にやられて苦しんだ。
そしてユキノだけじゃなくて……多くのクラスメイトも、無関係な人たちも、君たちは傷つけてきた」
ザウハク洞窟では、彼らを捕らえようとした近衛騎士が数人犠牲になった。
エリーチェの父であるガモン・ハヴァス神父は、生きたまま魔物化したタケシタに喰われて亡くなった。
フィアトムに住む人々は、ネノヒの連れた魔物にやられて家を破壊され、生活の寄り処を失った。
そして何より、優しすぎて人を殺せなかった少女が、俺に遺した言葉がある。
――『優しさは、今のうちにできるだけ捨てるべきだね。少なくとももう元クラスメイトには向けない方がいい。大切なものを失ってからじゃ……遅すぎる』
「なら!」
つかつかと歩み寄ってきたホガミが、俺の肩を突き飛ばす。
か弱い力だった。俺が後ろに下がることもなくその衝撃を受け止めきると、ホガミは固く尖った声で言い放った。
「なら、ここでまず、あたしを殺して」
「ホガミ……」
横に立っていたアサクラがたじろぐ。
冗談ではないのだと一目で分かるほど。それくらい、ホガミの語気と表情には鬼気迫るものがあったからだ。
仲間割れと思われたのか、周囲にも静かに騒ぎが広がっているようだ。
そもそも俺たちは突然志願兵として現れた身の上で、彼らからは少し距離を置かれている。そんな奴らが物騒な言い合いを始めたら、気になるのも当然ではある。
――俺はそのとき、ホガミの要求を呑むべきだったんだろうか?
でも俺は首を横に振った。そのときはそれが正しく、冷静な判断だと思ったのだ。
「…………君は血蝶病者じゃないから、殺せないよ」
「なっ……!」
逆上したホガミが掴みかかってこようとした、瞬間だった。
『――――グアアアアアアアアアウッッッ!』
耳をつんざくような咆哮が上がる。
咄嗟に片耳を塞ぎつつも視線を動かすと、戦場で大きな煙が上がっている。
「ナガレ!」
声が聞こえたわけではないだろうが、口の動きで意味を読み取ったのか、遠くからナガレが控えめに手を振っている。
どうやら無事、彼女はレツさんへの作戦伝達を終えてくれたようだ。
というのも、その灰色の煙を上げているのはドラゴン――より正確に言うなら、右の青い首のドラゴン……マツシタの首元だからだ。
俺はナガレに、レツさんへの伝言を頼んでいた。
――『ドラゴンの意識は、イシジマに引き寄せられる傾向があるみたいです。イシジマを挑発して、左の土色の首のドラゴン側に走らせてください。ガイコツの群れがそちらに向かったタイミングで、レツさんは右のドラゴンを攻撃してください』
後方でずっと観察していて、いくつかのことに気づいた。
レツさんにも伝えたことだが、三つ首のドラゴンはイシジマを目で追う習性がある。
イシジマの何かが目を引き寄せるのか、それともドラゴンに記憶が残っていて、最も見覚えのあるイシジマを追ってしまうのか。それは不明だが、それならイシジマを囮にできるんじゃないかと考えた。
もう一つは、ドラゴンたちは、決して同時に行動は起こさないということだ。
というより、能力や魔法を使うのは必ず別々のタイミングだった。ガイコツの召喚と炎吐息での攻撃は同時には起こらない。なら、わざとイシジマに目立つ行動をさせれば、目当ての行動を誘発できるのではないかと思ったのだ。
その作戦はどうやらうまくいったらしい。レツさんならやってくれると思ったが、ほぼ完璧だった。
派手にガイコツを蹴散らすイシジマに、土色のドラゴンは目を奪われ、ガイコツを召喚するため吠えた。
そいつが召喚魔法を使う際は、赤い首の真ん中のドラゴンは攻撃魔法が使えない。その隙にレツさんが、無防備に吠えるだけの青首を攻撃したのだ。
それが先ほどの悲鳴じみた咆哮と、巻き上がった煙の正体だ。
首に炎魔法を叩き込まれた青首が、苦しげに身を捩って悶えている。そうすると6本足のその生き物は体勢が取りづらくなるのか、足元もグラグラ揺れ始めている。
俺はアサクラに指示し、次に用意していた俺の音声を再び爆音で流してもらった。
そして頷き合い、走り出す。マエノたちを倒す作戦の、仕上げのために。
『イシジマ!!!』
「……アア?」
さすがに疲れがあるのか、肩で息をしているイシジマが不審そうに顔を上げる。
『囮役、ありがとうな。おかげでドラゴンも楽勝で倒せそうだ!』
その呼吸が、遠目でもはっきり分かるほどに凍りついた。
『でもその単細胞、ちょっとは直した方が良いかもな。もう手遅れかもしれないけどさ……!』
わなわなと、握った拳が震え出す。強すぎる怒りに。
『……ごめんちょっと言い過ぎたかな? 悪い、忘れてくれ』
「…………シュウッッッ!!!」
血走ったイシジマの瞳にはきっと、恐ろしいほど鮮明に映ったことだろう。
音源の元である最後方部隊の方角から、スプーに向かって一直線に駆け出した――たった一人の兵士の姿が。
+ + +
それを見た瞬間、イシジマはほぼ同時に走り出していた。
「おい! イシジマ!?」
誰かが止める声がした。たぶん騎士の誰かだろう。
しかしそんなこと、足を止める理由になるはずもない。
ひたすら憤怒していた。
脳を焦がして、身を焼くほどのそれだ。
シュウに再会したときから。あるいは、初めて出会った頃から――鳴海周という人間に対して抱く感情は、ほとんどそれが全てだった。
日本に居た頃は、顔を見るたび殴りつけていれば少しは清々した。気分が良かった。
異世界に来てからも、考えている余裕はあまりなかった。というより、どこかでくたばってるだろう、と思ったくらいだったのだ。
でもスプーの郊外に設けられた臨時の天幕内で、シュウを見た。
外見に多少の変化はあったものの、2年前の、そのときの姿のシュウだった。
驚いたものの、迷いはなかった。
とりあえず殴り殺してやるつもりだった。しかし逃げられた。
とにかくドラゴンを倒すのが先決だとか何やら、近衛騎士団の副団長だかを務める赤毛に説教され、ムカつき暴れ回ったが敵わなかった。
つまりドラゴンだかをブッ倒してからシュウをブッ殺せばいいんだろ、と結論はそんな感じだった。
それなら文句はないんだろ、と言うと、赤毛は「まぁそれはお前の自由だな」とアッサリ頷いていた。
シュウもどうやら愛想を尽かされていたらしい。妙におかしくなって、昨日はちょっと愉快だった。その気分が作用したのか、言われた通り従うのは癪だったが、こうしてドラゴン退治にも力を貸してやったというわけである。
そしてつい先ほど、その赤毛が、ドラゴンに一撃を加えていた。
イシジマの目から見ても文句のない一撃だった。長い首の根っこをたたき切るくらいの勢いで炎が爆ぜ、炎上し、ドラゴンは苦しんだ。
ざまあみろ、と鼻で笑ってやった。
しかしそこに、とある音声が流れてきた。ご丁寧にイシジマの名前を呼んでから。
『囮役、ありがとうな。おかげでドラゴンも楽勝で倒せそうだ! でもその単細胞、ちょっとは直した方が良いかもな。もう手遅れかもしれないけどさ……! ……ごめんちょっと言い過ぎたかな? 悪い、忘れてくれ』
シュウの声だった。
聞き間違えるはずもなかった。
その瞬間、爆発的な憤怒が――無意識に抑え込まれていた感情の塊が、暴発するみたいに膨れ上がり、考えるよりはやくイシジマは駆け出していた。
狙いはたった一人。スプーに向かって走っていく、志願兵――シュウに向かってだ。
着慣れないのか、全身鎧をガシャガシャ揺らしながら、シュウは間抜けに走っている。
スプーの跡地に着く頃には追いついてボコボコにしてやる、とイシジマはギラついた目でそれを追う。前歯をへし折って、生意気を言ったあの口では二度と喋れないようにしてやる。
よくも囮役、などと言えたものだ。異世界に来てから少し気が大きくなったのか?
「だとしたら、お前の弱さを、これでもかってくらい、思い知らせてやる……」
声に出して言うと、その瞬間が待ち遠しくてたまらなくなってくる。
しかし表情は怒り狂ったそれのまま、壊れて廃墟のようになったスプーまでイシジマは辿り着いた。
上がっている息を吐き出しながらも、呼吸する暇すら惜しいと言わんばかりに首を動かして見回す。
確か別方向から走り込んできたシュウは、このあたりに……
「!」
見つけた。
崩れかけた家の倉庫の中だ。中途半端に足がはみ出ている。
兜に守られた頭を抱え込むようにして、シュウは震えていた。
イシジマを相手に大口を叩いたのが、今さら恥ずかしくなったのか? あまりの馬鹿さ加減に笑い出したくなる。
しかしそれは我慢して、
「おい、シュウ……」
わざと静かに呼びかければ、びくりとその肩が震える。
にやりと笑ったイシジマは、瓦礫をわざとらしく踏んで物音を立てながら、その丸まった背中に近づいていく。
「さっきはよくも、あんなふざけたことを抜かしてくれたなァ? 遠くで吠え立てるのは気分が良かったか?」
シュウは答えない。恐怖で声も出ないのだろう。
しかしイシジマは近づき、容赦なくシュウの首根っこを掴んで無理やり外に引きずり出した。
地面に叩きつけられ、僅かにシュウが呻き声を上げる。
その拍子に被っていた兜が外れて、瓦礫の中に吹っ飛んでいった。イシジマはそれを見て、拳を振り上げながら思う。
ちょうどよかった。
これなら間髪入れず、あの気に食わない顔面を殴りつけてやれそうだ――
「よお、イシジマクンひさしぶり! 元気してる?」
しかしその拳は、相手の鼻先で止まる。
「……………………ハ?」
一瞬、頭が空っぽになる。
アホ面はアホ面でも、それはイシジマの思っていたアホ面ではなかった。
朝倉悠だ。アホな行動ばかりやらかし、よく女子にからかわれては赤面していた、あのアサクラ。
随分と背丈は伸び、顔も大人びてはいるが、にやにや笑っているのであの頃とほぼ印象は変わらない。
……なんてのはどうでもいい。
どうしてだ?
なんでアサクラがここに居る?
確かにオレは、シュウを追ってきたはずなのに……。
「――なーんて、思ってるんだろうけど。残念、アサクラくんでした!」
「お前、何を。いったい、何を……」
「おれは何もしてないよ。強いて言うと走り込んできただけだし。でも安心してくれ、お前の希望にはちゃんと答えるさ」
わけのわからないことを口走りながら、アサクラがにこっと歯を見せて笑う。
その人差し指が、上を指した。
イシジマは動揺のあまりか、アサクラなんかの示した通りに、ぼんやりと首の角度を上に向けた。
頭上に大きな影が差していた。
目を細め、見上げるうちに、黒ずんだそれが何だか分かる。
つい先ほどまで戦っていたはずの。
三つ首のドラゴンがなぜか、空の上から落っこちてきていた。




