126.光の射すほうへ
周りの奴隷はそれからもどんどん死んでいった。悲しむ暇もないくらい、次々にだ。
でもあたしは死なない。運良く、運悪く生き残って、まだ死ねずにポツンと残されている。
ごはんが喉を通らなくても、ずっと死んだように寝ていても、なぜかあたしは死ねなくて、それはもしかしたらお母さんの遺したマナたちが、あたしのことをギリギリのところで守っているのかもしれない。
そう思うと恨めしい。そんなことをするくらいなら、はやくこの息の根を止めてほしいのに……。
「次はモルモイに向かう」
四年が経ったある日、そう奴隷商が話す声がきこえた。
あたしは生まれた頃よりさらに大きくなっていた。一度、冒険者のパーティに買われたことがあったけど、またすぐ返品されたんだ。奴隷商は「売ってもすぐ戻ってきやがる」と露骨に嫌そうな顔をしていたが、あたしを捨てる気はないようだった。売り飛ばしたときの額がそれなりだったかららしい。
……そのときのことは、思い出そうとしてもうまく思い出せない。どんな顔の、どんな人たちが同じパーティに居たのかも、不思議と覚えていないのだ。返品された理由すらわからないのは、自分でもおかしいとは思うんだけど。
あたしが鉄格子の間から聞き耳を立てているとは知らず、奴隷商はボソボソとした声で喋り続けている。
「あそこは何もない寂れた街だが、商売敵どもの多くはまだ着手してないからな。ギルドがあるのは厄介だが、隠れて商売してりゃ見つからないはずだ。まぁ、モルモイなんかにゃそう金持ちもいないだろうが……」
モルモイって、どこだろう。ハルバンとは近いのかな、遠いのかな。
ハルバンに行ってみたい。おかーさんの言ってた、湖に浮かぶお城を一度でいいから見てみたい。
また、おかーさんに思いを馳せた。もう涙は出てこないけど、それでも、会いたいなと思う。会いに行けたらいいのに。
そのとき突然、荷車の中に強い光が射して、あたしはビクリと身体を震わせた。
杖をつきながらよろよろと、男が室内に入ってくる。
奴隷商の男は随分、歳を取っていた。白髪だった髪の毛はほとんどが抜け落ちている。なにかに取り憑かれたみたいにギラギラと欲を放つ落ち窪んだ目と、黄ばんだ歯並びを目にすると、大抵の奴隷は「ひっ」とびくついてしまう。
あたしといえば慣れたもので、牢の中でそっぽを向いて膝を抱えていると、ちょうど後ろを通りかかった際にその男が声を掛けてきた。
「いい加減、売れないと、魔物のエサにしてやる……」
忌々しそうに吐き捨てる。出会った当初、その首元で銀色に輝いていたカギは、今はもうなくなっていた。
というのも、あたしがあの貴族の男に買われていた時期に、既に高値で売り飛ばしてしまったのだという。あたしはそれをずっと知らず、取り返すことができないかと機会を窺っていたこともあった。何ともバカらしい話だ。
男はあたしの入った手狭な牢に唾をぺっと吐いて、開きかけていたカーテンを思いきり閉めた。
世界はまた閉ざされて、ただの暗闇だけが戻ってくる。
あたしは横になって、大人しく目を閉じた。モルモイにつく前に死んでしまったって、それはそれで別にいい。
+ + +
しかし思いがけず、その街に辿り着いた直後、あたしに再びの買い手がついてしまった。
モルモイであたしを気に入って買ったのは、グラン・ハーバスという名前の拳闘士の男だ。
十万コールという結構な大金で、グランはあたしを買った。かなりぼったくられているが気づいた様子もない。大層な金持ちなのかと思えばそれが所持金のほとんどらしく、ちょっぴり呆れてしまった。
しかも驚いたことに、グランはあたしの胸元にある隷属印の効力をなくすように、と奴隷商に向かって言った。
「旦那ァ、いいんですか? コイツがないと、まともに奴隷どもは言うことも聞きませんよ」
そんな要求をされたことがない奴隷商は困惑した様子だった。が、グランは自信満々に言う。
「いいんだ。オレにはそういうのはいらねぇ。実力でどうにかする。鎖もいらないし、外してやってくれよ」
……手足を押さえつけて言うことを聞かせるなどお手の物、ということか。
吐き気がする思いだったが、とにかく隷属印や拘束具がなくなったのは有り難い。少なくともこれで、死に場所を選んで死ねそうだ。
まずはグランから隙を突いて逃げ出さねば、と考えつつ、あたしは彼の後について荷車を出た。
――久しぶりに外の空気を吸い込む。
奴隷小屋に押し込められていたときは、埃と砂を吸って咳ばかりしていたのに。
太陽は真上に輝いていて、手で遮らないと目の奥が痛みを感じるくらいに眩しい。
今までの辛いこと全部が嘘みたいに、無かったことみたいに、外の世界は当たり前に光に満ちていて、何だかそれがひどく虚しい。
「すげぇ、金髪だ。初めて見たぜ」
呆然としていたら、グランがあたしの髪の毛を手に取っていた。
何を言われたか最初はよく理解できなかったが、
「…………!」
その髪の毛を目にして、すぐさま戦慄する。
今までずっと、暗い場所にいたから気づいてなかった。
年老いて目が悪くなった奴隷商も、たぶんそれで分からなかったのだ。
あたしの髪の毛はいつの間に、金色の輝きを持っていた。
どうしてだろう。サディがいなくなった頃は、まだ赤茶色だったはずだ。一体いつから?
おかーさんの魔法の効力が消えてしまったのか。前髪をぐっと伸ばして、横髪を引っ張ってといろんな角度で確かめるが、目にする限りどれも金色の糸の塊だ。
慌てて確認すると、耳は尖ってはいない。髪の毛だけが戻ってしまったのか。
「お前、もしかするとエルフか? だとするとさっきの金で買えたのは、かなり得――ちょっ、オイ?!」
したり顔で何かを言いかけるグランの腕を振りほどいて、あたしは衝動的に駆け出した。
駄目だ。だっておかーさんと約束したんだ。
エルフだってバレちゃいけないって。もっとひどい目に遭わされるって。
それなのに魔法が解けたら、きっと、目にした人みんなに分かってしまう。あれは珍しいエルフの子どもだと指を指されて、引っ立てられて、見せ物にされて……おかーさんみたいに、苦しめられて殺される。
…………おかーさん。
涙が溢れてくるたび、片手で拭って走り続ける。
後ろを振り向くと、グランは必死の形相で追いかけてきていた。エルフの子だとわかった以上、彼は決してあたしを諦めはしないだろう。
転びかけながら、それでも足を止めずに走る。
裸足だから、小石のひとつを踏むだけで痛みが背筋まで這い上がって、立ち止まりそうになる。足が萎える。歯を食い縛って、耐えて、ふらふらと進み続けた。
モルモイの街に来たのは初めてで、街の中がどうなってるかなんて知る由もない。
路地裏のような、裏道のような手狭な道を選んで、距離を離そうとするけど、きっとグランはこの街に詳しいのだろう。引き離すどころか、少しずつ後ろのグランは大きくなってくる。このままじゃ逃げ切れない。
おかーさん。おかーさん!
だめだよ。もうすぐだめになる。だって奴隷のエルフの子なんか、誰も助けてくれるはずないもの――
「あっ、ごめんね」
ドン、とそれなりに強い勢いで誰かにぶつかった。
びっくりして顔を上げる。逆光で顔がよく見えない。
その人はあたしが年端のいかぬ子どもと分かってか、ゆっくりと目の前にしゃがみこんで、穏やかに首を傾げてみせた。そうすると顔が、見えるようになる。
「どうしたの? 今日はだれかと一緒かな?」
……やさしいひと。
表情を見ただけですぐに分かる。
それに、とてもやさしい声。このまま身体を預けて、縋りついて泣きたくなるくらいに。
茶色い髪をした、線の細い男の子だ。
あたしよりは歳が少し上だろう。でも決して大人じゃない。まだ声変わりもしていないし、身長もそう高くはないのだ。
それなのにそのひとは、汚い格好のあたしを、周りの好奇の目から隠すみたいにして語りかけてくれる。あたしのことを、ひとりの人間として扱ってくれている。
きっとそれだから、あたしは。
諦めていたはずの生を、その瞬間だけはどうしても、諦められなくなった。
「たしゅ、たすけ、て」
そうしてあたしは出会った。ナルミシュウ――それにその妹の、ナルミユキノに。
それが自分の運命を変える出会いになると、その頃はまだ、知るはずもなかった。




