結婚前夜
「…………」
「…………」
「…リリィ、とりあえず危ないから座りなさい」
「え?ちょっとこっちに来ないでください。あなた誰ですか?」
「いきなり酷いな!!」
お父様に肩を抱かれて馬車に戻ると、そこにはちょっと引き気味のアンとブルージ先生がいた。
何だよ、と思いつつもとりあえずアンの横に座ろうとしたらこの台詞だ。
バリアするみたいに両手をバツにさせて限界まで体を逸らすアンに心が折れそうだ。普通一仕事終えた私にかけるのはねぎらいの言葉だろう。何でこんな避けられてるの?イジメ。かっこ悪い!!
「お嬢様に必要なのは私だったが、お姫様に必要なのは祈祷師だね。君にはきっと成人する前に領民の事を思いながら死んでいった子爵令嬢の霊がついているんだと思うよ」
「それまんまリリアじゃん!!全然笑えないからね?!」
何なんだ?何でこんな扱いなんだ?と憤っていると、その様子を見ていたアンがそろそろと私に近づいてきた。ちなみにまだ両腕のバリアは解いていない。
「だって、あれ誰ですか?何なんですか?あなたは誰ですか?」
「私は私だってば!何でそんなに引いてるの?ここは普通完璧にお嬢様を演じ切った私を褒めるところでしょう?」
「だってお姫様のそれは演じるっていうより何かが乗り移った感じだったよ。祈祷師呼ぶ?」
「呼びません。まあ何て言うんですか?女は生まれながらにして女優ってとこですかね」
「何意味のわからない事言ってるんですか?一緒にされたら困るのでやめて下さい」
さすがにへこむよ?感謝の気持ちを伝えねばと思って必死に病弱なお嬢様を演じながら頑張ったのに、何でこんなに引かれる訳?
大体領民の人たちは皆感動して咽び泣いてたじゃないか。…いや、それは言い過ぎたけど。でも感動的に終わらせられたよね?ね?
「上手に演じすぎなんですよ。だってあなたは体も弱くないし、あんなに控えめじゃないじゃないですか」
「ひどい事言わないでよね。私だってしようと思えばあれぐらい控えめになれるんですぅ」
「じゃあ今すぐなってください」
ですぅと唇を尖らせたのにむかついたのか、アンは冷ややかに言葉を吐き出した。…そんなに機嫌悪くしないでよ。
でも確かにさっきの演技は出来過ぎだと私も思う。もうね、村長だっていう人の手を握って感謝しながら、あれ?私って本当に体弱いんじゃない?実は本当にちょっとの病気にかかっただけで死んじゃうんじゃない?って思ってたもん。
「馬車降りる時に転びそうになったじゃん?それで体の力が抜けたっていうか、いい感じに開き直れたんだよ、きっと」
「あ、あれは演技じゃなかったんですか?」
「演技なものですか!」
お嬢様らしく優雅に、と思ってたのに最初の一歩からあれで、もう本当にどうしようかと思ったんだよ。
さらっと馬車の中に戻って最初からやり直そうかと思ったくらい恥ずかしかった。まあお父様の叫び声にそれは諦めて進むことにしたけど。それでこうなったらもう思いっきり病弱なお嬢様を演じてやると思って出来たのがあれだ。
「お姫様を知ってるこっちからすればほとんど詐欺だと思うほど儚く見えたけど」
「詐欺って…」
「まあとにかく、お前のおかげで領民達の罪悪感を減らせたことには礼を言う。だが次からは絶対に馬車から出てくるんじゃないぞ。
お前が出てきた瞬間、俺の寿命が一気に縮んだ気がしたんだからな」
お父様の中の私って一体どうなってるんだろう…。
「どうしようもなくなった場合、腹を切ってでも謝罪を…」とか言ってるお父様のお腹に肘を入れてあげつつ、ちょっとむくれる。
「まあまあお姫様、機嫌を直して。もう領地を抜けたからね。外を見ても構わないよ」
「…うわぁ」
そんな子どもみたいな話の逸らし方に騙されるかと思いながらブルージ先生が開けた窓を見て、私はころっと騙されて感嘆の声を上げた。
だって、すっごくきれいなんだよ?!ここの領地は山の方だったらしく、見下ろす限りに広がる大地と大きくそびえ立つお城はまさに絶景だった。
もうお城なんて日本的な言い方は似合わないくらい立派だよ。キャッスルだ、キャッスル!!
「すっごい!でっかい!!何あれ?!」
「城だ」
「ここからの景色は確かに綺麗ですよね」
「もー、アンったら!『特別な景色なんてありませんよ』なんて嘘ついちゃってぇ」
「…あの鬱陶しいのでテンションを落としてもらってもいいですか?」
うりうりーと脇腹をつついたら、真顔でそう返された。相当鬱陶しいと思ってるのはわかるが、ひどい。でも上がったテンションはそう簡単に下がらないんだよ。
「いや、今ならどれだけ騒いでもいい。そのかわり宿についたら大人しくしろよ」
「宿?」
窓から見える王都は結構遠いけど、あと1、2時間で着く距離にある。
伯爵の家は王都に近いって書いてあったし、このまま順調なら今日中につけると思う。
「結婚の顔合わせだぞ?そんな行ってすぐ会って終わりではないんだ。
今日は宿に泊まり、しっかりとめかしこんだ後正式に侯爵と会うに決まってるだろう」
「ええ?聞いてないよ!正式って私作法とか何にも知らないよ?」
「リリアも知らなかったのだから問題ない」
「どうしようもなくなったらね、目を伏せて悲しそうに『無作法で申し訳ありません』って言えば大丈夫だよ、お姫様。
それで大半の男は何も言えなくなるから。お姫様の容姿なら特にね」
「え?それ信じて怒られた場合、どうすればいいの?」
そんなんで切り抜けられるなら、前の世界でさんざん怒られまくったのは何だったんだろう。
それはともかく、こんな会話をしていると何か胸がそわそわし始めた。急に結婚するって事が実感できてきたのだ。
あの町に着いて一晩寝たら、私は結婚するんだ…。
そう思ったら上がりきって下がらないと思ってたテンションが一気に下がってくる。っていうか緊張?こんな町でキャーキャー騒いでる場合じゃない気がしてきた。
まあそのおかげと言っちゃ何だけど、テンションが下がったせいで宿では完璧に病弱令嬢を演じられたわけだけど。
大丈夫だって言ってるのに宿の女将さんは私の部屋まで肩を支えてついてきてくれた。アンが反対側にいるから見た目は捕らわれた宇宙人状態だと思う。
でもそんな軽口も叩けないほど私はそわそわする心を落ち着かせるのに精いっぱいだった。
「どうしたんですか?さっきから。もう女将さんもいないし、素に戻っても大丈夫ですよ?」
「……何かさ、急に緊張してきたんだよ。明日私結婚するんだなって」
そう言うとアンはきょとんとした顔をする。
「え?冗談ですよね?」
「何で?失礼な!!」
どう考えてもここで冗談なんか言う訳ないじゃないか。ちょっとむくれると私が本気なのがわかったのか、アンは少し気を引き締めたように笑った。
「確かにコックや庭師が来るまでは他の使用人も多いですし、お嬢様に窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんが、私も細心の注意を払います。
でも3人がくれば屋敷の中には私たちだけ、侯爵様もそう帰ってこないと思いますしばれる心配はありません。大丈夫ですよ」
「それも心配なんだけどさ」
結婚相手と言えば、これから一生をともにする相手だ。別に何か月も前から結婚することは納得していたし、普通の夫婦みたいな関係を望まれてるわけじゃない事もわかってる。
でもやっぱり普通じゃなくても相手の事は気になるし、相手をどう思うかとかどう思われるのかとかは気になるよ。
そう伝えると、アンは今度こそ考えもしていなかったというような顔で固まった。
「ちょっと、本当に失礼じゃない?」
「だって、え?お嬢様が普通の女の子みたいな事言うんですもん」
「何それ!!本当に失礼だな!!もういいよ、寝る!」
「あああ、すみません」
こんなに落ち着かない気分なのに、アンは酷い!もう不貞寝してやると思いベッドに顔をうずめると、アンは慌てて謝りながら側までやってきた。
「そっちなら尚更大丈夫ですよ。明日になったら私が腕によりをかけてとっても可憐で愛らしい令嬢に仕立て上げます。
それを見たら侯爵様だってきっとお嬢様と結婚することを感謝するでしょう」
「いや、そこまで好印象を抱いてもらわなくてもいいんだよ」
最低侯爵だけどずっと嫌ってるのも疲れるし、そんなに一緒にはいないだろうけど嫌われて居る間中敵意を向けられるのも嫌だ。
まったく欲しくなかった縁だけど、せっかくなんだからビジネスライクでもいいから信頼関係くらい築きたい。
「それにはやっぱり第一印象が大事じゃん?でも私本当に令嬢っぽい振る舞いとか出来ないし、今更出来る努力もないし緊張もするよ」
「お嬢様!!」
「わっ!何?!」
いっそのこと今からでもアンに令嬢の振る舞いを教えてもらおうか?何か小難しそうで全然覚えられる気はしないけど、やらないよりマシな気がする。気分的に。
そう思って体を起こした私の手を、アンはガシっと掴んできた。起きたところへの不意打ちに身体がビクッと震えてしまう。
これ本物のリリアだったら心臓止まりそうだからね?
「私花束とカードの一件からあんまり侯爵様にいい印象を持っていなかったんですが、改めます」
「え?何それ?ライバル宣言?」
「何訳のわからない事いってるんですか?」
いや、だってその発言はそうとられてもおかしくないでしょ。まあ私との会話のどこに伯爵を見直すところがあったのかは謎だけど。
「侯爵にあまりいい印象を抱いてませんでしたから、明日は適当にお嬢様を着飾らして終わろうと考えてたんです。
どうせお嬢様に微塵も興味を抱いてないんですし」
「いや、それはどうなの?メイド的にさ」
「でも改めます。お嬢様がそう思っているのでしたら、このアンドリアナの腕によりをかけてお嬢様を着飾って見せましょう。
興味を持っていない侯爵様が好意を抱かずにはいられないくらい!!」
「そこまでの好印象はいらないんだってば!!」
「さあ、お嬢様行きましょう!!」
「どこへ?!」
興奮したアンにはもう言葉は聞こえないみたいだ。私を起き上がらせ、ずるずると引きずっていこうとする。さすがに外はまずいと思ったけど、引きずられた先は備え付けられている洗面台の方だった。
「何するの?」
「お風呂ですよ、お嬢様。私が洗わさせて頂きます」
「え?!わかった!お風呂は入るけど、一人でちゃんと洗えるから!アンは部屋で待ってて」
「いいえ、今日だけはその言葉を飲むわけには行きません。頭のてっぺんから足の先まで完璧に洗い上げてみせます」
「みせなくていいよ!!」
「あんまり大きな声を出すと心配して女将さんがやってきてしまいますよ、お嬢様」
「だって!!わっぎゃあああ」
「お静かに」
それからアンの言葉通り頭のてっぺんから足の先までピカピカに磨き上げられ、お風呂を出た後も色々なものを塗りたくられた。
そのおかげで私はさっきまでの緊張のきの字も思い出す前に疲れ果てて泥のように眠ることが出来たのだった。
…結果オーライと思いたい…。




