134.ホガミの証言2
その寂しげな表情を目にした途端、思わず口端から問いが零れ落ちる。
「どうしてホガミは、マエノに協力してたんだ?」
もはや条件反射みたいなものなのか、俺が質問すると鋭く視線を飛ばしてくるホガミだったが、言葉の意図を理解してかほんの僅かに眉が下がる。
「……どうしてって言われても」
「だってホガミは血蝶病に罹ってなかったんだろ? その場では確かに、言えないのは分かるけど……その後でなら、逃げる機会もあったんじゃないか?」
そしてそれが、俺がホガミの主張を信じられない最たる理由でもあった。
そう。血蝶病者になったマエノたちが他の《来訪者》たちの抹殺を命じられた以上、必然的に、ホガミも彼らの敵と認識される。
多勢に無勢なのだし、その場では取り繕って、自分も血蝶病に感染した演技をするのは自然なことだ。生き抜くためなら当然のこととも言える。
でも、その後のホガミの動向はといえば、俺が知っているだけでも積極的にマエノに協力しているのだ。
まず、あのザウハク洞窟でホガミはマエノたちに味方し、俺を殺そうとした。
フィアトム城にも、ハラのスキルを利用して侵入を果たし、マエノと共に俺やミズヤウチを追い詰めた。
それなら半年もの期間、マエノに協力する理由は一体どこにあったのか。
「――あったでしょうね。ハヤトは最初、視認できる位置に痣がないあたしのことを、疑う素振りを見せてたけど……あたしが協力的な姿勢を崩さないうち、信用してくれたみたいだったから」
自嘲気味にホガミが笑う。俺はもしかして、と声を潜めて問うた。
「……マエノのリミテッドスキルの影響下にあったのか?」
「違う」
催眠系のスキルというなら有り得るかとも思った。
しかしそれには、ホガミは間を置かず首を振る。
「ハヤトのスキルはそこまで万能じゃないみたいだった。だったらあの洞窟で、アンタのことも殺せてたはずだし」
ああそうか、と俺は納得しただけだったが。
その攻撃的な発言に対してか、ユキノが敵意を篭めた瞳でホガミを睨む。
ホガミは知らんぷりするかと思いきや、壁から背を離し、見上げるユキノを逆に見下ろす姿勢を取った。
「……何? 言いたいことあるなら、言えば」
ユキノも決して負けてはいない。
そんなホガミの顔を臆せず見つめ返し、立ち上がる。
「では言いたいことはいくらでもありますが、敢えて一つだけ言いますね。――ホガミさんには真っ当な感覚がないのですか?」
「は? 何ソレ」
言うまでもなく険悪なムードである。
どうすんだよ、という目でアサクラが見てくる。しかし俺は首を振るに留めた。
この状況下で、ユキノがホガミに対して何を言おうとしているのか。それが気になったのだ。
何故ならユキノはわざと、ホガミを怒らせようとしている。それならそこに隠れた意図を、俺は読み取りたかった。
ユキノは刺々しい声音で言う。
「長らく味方をしていた人間に易々と見捨てられ、殺そうとしていた人間によって命を拾った。それでアッサリ鞍替えなんて、随分と卑怯ではないでしょうか。まぁホガミさんらしいといえば、そうなのかもしれませんけれど」
「…………アンタ」
ユキノは、もはやホガミを馬鹿にしているのを隠す気はないようだ。
激情家のホガミは飛びつくようにしてユキノの胸倉を掴む。
ただし大した身長差もないから、ただ掴みかかったような格好だ。そのせいで俺は腰を浮かせたまま、動けなくなる。
ユキノは不愉快そうに片眉を顰め、視線は怒るホガミを見下ろしたまま、
「兄さま。コナツ。どうしてこんな女を生かしておくのですか?」
そう、俺とコナツに向かって投げかける。
「この代理戦争の仕掛け人がわかった以上、彼女を生かしておく理由はありませんよ。違いますか?」
「……間違ってはないよ」
コナツが冷静に答える。
突然の事態に動揺しているかと思いきや、周囲の誰よりよほど、コナツは落ち着いている。
それが数百年をかけて蓄積された知識や経験によるものなのか、それともユキノへの一種の信頼によるものなのか。
判断はつかなかったが、できれば後者であればうれしい、などと思う。
「いずれ、仕掛け人と――同じ土俵に立つつもりなら、他の《来訪者》の存在は障害にはなるもの。ホガミアスカをここで殺すのは、そういう意味では選択肢の一つではあるのかもしれない」
「それなら」
「でもおにーちゃんは」
コナツは静かな口調で言い直す。
「……ナルミシュウは、そうしたいのかな? ねえ、どう思う?」
名指ししながらも、コナツは俺に訊いているわけじゃない。
彼女はユキノにそれを問うている。だから俺も、何も言えはしなかった。
冷徹に張り詰めていたユキノの表情が、一瞬――揺らぐ。
「……それは」
挑発的な態度が緩んだのを感じ取ったのだろう。
ホガミが手を離す。ユキノはそんなことにも気づかないように、ふらふらと、一、二歩後ろに下がる。
そのとき、ユキノと目が合った。
戸惑うような、縋りつくような。それでいて、救済を拒絶するような――孤独な双眸が、一秒にも満たない間だけ俺を見つめた。
「少し頭を、冷やしてきます」
ユキノは素早く、小さな声で呟いた。
そのまま謁見の間を出て行こうとする。
俺は追おうと立ち上がった。今、ユキノを一人にするのは良くないように思ったのだ。
だが、
「ナルミシュウ、今はホガミアスカの話に集中して」
コナツに注意され、足が止まる。
……結局俺は再びその場に座り直した。コナツに言われたからというよりは、単純に、その方が良いと判断したからだ。
必要があるなら、きっとユキノは俺の名前を呼ぶだろう。
それがなかったということは、二人で話す心積もりがまだユキノにはないということだ。そんな状態の相手から無理やり追いかけて話を聞き出すことはできそうもなかった。
「……さっきの質問、一応答えとく。義務はないけど」
しばらくの沈黙を経た後、ホガミがぼそりと言った。
「あたし、ハヤトのことが好き。中1の頃からずっと」
誰かが息を呑む。
ホガミはほんの僅かに頬を染めていたが、その表情を見られるのを嫌がったように顔を背けた。
「それ以外、理由なんてない。本当はあったかもしれないけどもう忘れた。……これでいい?」
しかし律儀にも最後は俺のほうを見遣り、嫌そうに顔を顰めてくる。
俺は頷いた。感情論に口出しまでするほど野暮ではないつもりだ。
一度空気が弛緩して、ホガミはそれからの出来事の説明を再会した。
「その後のことは、アンタたちも大体知ってると思うけど。みんなで話し合って、まずナルミたちを騙して殺そうって話して、洞窟まで呼びだして……でも騎士団の連中に襲われて。散り散りになって逃げた後に、何人かはうまく合流できて」
記憶を思い返すように、ホガミの目線はどこか遠くに投げられている。
「ちょっとずつ《来訪者》を殺した。でもあたしたちも、だいたい死んじゃった。ほとんど万事休すってときに、カンロジが協力したいって申し出てきた。それであのフィアトム城に、ハラの力で忍び込んだ。それだけ」
「カンロジが持ちかけたのは取引か?」
アサクラが首を傾げると、ホガミは「さあ」と人差し指で唇を撫でる。
「詳しくは、知らない。最初はハヤトも、絶対罠だって警戒してたけど……急にカンロジは信用できるって言い出して。それでハヤトとあたし、それに魔物になっちゃったニュウダとメラで、フィアトム城に攻め込むことになった」
丹生田大志。
それに米良頂。
どちらも俺とユキノが、恐らく血蝶病者だろうと予想していた人物だ。
ただ、厳密に言えばもう一人、その候補となる人物の名前は挙がっていた。
「マツシタは?」
「え?」
「松下小吉は参加しなかったのか?」
マツシタは三年二組のクラス委員長を務めていたにもかかわらず、実権のほとんどをマエノに奪われていた人物だ。
本人は小さい声でぼそぼそ喋ることもあり、至って目立たない少年だった。ジャンケンに負けて委員長になってしまったという事情も不憫だった。
「マツシタも居た。途中まではハラのスキルで出来た箱の中で一緒だったもの」
途中までということは、マツシタはどこかで別行動を始めたということだろうか?
その仮定を裏付けるようにホガミが続ける。
「でもアンタを追う前、ハヤトが箱から出てきたマツシタに何か話しかけてた。マツシタは逃走系のスキルを持ってるっていってたから、たぶんその指示をしてたんだろうけど」
ほとんど溜息みたいな声だ。
つまり、カンロジと黒髪のバケモノによって追い詰められた絶望的な状況の最中――マエノだけは、自分が逃げる算段を整えていたということだろう。
おそらくはマツシタに、その手助けをさせた。その後にマエノは症状の進行が進み、現在は魔物と成り果てたのだ。
これでホガミたち、血蝶病者の一味に起こった一連の出来事の流れが大体掴めた。
が、ともすればそれより気になることが俺には残されている。
「ホガミ、もうひとつ聞いていいか?」
「……何?」
話しかけると、ホガミは憮然とした面持ちながら一応答えてくれる。
「血蝶病に罹った――狼役の選考について、その声の主はなにか言ってなかったか?」
「選考……事前に《来訪者》半数の15人に決まっていた、みたいなことは……何となく、言ってたと思うけど」
ホガミは自信なさげな様子だ。
でも俺はその言葉を信じることにした。
「俺たちのクラスメイトだったワラシナのリミテッドスキルのことが、ずっと気になってたんだ」
俺はワラシナのリミテッドスキルについての詳細を、簡潔に説明した。
血蝶病の相手と関連する事象を報せるという予知魔法のことだ。
「ああ、それで」
最初に合点がいったように頷いたのはホガミだ。
「カンロジとハラが、身を潜めてたあたしたちの所にやって来て、協力するって言ってきたときなんだけど。占いの結果がどうだから、襲撃の人数や日付は変えたほうがいいだとか何とか、うるさかったのよ。あれ、ワラシナのスキルに関係してたんだ」
「そういうことだろうな。恐らくワラシナの魔法は正確すぎて、それを知るヤツなら逆に覆すことができたんだ」
その上で俺は、とある一つの仮説を口にした。以前にユキノにも話したことがある。
つまりは、血蝶病者の対処に特化したスキルを持っていた以上、ワラシナが血蝶病にならないことは元々決まっていたんじゃないか――というものだ。
「他のヤツに関しては、リミテッドスキルは自分の願いや本能を表したものだって言っても、それなりに納得はいくんだけど……ワラシナは、少しそれとは違う。もっと故意というか――ワラシナじゃない別人の意図を感じる」
うんうん、とミズヤウチとアサクラが頷く。
一方はスピードに特化したスキル。それにもう一方は朝寝坊防止のスキルという、非常に分かりやすいタイプのスキル持ちなので納得が素早い。
「そいつはきっと《来訪者》半数と、血蝶病者半数の総当たり戦の様相になるって予想を立てていて……ワラシナのスキルを、その戦争に役立てようとしたのかもしれない。実際には、そううまく運ばなかったわけだけど」
「さっきっから何が言いたいの?」
俺が言いたいことを読み取れないのだろう、ホガミが苛立った様子で床を踏みつける。
あとはもう、余計な話は必要なさそうだ。とにかく説明して、理解してもらうしかない。
俺はその言葉を口にした。
「じゃあ残りの1人は?」
「は?」
またきつい目つきで睨まれるが、怯まずさらに問いを重ねる。
「ホガミは血蝶病じゃないんだろ? だったらもう1人いるはずだ」
「………………あ」
俺の言っている意味に、ゆっくりと思い至ったらしい。
ホガミが呆然と、目と口を開く。大きな衝撃がそこには覗いている。
「そうか。あたしが病気じゃないってことは……あの礼拝堂に残った他の人数だけじゃ、14人になる」
「それじゃクラスの半数に満たないよな。首謀者が15人だと明言したなら、さすがにそこはズレないだろうし」
アサクラが肩を竦める。俺は無言のまま、2人の言葉に頷いた。
血蝶病者は、もう1人居る。




