138.扉の向こうへ
陸に打ち上げられた魚のような勢いでビチャンッッとアサクラが勢いよく跳ねる。
そのまま起き上がったアサクラは、開き気味の瞳孔で俺を睨みつけ、服の袖を思いきり引っ張ってきた。
「待って待って待って。ちょっとこっち来てナルミくん」
「ええ?」
逆らおうにもアサクラの力は強く、そのままずるずると数メートル先に引きずられる。
置いて行かれたナガレはきょとんとした顔でこちらを見ている。せっかくすんなり(?)会話できてたのに。
俺は目の前のギラギラと血走った目をしたアサクラに引きつつ、唇を尖らせた。
「何だよ」
「何だよじゃない。いま、ウッチャンのこと名前で呼んでなかった?」
呼んだ。
呼んだが、そう改めて指摘されるとこっちとしても恥ずかしい。ようやく赤面せず名前を呼べるようになってきたのに。
「そうだけど……」
「ていうか名前で呼ばれてなかった?」
「まあ、それも」
「いつの間にスゲェ進展してんじゃん! 偉い!」
そのままぐりぐりと乱暴に頭を撫でくり回される。フツーに痛い。
しかし現在のアサクラは俺より実質2歳上というのもあり、そう簡単に振りほどけない体格差だ。致し方なくされるがままになる。ちょっとムカつくけど。
「だけど、アレだな。そーなるときっと、妹君がまた暴れるぞ」
「ユキノは一度も暴れたことなんてないぞ」
ひどい風評被害だった。あんなにお淑やかで慎ましやかな女の子が暴れるわけがないだろ。
アサクラはものすごいアホを見るような目で俺のことをまじまじと見つめてくる。
「いろいろ鈍感すぎるねナルミは。いつか後ろから刺されるぞ」
「はぁ……?」
意味が分からん。
「いやでも、カンロジがリミテッドスキルを使って仲間の誰かに変化でもしてきたら、背後を取られる可能性もあるな……それは考慮しておかないと……」
「くそう、お前と色気ある話ができると夢見たおれがバカだったぜ」
よくわからないうちにぺいっと解放された。何だったんだ結局。
思わず渋い顔をする俺だったが、いつまでもそんな茶番に付き合っていられない人もその場にはいたようだ。
「ねえ、さっさとしてよ。早くハヤトに会いたいんだけど」
「まあ待て。扉を召喚した後は迅速に移動する」
誰かといえば、傍目にもうずうずと落ち着きのないホガミと、対照的にどんと構えたリセイナさんだ。
しかし後者の言葉はかなり意外だった。
「あれ? リセイナさんも一緒に来てくれるんですか?」
聞いてみると、若干、口をへの字に歪ませるリセイナさん。
「私は案内するだけだ。エルフは人間の争いには関与しない決まりだからな」
腕を組みつつクールに応じられる。しかし案内をしてくれるというだけでも助かる。
何気なく俺は問うた。
「じゃあ、扉もリセイナさんが?」
「……いや、私ではない」
しかしリセイナさんはアッサリと首を振る。
彼女の目線はそのまま、俺の横へと向かう。つられて俺もそちらを見た。
そこに立っていたのはコナツだ。
両手を胸の前にまっすぐ突き出し、直立姿勢のまま瞳を閉じている。
かなり集中しているのだろう、額には玉のような汗も浮かんでいた。
……見覚えのある姿だ。
その構えの意味には、すぐに心当たる。
あのときは氷に隠れて様子を窺っていたのであろうホガミも、気づいたようだった。
「でもその子、前にも失敗してんじゃん。やめたほ」
アサクラがホガミの口を思いきり塞いだ。
「何すんのよ!」と追いかけ回される遣り取りも耳に入ってきたのか、集中しているコナツがうっすらと唇を笑ませた。アサクラはいつも、空気を和ませるのがうまい。
「大丈夫か? 手を握ってようか?」
俺はといえば思わず、そう声を掛けていた。
しかしコナツは緩く首を振る。声には、力強さがあった。
「……ううん。今度はひとりでだいじょうぶ」
そしてコナツは、ゆっくり深呼吸すると。
その言霊を、以前よりずっと力強く、切実に唱えてみせた。
「繋ぎの扉、今こそ開け――我が名は、コナツ=リセリマ!」
不安がなかったといえば嘘になる。
俺でさえそんな風だったのだから、当事者であるコナツはといえば、どれほどの緊張があったかも分からない。
が、コナツが唱えると同時。
ズ、ズッ……と何かを引きずるような音と共に、空中に巨大なシルエットが浮かび上がる。
「……お見事です」
リセイナさんが呟く。
現れた鉄製の扉はゆっくりと、俺たちの待つ地面に降り立つ。
エルフの老賢者の姿が彫られ、多言語で彩られた古代の扉。
他の世界と繋がる力を持つ、神秘の門。それが今、目の前にある……。
「……できた……ちゃんと……」
荒く息を吐きつつ、コナツもその偉容を呆然と見上げている。
「コナツ、お疲れ様」
ユキノが労るように声を掛けると、コナツは満面の笑みで応えた。
エルフに伝わる扉が「コナツ=リセリマ」の名前に呼応し、現れたという事実は、俺が思う以上にコナツ自身にとって大きなものだろう。そう思うと、俺も誇らしい気分になる。
そこでリセイナさんがこほん、とわざとらしく咳払いをした。
少し鼻を啜っていたのは気のせいだろうか。触れないのが正解、というのは深く考えずとも分かる。
「言い忘れていたのだが。お前たち全員に、これからとある古代魔法を掛ける」
「古代魔法を?」
「そうだ。姿形の一部を変化させる魔法だ」
その言葉を受けてか、コナツがにやりといたずらっぽく笑った。
「せっかく2年間も行方をくらませて、敵方をやきもきさせている状況なんだもの。正体は隠していたほうが何かと好都合よ」
「ひめみ……リセリマ様の言う通りだ。魔法で全身を覆い隠すのはさすがに難しいのだが、瞳の色や髪型といった身体的特徴を、少しずつ変化させることはできる」
俺はその魔法を知っている。
覗き見た過去の記憶の中で、コナツの母・リセイラさんがお腹の中のコナツに付与していた魔法だ。
そのときは髪の色と耳の形を変化させていたが、似たようなことをするんだろうか?
「リセリル=トーホン=リセイナが命ずる。燦々たるマナよ、形を変えよ」
さっそくリセイナさんは、俺たち全員に向かって一気に魔法を掛けてくれた。
可視化できる量のマナが全身に降り注いでくる。このすぐ近辺にマナスポットと呼ばれる、マナが多く集まる場所があるというから、それも当然なのかもしれない。
――さて、一目で分かるような変化といえば。
俺は周囲を見回してみた。
ユキノの長い黒髪はショートカットに切りそろえられ、瞳の色が深い青色から琥珀色に変わっている。
ミズヤウチの髪はより水色がかった色彩に変わり、ウルフカットの髪先に緩いウエーブがかかっている。
ホガミの派手に巻いていた茶髪は三つ編みにされ、カラコンを入れていた瞳は黒目になっていた。
それからアサクラは…………うーん、何だろう。
特に変化してる点が分からない。まあ別にいっか。
「どうだ。これだけでもだいぶ印象が変わるだろう」
リセイナさんが自慢げに胸を張る。女子たちはお互いの変化を確かめつつ、華やかに騒いでいた。
「頭が軽いです。すごい魔法ですね」
「なんか、髪先がふわふわに……?」
「あたしばっかり、何かものすごく意図的なものを感じるんだけど」
「待って姐さん。おれ何にも変わってなくない? 気のせい?」
「えっと、俺は……」
しかし目の前に鏡があるわけでもないので、自分の変化が分からない。
とりあえず頭を触ってみたり、首やら肩やらに触れてみるが、これといった違和感はない。
髪も一房、手に取って確かめてみるものの、色も元々の茶色のままだ。
……アレ、もしかして俺も何も変わってない感じ? 男子はこういう扱いなのか?
困惑していると、リセイナさんがさらっと言い放った。
「ナルミの場合は、もうネタ切れだったので髪の生え際にだけ赤のメッシュを入れておいた」
「ものすごい悪目立ちするタイプのイメチェンじゃないですか……」
「まあ、それだけというのも寂しいからな。一応こういう小道具も用意している。遠慮せず使え」
ごそごそと何やら大きな荷物を漁ったかと思えば、リセイナさんから手渡されたのは古めかしい丸眼鏡だった。
そのアイテムを見た途端、脳裏にはとある変態眼鏡執事の顔が浮かぶ。眼鏡といえばあの人である。
「せっかくですが……」と辞退を申し入れると、リセイナさんは「そうか」とちょっぴり残念そうだ。
「おれだけイメチェンできなくて悲しい。おれはサングラスにする」
アサクラはいそいそとピンクフレームのハート型サングラスを装着している。
よかった。悪目立ち度なら圧倒的にアサクラのほうが上を行きそうだ。リセイナさんも小道具が役立ってうれしそうだし。
「では、改めて確認するぞ」
すっかりゆるゆるの空気になっていたのを、再びリセイナさんが鋭い声音で引き締めにかかる。
「まずお前たちの掲げる第一の目的は、スプーに出没する超大型魔物の討伐」
「討伐じゃない。確認よ」
基本的にマエノを庇う傾向にあるホガミが訂正を求めている。
リセイナさんは咳払いし、
「……超大型魔物の確認。そして第二の目的として、カンロジ・ユユの動向確認と、場合によってはその阻止だ」
「はいはーい」
「はいは1回だ。2度言うヤツは殺す」
「おれに対してだけ殺意がすごい!」
仲良く師弟が戯れている。
苦笑しつつふと視線を動かすと、コナツはみんなと同じように微笑んでいながらも、なんだか寂しげにちょこんと距離を取って佇んでいた。
その姿を見て、やはり一緒に連れていくべきなんじゃないか、と今さらながらに思う。
それを口に出そうか迷った直後だった。
「あっ」
やけにもぞもぞしていると思いきや。
ユキノの腕から暴れて飛び降りたハルトラが、その勢いのまま、次はコナツの身体に向かって思いきりジャンプした。
『ニャアッ』
「わぁっ! ハルトラ……!」
その小さな猫を、コナツは慌てて両手で抱き留めた。
ハルトラも手慣れたもので、すっぽりとその手の中に嵌まってみせて満足そうにしている。
俺はその一瞬の出来事をしばらく、呆気にとられて眺めていた。だからユキノのほうが理解は早かったようだ。
「ハルトラは、ここに残りたいんですね」
魔物との意思疎通を可能とするリミテッドスキルは、エルフの国にいる以上は使用できない。
それでも、ユキノの通訳に誤りがないのは明らかだ。ハルトラは1人で残されるコナツの不安を少しでも拭うために、それを選択したかったのだろう。
「兄さま、いいですよね?」
「ああ。勿論」
ユキノの問いかけに頷くと、俄にコナツの表情が明るくなる。
しかしそれで終わりではなかった。アサクラとの戯れを中断したリセイナさんが、そっとコナツに近づいていったのだ。
「リセリマ様。いえ、リセリマ」
突然話しかけられたコナツは少し緊張した面持ちだ。
親族とわかった今も複雑な心境は拭いきれないのか、ふたりにはまだ距離がある。
「ハルトラだけではありません。この村に住むエルフ全てが、あなたのことを愛し、あなたを守りたいと願っています」
だがそんな距離感を控えめに詰めるようにして、リセイナさんが柔らかな笑みを浮かべてそう言った。
コナツははっと目を見開く。そんな、孤独に慣れてしまった悲しい少女に寄り添うようにして、リセイナさんは言葉を重ねた。
「悲しいことや辛いことがあれば、いつでも彼らを頼ってください。同胞たちはあなたを温かく迎えますから」
「……うん、わかってる。ありがとう、リセイナおばさん」
コナツはその言葉にしかと頷いてみせた。
そして、出発の時が来る。
「じゃあ、コナツ。行ってくる」
「――行ってらっしゃい。みんな、無事に戻ってきてね」
俺が微笑み返すと、コナツが瞳を潤ませながらも口元を仄かに緩ませる。
そうして彼女は首に提げた銀色のカギで、封印された扉を解錠してみせた。
開かれたその先に何が待つのか。どんな運命が待ち受けているのか。
今はまだ、その全てを俺たちは知らない。だからどんなに怖くても、前に進まなくてはならない。
「では、行くぞ。全員遅れずついてこい」
リセイナさんに続き、まずホガミが。
そしてアサクラとユキノが颯爽と続いていく。
最後に残された俺は、隣に佇むナガレの手をゆっくりと取った。
「っ!」
「ごめん。嫌だった?」
「……ううん。嫌じゃないよ」
その手が先ほどからずっと震えているのを分かっていたからだ。
ナガレは弱い力で、俺の手を握り返してくる。
少なくともこの手の温もりがあれば、進めるはずだ。
ナガレにとってもそうであれば、と思う。そうすればきっと俺たちは、カンロジには負けない。
「行こう」
「うん」
頷き合い、俺とナガレは、その扉の中へと一歩を踏み出した。




