135.話したい人
「2日後、スプーでは魔物の掃討が行われる」
ホガミからの聞き取りが一段落ついた頃、コナツがそう言った。
魔物というのは、言わずもがなマエノのことだろう。血蝶病が進行し、魔物と化した彼は暴れ回り、スプー周辺を荒らしているのだという。
「リセイナが入手した情報だから確かよ。だから、短い時間で申し訳ないけど……スプーに戻る人は、明日の朝にもう一度宮殿の前に集まってほしい。扉を使って、スプーまで送るから」
「あたしは行く」
最も素早く名乗りを挙げたのはホガミだ。
「ハヤトにもう一回会いたい。それでできればちゃんと、今までのことを話したいの。いいわよね?」
「……実現するかどうかは。何とも言えない。でもあなたがそうしたいなら、そうすべきだよ」
つまりは各個人の判断に任せる、ということだ。
コナツの返事に、大きくホガミが頷く。そのまま立ち去るホガミの少し後、ミズヤウチとリセイナさんも謁見の間を出て行った。
残った俺は、分かりきっていることかと思いつつもコナツに伝えておくことにした。
「俺ももちろん行くよ、コナツ」
「……うん。おにーちゃんは、そうだよね」
コナツに驚いた様子はない。
だがその顔は、次第に曇っていった。
「ごめんなさい。あたしは、ついていけない」
「それは、エルフの掟があるからか?」
「そのこともあるし、身体のことも……まだ、本調子じゃないみたいで」
二の腕を擦るように動かす仕草に、思わず目を奪われる。
ちらりと見た限りだが、透明化の兆しがある……というわけではなさそうだ。少しだけほっとする。
しかしコナツがそう言うなら、体調はどこかしら悪いのだろう。それかやはり、長老たちによって制止されているのかもしれない。
「ちゃんとお見送りはするから。体調不良ってわけじゃないの」
慌てたように言い繕うコナツの頭に、そっと手を置く。
ぽんぽん、と優しく撫でるようにすると、慌てふためいていた動作の大体が止まった。大人しくなる。
「ありがとう。必ず帰ってくるから、待っててくれ」
「…………うん。ちゃんと、待ってる」
鼻声だったが、コナツは笑っていたようだ。だから俺も、それで心配は全部吹き飛んでしまった。
その後。
俺は船を漕いでいたアサクラと共に宮殿を出た。
アサクラは寄るところがあるとかですぐ手を振ろうとしたのだが、俺はそれを食い止めた。
「さっきのこと、改めて話しておきたいんだけどさ」
リミテッドスキルの詳細を隠していたことだ。
謝って済む問題でないのは、重々承知しているけど。
でもアサクラには多くの場面で助けられてきた。このまま不誠実でいるのが正しいこととは到底思えない。
「ナルミ。さっきの話なら、別に気にしてないよ」
しかし、恐らくとんでもなく暗い顔をしている俺に対し、アサクラのほうはあっけからんとしていた。
「本当に、すげーなってビックリしただけだもん。お前に悪気がなかったのは分かってるし」
後頭部で両手を組んで、にやりと笑っている。
到底演技とは思えないレベルの自然な仕草だ。
「……でも」
「まぁ、お前が納得いかないってんならさ」
二歩三歩と歩きながら、アサクラがのんびりとした口調で言う。
「スプーに行ったときにでも、見せてくれよ。お前の集めまくったリミテッドスキルの技を」
「……じゃあ、おまえも?」
「モッチロン。ここで行かなきゃ男が廃るって」
振り返った顔には笑みが浮かんでいた。
「それに姫巫女が居なくなるってことは、いずれ守り手も解任されるってことだろ? おれ無職になっちゃうじゃん。だったらスプーで職探しもしないとな、また冒険者に戻るのもいいしさ」
「……まったく」
軽いことを言うのはわざとだろう。苦笑しつつ、俺は肩を竦める。
フィアトム城で起こった出来事は、決して、良いことばかりとは言えない。
でもアサクラや、それにミズヤウチと出会って、こうして肩を並べて戦える関係になれたのは、奇跡みたいなものじゃないかと思う。あのまま日本で過ごしていたら、きっとそんな日は一生、訪れなかったはずなのだから。
「だからおれなんかに構ってないで、話したい人とちゃんと話しとけよ。もう出発まで、そんな時間もないわけだし」
「……ああ」
それなら考えるまでもなかった。
+ + +
「ユキノ」
俺が呼びかけると、早足で歩いていた黒髪の少女は数秒の空白を経て振り返った。
ユキノはリセイナさんの家に帰るところだったようだ。途中で追いついて良かった、と思う。
というのも、俺とミズヤウチ、それにホガミは元・守り手であるフィランノさんの家に居候させてもらっているが、新たにユキノまでもを……というのは、人数の関係でさすがに難しいという話になった。
そこで現在、ユキノとハルトラはリセイナさんの家に寝泊まりしている。コナツも宮殿から出た際は、いずれそうする予定らしい。
「はい、兄さま」
相も変わらず、驚くほどの美貌を和ませてユキノが上品に微笑む。ホガミと激しい言い争いをしていたのが嘘のような笑顔だ。
俺はその笑みにちゃんと、同じものを返せているだろうか?……自信はなかった。もっとぎこちなくなっていた気がする。
何故なら、血蝶病者があともう1人居るとして。
その候補はかなり絞られていることになる。
まずは俺。それにユキノ、アサクラ、ミズヤウチ、ホガミ。
カンロジやハラもそうだ。ネムノキやイシジマだって……誰一人として、病気でないと言い切れる相手はいない。例えば既に死んだ誰かが、本人も悟っていない内に病に感染していた可能性だってある。
だが予感は、そうじゃないと言っていた。
そんなにこの世界は、生温くない。いつだって残酷だ。
起こり得ないことが簡単に起こる。信じられないほど残虐なことが発生する。
だからこそ、名前を呼んで足を止めさせたというのに、二の句が継げず黙り込むことしかできずにいる。
俺は死に行くトザカに託された。
父親を理不尽に奪われたエリーチェにも、血蝶病者は1人残らず殺すと伝えた。
でももしも。
もしも、だけど。ユキノが、そうなのだとしたら――?
「兄さま。今、ユキノからお話できることはありません」
知らず俯けていた。
冷たく汗ばんだ顔をそっと上げると、ユキノは変わらない笑みの表情のまま、
「コナツから、明日スプーに渡ることは聞いています。もちろんその際は同行しますし、お力添えもします。でも……今は何も、お話できないのです。それに……」
目を眇めて、そう言った。
「……旅立ちの前に兄さまがお話したいのは、私ではありませんよね?」
「え……」
試すような。
ユキノが俺に向けるには珍しい眼差しで問うてくる。
でもそれはどこか穿った見方だったのかもしれない。
瞬きの後に再度注視すれば、ユキノは寂しそうに微笑んでいたからだ。
その表情は、再会した際に目にしたものによく似ている。でもそのときよりも、取り繕ったような違和感があった。
「ですから、どうか、兄さまのお好きなようになさってください。ではまた、明日」
言葉を挟む余地もない。
丁寧に頭を下げると、そのままユキノは去って行ってしまった。
取り残された俺は呆然と、凛とした背中を見送る他ない。
ユキノが不機嫌なときは、もっと分かりやすい。
ニコニコ笑っていても、その背後の感情は見え隠れするから、俺はいつもそれを読み取る努力をしていた。
たぶんユキノ自身の計算なのだろうが、そのおかげで7割……いや、6割程度は、きっと気持ちを理解できてきたはずだと思う。
でも今は、何も見えない。
ユキノが何を考えているか分からない。喜怒哀楽のどれに近いのかも、まるで見当がつかないのだ。
こんなことは初めてで、どうしようもなくて、戸惑った。
「俺が話したい人……」
アサクラに言われたときは、考えようともしなかった。
兄なら真っ先に妹のところに行くべきだから。理由なんて必要じゃなかったから。
でも、もう一度――真剣に、考え直してみる。
そうしている内に、見知ったひとりの顔が頭に浮かんで、気づけば俺は駆け出していた。




