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兄妹転生 ~チートだからって調子に乗らず、クラスメイトは1人ずつ私刑に処します~  作者: 榛名丼
第五章.スティグマの亡霊編

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118.はなせないよ

 

 ミズヤウチが、泣いている。

 止め処なく、両の瞳から涙が溢れては、何度もその頬を伝い落ちていく。


 やがてその小さな唇が、僅かに開いた。


「……………………はなして」


 悲しくなるくらい、小さくて弱い声だった。

 久方ぶりに聞くその音は、けれど声と呼んでいいのか躊躇うほどに儚かった。

 誰かに踏んづけられたら、すぐに散らばって、もう二度と前の形には戻れないような。


 ミズヤウチには意識がある。

 白い霧もまとってはいるけれど、完全に囚われたままではない。

 だから疑いようはなかった。

 ミズヤウチはたった今、自らの意志で自殺しようとしたのだ。


 その白い右手を掴みながら、俺は歯を食い縛って、そんなことを思う。


「わたしは、いいの。だから…………この手を」

「嫌だ」


 さらにその瞳の奥から涙が溢れる。きっと「何で」と、ミズヤウチはそう言いたかったのだろう。

 俺も不思議だった。以前の俺ならば、自殺しようとしている誰かの目の前を通りかかったところで、たぶんその行いを止めたりはしなかったと思う。

 たぶんそれを止められるほどの強い信念を、俺自身が持っていないからだ。


 生きてればきっと良いことあるとか、死んでいい人間なんかいないとか。

 そういう前向きで身勝手な、思ってもいないようなことを真顔で言える器用さも明るい日々も、俺は持ち合わせてはこなかったから。

 死にたいほど苦しいことなんかいくらでもあって、もしかしたらそれは、生を捨てることによって、マシになるのかもしれなくて。

 だから死にたい人を止める権利なんか、少なくとも俺にはないのだと、そう思っていた。


「ナルミくん……お願い……」

「嫌だ」


 でも、どうしてか。

 この小さな手を、離したいとは思えない。


 こんなにも切なく懇願されているのに、ミズヤウチを掴む手には力ばかりが篭もる。

 負傷したままの肩が発熱して、もげるのではないかと不安になるくらいの激痛を放っているのに、どうなってもいいから落ちそうなこの子を引き上げたいとすら思う。


「嫌だ。…………だって」


 断言できる理由は、今はたったひとつだけある。 


「君は泣いてる。そんな人の手を、離せないよ」


 ずっと。

 掴んだ手を伝って、脈動するみたいに流れ込んでくるのだ。

 これは――そうだ。ミズヤウチの記憶の断片だ。


 繰り返されるのは、たった数秒の、同じ場面だけだった。


 その光景の中で、ミズヤウチは二人の血蝶病者を追っている。

 大鎌を手に、フィアトムの街を走り抜け、さらに東に。

 行く手に広がる山脈に怯むことなく駆ける彼女に、追われる黒フードたちは明らかに動揺している。


 ミズヤウチは鎌を握る手を震わせ、そっと呟く。


「許せない……また街の人を、襲って……」


 フィアトム城に彼女や、それにヤガサキに変身したカンロジたちが住み込むようになって、それは間もない出来事だった。

 多数の魔物を使って城下街を攻めた血蝶病者たちは、城から援軍としてミズヤウチや兵士たちが駆けつけると、散り散りになって逃げ出していた。

 その内の二人を、ミズヤウチは追った。何故ならその一人が火球を出して丸腰の親子を焼きかけたところを目の前で目撃したからだ。


 強く足を先に進ませるのは、激しい怒りの感情だ。

 前を走る二人のスピードは徐々にだが、明らかに落ち始めている。

 このまま行けばすぐに追いつけるだろう。でも油断するつもりもない。さらに、


「《速度特化(スピード)》……"一等流星(ファースト)"!」


 呟けば、たった一瞬で。


 身体は音速を超えて加速する。

 それこそ、まさに、流星の名にふさわしい最上級の光のように。


 日本では使えるはずもなかった魔法という非科学的な現象は、短距離走の陸上選手であったミズヤウチを、あっという間に彼方に連れて行ってくれる。

 敵にはきっと、後ろに居たはずのミズヤウチが、瞬きの後には前方に立っていたように見えたはずだ。


「――――!」


 声もなく驚愕する黒フードに向かって、大鎌を斜めに振り下ろす。

 とにかく怒りだ。目の前で罪のない人が傷つけられる現実は、どうしたって許せないものなのだから。


 しかしその刃が今まさに、無防備な喉元まで届くという直前だった。


「ナガレ……!」


 ――えっ?


 もうそのときには、彼女の刃は止まらなかった。


 鎌の起こした風圧で、フードが舞い上がる。

 その下の顔は、見間違えるはずもない――深谷凛(フカタニリン)望月雄大(モチヅキユウダイ)のものだった。


 そして、モチヅキを庇って両手を広げたフカタニごと。

 ミズヤウチの振り下ろした大鎌は、寸分違わず斬っていた。


「…………え…………?」


 ……間もなく、ひどい血の臭いが立ち籠め始めた。

 返り血をくらったミズヤウチは、手から鎌を取りこぼして、その光景を眺めていた。

 世界から全部の音が消えたみたいだった。理解が、うまく、現実に追いついてこない。


 モチヅキは即死だったのだろう。

 肩から腹部まで、直線の傷が走って、傷口からは内臓までもが露出している。

 そこから血が、冗談みたいにどばどばと流れていて、その中に伏せるようにして、親友の少女が倒れていた。


 ひゅー、ひゅー……と空気が隙間を通り抜けるような、か弱い吐息がする。

 ミズヤウチはのろのろと、歩み寄った。頭の中身が凍りついたみたいに思考が麻痺している。四肢の感覚も、もうほとんど無い。

 血溜まりの中に膝をついて、無言のまま見下ろすと、血でべたついた目蓋を、そのひとは小さく持ち上げて反応した。


「ナガレ……」

「しゃ、しゃべっちゃ、駄目」


 ミズヤウチは咄嗟に顔を近づけて、それだけを何とか口にする。

 あとはもう、うまく言葉にならない。ああ、とかうう、とか、何の意味も成さない嗚咽だけが漏れて、どうしようもない。


 フカタニリンはミズヤウチにとって、たった一人だけの親友だ。

 明朗快活で、誰にでも分け隔てなく接してくれる、素敵な女の子だ。


 パーマがかった髪を肩が隠れるくらいに伸ばしていて、それがとても可愛いと言ったら、「これ天パなんだよ」と照れくさそうに笑っていた。

 彼女が居るから楽しかった。彼女が居たからこそ、ミズヤウチもその隣で光を感じて、笑っていられた。

 だからそんな……そんなフカタニが、こうして赤黒い血の海に投げ出されているなんて、あってはならないことなのに。


 でも出血はフカタニのほうがずっと酷い。モチヅキを庇ったのだから当たり前だ。

 まだ息をしているのが有り得ないくらいに、フカタニの身体は、半分が人の形をしていなかった。


「あ、……あ、あ……」


 何から謝ればいいのかさえわからない。ただ自分は怒りに身を任せて取り返しのつかないことをした。それだけは、分かる。

 震え声でどうにか、名前を呼んだ。


「リン。ごめん、わたし……こんな、つもりじゃ……」

「……ううん。悪いのは、私」


 それなのにフカタニは、言う。

 首を振ろうとしたのか、でも身動きができるはずもなく、僅かに眉を寄せて……それでも眉間を柔らかくして。

 その言葉を聞く人を――ミズヤウチだけを安心させるための穏やかな声を、演出する。


「私も、それにきっとモチヅキくんも……ナガレが助けてくれた。解放してくれた。だから、もう泣かないで。ありがとうって、言わせてよ」

「そんな……そんなの……」

「ほら、ナガレ。このマフラーね、首の――醜い痣を隠したくて、巻いてたの。よかったら、もらってくれる?」


 いつもそうだ。

 フカタニリンは、他人になにかを強要しない。

 いつも、少し情けない笑みを浮かべて、なんだか申し訳なさそうに、やさしさを振る舞う。


 血に浸って、元の色もわからないマフラーの端を、ミズヤウチはどうにか掴む。

 フカタニの首に巻かれていたそれは、用途を失った今となっては地面に落ちているだけだから。

 だから拾えた。そうして掴めた。

 血の染み込んだマフラーは、温かい。確かにそれは、フカタニの温度だったはずだ。


「――やさしくて、怖がりで、とっても泣き虫」


 消え入りそうな声で、フカタニが囁く。

 咄嗟にしゃがみ込んで、ミズヤウチはその口元に耳を当てる。そうしないと、たぶん、聞き逃してしまう。


「だからナガレのこと……私、心配だけど。でも……」


 最後は仄かに微笑んで。

 そうして無二の親友は動かなくなった。


「……リン?」


 名前を呼ぶ。答えは無い。

 ミズヤウチはそうしてからも、しばらく、呆けたようになっていた。

 どうやら続きがいつまでも聞けないらしい、と気がついてようやく、顔を上げる。


 閉じた目蓋から涙を溢れさせて、微笑を浮かべて。

 フカタニは死んでいた。紛れもないことだった。

 ミズヤウチの所為で、あのやさしい少女が死んでしまった――。 


「あ、ああ、ああぁ…………っ」


 ひっ、ひっ、と断続的な呼気を洩らして、崩れ落ちる。

 それから必死にもがいた。何かに届くかもしれないからだ。


 どうにかしてフカタニを――今からだって――いや、そんなの、出来るはずない。

 魔法は万能じゃない。足の速い人間が瞬間移動みたいに動けはするけれど。神さまが与えてくれる慈悲深い奇跡みたいに、何もかも言うことをきいてくれたりはしない。


 どこかに残った理性はそう訴えるのに、身体が言うことを聞かない。

 やがて彷徨い続ける腕は、地に落ちたままの大鎌を拾い上げた。


「あ、あ、あう。……っあ、あ……」


 無我夢中だった。

 ミズヤウチはその刃の部分を両手で掴んで持ち上げると、喉にぴたりと当てた。

 そのまま振り下ろせば終わりだ。終われる。フカタニに会える。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、それでも祈るようにして目を閉じる。

 この暗闇の先だ。そこにまだ居てくれる。手を伸ばせばすぐにだって……


「でも……ちゃんと生きていてね」


 風の声が、そう囁いたように聞こえたのは、きっと気のせいだった。


 だって続きはきこえなかった。聞き取れなかった。

 フカタニは最後まで言えずに、死んでしまった。そのはずだ。

 だから、そうだ。これはミズヤウチの願望が生み出した、自分勝手な、妄想に過ぎない――


「リ、ン……」


 それなのに、分かってしまう。

 きっと、フカタニだったらそう言う。

 自分を殺したミズヤウチへの恨み言なんかじゃなくて、ミズヤウチが生き残るための言葉を、最期に残そうとする。


 でもそれじゃあ、一体わたしはどうしたらいいんだろう?


「う、く、ぅ、ウ」


 目眩がする。上下がわからない。

 酸素が足りない。苦しい。

 苦しい。苦しい。苦しい。声が出ない…………。


 自分の喉元を抑えつけて、がくがくと震え続ける。

 震えはずっと、気がおかしくなるほどの間、収まることはなかった。



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