104.こころの距離
「エクストラスキル……?」
聞き慣れない単語だった。
異世界にやって来て、最初にラングリュート王たちからスキルに関しての説明もあったが、スキルの種類はベーススキル・アクティブスキル・リミテッドスキルの三種類に限られているはずだ。
戸惑う俺に、あくまで淡々とコナツが言う。
「それを手に入れることが、ナルミユキノの救出をも意味するわ。あとはその場に辿り着けば、すべて分かる」
抽象的で、十分な説明とはとても言えない。
だが、俺はひとまず頷いた。コナツが俺やユキノにとって不利益になるような条件を提示するとは思えなかったからだ。
首を伸ばすと、ホガミの横に佇んだまま、俺の視線に気がついたミズヤウチも深く頷いてくれた。
ウエーシア霊山とやらには、どうやら彼女もついてきてくれるようだ。心強い。
コナツは立ち上がり、寝台の脇に傅くリセイナさんとアサクラに向かって言い放った。
「リセイナとアサクラユウはナルミシュウに同行し、彼の助けとなってちょうだい」
「承知しました、姫巫女様」
「おれももちろん。頼まれなくてもついてくぜ」
次いで二人もの同行者が決定する。
俺は少なからずほっとしていた。魔法の使えない状態を考えると、協力者が多いのは有り難い。
ほぼ初対面のリセイナさんと、二年早くエルフの国に着いていたアサクラ。二人の実力は未知数ではあるが、姫巫女の守り手なる立場にある以上、充分な戦力として数えて良いだろう。
それからコナツは、ずっと沈黙したままのホガミに話しかけた。
「ホガミアスカ。あなたはどうする?」
突然話を振られてホガミは驚いたようだったが、やがて憮然とした面持ちで答えた。
「……行かないわよ。当たり前でしょ」
怒ったような顔でそう返す。
コナツもその答えを予想していたのか、まったく動じることはなくさらに問いを続けた。
「――あなたの身に、そして他の《来訪者》の身に何が起こったの?」
「え……」
その話題転換はあまりに突然だ。
俺はそう感じたのだが、コナツは堂々とした態度を崩さずにホガミのことを見つめている。
何も語るつもりはない、と頑なに主張してきたホガミが、そこで初めて僅かに表情を軋ませた……ように見えた。
「何よいきなり。聞かれたって、あたしは何も」
「マエノハヤトは血蝶病の症状が進み、既に魔物と成り果てた」
次は、音を立てて崩れていくような大きな変化が起こった。
ホガミの身体がぐらつく。慌てて隣のミズヤウチが手を伸ばしたがそれを振り払い、ホガミはその場に膝をつきながらも、殺気の宿った瞳でコナツを睨みつけた。
「――――信じないわ」
ホガミの声は震えていた。
声だけじゃない。全身が震え続け、告げられた事実を拒んでいる。
頭の後ろで腕を組んだアサクラが、コナツの言葉を補足する。
「リセイナ姐さんが確認してくれたから確かだ。今、ハルバンでは騎士団による討伐チームが組まれてる。近いうちにマエノが殺されるか、討伐チームが殺されるかの瀬戸際だ」
「うるさいっ」
煩わしそうに頭を振りかぶり、耳を塞ごうとするホガミ。
そんなホガミに、コナツは寝台から降り立つと颯爽と近づいていった。
「ひ、姫巫女様……」
リセイナさんは焦った様子だったが、それを気に留めることもなくコナツはやがてホガミの目の前に辿り着いていた。
同じ目線を望んだかのように、纏った純白のドレスの裾が汚れるのにも構わずコナツが床に膝をつく。するとホガミは伏せていた顔を持ち上げ、じっとコナツの顔を見つめた。
「あたしはあなたを必ず守ってみせる」
俺たちに背を向けたコナツは、そう言ったようだった。
それを聞いたホガミが眉根を寄せる。コナツの言葉の意味を、その真意を計りかねているような複雑な表情だった。
「だからお願い。戦いを終わらせるために、どうかあなたの力を貸して」
「…………少し、考えさせて」
いつも強気なホガミのものとは思えない、消え入りそうな声だった。
「わかった」
それ以上の説得は無意味と判断したのか。
コナツは頷き、ゆっくりと立ち上がる。
来た道を引き返してきた彼女に、俺はふらふらと引き寄せられるようにして歩み寄っていた。
さっきから勝手に話が進行しているが、まだ俺は何も分かっちゃいない。
エルフの国のこと。それにエクストラスキルのことも、ウエーシア霊山なる場所のことも。
そして何より、俺たちより遙か昔にこの地に辿り着いていたコナツのことを……だ。
一言でも多くの言葉を交わしたかった。
別人のように凛とした立ち居振る舞いをするコナツを、俺のよく知るコナツなのだと認識したかった。
その気持ちはコナツも同じはずだと信じて疑わなかった。
「コナツ、あのさ――」
「ごめんなさい」
だから伸ばした腕をすり抜けられるなどとは、夢にも思わなかったのだ。
「疲れてしまったから、お話はまた今度にしてくれる?」
コナツは実に素っ気なく、俺の方を見ることもなく、そう口にした。
一瞬の出来事に、何が起こったかわからず俺はしばし固まる。
振り向くと、コナツは歩を休むことなく進み続けていて、立ち止まる俺を振り返ることもしなかった。
「あ、ああ……」
それは構わないけど。
そう伝える暇もなかった。
コナツは寝台の横を通り過ぎて、そのまま奥側の通路に姿を消してしまったのだ。
行き場のない手を泳がせたまま、俺はただ、その眩しいほどの金色の残像を目で追うことしかできなかった。
+ + +
姫巫女たるコナツが退席した以上、その場に長居するわけにもいかず。
俺たちは守り手であるリセイナさんに半ば追い出されるような形で宮殿を出ることになった。
「あたし、先に帰るから」
ホガミは宮殿から出るなり、それだけ告げて覚束ない足取りで立ち去ってしまった。
帰るというならフィランノさんの家に、という意味だろう。それならまぁ大丈夫か、と俺は無言でその背中を見送った。
ホガミが動揺しているように、マエノが魔物化した件について俺も思うところがないわけじゃない。
だけど今はどうしても、コナツが取った態度が少なからずショックで思考が麻痺している。
大切な家族の一員だと認識した現在はなおさらだ。繰り返し、「何で」とか「どうして」とか出口のない疑問が頭の中を渦巻いて、気分が塞ぐ。
俺が黙り込んだままでいると、アサクラの隣に立っていたリセイナさんがふと、ミズヤウチに鋭く呼びかけた。
「おい、お前。ミズヤウチナガレ」
「…………?」
「傷がまだ治っていないんだろう。歩き方に違和感がある」
指摘されたミズヤウチが瞳を瞬かせる。
リセイナさんの言う通り、ミズヤウチは黒髪のバケモノによって負わされた傷を今も抱えたままだ。
今朝もそれで腹部に新しく包帯を巻いていたし、取り替える前の包帯に血だって滲んでいた。ずっと傷口は痛み続けているはずだ。
「私が治してやる。傷を見せろ」
ものすごく高圧的な態度でリセイナさんが口にした言葉の意味を、傍で聞く俺が理解するのにはだいぶ時間がかかった。
しかし当のミズヤウチはといえば、その言葉を疑うでもなくリセイナさんに指示された通りに行動を開始していた。
「そうだ、服の裾を持ち上げろ。……って、違うそんなに高く持ち上げるな、ちょっとでいいちょっとで! 男子の前でよくもそう軽々と肌を見せられるな……!?」
「?」
若干常識外れなところのあるミズヤウチに翻弄されつつ、リセイナさんが必死に指示を修正している。
頭の高さまで服の裾を高々と持ち上げかけた可憐で危険な少女から、俺とアサクラは全力で顔を背けほぼ同時に背中を向けた。
こんな公衆の面前で性犯罪者のレッテルを貼られるわけにはいかない。俺とアサクラの心情はほとんど似たようなものだっただろう。
しかしリセイナさんから一時的とはいえ視線を外すのには迷いもあった。
コナツの部下的な立場らしい彼女が、ミズヤウチに無体を働くことはないだろうが――それでも、万が一ということも有り得るからだ。
そんな不安を感じ取ったのか、横で下手な口笛を吹いていたアサクラが肘で俺の脇あたりをつついてくる。
「大丈夫だよナルミ。あの人はああ見えて240歳のババ……素敵なオネーサンだ。大人げない真似はしないって」
「おい聞こえてるぞアサクラ」
「うわちょッこれシャレにならない威力なのではハイすみませんでした――ッッ!」
背中側から容赦なく飛んできた蹴りを喰らって、アサクラが前のめりに吹っ飛んでいった。
きれいな放物線を描き宙を舞うその姿から、俺はせめてもの情けとばかりにそっと視線外した。
未だ何も分かってない俺だが、これだけはよく分かる。
今のはアサクラが悪い。




