140.怒りのレツさん
レツさんはしばらく、そのまま時間が止まったように固まっていた。
俺もだんだんと、どんな顔をしていいものか分からず、ヘラヘラしたまま見つめ合ってしまう。何してるんだろう俺。
硬直していたレツさんが動き出したのは、その数秒後。
「……お・ま・えッッ! シュウッ! マージで今までどこで何してやがったコラっ!?」
「うぐッ」
指差されたかと思いきや、目にも止まらぬ速度でラリアット。
ほとんどプロレス技みたいな強烈な技を食らい、俺は卒倒しかける。
レツさんは頭の下を鎧で固めているし、筋肉量がえげつないのでとにかくぶつかったときの衝撃が半端ではない。彼が本気だったらもしかするとそのまま、天幕ごと吹っ飛ばされていたんじゃなかろうか。
なんて冷静に思考できていたのもそこまでだった。
そのまま卍固めに持ち込まれてうわコレはイタタタ何がどうなってるんだろう
「オラオラオラオラッ! さすがのオレも怒ってんぞ「お久しぶりです」じゃねぇ! フィアトムで目撃情報も途絶えてるし、近くを探し回っても見つからねェしでッ」
「いたた。け、けっこう痛いですレツさん」
「どっかでまさか死んじまったんじゃねぇかとこっちは気が気じゃなかったぞ……! 連絡もしないでどこほっつき歩いてたんだ!!」
レツさんの怒り具合は凄まじかった。俺自身、なんでこんなに怒られているのか分からないくらいだ。
遠巻きにびっくり顔をしているユキノやナガレと異なり、ひとり冷静な顔つきのリセイナさんが感心するように評した。
「フォード、お前――そうしてると父親か兄のようだな」
「は――」
勢いで振り返ったレツさんの口の動きが、中途半端に止まる。
「………………ハァ」
やがて、レツさんはげっそりと、疲れたように吐息を吐いた。
それから俺への拘束を解くと、ぼりぼりと頭を掻いた。俺が言うのも何だが、何だかちょっとばつが悪そうだ。
「……リセイナさんは、コイツがどこにいるか知ってたんですか?」
リセイナさんは腕を組んだまま、やんわり首を振る。
「2年前の時点では私も知らなかったさ。会ったのは最近のことだ。それでも連絡しなかったのは、悪いと思っている」
「……そうですか」
ハァー、とさらに深い溜息を吐いて、若干不機嫌そうにレツさんが言う。
「で、何だっけ。入隊希望? 人手が足りねぇからそれは歓迎だ。簡単な手続きで済むから全員こっち来い」
「いいんですか?」
「いいも何もねぇっての。お前ら、ちょいと抜けるからあと頼む」
残りの会議のメンバーにそう声を掛け、レツさんはさっさと歩いて行ってしまう。
俺たちも慌てて、入ったばかりの大きな天幕から、レツさんに引き続いて出て行く。
そのすぐ脇にある小さめの、縫合の荒い天幕の前には二人の騎士が立っていた。
レツさんは軽く背後を振り返り、
「悪いが、近衛騎士団に入るには王都で試験を受ける必要があってな。現地で募ってるのは一般の志願兵のみだが、いいか?」
俺ひとりで判断できることでもなく咄嗟に仰ぎ見ると、リセイナさんは迷わず頷いていた。
どうやら元々、予定にあった行動らしい。だったら最初に話してくれればいいのに……とは思うものの、リセイナさんのことなので、何か考えがあったのだろう。
「……私としたことが、こんな大切なことを伝え忘れていたとは。ううむ、ウッカリしていたな。まぁいっか……」
「(……ナルミ、今何かとんでもない呟きが聞こえてこなかったか?)」
アサクラがこそこそ話しかけてくるがゆっくりと首を振る。世の中には気づかない振りをしたほうが良いこともある。たぶん。
「お? 副団長、入隊希望者ですか?」
ぞろぞろと歩く俺たちの接近に気づかないはずもなく、騎士たちが気色ばんでいる。
レツさんはそのすぐ近くまで歩み寄った。
「そうだ。っと、リセイナさんはどうします? オレとしては歓迎しますが」
「……悪い冗談だ」
リセイナさんが肩を竦める。「ですよね」とレツさんが笑った。
それから騎士たちに説明されるがまま、俺・ユキノ・アサクラ・ナガレの4人は、入隊志願書という書類に記入をすることになった。
ホガミに関しては暗い顔で黙り込んでいるままで、入隊する気はない様子だ。しかし何か気の利いたことが言えるわけでもなく、そのまま放っておくことしかできなかった。
最後のナガレが丸文字で署名を書き終えたところで、他の騎士が持ってきた衣類や防具を配ってくれる。本当にこれで手続きは終わったみたいだ。
俺がそれを受け取っていると、レツさんが言い放つ。
「下手な変装もしてるみたいだが、手っ取り早く兵士の格好したほうが誤魔化しが利くだろ。全員あとでこれ着とけよ」
「下手な変装……」
邪気のない言葉に、地味にリセイナさんがショックを受けている。ちょっと面白かったがそれこそ口にしたら最後、腰のレイピアで突き刺されそうなので黙っておくことにする。
「さて。事務手続きも終わったところで、さっそくこの2年間の話を聞きたいのも山々なんだが……悪いな、オレは一度会議に戻らないとならん。作戦の決行は明日だしな」
そう切り出したレツさんはかなり申し訳なさそうな顔をしていた。
よくよく見れば、レツさんは心なしかぐったりしているように見える。かなり疲れているのだろう。コナツの話では近衛騎士団は数日間、魔物化したマエノと戦闘しているというから、部隊の指揮をとっているのであろうレツさんの疲弊がひどいのも当然ではある。
「さっきのどでかい天幕の右方向に歩いて行けば、オレの使ってる天幕がある。そこで待っててくれるか? そう時間はかからねぇから」
「はい。分かりました」
俺が頷くと、レツさんは僅かに口の端を持ち上げたが――すぐにその口元をへの字に曲げた。
「ったく、団長まで居なくなったせいで随分とこういう仕事が増えた気がする。いや元からか。アイツほぼサボってたもんな……」
「団長というと……ホレイさん、のことでしょうか?」
ユキノが小首を傾げると、レツさんは「ああ」と間髪入れず頷きを返した。
「そうだよそのホレイさん。アイツまで2年前から姿を消してる。一体どこほっつき歩いてんだか」
ホレイ・アルスター。
彼はレツさんの上司に当たる立場の騎士であり、ユキノに攻撃魔法を教えた師でもある。
俺自身はそう関わりがあったわけでもないが、タケシタの潜む船の樽の中に隠れていた姿や、フィアトム城で敵として現れた彼の姿は今もよく記憶している。
少なくとも、カンロジやハラに比べて、彼は会話が通じそうな相手だった。その証拠と言うべきか、黒髪のバケモノを追って広間を出て行ったときのあの人は、身を隠す俺たちに気づいている様子だったのだから。
――レツさんにはホレイさんのことは、やはり話すべきなんだろうか?
「あの――レツさんとリセイナさんのお二人は、どういったご関係なのでしょうか? 以前からお知り合いのようですが」
そこで、たぶんその場の誰もが気になっていたであろう質問を、代表してユキノが口にした。
俺はそれで一度、考えるのをやめた。あれこれ勝手にひとりで考えても答えが出ないに決まっている。必要であれば話す
と、ただそれだけのことなのだ。
そしてユキノに質問された二人はといえば。
リセイナさんは非協力的に腕を組んだままだんまりだったが、レツさんは朗らかに笑った。
「そういえば話してなかったか。でも、それも話すと長くなるしなぁ。後でもいいか?」
「はい、それはもちろん」
ふたりが遣り取りする合間に、その横を、ちょうどぞろぞろと複数人の近衛騎士団が通りかかった。
その内の一人――俺も見覚えある顔が、口笛を吹いて野次を入れた。
「なーに照れてんだよ、フクダンチョ! このベッピンさんはアンタのコレだろ?」
「コレとは何だ。どういう意味だ。私は物ではないのだが」
しかし眉根を寄せたリセイナさんが固く問いかけると、「いえ何でもないです」と小さくなる。
だがそのすぐ後、いくつもの目はリセイナさんの後ろに立つ俺へと向けられた。ぎくりとする。
「……おい、見ろよみんな。あれ、シュウじゃねぇか?」
「なわけないだろ。シュウは2年前に死ん――痛ッ」
「それ言うと副団長に半殺しにされんぞ!」
「確かに似てるな……本当に戻ってきたんじゃ……」
五人もの屈強な近衛騎士が身を寄せ合って何やら会議している。
まずいか、と俺は焦り出した。彼らとは城で共に特訓に明け暮れた仲なので、バレる確率は高い。
でもコナツとリセイナさんの作戦により正体を隠しての行動を推奨されている以上、こう一気に何者か看破されるというのはあまりよろしくないだろう。
俺にできることといえば、どうにかして彼らの注目を別に向けたりとか――!?
「でも待て。あのクソ真面目なシュウがよ、髪に赤メッシュなんか入れるか?」
「「「「「…………別人だな」」」」」
……あれ。
なにか手を打つまでもなかった。
注目されたかと思いきや、集まっていた視線はまたさっさとバラけていってしまう。
特に何か弁明する暇もなかった。というか、疑いもキレイサッパリ晴れてしまっているようだ。
レツさんが複雑そうな表情で呟く。
「オレが言うのもどうかと思うが、バカばっかで助かる」
「はは……」
俺はただ笑うしかなかった。




