10.リミテッドスキル
「ああ~~、いい! かわいいすっごくかわいいです! 彼女さん、なんでも似合いますねえ」
「ふふ、ありがとうございます。でも私、こう見えて恋人ではなく妹なんですよ」
「あはは……いや、でも、うん。いいんじゃないかな」
一緒に行こう、ユキノ。世界の果てまで。
――なんて格好つけておいて、いの一番に来たのは衣裳屋だった。
というのも、俺の格好がとにかくひどかった。
何も準備していないように見せかけようと、制服のまま戦ったのが悪かった。傷は治してもらっても服はぼろぼろの布きれのようで、とても街中を闊歩できる状態じゃなかったのだ。
あの後、ユキノと共に城下街【ハルバン】に入った。心配していたがイシジマたちは森から下りてこなかった。
親切な老婆に水を分けてもらい、身体を軽く洗った後、まずは服を買おうという話に落ち着いた。そして店主が店を開いた瞬間、すぐに中に入れてもらったのだ。
ユキノは、快活な雰囲気を纏わせた若い女性店員と会話を弾ませている。
今も女神官といえばこのあたりかな、と選んでもらった衣装をいろいろと試しているところだ。回復魔法の使い手は基本的に神官になることが多いから、というのが店員の説明だった。
「兄さま、このお洋服はどうでしょうか」
試着室に入っていたユキノが出てきた。頬がほのかに赤く染まっている。
俺は三秒間真剣に見つめてから、
「……スカートの丈が短いと思う」
「それさっきとその前も言ってましたからッ!」
店員さんにぺしんと肩を叩かれてツッコまれる。
しかし実際、女神官用の衣装を身につけたユキノは非常に愛らしかった。
純白の衣装に、艶めいた黒髪がよく映えている。所々にあしらわれたフリルも可愛らしい。
アクセントに差した黄金の刺繍も、見る者に決して下品な印象は与えず、むしろ落ち着いた高貴さを滲ませていた。雪の精霊です、とでも囁かれたら信じる人が続出しそうだ。
いや、肩や足が大幅に露出しているのは兄として非常に目につくのだが……ていうかわりと防御力低そうだし……。
しかし、期待に満ちた目を向けられてはそうも言っていられない。俺はこほんと咳払いした。
「……その、似合ってるから良いんじゃないかな」
「では、この服にしますねっ」
妹といえど、女の子を素直に賛辞するには俺には圧倒的に度胸と語彙が足りていない。
ソファに座り込みながらぼそぼそ小声で言ったが、その声はユキノにはよく届いたらしい。
うれしそうに語気を弾ませると、きれいに畳んだ制服を胸に抱えて試着室を出てきた。
「兄さまも、とっても素敵です。格好良いです」
「ありがとう」
何度目かわからない褒め言葉は、何度聞いても照れくさい。
俺はといえば、既に着替えを終えていた。ユキノが「自分の前に兄さまのお召し物を真剣に選びたい」と譲らなかったからだ。
俺に関しては未だにリブカードにはベーススキルの表記しかなく、しかもカードは灰色。店員さんも「何やコイツどうしたもんか」という顔で非常に困惑していた。
が、どちらにせよ、ユキノが回復役を務めてくれる以上は前衛を担当するのは当然だった。店員さんはやがてこんな風に言った。
「とりあえず剣士で」
とりあえずビールで、のノリで自分の肩書きが決まるとは思わなかったが、女性の衣装と異なり男性用の衣装は種類もそう多くなかったので、服を選ぶのにあまり時間はかからなかった。
俺の服はユキノとは対照的に、黒を基調とした落ち着いたデザインだ。差し色としては赤色が使われている。ベルトだけ妙に派手でゴテゴテしていたが、まあ気にならない程度。
学校の制服に少しだけデザインが似ている気がして、コスプレ気分に陥らないのは助かった。
「それじゃ、お会計はお二人分合わせて六四〇〇コールです」
店員の言葉に、俺は金貨を七枚渡した。援助金は袋ごと土を掘って隠していたのだが、未だにずしりと腕に重い。
会計をしていると、「あら?」とユキノが袋を不思議そうに見つめた。俺は彼女の疑問に答えるために袋ごと中の金貨を持ち上げてみせる。
「ナイフ三本買うのにちょっと使ったけど、十万コール近く持ってるよ」
「ですが、確か援助金は一人当たり五万コールだったのでは……?」
「うん。そうなんだけど、確認したら十万コールもらってたんだ」
ユキノは目を丸くする。そうなのだ。俺もナイフを買うときにようやく気づいて、同じような顔をしてしまった。
ユキノはイシジマたちに誘拐されるような形でハルバニア城を出て、援助金に関してもイシジマに奪われてしまったらしい。つまり、通常ならば俺は自分の分の五万コールしか持ち合わせがないはずである。
が、ここには確かに十万コールがある。
誰がそんなことをしたかなんて考えなくとも明白。――袋を渡してくれたレツさんに決まっていた。
俺が「二人です」と答えたのを面白がってか、それともイシジマたちの様子に何か違和感を感じていたのか。粋な計らいと呼ぶには度を超えた勘の良さに、脱帽するしかなかった。
「何だかんだお世話になっててさ。次会うまでに、なにかお礼でも考えないと……」
「はい、そうですね。あの方にメモをお渡しして良かった」
ユキノはにこにこと嬉しそうだ。ショッピングの最中もずっとそうだった。
その表情は当面の脅威が去ったことへの安心によるものなのか、それとも……。
……カワムラ。
思い返すとまず、鼻先にはどろどろとした血の臭いが立ち籠める。
粘着質な執着。残酷な性質。人を人として見ていない濁った瞳。脳裏に焼きついた、丸ごと食われる人間の、その絶望に彩られた表情――。
「兄さま?」
「……ごめん。何でもないよ」
考えても詮無いことだ。
それに悔やんだところで、自分のやったことがなくなるわけではない。
今は考えるのをやめておこう、と改めて思う。それでも簡単に振り払えるものではないけど、今だけは。
お釣りを受け取り、俺たちは衣装屋を出た。
+ + +
「兄さま、次はどちらに向かいましょう? 手筈通り武器屋さんに行きましょうか」
「うん。そうだね……」
中世ヨーロッパ然とした街並みの中を並んで歩きながら、俺はふと思う。
ツッコむタイミングを見失っていたが、そろそろ訊いとくべきかな。
「そういえばユキノ。その、兄さまっていうのは?」
ユキノは「よくぞ聞いてくれました」という顔をした。
「本当は、以前からお呼びしたかったのです。でも教室で「兄さま」ってお呼びしたら、目立ちますから……衝動を我慢して「兄さん」と呼んでいました」
あれは我慢の末の「兄さん」呼びだったのか。初耳だった。
「でもここは前とは異なる世界です。クラスだとか世間の目だとか、そんな些細なものはもう気にしなくていいですよね? でしたらユキノは兄さまとお呼びしたいと思います。……だめですか?」
ユキノは不意に上目遣いで俺を見上げてきた。う、と俺は息に詰まる。
この「お願い」に俺が弱いのをユキノは充分承知している。にしても異世界に来てから妙に連発で喰らっている気もする。
一度くらい拒否するべきなんだろうか? いや、でも別に大したお願い事でもないんだし……。
……数秒後、はぁ、と吐き出すため息のついでに「いいよ」と俺は頷いた。
「やったぁ! さすが兄さまです。懐が深いです。すてきです」
「もー、ほら、そんなこと言ってないで行こう」
わざと早足で歩くと、鈴を転がすような声が「お待ちくださいっ」と追ってくる。
今日これからの予定は決めてあった。まずは武器や防具を一式揃える。
それからギルドで冒険者登録を行い、簡単な任務から挑戦する。援助金と一緒に麻袋に入っていた羊皮紙にはそんな説明が簡潔に記されており、俺たちもまずはその通りに行動する予定だった。
「俺はユキノの回復魔法もあるし、攻撃重視で防御は手薄でもいいかなと思ってる。それで浮いたお金はユキノの防具とかにあてよう」
追いついてきたユキノにそう言うと、ユキノは少し複雑な顔をした。
俺の言ったことを喜んではいるが、気軽にはうなずけない。そんな感じの表情だ。
「もちろん私は全身全霊で回復魔法を使います。ただ、カワムラたちのように卑怯な手を使う輩が他にいないとも限りません。いかなる場合にも備えて、防御は整えた方が良いかと」
「あー……」
言われてみれば、ユキノが指摘した通りだ。
二人でパーティを組むからといって四六時中、一緒にいられるわけじゃない。
別行動しないとならない場面もあるかもしれないし、策略や事故によって引き離されるっていう事態も考えられる。ユキノの魔法ばかりをアテにするわけにはいかないか……。
少しは自分用の防具も買うべきだろう、と俺は考えを改めた。
「うん、わかった。でもやっぱりユキノの回復魔法は大きな強みだからね。お互いに、防具よりは武器を重視していく感じがいいのかな」
「――兄さま、すみません。些事ではあるのですが、改めてお伝えします」
「うん?」
「ユキノは兄さま以外の人間には一切回復魔法を使えません」
一瞬、反応が遅れる。
立ち止まった俺を、道を行く人が迷惑そうに見やる。
「えっ……それって自分自身にも……ってこと?」
「はい。リミテッドスキルの制約ですね。女神様から解説があったのと、あのお城で王の側近の方からも少しお話がありました」
そういえば、《半蘇生》という魔法を使ってくれたときに、言っていたような言っていなかったような。
目の前で起こる事象にばかり注目がいって、しっかり把握していなかった。俺は殊更に強いショックを覚えた。
「スキルの制約って……あの女神さま、そんな話してなかったけど……」
「もしかしてと思っていたのですが、やはり、兄さまも女神様にお会いしたのですね!」
蹲る寸前の俺に対してユキノの表情は太陽のように明るい。というか何か、自分のことのように誇らしそうだ。妹が眩しい。
「うん。渋谷のスクランブル交差点でスマホいじってそうな、金髪ジャージの女神さまに会ったよ」
「あら? 私がお会いしたのは、青山の喫茶店で読書をしていそうな、気品ある優雅な女神様でした」
え? 女神っていっぱい居るの?
それともユキノの目から見てあの女神さまは青山で紅茶を嗜んでいるタイプに見えたのか。……そりゃ、ないな。うん。
なんか急に背筋にぞわりと寒気を覚えた。
思わず二の腕をさする俺にユキノが続けて教えてくれる。
「女神様によると、リミテッドスキルを持つにあたっては二つほど制約があって……まず、他に習得した魔法の性質を変化させる場合があること。それと、捨てることができないことです」
俺が首を傾げると、ユキノは嫌がる素振りも見せず解説してくれた。
「まず、スキルというものは基本的に、他に覚えた魔法を補助したり、増幅するために有するという特性上、オンオフの切り替えはできないようです。
例えば私の場合なのですが――"兄超偏愛"は、兄さまのみを守護し、癒やし、兄さまのみを強化するスキルです。そのため、私は《小回復》や《中回復》を覚えていますが、これらの回復魔法は兄さまを対象としてしか発動しません。何故なら私の役目は兄さまを守護し、癒やし、強化することですからっ」
「う、うん。あのすごい字面のスキルだね」
「はい。とってもプリズンです」
言葉の圧が強い。俺はずいずい迫ってくるユキノに続きを促した。
「通常であれば、《小回復》は自身を含む誰を対象にしても掛けられる魔法です。でも私にはできない。その代わり、私の《小回復》は一般的なものの倍以上の効力をもたらすようです。それがリミテッドスキルを持つ故の特徴だとか」
ユキノは得意そうだったが、それは「特徴」というよりリミテッドスキルによって与えられる「弊害」ではないか……と俺は正直思っていた。
ユキノの力が俺を回復してくれるのは非常にありがたい。ユキノがいなければ、俺は今日の朝日を満足に見られたかわからないくらいだし。
だけどその代わりにユキノ自身は、怪我を負ってもそう簡単に回復できないってことになる。
何故ならふがいないことに、俺がまったく回復魔法を覚えていないからだ。
俺はまた思い出した。あの凶暴な黒い獣のような魔物が、きっとこの世界にはうじゃうじゃ居る。
自分が怪我をするならいくらでも耐えられる自信がある。でもそんな環境下で、ユキノばかりリスクが大きい状況なんてとてもじゃないが容認できない。
「でも兄さまのスキルは、カードにも表記が出ていませんでしたね……習得に当たって何か特殊な条件などがあるのでしょうか……?」
もうこの話は終わった、とばかりに自然と話を変えるユキノ。俺は慌ててそんな呑気な妹を追いかけた。
「……って、今一番大事なのはユキノのことだって。自分に回復が使えないって危なすぎるから、どうにかなったりしない?」
「すみません、ならないのです。でもご安心ください。ユキノは兄さまを守りますし、兄さまもユキノを守ってくださるから、ユキノは怪我をしません」
「さっき「いかなる場合にも備えて」って言ってたよね!?」
「要約すると、「兄さまの危機の場合に備えて」という意味です!」
そんなことを話している間に、目的の武器屋の前に到着していた。
ようやく異世界ファンタジーなシーンが書けてうれしいです。異世界に来てからユキノはだいぶテンションが高いようです。




