97.分断
本日から第5章が始まります。どうぞよろしくお願いします。
ユキノが居ない。
ユキノだけじゃない。今まで一緒だった仲間の大半が、ここには居ない。
その事実は少なからず俺の精神に衝撃を与えた。何人かの協力者を失ったあとだから尚更だ。
……どういうことだろう。
ユキノたちは転送されてきた後、既にこの場を移動したのだろうか?
ユキノは聡明な子だ。普段通りであれば俺が追いつくまでその場でいつまでも待機していそうだが、何か不測の事態があってこの場を離れる必要があったのかもしれない。
それか、扉をくぐった先はランダムに切り替わるとか? 別々の場所に落っこちるとか……コナツも詳しくは知らなそうだったが、もしかしたらそんな仕掛けが施されているのか。
同じ場所をぐるぐると行ったり来たりする俺を、ミズヤウチが心配そうに見上げてくる。
ただ一つ分かるのは、どの仮説が正しくても、あるいはそれらは正しくない答えだったとしても、俺は早急にユキノたちと合流する必要があるということだ。
ハルトラは負傷して、まだ起き上がれていなかった。
この異常事態の中、純粋な戦闘力においては厳しい面のあるユキノたちと分断されているというのは、放置していいような状況ではない。
「あのさ、ミズヤウチ……」
俺はすぐの出発を彼女に提案しようとした。
「あーーーっっっ!」
その呼びかけを、数倍の音量の叫び声に掻き消される。
俺とミズヤウチは同時に肩を跳ね上げ、視線をその箇所に巡らせた。
前方に広がる森の中から、騒がしい足音を立てて現れたのは、
「もう! 何なのよ触らないでよ! 痛いんだってばっ」
「! ……ホガミ?」
穂上明日香。
つい先ほど、勝手に扉を使って姿を消していた少女だ。
ホガミは丁寧に巻いていた髪を何故か乱れに乱れさせて(しかもツルや葉っぱが付着している)、枝で切ったのか手足に細かな傷を作りながら俺たちの前まで躍り出てきた。
しかもその後ろには、全身鎧をまとった三人もの人間までぞろぞろとついてきている。
何なんだ、と俺は顔を顰めた。
「ちょっとナルミ、こいつら引き剥がしてよ。さっきから暴力的なんだけど」
「………………」
俺とミズヤウチに気がついたホガミが、妙に親しげに声を掛けてくる。
だがホガミには悪いが、こいつの言うことを聞く理由は俺には全くなかった。
なので俺はホガミではなく、その背後で彼女を捕まえようとしている三人へと視線を戻す。
頭には重そうな兜。
それに爪先までもを鈍く光る鎧に包んだ三人組は、あまりに得体が知れない。
これでは性別も、年齢も分からない。ハルバンやフィアトム城に居た兵士たちの姿を思い起こしてみるものの、彼らの格好とはまた、鎧のデザインや雰囲気が異なっているように思う。
何というか……一言で言い表すなら、古くさいのだ。
無駄にずっしりと寸胴な甲冑で非常に動きにくそうだし、使っている素材も粗悪品だろう。
慣れない森の中で戸惑って逃げるばかりのホガミを捕まえるのに時間がかかったのも、彼らの動きが無駄にノロノロとしていて遅いからだ。
しかしやがて、ホガミは為す術なく兵士たちに捕らえられてしまった。
両手を後ろで縄によって縛られ、拘束されてしまう。ホガミはきぃきぃとわめき声を上げた。
「信じられない。この変態。中学生の女の子に手ェ出して、ただで済むと思ってるワケ?」
何というか、相変わらず怯むということを知らないようだ。
ちょっと周りの鎧たちのほうがその勢いに圧されている気がするし。
俺とミズヤウチは立ち上がり、その四人から距離を取るため後ろに下がろうとした。
しかしその前に、鎧の内の一人が――俺たちに向かってつかつかと前に歩み出ると、おもむろに鎧兜を脱いだ。
……あ、と思わず、声を上げそうになる。
兜の下から現れた頭は金色をしていたのだ。
コナツのそれに比べれば、少しくすんだ金色ではあるが、それでも自然界のものとは思えないほど美しく、柔らかく吹く風の中で靡いている。
浮き上がる髪の下の耳は、ぴんとまっすぐ尖っている。
そして背景の緑より一層深いエメラルドグリーンの瞳は知的な輝きを有していた。
背の高い、整った顔立ちの女性だ。歳の頃は二十代後半くらいだろうか。
だが「きれい」と表現するにはあまりにも、その表情は冷徹に、温度なく保たれていた。
細い眉毛と、眉間に寄った皺も、その印象をより強めているし、かなり年上にも見える。
触れたらすぐ切れてしまいそうな、鋭利な刃物のような美貌だと俺は思った。
そしてそんな女性の声音も、多少失礼かもしれないが、外見から想像する通りの性質だったと言っていいかもしれない。
俺とミズヤウチの顔を一睨みし、彼女はまずこう言ったらしかった。
「――――人間どもめ」
そう吐き捨てる冷たい声には、侮蔑と嫌悪が入り交じっていた。
背後で他の二人に捕まったままのホガミが、何よ、とばかりに唇を僅かに動かす。
しかし女性が鋭く振り返ると、むっとしつつ口を閉ざした。さすがに旗色が悪いのは理解しているらしい。
「不正をもって我らが国の土を踏み、神聖なる森を穢した罪。……万死に値するぞ」
腰に帯刀した細剣の柄に手を添えつつ、固く尖った声でそう宣言される。
俺とミズヤウチは戸惑いつつ顔を見合わせた。といってもミズヤウチは不思議そうに「???」と首を傾げるばかりで、言われている言葉の意味はよく分かってなさそうだ。
まあ、もちろん俺にも全てが理解できているわけじゃない。何となく、どの行為を非難されているかを察しただけだった。
「えっと……ごめんなさい。そういうつもりではなかったんですけど」
とりあえずは謝罪してみる。
すると容赦なく、レイピアの切っ先は俺の首に向かって伸ばされてきた。
そうなるだろうとは思っていたが、如何せん心臓には悪い。ぎこちなく両手を空に向けてみたが、休まず厳しい追及の声が飛んでくる。
「貴様たちは何が目的だ? 何故この国に侵入した?」
どう説明したものかと、俺は迷う。
コナツが森人と呼ばれる幻想の国の住人で、彼女の母もそうなのだとしたら、間違いなく俺たちが降り立ったのは彼女たちエルフの住まう土地だ。
そして目の前の女性は、俺たちが突然ここにやって来たことに憤っている。
だからホガミは捕らえられたし、おそらく俺とミズヤウチをも捕らえようとしているはずだ。
すべて馬鹿正直に答えればいいのか疑問があったので、とりあえず俺はコナツのことから説明することにした。
「俺たちは、コナツという金髪の女の子の力を借りてここに来ました。八歳か九歳くらいの、きれいな桜色の瞳をした子です」
女性は黙ったままだ。
できればここで、「それならオーケー」とにこやかに了承を頂けたら万々歳だったがそううまくはいかない。この女性はコナツのことを知らないようだ。
女性の沈黙をまだ発言が許されている、というポジティブな意味合いで受け取ることにして、俺は曖昧に言葉を濁しつつ説明を続ける。
「戦闘になって、仲間を殺されていて……他に逃げる場所のない、追い詰められた状況でした。コナツが扉を喚び出してくれたから、俺たちはその扉をくぐって、そして気がついたらこの場所に辿り着いていたんです」
「嘘を吐くな。我が国にコナツなどという名前の者はいない」
次は返答があった。
しかし、にべもない返事だ。俺はすぐ反論しようとした。
「いや、そんなはずは……」
……待てよ。
そもそも「コナツ」というのは、彼女に頼まれて俺がつけた名前だった。
コナツ自身は奴隷から生まれたから自分には名前がない、母も父も顔を知らない、と出会った頃に言っていたが、今ならその説明が嘘だったと分かる。
少なくともコナツは、母から扉の「よびかたをきいた」はずだ。母親とは面識があると考えていいだろう。
つまり、単純に考えれば、コナツには親から与えられた「名前」がもともと存在していたはずなのだ。
どうしてコナツがその名前を俺たちに教えてくれなかったのかは分からない。何か複雑な事情があったのかもしれないが、今コナツは傍に居ないので、それを確認することもできない。
だから今、俺にできることといえば、もう何時間も前に思えるようなあの出来事を――扉を召喚するためにコナツが用いた詠唱のいくつかを、必死に思い出すことだけだった。
「彼女は確か、リセイラ、カルターマ……」
その続きは、思い出そうとしてもどうにも読み取れない。
俺は諦めて首を緩く振った。デタラメを口にするよりは、確実な情報を優先して伝えたほうがマシだ。
「……みたいな言葉を、口にしていました。この扉の先は母の故郷に繋がるはずだとも言っていて」
「――リセイラ=カルターマ?」
俺の話を聞いていた中で初めて。
ほんの一瞬だけ、女性は眉を顰めた。
しかし瞬きの後には、そこには元の鉄面皮だけが残っていた。
「は、眉唾物だな。詰まらない言い訳を重ねたところで、貴様たちが不法侵入を果たしたのは事実だ」
残念なことに、説明の効果は薄かったようだ。




