145.三つ首のドラゴン
遠くで、鳥が慌てて羽ばたいていく音がする。
構える騎士たちも静まりかえり、アダンさんの指差す方角を、広がる陣営の全員がじっと黙って見つめている。
ズシン――、と再度、地面を揺さぶるような衝撃が、全身に伝わってくる。
それは足音だ。生き物が、足を踏み出す音だった。
いざ目の前にして、ようやくそれだけが理解できる。
『ギャアオオオオオオオオッッッ』
俺がずっと岩山だと思っていた一角。
それが、俄に意志を持ち、叫び、動き出している。岩山だとばかり考えていたのは、眠っていた魔物の身体そのものだったのだ。
大地を揺らしながら、全貌を明らかにしていくその魔物を前に、うまく言葉が出てこない。
「う、わ……」
思わず呻きながら、唖然として見上げる。
昨日、レツさんに聞いてはいたけど。こんなに凄まじい相手だったとは。
その魔物は、見れば見るほど巨大で、まるで聳える建造物が直接動いているような圧倒的な迫力を振りまいていた。
頭は三つ首のドラゴンである。
左が土色、真ん中が赤色。それに右の首は青色。
かなり色とりどりなのが不気味だ。首の下からは黄土色の、鱗が際立つ肌に通じているのも、ひどい違和感があった。
その背中には、亀のそれのようなコケの生えた甲羅が覆い被さっている。
それに足は6本。見るほどに、そのデカさと異様さに目が眩む。今まで見たことも聞いたこともない姿をした魔物だった。
……道理で、と思う。
目にした今なら俺にもよく分かる。レツさんの気持ちが。
レツさんは、俺たちが魔物の正体をマエノだと主張しても信じがたい様子だった。
確かに、この三つ首のドラゴンを見て、その正体がマエノだと信じられる人間は誰一人としていないだろう。
それにホガミの願いを聞き届けられなかったのも。湖の底のように鈍く重々しい色をした6つの眼球が、人間の言葉を受け入れるとは思えなかった。レツさんも同じように考えて、彼女の要求を聞き届けられなかったのだ。
「あ……」
目を凝らしてみると、真ん中のドラゴンには、顔の表面に浮き出た鱗の上に蝶の形の痣が大きく広がっている。
あれを見て、スプーの住人は魔物の正体が血蝶病にかかった元人間だと気づいたのか。
そして俺自身も僅かに疑っていたが、やはりあの魔物がマエノである可能性は高くなった。マエノも顔に痣が浮き出ていた。赤い首のドラゴンの痣の位置は、ほぼそれと同様だ。
が、冷静に観察し、分析できていたのはそこまでだった。
『ッグオオオオオ――――!』
まともに聞いてはいられないような音量で、土色の頭をしたドラゴンが叫ぶ。
そして驚くべきことが起こった。ドラゴンの足元の荒れた土が次々と盛り上がったかと思えば、土の中から大量のガイコツが躍り出てきたのだ。
間違いない。あのドラゴンが召喚した、使い魔のようなものだろう。
「アレ、レツさんが言ってたやつか……」
少し間抜けに穴から這い出て、自力で起き上がっていくガイコツたち。
呟く間にも、土埃を振り払ったガイコツたちは次々と、子どもくらいのスピードでこちらに向かって走り出してくる。
しかし決して舐められる相手ではないだろう。ガイコツたちが腕に握った棍棒は破壊力が凄まじく、取り囲まれて全身を殴打された騎士も居るのだというのだから。
前線のレツさんたちが、20ほどに及ぶその白い群れと衝突する。
しばらくは土煙しか見えなかった。
だが、それが晴れるにつれ、剣を抜きガイコツたちを相手に戦う騎士たちの様子が見て取れた。
剣と、固い骨とがぶつかる音。打撲音。威勢良く雄叫びを上げながら突撃を繰り広げる騎士たち。
それにその中央の陣をすり抜けたガイコツのうちの数体が、左右それぞれで待ち構える騎士たちに向かって行く。
あの中にはナガレも居る。そう思うと駆け出したいような気持ちに駆られるが、与えられた持ち場を無断で離れるわけにはいかない。それに俺がいま近づいていったところで、大鎌を振りかざすナガレにとっては邪魔でしかないだろう。
ドラゴンはといえば、激突するガイコツと騎士たちとを見下ろし、岩山の近くから動こうとしない。
何かに押し潰されたように見えた村の謎もこれで解けた。あの超巨大なモンスターが上から踏み荒らしたのだとしたら、あの惨状にも納得がいく。
今日はレツさんが、わざとスプーの跡地を避けて陣を展開していたからこそ、あのドラゴンはそこまで踏み出してはいないが……でも、少しでもこちらの陣営が下がれば、やはり後ろのスプーにまで再度被害が及ぶだろう。
俺はアンナさんが鍛え上げてくれた短剣――アゾット剣を引き抜き、無言のまま構える。
今はまだ、争いの喧騒は遠い。しかし驚くべきことに、休むドラゴンの足元には、先を争うようにしてボコボコと大きな穴が発生し続けている。
その穴に手を伸ばし、這い上がってくるのは、想像の通り薄汚れたガイコツたちだった。
延々と、敵は増え続けているのだ。このままではいずれ手が足りなくなり、後方の俺たちのところにも奴らは襲いかかってくる。戦いの形勢を見る限り、そのときはそう遠くないようにも思えた。
「あのドラゴンの防御はとにかく固いらしいんだよ。一応、周りのガイコツたちを砕くと、若干は弱るみたいなんだけど……」
「それを上回る速度でガイコツの群れをまた出されるからな」
どこかげっそりとした顔でアダンさんがトーマの言葉を継ぐ。連戦に次ぐ連戦なだけあり、言い争いしていた頃は元気だった2人ともが疲れた顔つきだ。
俺はふと疑問に思い、
「ガイコツを無視してドラゴンに攻撃はできないのか?」
と聞いた。しかしトーマはすぐに首を振る。
「それが、近づくとすぐに炎吐息で威嚇してくるんだ。とてもじゃないがまともに近寄れない」
「ああ、なるほど……」
つまり、あのドラゴンを倒すには結局、ガイコツをいくつも倒して弱体化させなければならないということか。ドラゴン――というかマエノだって、あんな姿になったとしても、敵を翻弄する術は身につけているらしい。
「でも結局、ガイコツたちと戦うので手が回らなくなって、あのドラゴンにはほとんどダメージが通らないんだよ。それがずっと続いてる……」
トーマはもどかしそうな表情だった。決定打がない現状で、どうにも行き詰まっているのだ。
確かに聞く限りでもややこしい相手だ。でも、と同時に思う。
「待ってくれ。レツさんほどの魔法の使い手なら、ガイコツごとドラゴンをまとめて消し飛ばせるんじゃ?」
シュトルの港で。
異形と成り果てたタケシタと戦ったとき、レツさんは燃える巨人を召喚し、地獄の業火で全てを焼き尽くす魔法――《火炎精霊》を使っていた。
あの超高火力の魔法であれば、そんな理由は一切関係なく、すべてを灰燼に帰して強制的に戦闘終了できそうなものだが。
しかし俺の言葉がアホっぽかったのか、ハァとわざとらしくアダンさんが溜息を吐いた。
「考えてもみろ、相手が炎属性である以上、副団長は魔法の相性が悪いだろ」
あー……。
そうか。俺は無属性魔法ばかり覚えてるから今まであまり気にしてこなかったけど、もともと魔法属性には相性というものが存在している。
ドラゴンも炎属性で、レツさんも炎属性。そうなると、攻撃が通らないというわけではないが、与えられるダメージは大幅に減ってしまうのだ。
「致命傷は与えられないし、あの魔物はスプーから大きく離れようとしないから、それだと副団長の魔法で村が消し炭になるだけだ」
どうやら思っていた以上に、一筋縄ではいかない相手のようだ。




