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兄妹転生 ~チートだからって調子に乗らず、クラスメイトは1人ずつ私刑に処します~  作者: 榛名丼
第五章.スティグマの亡霊編

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120.選ばれし者

 

 長く艶やかな黒髪に縁取られるように、小さな輪郭が浮かんでいる。

 そうして、凍りついた棺の中で――ユキノは両手を組み、目蓋を閉じて眠っているようだった。


 穏やかな寝顔だ。

 ただ夜眠って、朝を待っているかのような。

 同時に神聖な、作り物めいた美しさをも併せ持っている。その仮定を取り除くのは、胸が僅かに上下しているという事実だけだった。


「ユキノ」


 名を呼ぶだけでは、ユキノは反応しない。

 俺は棺の隣にしゃがみ込んだ。そして、そっと手を伸ばす。一度、しかと感触を確かめて、人間としての熱があることに安心したかった。

 氷によって形作られた側面とは異なり、表面には何のコーティングもない。ゆっくりと伸ばした手が、ユキノの頬に触れかけたとき、


「――何だ、これは」


 固い口調で、リセイナさんが呟いた。

 手を止め、反射的に振り向く。棺の前に遅れて集まっていたアサクラとリセイナさんは、霊山内を見回して目を丸くしている。


 どうしたんですか、と訊く直前に、俺もその言葉の指す意味に思い至った。


 見上げた先、なにかがちかちかと点滅し、舞っている。

 冬の雪のように見える。それにホタルの光にも似ている。先ほどから鉱山を照らしていた光る鉱石によく似通ったものだが、それよりもずっと明るくてまぶしい。


 手の平を広げてみると、その手の上にも光る粒が舞い降りてくる。握ってみるが感触はなく、消えることもなかった。

 気がつけば千や万という規模では足りないほど、視界いっぱいにその粒が溢れ出して、暗いダンジョンの中が照らし出されている。


「――霊山内のマナが急激に、この頂上に向かって集まりだしているようだ。だが、この気配はどこか……」


 訝しげに何かを言いかけた、リセイナさんの声に重ねるようにして。


《……ナルミシュウ…………》


 ――誰かが俺を呼ぶ声が、頭上から響き渡った。


「! この声……」

「声?」


 隣に佇んでいたミズヤウチが小首を傾げる。

 彼女の両手の上には、覆い被さるようにしてマナの粒が大量に集まっている。頭の上やマフラーにもだ。


「今、どこかから、俺の名前を呼んでる声がしたんだ。ミズヤウチにはきこえない?」

「ううん。何も」

「リセイナさんとアサクラは?」


 二人も訳がわからないという顔で首を振る。

 リセイナさんの腕の中で、ハルトラだけは、クルルと喉を鳴らして、耳をまっすぐ立てている。


《ようやく、ここまで辿り着いてくれた……私は、あなたをずっと待っていました》


 しかしそんな風に彼らと意思の疎通ができたのは、そこまでだった。

 直後に、変化は起こった。


 ミズヤウチは、俺の方を不安げに向いたまま。

 リセイナさんは、眉を寄せてマナの粒を見上げる姿。

 アサクラは、こんなときだというのにふわぁと欠伸する格好。

 ハルトラは、鼻先に止まった小さなマナを、じっと見つめる仕草で。


 そのまま、時間が止まっている。


「これは……」


 前にも一度、ザウハク洞窟で同じような出来事があった。

 あのときは、マエノの刀身の上に金髪の女神さまが姿を現し、マエノたちと同様、硬直した俺に助言を与えてくれた。

 でも今は少し違う。降り続くマナはそのままで、俺も身体を問題なく動かせる。

 崖下から僅かに聞こえる、風の吹き抜けるような音も変わらない。


 そこから導き出せる結論は、つまり固まっているのは時間ではなく、俺以外の仲間たちのみということだ。

 そしてそんなことを造作もなく行ってみせたのは、十中八九、この声の主なのだろう。たぶん俺と円滑に会話するために、ミズヤウチたちの時間を止めてみせたのだ。


「君は、誰だ?」


 俺はまず、そう言った。

 しばらくの沈黙を経て、声が返ってくる。


《名乗るための名前を、私は持ちません。ですので……便宜上、アルと名乗ります》

「アル?」

《あなたはクイズの答えに、自力で行き着いたようだから》


 不思議な声だった。

 音量も喋る速度も一定。男のものか、女のものかも分からない。

 若いのか老いているのか、怒っているのか喜んでいるのか、そんな印象さえもまともに浮かばない。

 鼓膜に響く瞬間に、その声音に込められた意味や意図が順繰りに分解されて、それについて考える頃には無機質な、音波の塊に変換されてしまっているような、そんな違和感がある。


 眉を顰める俺に構わず、アルと名乗った声はどこかから続ける。


《だから、エルフの姫巫女やホガミアスカから必要な情報を得たら、私の正体も自ずと分かるでしょう。きっと、ネムノキソラの過去を知らなくても》


 俺の知っている名前を、アルは当然のように口にする。

 ……いったいこの人物は、俺たちのことをどこまで知っているんだろう。


 でもそれより先に、俺には優先して確かめるべきことがある。


「まず聞きたい。アルはユキノに何かしたのか?」


 俺の声が伝わるまでタイムラグがあるのか。

 やはり数秒の沈黙を挟んでからアルが答える。


《私の記憶のごく一部を、流し込みました。でも心配しないで、しばらくすれば目覚めるはず》


 何者かも分からない、しかも姿を見せない相手の言うことだ。

 本来ならそんなの、信用に足る言葉なんかじゃなかったはずだ。

 それなのに何故か、疑う気はまるで起きない。この声の主が俺に対して嘘を吐くことがないと、俺は何の根拠もなく信じ始めている。

 決して感情のないロボットのような声なのにそう感じるのは、俺自身、疑問ではあったが。


《それにこの2年をかけて私が記憶を流し込む間、ハルトラがずっと、傍について彼女を守っていましたから》

「2年……」


 つまり、ユキノとハルトラはアサクラと同時期に、このエルフの国にやって来たということだろうか?

 でもアサクラとは違って、ユキノはフィアトム城で別れるときから、何ら姿が変わっていないように見える。とても2年間もの年月を過ごしていたとは思えなかった。


《ずっと、私が創った棺の中で彼女は眠っていたから。この中では、時間は経過しないのです》


 俺の心の内の疑問をきれいに読み取ったように、アルが言い放つ。


《彼女自身の記憶は、あなたと城で別れ、扉を渡った瞬間から停止しています》

「……君の記憶を流し込んだっていうのは、どういう意味だ?」

《そのままの意味です。彼女に一つの……いえ、()()()()()をさせるためにどうしても、そうする必要があった》

「二つの決断?」

《――私の口からはお話できません》


 そこで初めて、アルは俺の質問に対し回答を拒否した。


《いずれ、あなたもそれを知る。あなたも決断しなければならない時が来る。……私に言えるのはそれだけです》


 抽象的で、意味はよく分からない。

 でも俺は「分かった」と頷いた。無闇に突いたところで、アルと名乗ったこの人物はそれ以上の情報を漏らさないだろう。そんな気がしたからだ。


《では、本題に入りましょう。あなたに、私の持つエクストラスキルを差し上げます》

「…………!」


 俺は息を呑んだ。

 ユキノを助けたいのなら、ウエーシア霊山に向かえ。

 そしてその頂上で、エクストラスキルを獲得するように――と、そうコナツは言っていた。


 てっきり頂上に着きさえすれば、授かるものなのかと想像してたけど。


「その、エクストラスキルっていうのは一体……」

《世界から、認められた証》


 アルはあくまで淡々と、説明してくる。


《世界を繁栄に導いた者、あるいは導く者のみが獲得する、正真正銘の、世界を変えるに足る力》


 いまいち、スケールが大きすぎてピンと来ない話だ。

 腕を組んだ俺が首を捻っていると、


《このスキルがあれば、あなたは、目には視えないはずのもの――()()()()()()()()()()()()()()()()。過去と現実を、確かな形で手繰り寄せられる》


 その言い回しには、少し閃いたことがあった。


「それは例えば……俺が体験していないはずの誰かの過去さえ、視えるようになるってことか?」


 思い出していたのは、白い霧のことだった。俺たちに不可思議な現象をみせたあの霧だ。

 氷の棺を創ったのがアルだというなら、あの棺から噴き出した白い霧だって、アルが生み出したものだと考えるのが妥当だ。


《……その通りです。あなたたちが自分の、直視できない過去を垣間見たのも。そしてあなたがミズヤウチナガレの過去を知ったのも。私がスキルの一部を、あなたたちに向けて使用したからです》


 無機質に感じていた声質が、僅かに和らいだように聞こえたのは気のせいだろうか。

 しかしすぐに、ちらついた感情の欠片は隠れてしまう。


《――でもこれは本来、人の身に宿していいモノではありません。流れ込む情報の量が大きすぎて、脳がパンクして破壊されたり、身体が砕けたり、精神が崩れ落ちる可能性が高いから》


 急におそろしいことを言われてぎょっとする。

 俺をびびらせたアルは、それからつけ加えるように、


《だから、今はほんの少し、力を貸し与えるだけにします。目の前に立つ相手の、意図した情報を知りたいと思ったときに、関連する事象を垣間見る程度のささやかな異能として。……どうでしょうか?》


 それでも充分、ささやかな代物ではないように思えるけど……という感想は、言葉には出さない。

 エクストラスキルというスキルの効力自体は、充分すぎるほどこの身で味わった。

 だが、アルの言葉に嘘偽りがないとして、ここで「よろしく」などと頭を下げることはできなかった。


「……君は何で、そんな便利なものを俺に貸してくれるんだ?」


 俺にはずっと、それが疑問だった。


 あの過去の光景を、直視できない過去だとアルは言った。

 俺はそれを、その人物が「忘れたい記憶」ではないかと分析した。その意味するところはほとんど同じだろう。


 だとしてもどうして、それを俺たちに視せる必要があったのか。

 こうやって時間を止めてまで、俺に語りかけてくるのもそうだ。ユキノに自分の記憶の一部を流し込んだというが、それが目的であったなら、アルにはわざわざ俺に話しかける必要もなかったはずなのだから。


 拾った財布を、交番に届けることはあるだろう。

 雨が降り続く中、屋根の下で佇む人に傘を貸すこともあるかもしれない。


 でもエクストラスキルなる神秘の力を与えるのは、親切の域には留まっていない。

 過剰というより()()だ。

 例えるならそれは買い物に向かったスーパーで、店の権利書を持つ人物に「お店の敷地の一部を譲ろう」と言い放たれたようなものなのだから。


 であれば、俺がスキルを得ることによってアルに生じるメリットを、俺は知った上で判断しなければならない。


「なあ、答えてくれ。君はどうして、俺を助けてくれる?」


 やはり、答えまでにははっきりと数秒の間が空いた。

 しかし今までの沈黙とは異なり、それは明らかに、考えるための、言葉を選ぶための無言の時間だった。

 やがて、アルは言った。


《私の、ためです》


 それはそうだろう、と思う。何かを成そうと行動を起こすとき、どんな言葉で繕ったとして、そのほとんどは最終的に自分のためになるものだ。


《……私には、どうしても、何をしてでも、救いたい人が居ます》

「……その人を救うために、俺にスキルを?」


 依然として姿は見えない。でもきっとその声の主は、しかと頷いた。


「どうして俺なんだ? それこそ、ユキノは2年前にこの頂上に着いてたんだし……」

《あなた以外は、有り得ません》


 俺は思わず目を瞬いた。状況が違えば、愛の告白じみたセリフだ。


《私はあなたを選びました。あなたでなければ、駄目、なので》


 つまり、俺がスキルを得ないと、アルが救いたいという人物の救出も叶わないのか?

 まったく因果関係は不明だが、そういうことになるのだろう。俺をずっと待っていたという言葉は、ここに繋がってくるのだ。


《私を信用するのは、難しいことだと思います。でもどうか、これだけは信じてほしい。私には、この世界の未来を知る術はないけれど……辿り着いた先で、あなたの大切な人たちも、なるべく多く笑っていられる最善を、掴みたいんです」


 なるべく多く、という言い回しには、引っ掛かるものがあった。

 だがどちらにせよ、コナツにはエクストラスキルを獲得するようにと言われている。

 アルの言葉に僅かな疑問を感じたとして、結局はコナツを信じる以上、ここで首を振ることもできない。


 村に帰ったら、コナツには詳しく話を聞かなくては。

 覚悟を決めて俺は頷いた。


「……わかった。頼む、俺にエクストラスキルを貸してくれ」

《承知しました》


 その言葉を合図にして、周辺を舞っていたマナの光が一斉に集まり出す。まぶしくて俺は数秒だけ目を閉じた。

 恐る恐る目を開いてみると、俺の頭上で風船のようなサイズにまで膨らんだそれは、肩幅程度に開いていた両手の中に音もなく降りてきた。


 もしや弾けるのではと危機を覚えたが、そうはならなかった。

 マナの集合体は瞬きの直後、手の中から、綿雪のように消えてなくなってしまったのだ。


「あれ……?」


 しばし俺は、両手を握ったり開いたりを繰り返してみた。

 けれど特に、体感では変化らしい変化はない。わかりやすく、身体もものすごく光るとか、胸の奥底から力が湧き上がるとか、そういうこともなかった。


《――成功です。これであなたにも、エクストラスキルの一部が使えるようになりました》


 が、力を与えた側のアルがそう言うなら、まぁきっと成功なのだろう。

 何だか拍子抜けしてしまったが、とりあえずはと、ぺこりと虚空に向かって頭を下げた。


「ありがとう。ちなみにこのスキルって、なにか名前はあるの?」

《名前……、ですか》


 単にエクストラスキル、とばかり呼ぶと野暮ったい気がして、そう訊いてみる。

 だんだんと慣れてきた、機械的ではない考えをまとめるための時間を要して、アルが心なしか小さめの声で言う。


《それなら、"至高視界(ペンデュラム)"……というのは、どうでしょう》


 ペンデュラム。

 時計の振り子をそう呼ぶことがある。現在と過去を視る力を、左右に振られ続ける動きになぞらえたんだろうか。


「いいんじゃないかな」


 俺は軽く肯定しておいた。他にまともな代案があるわけでもない。

 それからきっかり五秒後。


《……エルフの村に帰ったら、ゆっくり休んでくださいね》

「え……」


 顔を大きく上げたと同時。

 止まっていた仲間たちが動き出す。



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