112.怖がりな女の子
「ミズヤウチ、大丈夫だよ。そんなに怯えなくても」
地面に突き刺さったように生えている、大きな鉱石の間をすり抜けるようにして進んでいく。
……というのは予定通りではあるのだが、予定にはなかった要素がそこにひとつ加わっていたりする。
ミズヤウチナガレである。
彼女は今や俺の服の裾……どころでなく、右手の二の腕にがっちりと掴まっていた。
何故そんなことになったかというと原因はハッキリしていて、俺の服の裾を掴んで離さないミズヤウチに対し、アサクラが「裾は逆に危ない。二の腕が安全だ」とか訳のわからないことを言い張ったからだ。
素直なミズヤウチはその意味不明な忠告をしっかり信じ切ってしまったらしく、こうして俺の二の腕にぴったりと身体をくっつけて、今もそわそわと落ち着かない様子で周囲を見回している。
そして落ち着かないのは俺も同じである。
こんな風に女子と密着したことなんてほとんどない。四日前におんぶをしたことはあるが、あのとき以上に隣のミズヤウチは近く感じられる。
細い呼吸の音や息づかい。あたたかな温度。
歩いていると時折、事故のように腕に当たる柔らかな髪の毛の感触とか。
暗くて視界があまり明瞭でないのもあり、それらの輪郭が大きな実感を伴って感じられて、どうしようもなくどぎまぎしてしまう。
前を行くリセイナさんの姿を見失わないようにと、しゃっきり歩きたいところだが、ミズヤウチの存在が気になってまっすぐ歩くのもいつもより下手だ。
あと、今回はリセイナさん・アサクラ・俺とミズヤウチという順序で歩いているからか。
ときどきアサクラがリセイナさんに何事か耳打ちしてはこちらをニヤニヤ笑って振り返ってくるのもふつうに気に障る。
ゼッタイに余計なこと言ってるよな、あいつ。
……きこえなくてもわかるぞ、という意思を込めて睨みつけるものの、何故かどや顔で親指をぐっと立てられた。あの指、折ってもいいかな。
「…………っ……!」
「今のは風の音」
「! ……! ッ!」
「今のはコウモリ。もう切ったから平気だって」
一つ一つの小さな出来事に過剰な反応を示すミズヤウチを宥める。
思っていた以上に怖がりらしい。そんなことをするつもりは勿論ないけれど、手を振り払って俺がダッシュで逃げでもしたら、動けなくなって泣き出しそうだ。
それくらい、今のミズヤウチはふつうの女の子だ。ふつうで、か弱い女の子だった。
自在に動き回り大鎌を操っていた凛々しさとは打って変わって、本来の、女子中学生が持つ愛らしさを存分に発揮していたのだ。だからどうしようもなく意識してしまう。
「リセイナ姐さんも、怖かったらおれにしがみついてもいいですよ!」
「寝言は寝て言うのをオススメする」
「そうですよね! 寝言ですもんねぇ……!」
アサクラは俺たちをちらちら振り返りつつ、さらにテンションを上げているし。何なんだろう。
俺はそこでさて、と一瞬で思考を巡らせた。
今のところはそう強い魔物は出てきていないから、対処が難しいというわけではない。
それに俺は両利きなので、差し迫った事態でなければ空いた手でいくらでも対応は取れるはずだ。
だがいざというときのために、やはり両手は自由にしておいたほうがお互いのためにも良いハズだ。
というわけで、俺はミズヤウチの説得を試みることにした。
「ミズヤウチ。そろそろ離れて歩いた方がいいかもしれない」
「?」
「ほら、亡霊とかが出るのって、山の頂上らしいしさ。ここからならもうちょっと距離が」
「~~~っ!」
涙目でぺちぺち二の腕を叩かれた。その単語自体が失言だったようだ。
「……うん。ほら、出るってウワサがあるだけだし。きっと居ないよ、そんな非科学的な」
「何だとナルミシュウ。言っておくがな、スティグマの亡霊は曾祖母が私に語って聞かせてくれた有名な言い伝えで」
必死に言い回しを変えてみたら、リセイナさんからいらない反感まで買ってしまった。
この人は亡霊にいてほしいのかいてほしくないのか、果たしてどっちなんだろう。
そして再び始まってしまったホラー話にますますミズヤウチが小さくなって震えている。これは完全に俺のミスだ。
「……ごめんミズヤウチ。やっぱり俺の腕にはいくらでもしがみついてていいよ」
「…………」
説教を始めるリセイナさんの相手はうまくアサクラが務めているようなので、その隙にこっそりと伝えておく。
その言葉を聞くと、ミズヤウチはほっと息を吐き出して、俺の右腕をぎゅっと握った。くすぐったいが、嫌な感触ではないのでそのままにする。
そうして先に進んでいくと、開けた場所に出て、やがて大きな変化が訪れた。
「――――、すごい」
その光景を目にした俺の第一声はそれだった。
今まではまばらに突き立っていた鉱石だったが、その場所は様相の一切が異なっている。
目の前の坂道全体が光り輝いているかのようだった。
ちかちかと明滅する光の渦が、あたかも波を起こしているかのように見える。坂道の上から下まで、波は駆け抜けていくとまた上部に戻って動きを繰り返す。でもそれは似ているというだけで、一度ずつの明滅は決して同じではないから面白い。
壮大で、圧倒的で、何より神秘的な光景だった。俺はしばらくそれに見惚れていたくらいだ。
ここがリセイナさんの言っていた、傾斜の緩い坂道というやつなんだろう。そして坂道を登ればウエーシア霊山の頂上に着くはずだと、彼女はそうも述べていた。
俺は一メートルほど先で、やはり坂道をぼぅっと眺めているリセイナさんに後ろから声を掛けた。
「なんだか眩しいくらいですね」
「ここの鉱石は純度が高いから、マナを集めてよく光るんだ。この山以外には見られない景色だろうな」
リセイナさんが振り返る。目が細められていたから、彼女も強い光にやられていたのだろう。
暗闇の中を時折鉱石が照らしていた頼りない道とは違って、この場所であればお互いの表情がよく確認できた。
「あの坂道、前ここに来たときにリセイナさんは登らなかったんですか?」
「……まぁな。というより、正しくは」
リセイナさんは一度言葉を句切ってから、こう続ける。
「……実は登っている途中で、ボスゴブリンに襲われて這々の体で逃げ帰ったんだ。だからこの上の景色までは、私も知らない」
なるほど。ちょっとした謎が解けた。
「そんなことはいいだろう。さっさと登るぞ」
気に食わない話題だったのか、リセイナさんはすぐに顔を背けてしまった。
「行こうか、ミズヤウチ」
俺は自然とすぐ隣を向いた。未だミズヤウチは俺の腕にコアラのようにひっついたままなのだ。
ある意味当然のことで、スティグマの亡霊なる脅威が消え去っていない以上、彼女の恐怖は続いてしまうだろう。
俺の呼びかけにミズヤウチは顔を上げた。
先ほどまでは薄闇くらいだった景色がここではよく見通せるようになっているから、近くに立つミズヤウチの表情や仕草までも、細部まで格段によく見える……。
と。
反射的に眺めかけたところで、ものすごい勢いでミズヤウチが離れた。
「! ! !」
今さらながら、ぴたっとくっついて歩いていたのを実感して恥ずかしくなったんだろうか?
と、その真っ赤っかな顔を確認して思う。さっきまでは暗かったから、あんまり考えないで済んだのかもしれないが。
そして止める暇なくミズヤウチはひとりで急速で坂道を登っていってしまった。速い。
「あっ、ちょっとミズヤウチ――」
慌てて追いかけようとするが、
「こらウッチャン、ひとりじゃ危ないぞ~」
アサクラがそれにのんびり続いて行ってしまった。
そうすると、無理に追いかける理由はなくなってしまい、俺はその場に留まった。
判断としては単純で、それ故に間違ってはいない。人数の強みが生かされてるからだ。
ミズヤウチとアサクラは先行して状況の確認をする。俺はリセイナさんと共にその後を追い、必要であれば救援なり支援なりを行えばいいのだから。
……だからたぶん、気のせいだろう、と思う。
無くなった右側の温度が、少し残念なような、勿体ないような気がしたのは。




