142.守られた未来
天幕の中に設置された簡素な寝台の上に、レツさんが腰を下ろす。
俺たちはそんな彼に身体を向け、天幕の薄い布の上に座っていた。ホガミは少し離れた場所に。それとリセイナさんだけは立ったままである。
聞く準備が整ったのを見計らってか、レツさんは言葉の続きを口にした。
「オレの出身国は、ハルバニアの隣国であるカッセドミラ。そこはハルバニアよりずっと貧しく、国力に乏しい所だった」
長い足の間で手を組み、低い天井を心なしか見上げるようにして。
過去を語る彼の顔に気負ったものはなかったが、いつもよりほんの少し早口のように感じる。
「オレが物心ついた頃には、両親は病で死んじまってた。汚くて臭いスラムで、姉貴と2人、犯罪まがいのことばっか繰り返してどうにか生きてたよ。そうしないと明日には死んじまうのが分かってたから」
「…………」
レツさんは笑う。笑えるような話ではないはずなのに、それでも彼は笑ってみせる。
「軽蔑するか? 今や騎士団の副団長なんかを名乗ってる人間が、こんな身の上でよ」
「いえ」
迷わず首を振ると、翡翠色の瞳が驚いたのか丸くなる。
「何にも変わらないですよ。レツさんは俺にとって、誰より格好良い――憧れの騎士そのものだから」
「…………」
レツさんは溜息を吐いたかと思いきや、そのまま黙り込んでしまった。
もしかして怒らせたんだろうか? 言い方が失礼だった?
俺は慌てて言葉を重ねようとしたが、その前にリセイナさんがさらりと言う。
「なにを照れているフォード。年下からの素直な称賛がうれしいならそう口にするといい」
「……勘弁してくださいよリセイナさん」
レツさんが複雑そうに眉を寄せている。その言い様が面白かったのか、珍しくリセイナさんも楽しげだ。
「スゲェ。あの姐さんがイケメン騎士を圧倒してる……!」
そして二人の間で目線を動かしつつアサクラが息を呑んでいた。圧倒してるというか、容赦なくブッタ斬りまくってるって感じだけど……。
レツさんはぎこちなく咳払いしてから続ける。
「まぁ、それでだ。結局、食料も水も足りなくて、仲間も1人ずつ飢えて次々と死んでいった。でもそんなときだった。骨と皮だけみたいになったオレたちのところに、」
一度言葉を句切って、レツさんはリセイナさんを見遣った。
「――ここに居るリセイナさんの姉である、リセイラさんが現れた。あんまり綺麗な人だから、あのときは天の使いかと思ったんだぜ。もう18年前だから、オレが8歳の頃のことだな」
何度か過去に遣り取りしたことなのか、リセイナさんは目を閉じ肩を竦めるに留める。
リセイラさんは、リセイナさんの先代の守り手だ。
彼女はコナツの母親でもある。心ない貴族たちによって拷問され、命を落としてしまったが……。
レツさんは、そんな彼女が自分たちを救ってくれたのだ、という。
しかしその話には疑問があった。
「待ってください。リセイラさんが、レツさんを助けたんですか?」
「む。何か含むもののある物言いだな」
思いがけず妹さんに後ろからじろりと睨まれてしまった。いや、そういう意味ではなく。
だってリセイラさんはエルフだ。
エルフには、人間に干渉しないという決まり事があったはず。それなのに何故――
俺の疑問に答えたのはやはりというべきか、リセイナさんだった。
「答えは簡単だ、ナルミ。姫巫女の守り手が行動するのは、基本的に姫巫女の意志によってのみだ」
「え……じゃあ」
まさか、と思う。
不敵にリセイナさんは笑ってみせた。どこか誇らしげでもある笑みと共に、胸を張って。
「――あの方がそう望んだ。だから、姉はその願いを全力で叶えてみせたんだ」
「……!」
つまり、姫巫女――コナツが。
当時守り手であったリセイラさんに、幼いレツさんたち姉弟を見つけ、救うように指示した?
その考えを裏付ける言葉を、レツさんが何気なく口にする。
「その後はコッソリ、姉貴と一緒におとぎ話のエルフの国に連れていってもらってなぁ。姫巫女様っていう偉い人にも会わせてもらった。
そこでその人が言ったんだ。「あなたたちに血蝶病のことを調べてほしい。そして、いつか「コナツ」という名の少女を連れた冒険者が現れたら、力になってほしい」――ってな」
「じゃあ、前にレツさんが言ってたのは……」
レツさんの姉夫婦たちが経営する武器&防具&装飾屋『Ⅲ』の2階で、話したことを思い出す。
――『オレは内密に《来訪者》の調査を命じられている』
――『調査……ですか』
――『誰からかは言えないけどな。だが重大な仕事だ。血蝶病が人為的に引き起こされている可能性を調査している』
「そう。姫巫女様のことだ」
目の前のレツさんが大きく頷いてみせる。
それから柔らかく苦笑して、
「つっても、お前が「コナツ」って名の嬢ちゃんを連れてきたときはマジで驚いたんだぜ。姉ちゃんも「焦ってコナツちゃんに嫌な思いさせちまった」とか「シュウにエルフの話しちまった」とか、あの後おろおろしてたしな……」
そうだったのか。
あのときもアンナさんは冷静に振る舞っているように見えたのだが、実際はそうでもなかったらしい。
でもようやく、色々なことが繋がってきた。
幼い自分が見てきた世界に、少しでも現実を近づける努力をしてきた――そう、コナツは言っていた。
ということはこの世界は、元々コナツの知っている風には出来ていなかったということになる。
――俺がレツさんと出会えたのも。
コナツと出会えたのだって、そうだ。
他にもきっと、数え切れないほど数々の、小さな縁の糸を、コナツが守り通してくれた。
なら彼女の努力の一端を、ようやく俺たちは知ることができたのかもしれない。ユキノと顔を見合わせて、そんな風に思う。
「その後はハルバニアに渡ってあのアホ団長に出会って、騎士団に入ってと、忙しない日々が続いた。その間もオレと姉貴はずっと、姫巫女様に頼まれた調査を極秘で続けてた。
最初はリセイラさんに報告してたが、あの人が亡くなってからは――次代の守り手となったリセイナさんに、定期連絡を続けてたんだ。だからオレと彼女は顔見知りってわけだ。これで大体わかったか?」
ユキノが真剣な顔で礼を述べる。最後の言葉は、先ほどのユキノの問いに答えたものだった。
「で、次はシュウの話を聞きたいんだが」
「あ、はい。それはもちろん」
俺が頷くと、レツさんは俺の背後へと目を向けていた。
「そっちの……確かアサクラ・ユウ、だったな。アサクラだけ外見が相応に成長してる。でも、シュウたちは2年前のまま、ほとんど変わりないように見える。これはどういうことだ?」
「えっと……」
俺は振り返って、リセイナさんを見つめた。
レツさんは既に、コナツやリセイナさんがエルフであると知っているようだが、どこまで話していいものか勝手に判断ができない。
しかし彼女は俺と目が合うなり、平然と言う。
「構わない。お前が体験したことは、全てフォードに話してやれ」
「……分かりました」
守り手である彼女がそう断言するなら、問題ないということだろう。
頭の中で話す内容をまとめながら、俺はレツさんに向かって口を開いた。




