106.祭りの夜1
少女に連れられて、俺とミズヤウチはまずエルフの大家族が住まう家の庭に案内された。
当初、俺はリクエストされるがままに今までの旅路のことを話したり、剣技を披露したりしていた。
その後も引っ張りだこで、屋台を含めていろんなところを回ったので、いい加減解放された頃にはクタクタだった。イメージしていた以上にエルフ族の人々というのは、外の世界への好奇心を抱いているらしい。
――いくつか分かったことがある。
『扉』のあちら側は人間の世界で、こちら側はエルフの世界。
そのふたつを繋ぐ術はあるものの、基本的に二つの世界は別たれている。
そしてこの小さな村のことを、彼らは「エルフの国」、あるいは「村」や「集落」とシンプルに呼称している。
何故ならば、この場所以外に村ないしは街などの存在が一切確認されていないからだ。
樹海と呼ぶに相応しい森、それに霊山によって移動が制限されたこちら側の世界のほとんどは、まだ未開の土地が広がっている状態なのだという。
だからこの村に住む住人――合計72名が、現在生存が確認できているエルフの全員であり、それ以上のことは誰にも分からない……。
俺とミズヤウチは長老の一人である人物から、そんな話を聞いた。確か昼過ぎのことだ。
長老といいつつ、顔に皺のほとんども見当たらない青年のように見えたが、コナツの言っていた通り1000年以上も生き続けているエルフなのだという。彼らに流れる時間は、俺たちのそれとは何もかも異なっている。
――そうして、静かな、それでいて温かな祭りは緩やかに終わりを迎えた。
いつの間にか日は落ちて、辺りはすっかり暗くなり始めていた。
といっても、エルフたちが屋台に飾った、光る硝子製の箱がいくつも連なって道を照らしているから、足元が覚束ないというほどではない。
俺は提灯を思わせるその温かな光の中を、一人で歩いている。
片手には飴細工でつくられた、星の形をしたお菓子を握っている。
白い棒の先に五角の、すこし歪な星が宿ったその形が、何となく気に入って、気がつけば買い求めていたのだ(お代はいらない、と店主に断られてしまったが)。
ミズヤウチは子どもたちに隠れんぼに誘われて立ち去ってしまい、それ以降は見かけていない。そう遠く離れてはいないはずなので、あまり心配はしていなかった。
それにフィランノさんとフィリアに連れられたホガミの姿も見かけた。
ぶすっとした顔つきをしていたが、彼女も祭りを楽しめただろうか。そうだったらいいと思った。
この祭りを通して。
あるいは祭りがなかったとして、心に決めていたことがある。
俺は明日の朝にはここを旅立つつもりだった。
何故なら、ウエーシア霊山という場所にユキノが居る、とコナツが言ったからだ。
ユキノが居るなら、そこがどんな危険な所であれ、俺は必ず向かわなければならない。
それが今日じゃなかったのは、俺たちのためにと開かれた祭りの場に背を向けることが躊躇われたからだ。
逆に言うなら、この祭りがなければ俺は宮殿を出た直後には霊山に向かっていただろう。きっとなりふり構わずそうしていたはずだ。
同行者に抜擢された三人の内、ミズヤウチには既に出立の件を伝えて了解も得ている。
あとはアサクラとリセイナさんだ。今日中に二人にも話しておかなければならない。
顔に寄ってくる羽虫を払っていると、ふと、自分のものでない足音が前方から響いた。
薄闇の中から姿を現したのは、見知った顔であり、同時にまるで知らない人間のようにも思える人物だった。
「ようナルミ」
「アサクラ」
気軽な調子のアサクラに対し、俺の声は僅かに固かった。
何だか、その名前を確認するような、疑わしげな意味合いを含んでしまった気がする。
敢えて無視してくれたのか、あるいは気づいていないのか判断しかねる笑みを浮かべて、アサクラが近づいてくる。
その顔は、夜の帳の中でも人目でわかるくらい赤く火照っていた。
コイツ……まさか飲酒とかしてないよな?
次こそ思いっきり疑わしげな目つきをする俺に、アサクラは「ちがうちがいますよ」と片手を顔の前で振った。まだ何も言ってないけど……。
ゴホンゴホンと咳き込んでから、アサクラが人差し指を立てて言い放つ。
「この祭りさぁ、すげぇ急ピッチで準備したんだよ。というのも三日前に、リセイナ姐さんからナルミらしき人物、っていうかナルミを発見した、って報告が入った途端、姫巫女が言い出したんだ。祭りがしたいって」
「コナツが?」
思いきり話題を逸らされているのは明らかだったが、その内容は俺にとって重要なものだ。
目を見開く俺に、アサクラが赤ら顔で続ける。
「あの子がワガママ言うのなんて初めてだし、おれもリセイナ姐さんも慌てて手伝ってさ。突貫工事にしては、それなりにサマになってるだろ?」
「……楽しかったよ。充分な英気を養えた」
「そりゃあ良かった。姫巫女も喜ぶな、ナルミを一日も足止めできて」
満足そうにアサクラが言う。
俺はその言葉に、数秒おいてから「そうだな」と笑って頷いた。
そうだ。
コナツなら、きっと誰よりも分かっている。
ユキノの居場所を聞いた俺が、居ても立っても居られず出立しようとすることを。
だから足止めの方法は、お祭りだったのだ。
遠回しでも何でもないただの善意をぶつけられたら、誰だって足が止まる。思わず振り返ってしまう。
コナツは俺に冷静になってほしかったのか。それとも休んでほしかったのか。
その行動の理由は、考えずとも本人に聞けば済む話だ。
歩き出す俺の、目的地を理解しているかのようにアサクラが隣に並ぶ。
身長は越されてしまったから、道端に薄暗く伸びる影はアサクラのそれの方がずっと長い。
人払いをしたわけでもないだろうに、不思議と周囲には人っ子一人として人の姿がなかった。
それだからか自然に、その言葉は俺の口からするりと出てきた。
「コナツは、今も俺のことを仲間として思ってくれてる」
俺がそう言うと、アサクラは躊躇せず頷いた。
「そうだな。それは間違いないよ。二年傍に居た俺でも分かる」
「でも、同時に、コナツは俺に怒っているみたいだ」
言葉にすると実にすとんと、胸に落ちてくる言霊だった。
謁見の際の、正体を明かして泣きそうな顔をしていたコナツ。
追い縋ろうとする俺を素っ気なく突き放し、姿を消したコナツ。
どちらもコナツ本人の、俺への感情だ。だけどその意味を、俺はまだ分からずにいる。
呟く俺の傍らで、アサクラは顎に手を当てて思案するような顔をした。
夜道に、二人分の足音だけが残る。
「そうだなぁ……おれは、怒ってるわけじゃないと思う。でもあの子の考えてることは、おれにもほとんど分からないままだ」
守り手のくせに情けないんだけど、とアサクラは肩を竦めた。
「二年前に、おれは森の中でひとりで目を覚ました。魔物に追われてさ、必死に逃げるしかなくて……ボロボロになっていよいよ死ぬかもってときに、リセイナさんに助けられた」
初めて聞く話だった。
そっと盗み見ると、アサクラは思いがけず口元に笑みを浮かべていた。過去を懐かしむような、それでいて寂しそうな笑みだ。
「そのあと、まあ、いろいろあったんだけど……傷も回復して、言われるがままおっかなびっくり宮殿に向かったんだよ。そしたらあんなに小さくて天真爛漫だった女の子が、姫巫女なんて呼ばれて崇められててさ。
しかも「おにーちゃん!?」って叫んで、なりふり構わず大慌てで駆け寄ってきたんだ。その表情はすぐに、おれの顔を確かめて落胆に変わっちゃったんだけど……。コナツちゃんの表情が大きく変わったのを見たのは、あれが最後だ」
アサクラはそこで一度立ち止まる。
俺も少し遅れて足を止めて、振り返る。屋台はだいぶ前に途切れてしまったから、星くらいしか照らすもののないアサクラのその表情は、ぼんやりとしていてほとんど読み取れなかった。ほとんどのっぺらぼうのようだった。
「おれはさ、すぐコナツちゃんたちに助けてもらえたから良かったよ。ひとりでこんな所に来た寂しさとか、心細さとか、それでだいたい帳消し。パーになった」
努めて軽くそう言ってから、アサクラは少しだけ声を潜める。
「……でもあの子は違ったんだ。ずっとずっとひとりで生き続けて……何の保証もない未来を信じて、ひたすら待ち続けてるしかなかった。その辛さは、想像はできたって――やっぱり、おれには全然わかんないものなんだ」
「アサクラ……」
俺は何と言ったものか分からなかった。
アサクラは悔しそうだった。そうだ、と俺は思う。
伸ばした手が、どうしたって、届かない。
その辛さを、悲しさを、誰よりもアサクラは知っている。
「アサクラ、アカイのことは……」
「………………ああ」
重い沈黙を挟んで、アサクラは答えた。
「もちろん、調べてもらったよ。でも駄目だった。アカイは死んでる」
「なぁ、アサクラ。それは……」
「大切な人を守れなかったのは、おれが弱かったせいだ」
俺の言葉を遮った声は、ごく僅かだが震えていた。
暗がりに浮かび上がるシルエットを、俺は目を凝らして見つめる。
アサクラは右手の拳を強く握っていた。手首に浮き出た血管の青白さが、妙に目に留まる。
「――でもさ、今はそうじゃない。おれは少しだけ、でも確実に強くなったよ」
二年間という、決して短くはない時間。
きっとアサクラは愚直なまでに努力してきたのだろう。苦手だという戦闘の経験を積んで、守り手なる役職にも就いてみせたに違いない。
それなのに俺の目には、笑うアサクラの輪郭がいつかと重なって見える。
「姫巫女もがんばってる。おれも、おれに出来ることなら何だってするんだ」
おまえも死ぬなよ、と口にしながら。
自分の死をも明確に覚悟していたあの顔によく似た。
危うげな闘志は今も尚、彼の中に根を張っているように思えた。




