143.浮上する謎
シュトル港で別れてから、今までにあった出来事を話し終えるのに45分ほどは掛かっただろうか。
何度かどう説明したものか迷うこともあったが、その度にアサクラやリセイナさんが補足してくれた。
喋るのが不得意なナガレも、フィアトム城でどんな生活をしていたかなど、一所懸命に話してくれて助かった。
その中でも特にレツさんが興味を示したのは、フィアトム城の件だった。
「つまりお前たちは、フィアトム城で血蝶病者に襲われた、と。そういうことでいいんだよな?」
俺たちが揃って頷くと、「ふむ……」とレツさんは考えるような仕草を取り、そのまま動かなくなってしまう。
俺とナガレは顔を見合わせた。どちらかといえばレツさんが興味を示すとしたら、城内にラングリュート王が見当たらなかった点かと思ったのだが……。
やがて顔を上げたレツさんが言い放った。
「結論から伝えよう。――フィアトム城は、襲撃されていない」
「え?」
言葉の意味がよく呑み込めない。
困惑する俺に、レツさんは言い直して口にする。
「現実にあるフィアトム城には、2年前から今まで……何の危機も訪れてないんだ。今もラングリュート王はそこに居る。
オレはそこで、匿っていた《来訪者》たちが忽然と姿を消してしまった、と王から話を聞いた。アサクラ・アカイ・ヤガサキ・ミズヤウチ・ワラシナ・ハラの6人だな。それに数人の近衛騎士と、ハルバニア国直属の兵士たちも姿を消したと」
唖然とする。
同時に、その可能性を考えなかったわけじゃない。つまり、俺たちが戦いを繰り広げたフィアトム城が、フィアトム城ではなかった可能性だ。
それを考えさせてくれたのは、既に死んでしまったワラシナが残した一言だった。
――『私、……わからないんです……ここって本当に、フィアトム城なんでしょうか?』
ヤガサキに変身したカンロジと共に王室を見に行ったワラシナは、そこがもぬけの殻だったと証言した。
王や側近が居なかったとか、そういう問題ではなく……そもそも、人が暮らすような空間ではないと。何もない、場所だったのだと。
そしてレツさんは、現実のフィアトム城は氷漬けにされることも、ドラゴンに襲われることもなかったという。
その話を吟味した上で、考えられるとしたら。
「リミテッドスキル……?」
能力を使ってひとつの剥製の城を、造り出したのか?
あるいは、騎士たちを含む俺たち全員を精神魔法にかけて、幻の城に住まわせたのか?
でも、そんな大規模な魔法を誰が使ったのだろう。
ハラは、"塵芥黒箱"という、黒い箱に万物を収納する能力を持っていたから候補からは外れる。
カンロジに関しては、充分候補としての可能性がある。彼女のリミテッドスキルは、未だ明らかにはなっていないからだ。
「その、姿を消した騎士たちは……」
「……今も見つかっていない。1人もな」
暗い顔で答えるレツさんに、思わず沈黙する。
アカイやワラシナがあの場で殺されてしまったように、ドラゴンと戦っていたという彼らもその場で命を喪ってしまったのか。
天高く聳える城の、その最上階付近で戦っていた俺は知る由もなかった。そしてあの城の謎のほとんども、未だ解明できてはいないのだろう――。
「王さまは、無事だったんだ。良かった……」
しかし今は、考えても答えが分かるわけもなく。
安堵の吐息を吐くナガレのように、俺もきっと、そこに安心しておくべきなのだろうと思う。少なくともあの城で、国のトップの命までもは失わせずに済んだのだ。
筋肉が凝ったのか、レツさんは全身鎧に包まれた身体を解すように動かしつつ、「それと、血蝶病のことなんだが」と呟いた。
「だいぶこっちでも、《来訪者》が血蝶病を発症してる話は広まっててな。お前たちが正体を隠すのは正解だと思う」
「そうなんですか?」
「スプーに出没する超大型モンスターの件もあるし……シュウ、お前が乗った客船、血蝶病者に襲われたって言ったよな」
先ほど話した件の確認だ。迷いなく頷く。
「その船に乗ってた他の冒険者や旅行者で、彼らの痣を目撃した人間がかなり多かったみたいだ。フィアトムとシュトルを中心として噂がだいぶ広まって、血蝶病に対する国内の不安は高まっている」
確かに、あの客船にはかなりの人数が詰め込まれるようにして乗っていた。
鳥型のモンスターたちに襲われ、怪我を負った人も居たし、俺やネムノキと共に甲板に立って戦ってくれた冒険者も居る。
彼ら1人1人が自分たちの経験を隣近所で話したのなら、その事実は爆発的に広まってしまったに違いない。
「そういう事情もあって、《来訪者》は見つけ次第保護することになっててな……まぁ、アレだ。その一環でイシジマも拾ったってわけだ」
「なるほど……」
俺は神妙な顔で頷いたが、
「暴れ馬を拾った言い訳としては弱いな」
などと厳しいことをリセイナさんが言い出す。レツさんはグ、と言葉に詰まっている。
「……だからお前らがここで久々に顔を出してくれたのは、オレの立場としても有り難い。
いろいろ聞いた上で改めて確認だが、お前らは今回の戦いに力を貸してくれるってことでいいんだよな?」
俺は周囲の面々を見回した。
まず両隣。
ユキノは小さく頷いていて、ナガレは小刻みにこくこくと首を縦に振っている。
ホガミは素知らぬ風にそっぽを向いているが、アサクラはにやっと親指を立てて応じてくれた。
ホガミに関してはそもそもマエノと敵対するつもりはないのだろう。
それを抜けば、問題無さそうだ。俺はレツさんに向かって大きく頷いてみせた。
「はい。そのつもりです」
マエノを倒す。
いたずらに災厄を振りまく血蝶病者を放置することはできない。
それだけは確定事項だ。それからのことはまだ、不透明ではあったけど。
俺がはっきり応じると、レツさんが「よし」と相槌する。
「頼りにしてるぜ。これから、明日の作戦内容をお前たちにも伝える」
レツさんにそう言われては、期待に応えないわけにはいかなかった。
意気込む俺だったが、そこで片手を挙げた人物が1人。
「では私は帰る」
「……え? リセイナさん、帰っちゃうんですか?」
俺は思わず声を上げていた。
彼女が帰るといえば、それは考えるまでもなくエルフの国――コナツの元に、ということだろう。
しかし姫巫女の守り手であるリセイナさんの力は、ウエーシア霊山で味わったばかりだ。てっきりまた力を貸してくれるものと思っていた。
が、リセイナさんははきはきと言う。
「エルフは人間の争い事に干渉できん。そういう決まりだからな。この地にはマナも少ないし、単純な剣の腕だけでは私程度の者はいくらでも騎士団にいるだろう」
「そう……ですかね」
それは些か謙遜では、と思ったものの、本人がそう言うなら強くは言えない。
レツさんも「残念だ」とあからさまに呟いている。しかしリセイナさんには俺たちの言葉はまったく届いていないらしく、彼女はすぐに視線を動かしてしまった。
「で――貴様はどうする? ホガミ・アスカ?」
「……っ!」
名前を呼ばれたホガミが、ぎこちなく肩を跳ねさせる。
それから顔を上げると、注目が集まっているのを嫌ったのか眉を顰める。だがリセイナさんは容赦しなかった。
「貴様も見ただろう。スプー村は完全に潰され、崩壊した。あれは魔物化したマエノが起こした惨劇だ」
「…………」
「それに明日、騎士団はマエノと衝突するぞ。彼らはマエノを殺すために剣を振るい、魔法を唱える。それを見る覚悟は貴様にあるのか?」
俺の目から見ても、ホガミの表情は暗く虚ろになっていく。
だがリセイナさんを責めようとは思わなかった。誰も伝えられないが、誰かが突きつけるべき事実を、彼女は悪者になるのを承知で口にしてくれているからだ。
ホガミは悔しげに歯噛みして、しばらく黙り込んでいたが、沈黙のあとに振り絞るような声でぽつりと呟いた。
「……あたしは残る」
何となく。
ホガミならそう言うだろうことを、俺は予期していた。
「まだ、この目で確かめたわけじゃないもの」
そしてその続きは、驚くほど力強い響きを宿している。
「――そうか。なら、強くは言うまい」
それは同時に、リセイナさんもだったのか。
肩を竦めたリセイナさんは、たった一瞬、出来の悪い子どもを見るような目で座り込むホガミを見つめた。
ホガミはその視線には気づいていなかったけれど。
「明日か、遅くとも明後日には戻る。全員、死ぬなよ」
そう言い残すと彼女は颯爽と身を翻し、天幕を出て行ってしまった。




