132.代理戦争
その日の午後、俺は再び、宮殿にある謁見の間にやって来ていた。
コナツは珍しく寝台から出てきていて、急遽リセイナさんが用意してくれた絨毯の上にちょこんと座り込んでいる。
それなので俺たちも彼女と同じように、床に座り込んで円を描いているような形になっていた。
ちなみにメンバーは俺の右隣から、ユキノ・コナツ・リセイナさん・アサクラ・ミズヤウチという順番だ。つまり俺の両隣は、ユキノとミズヤウチが居るような状態である。
ハルトラも居るには居るのだが、寝台の上でごろごろ転がっているだけなのでカウントに含まないことにしよう。
ただ、本日最も重要な人物ともいえるホガミに関してはその中に溶け込むのを嫌ったのか、ひとりだけ壁際に立ったまま、遠くをジッと睨むように見ている。
そう。この集まりの理由は、当初から決められている。
ホガミから、ハルバニア城に残った《来訪者》に起きた出来事を聞き出すこと――それが第一の目的だった。
「ホガミアスカ。それじゃあ、話してくれる?」
コナツがそっと促す。
しかしホガミはそんなコナツをじろりと睥睨し、
「…………もう一回、聞いておきたいんだけど」
低い声でそう言った。コナツが真剣な顔で承諾する。
「ハヤトが――……マエノハヤトが、魔物になったっていうのは本当なの?」
「本当よ」
コナツは躊躇いなく頷いた。どうやら俺以外のメンバーが居る中だと、以前の姫巫女として正体を隠していた頃に近い口調になるようだ。
気恥ずかしさからなのか、まだ役目を続行しているために威厳を保とうとしているのかは不明である。ツッコむと真っ赤になって怒り出しそうなので、とりあえず黙っておこう。
「ここに居るリセイナが人間界に渡り、何度も調べてくれたわ。マエノハヤトは血蝶病の症状が進行し、魔物に成り果てた。彼は今、スプーという村の近くに出没する超大型のモンスターと化している」
「スプー?」
聞き咎めたのは俺だった。その村のことはよく知っているからだ。
ザウハク洞窟で、俺とユキノはマエノたち血蝶病者に罠に嵌められ、殺されかけた。そこから逃れて辿り着いたのが、牧歌的な田舎村であるスプーだった。
メリアさんという女性に受け入れられ、俺たちはしばらく彼女の家に世話になった。その息子であるトーマとは、何度かダンジョンでパーティを組んで戦ったこともある。それに村の人たちはみんな、事情を深く聞くこともなく親切にしてくれたのだ。
「それは――スプーの人たちは無事なのか?」
俺が眉を顰めて問うと、答えたのはコナツではなく、俺の正面に片膝を立てて座っているリセイナさんだった。
「ああ、何人か怪我人は出たようだが死人はゼロだ。今は村人は全員保護され、村の中には家畜一匹も残っていないようだ。近衛騎士団の対応が迅速だったからこその功績と言える」
近衛騎士団。つまりはレツさんたちの活躍による、ということらしい。
俺が扉をくぐる間に2年が経過していた、と聞いたときはショックだったが、今もきっとレツさんたちは無事だ。そして戦い続けているんだろう。そう思うと、多少の安堵を覚える。
だがあの村が、マエノによって襲われているのだとしたら――何としてでも、マエノを止めなければならない。それだけは揺らぐことはない。
俺とユキノは顔を見合わせて、頷き合う。やはり早急に、キ・ルメラには戻らなければならないだろう。
「血蝶病に関しては、おにー……コホン。ナルミシュウたちが、シュトルからフィアトムに向かう客船で魔物に襲われた出来事がきっかけになり、既にハルバニア中で噂が広がっているわ」
続くコナツの説明も、また俺の知らない情報だった。
気遣わしげにコナツが言う。
「そもそもは、シュトルでタケシタルカが魔物化したのが、憶測も含めてかなり広まっていたみたい。神父がいなくなった事件との関わりなんかが、各地で騒がれて……そこに客船の情報が流れ込んできて、一気に国中に拡散したの」
「そんなことになっていたんですね……」
ユキノが小さな声で呟く。
見通しが甘かったのかもしれない、と俺は思う。シュトルの件はレツさんたち近衛騎士団が情報を統制してくれようとしていたが、客船でタカヤマたちが大量の魔物を使役して来襲してきた件は、目撃者に関してもかなり多かったはずだ。
特に、甲板に出て俺やネムノキと共に戦ってくれた冒険者たちは、タカヤマたちの身体にある蝶の形の痣も目にしている。正直、隠し通すことなんかできないような状況だったのだ。
次に、コナツはホガミを見遣る。どうやらここまでの説明は、全てその言葉を伝えるための前置きだったらしい。
「ハルバニア全土で、血蝶病者を殲滅せよ、という気風が高まっていて……生き残りのマエノたちは、人々から追われていたの。その末に人のいないほうに逃げて、スプーに辿り着いて……そこで魔物化したんじゃないかと思う」
「…………」
ホガミは何も答えなかった。
ショックが大きかったのか、と思った。しかし彼女がしばらく黙っていたのは、そんな理由ではなかった。
「…………何で?」
決して、大きな声ではなかった。
それなのに、謁見の間にその声は響き渡り、一瞬、完全なる静寂が訪れる。
ホガミは震えていた。強い怒りによって全身を震わせていたのだ。
握っている拳が、傍目からでも分かるほど白い。ホガミは唇を噛んで、悔しそうに言う。
「ハヤトが、悪いの? 別にハヤトたちは、望んで血蝶病なんかになったわけじゃないのに……」
「……それをあたしたちも知りたいの」
コナツが諭すようにそっと呼びかける。ホガミは行き場のない瞳でコナツを見つめる。
「彼に、あなたたちに、何が起こったのか。それが分かればきっと、この戦いを終わらせられる」
ホガミに向かって前のめりに上半身を押し出すような格好で、床に手をついたコナツが熱の篭もった口調で言う。
「魔物になった人を助ける術は、ないけれど――でも、彼をひどい目に遭わせた人を、野放しにするわけにはいかないんだから」
「…………そうね。前向きに言えば、そういう話になるのかもね」
ホガミは握っていた拳を開いた。
それからいつものように腕組みをする。でも浮かんでいる表情は自信満々のそれではなく、どこか辛そうな苦笑だった。
「だけどあたしは、自分の目で見るまでは諦めない。助けられるならハヤトを助けたい。だから今からアンタたちに話すのは、そう――ただの気まぐれみたいなものよ」
「それでいいわ。お願い、あなたの知っていることを教えて」
ホガミが小さく息を吐いてから、話し出す。
「……あたし、あの城で聞いたのよ」
あの城、というのは無論、俺たちが召喚された場所であるハルバニア城のことを指しているのだろう。
見れば、緊急時以外は眠そうにしていることが多いミズヤウチも体育座りの格好で、興味深そうにホガミの話を聞いている。
それも当然かもしれない。彼女の親友であるフカタニリンは血蝶病に罹っている。親友の身に何があったのか、ミズヤウチも知りたいと考えているはずだ。
「聞いた? 誰から?」
代表してアサクラが訊く。ホガミは緩く首を振った。
「…………あの声の主が誰なのかは、分かんない。姿が見えなかったから」
「姿が?」
「そうよ。でも、だからこそ……ソイツが最初に言った言葉は、よく覚えてる」
誰もが息を呑む。
ホガミは暗い瞳で、ゆっくりとその言葉を辿った。
「「ようこそ、勇者候補たち――ならぬ、このトチ狂った代理戦争の、狼役に選ばれた哀れな諸君よ」……って」




