94.不意打ち
唱え終わると同時。
左の手の平の中に、白く光るカギが出現する。
俺はそれを颯爽と手に取ると、迷いなく、目の前の扉の鍵穴に向かって差し込んだ。
息を呑む仲間たちに後ろから見守られながら、カギをくるりと回す。
……やがて、カチャリ、と解放を告げる音が鳴った。
そこでようやく、肺に溜まっていた息を吐く。
役目を終えたカギは、空気の中に淡く溶けて消えていった。
「ナルミって、リミテッドスキル以外にもすごいスキル持ってんだな……」
その様子を眺めていたアサクラが感心したように呟く。
俺はその言葉に笑いかけたが、答えることはできなかった。
何故なら《解放》の魔法効果を飛躍的に高めている"開放解錠"は、俺が所有するリミテッドスキルの一つだからだ。
でも城に集まった元クラスメイトたちを警戒した俺は情報を意図的に隠し、スキルは"矮小賢者"のみ持っているという風に説明している。
だから今は雑に誤魔化すしかなかった。説明の時間が惜しいし。
そして《解放》によって解錠された結果。
ドアノブのない鉄製の扉は、触れてもいないのに外開きに開き出した。
俺はそれが開ききる前に、振り返った。
「コナツ」
まず最初に扉の前に立つべきは、俺ではなくコナツだろうと思ったのだ。
呼びかけると、間髪入れずコナツが走り寄ってくる。
外見は、既に普段のコナツの姿へと戻っているようだった。
髪に隠れた耳の様子はわからないが、瞳は穏やかな桜色に煌めいている。
コナツは夢中になって、開け放たれていく扉の先を見つめていたが……それが開ききると同時、
「……うん」
何かに納得したように、コナツが頷く。
重く軋み、開いた扉の先には――何も、見えなかった。
本来、扉の向こうにはその先の景色が見えるものだ。
だが、そこには、果てのない濃厚な暗闇が広がっていた。まるでブラックホールのようだった。
先の見通せない闇は人間の根源的な恐怖を煽るものだが、コナツが喚んだ扉だからか、不思議と俺は怖いとは思わなかった。コナツの顔つきを見る限り、彼女にとってもそうだったのかもしれない。
俺はその闇を見つめながら思う。
日本でも有名なアニメの、ロボットが取り出すピンクのドアのように――この扉の先は、その人の行きたい場所へと繋がっているんだろうか?
一度、馬鹿なことを考えてから苦笑する。そんなに都合の良い奇跡が転がっているはずはない。
この世界は決して、俺たちの願うままに作られた妄想の産物じゃないんだから。
「コナツ、この扉はどこに繋がってる?」
コナツはふと気づいたように俺の顔を見上げ、物憂げな表情をした。
カギを所持していなかった時点で明らかだが、そもそもコナツ自身、この扉を実用したことは一度もないのだろう。
知らない、分からない、と返ってきても致し方ない質問だ。
しかしコナツは戸惑いつつも口を開いた。
「……おかーさんの、うまれこきょう……だと、おもう。そうきいたから」
ごにょごにょと、何とかそれと聞き取れる程度の声だ。
「そうか。ありがとう」
コナツがそうだと明言したわけではないが、もし彼女が森人の末裔で間違いないとしたら。
扉の先はアンナさんの言うような、エルフが住む世界――伝説上の森へと繋がっているのだろうか。
だが、そこがどこだろうと、どんなに危険だろうと、今の俺たちの逃げる場所はそこしか無い。
俺はコナツの頭をもう一度ぽんぽんと軽く撫でてから、ユキノを振り返って言った。
「ユキノ。コナツとハルトラと一緒に先に通ってくれ」
「兄さま、でも……」
いつも、俺の言うことには基本的に素直に従ってくれるユキノだったが、このときばかりはそうではなかった。
その先を言い淀み、不安そうな顔をする。
俺はユキノの不安を解消するためではなく、説得するための言葉を口にした。
「さっきの物音は、廊下の先まで聞こえていたと思う。近いうちにあのバケモノとホレイさんはここに戻ってくる。殿は俺が務めるよ」
物音というより、この扉が降ってきたときの衝撃はほとんど轟音と呼んで差し支えないものだった。
城全体を揺らすような――とまではいかないだろうが、あれがホレイさんたちに聞こえなかったというのは、些か希望的観測に過ぎるだろう。
であれば、一刻も早く扉をくぐって移動すべきだ。
そして優先順位なら、俺の中で決まりきっている。
聡いユキノなら、そんなことは最初から理解していただろうけど。
「…………わかりました」
ユキノは抱えたハルトラを労るように抱き直して、それからコナツの隣に並んだ。
コナツは心細そうに、ユキノのスカートの裾を皺になるほど握りしめている。
ユキノはそんな少女に頷きかけると、俺を見つめ直して、懇願するように言い放った。
「……兄さま、どうかお気をつけて。先に行ってユキノたちはお待ちしております」
「うん。すぐに追いつくよ、ユキノ」
なるべく自然に笑いかける。気負っている様子など見せたくはなかった。
ユキノも眉を下げて微笑むと、「行きましょう」とコナツに声を掛ける。
二人は並んで、緊張した足取りで開いた扉に向かって進んでいく。
その背中を最後まで見届けるつもりで、俺は瞬きを一度もせずに二人を見つめていた。
だが……ユキノとコナツの身体が扉をくぐった瞬間に、だった。
「……消えた」
アサクラがぽかんと呟く。
おそらくは、俺も似たような顔をしていたかもしれない。
確かに、つい数秒前まで見えていたのだ。
それなのに、扉の内側に足を置いた瞬間、二人の姿は幻のように掻き消えてしまっていた。
この扉がもし、離れた空間同士を繋げる役割を持つのなら、それは当然のことなのかもしれない。
でもそのときは、どうにも落ち着かない気持ちになった。やはり早急にユキノたちに追いついて、無事を確認したい。
「アサクラとミズヤウチも。行けるか?」
俺は胸の内に湧き上がった焦りを隠しつつ、できるだけ軽い調子で呼びかけた。
しかし予想通りというべきか、ここでアサクラは抵抗した。
「悪い、ナルミ。おれ、やっぱりアカイを探したい」
アサクラならそう言い出すだろう、というのは想像の範疇だ。
しかしその先の展開はそこから外れていた。
アサクラを押しのけて、扉の前に、別の人間が割り込んだからだ。
「!? おまえ――」
穂上明日香だった。
彼女は言うまでもなく、俺たちと敵対する立場の人間だ。
そんな彼女が何故この局面で現れるのかと、俺は唖然としてしまう。
見る限り目立った外傷がないのは、ホール内に居たホガミもネムノキの全体回復魔法の恩恵を授かったからだろう。
扉に手をかけつつ、俺の顔を振り仰いだホガミは飄々とした顔で、こんなことを言ってのけた。
「ハラに裏切られて、ハヤトもあたしを置いてったんだもん。もう、どんなに嫌でもアンタたちを頼るくらいしかないでしょ」
何言ってんだコイツ。
という感情が顔に出たのか、ホガミは「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
でもその場からは退こうとしない。扉をくぐるつもりで、割り込んできたに違いなかった。
「置いてったって……マエノがホガミを置いてったのか? あのマエノが?」
混乱しているのか、分かりきっていることをアサクラが繰り返すと、ホガミはつっけんどんと言い返してきた。
「だからそう言ってんでしょ、アサクラ馬鹿なの? 馬鹿だよね?」
「まぁ確かにおれは馬鹿だけど、だからって二回も言うことなくない?」
「馬鹿は二回言ったって治らないから何回でも言うわよバーカ」
「ヤバいこいつアカイより口が悪いかもしれない」
アサクラがしくしくと泣き出す。まるで小学生の遣り取りだった。
ミズヤウチはその横で、眠そうにふわぁと欠伸をしていた。こっちはこっちで余裕である。
……まぁ、ホガミの気持ちは分からないでもない。
マエノとホガミがハラのスキルを利用してフィアトム城に乗り込んだということは、ハラは城のメンバーを裏切り、血蝶病のマエノたちに手を貸していたということだ。
が、実際はその協力さえもカンロジの指示に拠るものだったのだろう。
先ほどの無差別攻撃からも明らかだが、カンロジたちとマエノたちは完全に別勢力だ。
カンロジは、マエノやホガミが死のうと特に構わないような様子だった。ハラは二重の裏切りを果たしていたということになる。
だからホガミがパニックに陥るのは当然だし、唯一の味方であるマエノに置いて行かれたことでより追い詰められてしまったのも、一応理解はする。
が、それとこれとはまったくの別問題だった。
「だとしても、俺たちに血蝶病のおまえまで助ける義理はないだろ」
「っ!」
淡々とその事実だけを伝える。
するとホガミの顔が一瞬で真っ赤に染まった。どうやら怒ったらしい。
「――あたしは血蝶病じゃない!!」
それは何かの強がりだったのか。
こちらが慌てるほどの大声で叫ぶと、そのままホガミは扉をくぐってしまった。
止める暇はなかった。少し前のユキノたちと同じように、ホガミの姿も闇の中に消えていく。
「どうするナルミ。あいつ通したのはヤバかったんじゃ……」
アサクラが怖々と言う。
だが今となっては致し方ないことだ。
先ほどの戦闘でもホガミには戦っている様子はなかったので、ユキノやコナツが適切な対処を取ってくれることを信じるしかない。
「……ひとまず放っておこう。今はホガミに構ってる場合じゃ――」
――来た。
ズダダダダ、と冗談みたいに騒がしい足音が接近してくる。
その正体は考えるまでもない。
アレが戻ってきたのだ。
無言のまま、俺とミズヤウチは得物を構えた。
それぞれ、聳え立つ扉の左と右とを守るような位置だ。アサクラは大慌てで俺たちの後ろへと下がった。
「アサクラ! 今のうちに扉に!」
叫ぶものの、やっぱりアサクラは怯えながら首を振る。
彼は意外に頑固だった。俺は説得をすぐに諦め、眼前の脅威に全神経を傾け集中する。
この広々としたホールには出入り口がなく、吹き抜けの構造になっている。
先ほどの無差別攻撃のせいで背の高い氷のオブジェもそこら中に発生しているから、視界はかなり不明瞭だ。
それでも足音が響いてくる方向からして、俺たちから見て左側の通路の先から、きっと攻撃が来る。
位置の関係からしても第一撃は俺が受ける形になるだろう。それで構わなかった。
移動速度の速いミズヤウチがカウンターを仕掛けてくれれば、きっと良い流れが生まれるはずだ。
だが――そこまで分析していたのに。
あるいは、無闇に分析の時間を与えられていたせいなのか。
その攻撃は防げなかった。
氷のオブジェの隙間を這いずるように伸びたそれは、距離感などお構いなしに仕掛けてきたからだ。
攻撃を喰らったのは、俺ではなかった。
ミズヤウチの脇腹を、黒い髪の毛の束が貫通した。




